第7話 ピンク編 その7

 カタヒラたちの帰還が完了しないうちに、事は始まった。

 タンデムのスノーモービル二人が、私たちホンゴウ隊に気づいた。ドライバーが、首を前後に振って、しきりにピンクブーツに話しかけている。ピンクブーツ後ろの雪上車が、エンジンを思っきりふかして、速度を上げた。

 私はカタヒラたちに給油するため、輜重車を降りる。

 すぐに危害が及ぶ危険性はなさそうだと踏んだスイタが、私に続く。

「挟み撃ちにされて、迷ってるって感じかな」

 スイタの感想に、私もうなずく。

 無理やりタンデム乗りをしているせいか、ピンクブーツの乗っているスノーモービルは遅い。せっかくの機動力が、台無しだ。後ろの雪上車に、追突される。タンデム乗りは、かろうじて体制を建て直し、リアス式の入り江に急旋回する。雪上車が執拗に、次のアタックを狙っているのが、こちらからでも分かる。カーチェイスと呼ぶにはスローモーすぎる、それでも命がけなのが伝わる、カーチェイスだ。カタヒラの説が当たっているとも思われないが、敵対関係にある二台、なのは確かなようだ。

 我がドーザーブレイド部隊も、カーチェイス開始直後から、現場に急行している。しかし、いかんせん、足が遅い。今更ながら、グリッドの広さが恨めしい。

 偵察のスノーモービルが帰ってきた。

「偵察一号、給油願います」

「よっしゃ。オレのビックマグナムを突っ込んでやるから、くぱぁって広げてくれ。はやく、はやく」

「ていうか、たかが給油なのに、なんでそういう下品な擬音語使うんです?」

「オレのケツをひっぱたくのは、後でもできるだろ。ほれ、はやく、はやく」

 チグサは隊内に四人いる女性隊員の一人。ベンチプレスで百キロ以上持ち上げられる04基地唯一の女性で、口さがないジジイどもはアマゾネス、と陰口している。立派すぎる体格のせいで男が寄り付かないが、中身は至って気のいい女だ。04基地に再配属になった当初は、私がチューターとなって、部隊生活全般の世話をした。通勤用のポンチョがほしいというので、こまごました買物に半日つきあった。帰りにお茶を飲んで帰ってきただけなのに、男とデートするのは初めてだとはしゃぐ、可愛い女でもある。結婚願望は大いにあるが、ラブレターをくれるのは女性ばかり、という悲運の女の子でもある。

 助手席から、カツラが顔を出す。

「パパ。カタヒラさんから、送信あった。ピンクブーツがカタヒラさんのほうに逃げてきてるから、このままギリギリまで待機するって」

「了解だ」

 待機中のチグサに、見つかったようだ。

「カツラちゃん、久しぶり。今日も、お父さんの、お手伝い?」

「監視役よ。パパって、美人を見ると、すぐに鼻の下を伸ばして、セクハラしまくっちゃうから。慣れてると思うけど、チグサちゃんも気をつけてね」

「あら。ありがと」

 悠長に会話しているヒマはなかった。

「パパ……見て。雪上車、落ちた」

 敵方の雪上車だって、乾燥重量9トン半を超える鉄の塊のはずだけれど、ぱしゃーんと、やたら軽い音とともに、海の中に消えていった。リアス式海岸、もっとも手前、薄氷の入り江だ。気づいていても、敵さんに警告はできなかったな、と取り留めのない考えが浮かんでくる。

「パパ。スノーモービルも落ちたよ。でも、一人、残った」

 残ったのは、ライダーのほうだ。

 ヘルメットを乱暴に脱ぎ捨て、氷のふちにひざまづいて、なにやら大声で叫んでいる。

「助けを、呼んでる?」

「違うだろ。おーい、大丈夫かあ、だと思うよ」まあ、海の中では聞こえないだろうが。「冷水でショック死してなくとも、生存は絶望的、じゃないかな。いや、スイタじゃないから、めったなことは言えないけど」

「あんたの推測、大体当たってると思いますよ、ミレー」

 仕事に戻ります、とスイタはドクターカーに戻った。

「ねえ、パパ。一生懸命叫んでるところを見ると、やっぱり、彼女さんだったのかな……」

「かもな」

「でも、ミレー。彼は彼女ですよ。叫んでいるの、女の人です」

「本当だ」

 銀髪、おかっぱ頭、赤い目をした女だ。年齢不詳だが、少なくとも、ウチの娘よりは年かさに見える。

「パパ。おかっぱ頭じゃなく、ショートボブって、言うんだよ」

「お、おう」

 岩陰から急行したカタヒラが、そのライダーの腕を取った。起こそうとして、拒否される。味方ドーザーブレイド車がようやく追いついた。偵察二号から、一号機へ、無線連絡がくる。

「ミレー、そこにいますか?」

「いるよ。残り五秒で給油完了……終わった」

「潜水機材とか、持ってきてませんよね」

「持ってきてない。有線式のカメラ付水中グライダーならある。ケーブルの長さ五メートル半の、おもちゃみたいなヤツだけど」

「それもって、すぐに駆けつけてくれませんか。できれば、医療車も、はやく」

「助けるつもりか?」

「ホンゴウからの指示です」

 機材入りのバックパックを背負って、スノーモービルのケツに乗ることにする。

「ちょっ、ミレー。一緒にいくつもりですか」

「だってチグサちゃん、この機械の使い方、知らんだろ」

 医療輜重車の運転をスイタに頼め、とカツラの命じる。キャビン後部のドアを思いっきり開け閉めする音が聞こえた。

「オレたちも、行こう。安心しろ。オッパイにもケツにも触らんから。筋肉のかたまりなんて、触っても撫でても、面白くもなんともないし」

「失礼な。一言余計ですよ、ミレー。だからカツラちゃんに口を利いてもらえなくなるんです」

「うん。悪気があって言ったわけじゃない。でも、悪かったよ」

「どこにもつかまらないでタンデムするのは危険です。許可するので、胴体につかまってください」

「おう」

「そうじゃなくて。ポンチョの下に手を入れて、直接ライダースーツに」

「おう」

 轟音とともに、いきなりスノーモービルは出発した。舞い上がる積雪が、風とともに、体に当たる。セーターにジャケットと、寒さに対しては「重武装」しているつもりが、細氷には、形無しだ。冷たいというより、痛い。風圧のせいで、ズルズルと手が滑っていく。普段なら、これくらいへっちゃらなのに。バックパックの重さのせいも、あったのかもしれない。落ちそうだ。我慢できなくなって、チグサの胸をわしづかみにした。彼女の背がピンと伸びる。

 すまん。

 すまん。

 すまん。

 口の中で謝っているうちに、到着である。

「ごめんな、チグサちゃん」

「セクハラで訴えます」

「本当に、ごめん」

「カツラちゃんに、言いつけます」

「だから、本当にごめん……筋肉のかたまりだなんて言って。弾力あるのに、それでいてやわらかい。最高のオッパイだった」

 チグサの顔が、目元からジワジワ赤くなる。

「基地のジジイ連中は、チグサちゃんのこと、メスゴリラみたいに言ってるけど、全然違うよな。ウエストに贅肉ついてなくて、普通の女の子より、断然細い。モデル並みのナイスバディだよな」

 チクザの顔が、さらに赤くなる。

「絶対、絶対、ぜーったい、許しませんからね、ミレー。罰として、また今度デート……じゃない、半日、買物につき合ってもらいますから」

「お、おう」

 そのときは、映画もおごってやる約束をする。

 氷の開口部付近には、例のドライバーのジャケットやら吊ズボンやらが、散乱していた。

 カタヒラが、いやがる彼女に毛布をかけてやっている。矛盾脱衣というヤツか? 横顔がちらっと見えたが、ラリっている感じではない。瞬きひとつしない、鬼気迫る感じ。カタヒラが押さえつけていなければ、女ライダーは今にも海に飛び込みそうだ。

 ドーザーブレイド一号車の車長カシワが、無線に向かって、怒鳴っていた。

 相手は、おそらくホンゴウだ。

「こんなの放っておいて、雪かきしようや」

 助命救助には、反対らしい。

「敵だぞ。敵さんなんだぞ。こいつらのせいで、命を落としたヤツだって、ゴマンといるんだぞ。第一、助けるったって、方法がねえだろ。クソッタレが。おい、優等生。教科書どおりにやったら、何でも解決すると思うなよ。学生風情が」

 私は早速、グライダーを水中投入した。氷のふちが、ぱりぱり割れそうで怖い。しかし有線が短いので、無茶せざるを得ない。

「腰の、ベルトのところ、押さえてますよ」とチグサが補助を買って出る。

「頼む」

 なんだか、補助の手が、ズボンの前のほうにきすぎているような。

「ふっふっふ。さっきの、お返しです」

「大胆だなー。チグサちゃんって。経験豊富なひとだっけ?」

「いえ。そういえば、男のひとの触るの、初めてかな……」

 消えいるような声に振り向くと、彼女の顔が今度は真っ赤っ赤になっていた……。

「おい。おっさん。何してんだよ」

「助けるにしても、助けないにしても、調査は必要だろうが、よ。カシワ、お前は今回業務の日報綴、なんて書くつもりなんだ? 敵方雪上車自滅、まではよくても、追跡を受けてた謎の民間人は救出せず、てか?」

「謎のって、なんだよ。そこの露出狂ねーちゃんを尋問すれば、いいだけだろうが。おい、ねえちゃん、あんた、一体、何者だ?」

「後で、ちゃんと答える。今は、ともかく、彼女を助けてくれ」

「あんたは『ヤーガンの火』の正規兵だろ。どうして、民間人を連れてた」

「救助するつもりがないなら、せめて、邪魔しないでくれ。これから、海に潜る」

 服を脱いでいたのは、そのせいか。

 着衣水泳が体力をそがれることは確かだが、裸体での潜水だって、この水温じゃ、自殺行為だ。カシワが、その無謀さを鼻で笑う。

「おい、カタヒラ。手を離してやれ。死にたいなら、勝手に死なせてやれ」

 水中グライダーからの映像で、雪上車乗員全滅が読み取れる。フロントガラスが割れ、全員が海中に投げ出されていた。シートベルトくらい、しろよ。非常に場違いだけれど、非常に正しい感想が浮かぶ。ごろんごろんと海底を転がった鉄の塊は、彼らの頭を砕き、腹を裂いている。ピンクブーツの姿は……見えない。

「海底まで、7メートルってところか」

 濁流が激しい。

 水中グライダーも、流されそうになる。

 有線コントローラーで命令を出しても、グライダーが言うことを聞かない。

 腕力で引き上げるか。

 50センチほど手繰ったところで、偶然、ピンクブーツが映った。結構、沖に流されている。離岸流か?

「途中で浮上できる氷の割れ目もない。ねえちゃん、君の肺活量がどれくらいか知らないけれど、彼女をひっぱってここまで泳いで戻るのは、無理だ」

「……それでも、行く。方向を教えろ」

「あんたまで、死ぬことはない」

「じゃあ、どうしろって言うんだ。やっとここまで、逃げてきたのに。何もかも犠牲にして、やっと妹を自由にしてやったのに」

「いもうと?」

「ああ。今年で16歳になるんだ。こんな若さで死ぬっていう法はない……」

 最後のほうは、涙声だ。

 私はグライダーを勢いよくひっぱって氷上にあげ、立ち上がった。

「チグサちゃん、サポート、サンキュー」

 おもむろに、ジャケットを脱ぐ。セーターも、カッターシャツも、脱いでいく。プラチナチェーンのチョーカーが冷気に当たって皮膚に貼りつく。大事なお守りだ、これだけは外せない。そうだ。補聴器付メガネの行き先がない。仕方なく、チグサの耳にかけてやる。クラクラします、と彼女は座り込んだ。

「オレが、潜る」

「なに?」

「だから、あんたの代わりに、オレが潜るよ」

 カシワが、冷たい目で、私たちをねめまわす。

「ひゅー、ひゅー。カッケエ。おっさん、英雄気取りかよ」

 英雄なんかじゃない。

 絶対そうならないと、過去、硬く決心した。

「いや、なに。単なる気まぐれだ」

 私を見上げる彼女の肩から、毛布が滑り落ちた。慌てて抑えている。ちゃんと羞恥心はあるようだ。チラ見だが、ブラジャーさえ脱いだようだった。こんな布切れ一枚の有無なんて潜水に影響はなさそうだが、実はそうでもない。昔昔、素潜り漁を生業としていた海女は、上半身裸で海に入っていったものだ。彼女の覚悟は、どうやら本物のようだ。

「絶対死ぬぞって言ったのは、アンタだよな、おっさん……じゃなくて、ええっと」

「ミレー。輜重担当だ」

「ミレー。あんたこそ、死ぬつもりなのか」

「まさか」

 カシワが盛大に、空気を読まない発言をする。

「お礼はカラダで腹ってくれってよ」

「そうなのか?」

「いちいち反応すんな。……引き上げるのは、ナキガラって可能性も大なんだ。あんまり期待すんな。覚悟しておけ」

「あ。ああ」

 カタヒラから、ロープをもらう。端を腰に結わえつける。雪上車備品のは、確か長さ50メートル50センチ。もしかして、足りなくなるかもしれない。反対端を雪上車に結んでおきたい誘惑にかられる。輜重車には、雪上車牽引用・特殊アラミド繊維NNNを織り込んだ耐水バンドが、キロメートル単位で積んである。スイタが間に合ってくれれば、海底からの帰還は楽になるはずだ。

 大きく深呼吸する。

 両手をコブシにして、コメカミにあてる。

「代謝転換」

 急降下するエレベーターに乗っているような、気分の悪さを味わう。吐きそうになるのを耐えていると、カラダの芯からぽかぽかしてきた。

 準備完了だ。

 ピンクブーツの姉が、まだ何か言いたそう・聞きたそうにしている。

「ウチの娘も、16歳なんだ」

 彼女の瞳に、パッと光が戻ってきた。

「娘が命の危険にさらされたとき、ウチの嫁さんも命を懸けた。今のあんたみたいに」

「そうか。立派なお母さんだな」

「ああ。娘の命は助けたけれど、残念ながら自分の命は助けられなかった」

「……つらいこと、思い出させたな。ごめん」

「いいさ。オレは立ち直った。娘は、未だ母親のことを引きずっている。あんたの妹は、どうなんだ? たとえば、あんたの命と引き換えに助かって、喜ぶと思うのか?」

「……思わない」

「そんな、落ち込むな。余計な問答をしたよ。忘れてくれ。オレは単なる気まぐれから潜る。あんたが気に病む問題じゃない。それが言いたかっただけだ」

 これ以上、言うことはない。

 どんな質問も、ごめんだった。

 海水というのは、いつでも塩辛いものだが、この日はさらに苦さまで感じた。

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