第5話 ピンク編 その5
「コンブ茶、冷めちまいましたよ」
誰ともなく言って、スイタがドクターカーに戻った。
やることは、まあ、いろいろあるんだろう。
怪我人に備え医薬の準備。生埋め隊員等のための、通称「ツタンカーメン・カプセル」の起動。これは、低体温症向けの熱パッド、心室細動向けのAED、窒息対策向けの高圧酸素システム等、豪雪寒冷地特有の労働災害すべての救急措置ができるという触込みの、優れモノだ。正式名称は生体電磁波信号測定組成ナンタラカンタラだったと思う(いい年したオッサンなので、覚えきれない)。この機械のスイッチ部分にくっきり刻印された医療メーカーのマスコットキャラ、もといロゴがエジプトの王様にそっくりなので、現場ではニックネームで呼称される。
スイタが自分の「戦場」に戻ったように、こっちも本気を出さねば。
セーターの上に、隊制服のダウンジャケットを羽織る。娘のサイドポニーテールを、ニットキャップの中に押し込んでやる。GPSにて、味方車両の配置確認。連携できない不便を差し置いても隠密性が重視されるのか、敵方車両から位置特定可能な電磁波のたぐいは発せられていない。
このへんは、まあ、いつも通りのことだ。
ホンゴウからの命令は、いまだきていない。
一目散に逃げろ、か。
それとも、味方の後ろに隠れろ、か。
輜重部隊所属を拝命してからしばらくの間、戦闘時の振る舞いに慣れることができなかった。血沸き肉踊るとまではいかなくとも、前線で命を懸けている若い連中のことを思うと、後ろめたかった。同じ後方支援部隊といっても、医療グループは、前線以上に命がけの仕事になることがある。いつもは仏様のように温厚なスイタが、患者のためになりふり構わず上官たちを怒鳴りつけ、24時間だろうが48時間だろうが、ぶっとうしで働くのを、何度も見てきた。
私は指をくわえて、待機していただけだ。
輜重隊には輜重隊の戦い方があると知ったのは、大チョンボを犯してからである。
敵雪上車三台、味方二台の接近戦に、輜重車で助っ人に入ってしまったことがあるのだ。
味方の運転手の一人が、結婚を間近に控えたお嬢さんだったことも、あるかもしれない。空になったコンテナを転がして、敵一台を屠った。代わりに、輜重車のキャタピラを再起不能にされた。交戦中の四台は、私たちリタイヤ組を置いて、はるか雪原に戦いながら走り去った。
一週間後、味方が完膚なきまで叩きのめされたことを、知った。
雪上車四台、お互いの軽油が切れたころ、敵方輜重車が追いついた。燃料タンクを満タンにしたあと、こちらの雪上車をひっくり返して、去っていったそうだ。そして私は「戦場ガソリンスタンド」の役目を果たせなかった。燃料切れでヒーター等まったくナシ、転がった雪上車内は地獄の寒さだったが、幸い凍死者は出なかった。私が気にしていたお嬢さんは、凍傷で、左手の指全部と、右膝から下を切断するはめになった。
彼女の結婚式には、「命の恩人」の一人として、招待された。
花嫁に謝り、花婿に謝り、花嫁のお父上にも再三謝った。
皮肉でなく、あそこでコンテナを転がしていなければ命そのものが危なかった……と彼女のお父上は擁護してくれた。花嫁のウエディングドレス姿はきれいだったが、松葉杖で裾が汚れていた。結婚指輪をはめるべき指がなかった。新婦はそれでも屈託なく、嬉しそうだった。
だからこそ、私は悔やんだ。
悔しくて、悔しくて、たまらなかった。
私のせいなのだ。
私の軽率な判断のせいだ。
私が英雄気取りで、でしゃばったせいだ。
カツラが年頃になってからは、後悔の念がいっそう強まった。
だから、私は、逃げる。
隠れる。
臆病と言われても、逃げる。
卑怯とそしられても、逃げる。
どんなに挑発されても、逃げる。
一度、どうしても逃げ切れず、輜重車キャビンの上に上がって、ズボンとパンツを脱ぎ、文字通り、ケツをまくってみせたことがある。私として喧嘩上等、という覚悟の上の挑発だった。が、そのとき戦場にいた敵味方双方がゲラゲラ笑ってしまい、うやむやのうちに戦いはお開きになった。
私の「下品」の評判がついた瞬間だ。
いや、もともとの評判が、世間一般に広まった瞬間かもしれない。
けれど、輜重兵たるもの、荷物を守り、戦場に届けてむこそ、なんぼのもの。
ケツのひとつや二つ、そのためにくれてやる覚悟は、ある。
好きなだけ、笑いものにしてくれ。
カツラが数日、口を利いてくれなくなるのが切ないが、私が私なりの戦いをやめることは、ないだろう。
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