第3話 ピンク編 その3
「カツラ。先週のホンゴウからのデートの誘い、なんで断ったんだよ?」
雪上車運転中で目はあわせられないが、それでも娘の表情は分かる。
ものすごい、仏頂面だろう。
「温水プールの予約チケット、手に入れるの大変だったのに……て、父さん、グチられちゃったよ。若いひとに、いま、大人気なんだろ? あ。もしかして、水着を持ってないとか? 言ってくれれば、父さん、何枚でも買ってあげるのに。それとも、カラダの線をさらすのがイヤとか? まあ、いきなりのデートで、プールってのは、ちょっと恥ずかしいかもな。でも、カツラ、スタイル抜群だから、大丈夫だよ」
実際04基地内でも評判なのだ……その胸の大きさが。私のいないところで、若い男どもがカクカクシカジカ「女の子」品評会を開いていることは、よく知っている。自分もあと二十年若ければ、加わっていただろう。漏れ聞こえてくるところを勘案するに、娘の二つ名は、どうも「ロリ巨乳」で決定しているようだ。もちろん、私の目の届くところで、そんなゲスなニックネームを漏らしたヤツは、こっぴどくドヤしつけることにしている。ポリエチレン樹脂を編みこんだ赤いハリセンが私の「愛の鞭」で、この日も出掛けに「二匹」、悪いムシを退治してきた。
過保護?
親馬鹿?
心配性?
なんとでも言え。
父親というものは、誰でも、娘のためには心配性で神経症になるものなのだ。
「カツラ……」
フンッという、あからさまな鼻息が聞こえる。
「パパ、きらい」
「そういうなって……ホンゴウは、いい男だぞ。俺たちオッサン連中の間じゃ、ぴか一、一押し、押してもダメなら引いてみろって、評判だ。苦学生で、奨学金のために学業と掛け持ちで最前線配属って話、泣けるじゃないか。それでいて、この部隊の隊長様だぞ。超・超・超優秀な男だぞ。あ。背が、ちとばかり低いからか? そうなのか? でもなあ、カツラ、男っていうのは、そういう外見で選ぶもんじゃないって、父さん、思うけどなあ」
フンっという、あからさまな鼻息が聞こえる。
「パパ、大きらい」
「ホンゴウみたいな優等生タイプがダメだとしたら、どんな男が好みなんだ? 中性的な美少年? 筋肉隆々の大男? それとも、ハーフとかクオーターとか、海外の血が混じった、エキゾチックなタイプとか? どんなんでもいいけど、チャラい遊び人タイプだけは、父さん、イヤだな。いや、別に娘の趣味にケチをつけるつもりはないんだけどな。どうも、ほら、あんまり軽すぎる男だと、本気で恋愛してくれてるのかなあ、もしかしてカツラのオッパイ目当てで、遊びで付き合ってるんじゃないのかなあって、心配になっちまってさあ」
フンっていう、あからさまな鼻息が聞こえる。
「パパ、大・大・大きらいっ」
なんだか、ちょっと、気まずくなってしまった。
タイミングよく、キャビンの後部ドアが開く。コンブ茶の磯臭いにおいが漂ってくる。暖地性の茶、熱帯性のコーヒーと、嗜好飲料の栽培が寒冷化で難しくなった昨今、コンブ茶は庶民の「コーヒーブレイク」には欠かせない飲み物になっている。個人的には、好きでない。カフェインの入っていないドリンク類なんて、何がいいんだと思う。けれど、三度の飯より、このダシの効いた「汁」が好きな人間もいる。闖入者は、まさしくコンブ中毒の男だ。相変わらず、私は運転中で振り向けない。が、白衣のオッサンが顔を出しに来たのは、このにおいだけで分かる。
ドクターのスイタだ。
「デリカシーなさすぎですよ、ミレー。いくら実の娘だからって、妙齢の女性に胸の話なんて、するもんじゃありません」
「デリカシーのないのは、どっちだよ、スイタ。親子水入らずの場に」
「作戦中でしょ。何が水いらずですか」
「カツラの将来の伴侶の話をしてたんだ」
「あんたのバカでかい声のお陰で、こっちにも聞こえてましたよ、ミレー。一方的にまくしたてるのは、会話とはいいません」
「そりゃ、悪かったよ」
ドサッと重そうな音とともに、スイタが私の真後ろの補助席に腰を下ろす。ひょろ長い貧相な男ではあるが、百九十近い背丈のせいもあって、それなり、重量はあるのだろう。
「カツラちゃんがプールのデートを断ったの、相手の男うんぬんというより、単に体調かなにか、悪かっただけって可能性もあるでしょう?」
「なるほど。さすがは医者だな。気づかんかった。と、すると……もしかして、当日、女の子の日、だったとか?」
フーッという、あからさまな溜息が聞こえる。
「パパのバカ。おたんこなす。ヘンタイ。馬に蹴られて、死んじまえ」
「とほほ……」
「カツラちゃん、ごめんね。これでも、だいぶマシになったんだよ。若いときには、下品が服を着て歩いてるって言われたんだから」
「なんでお前が謝るんだよ、スイタ」
「かかりつけ医として、当然でしょう。病気もケガも、たいていの治療はしたけれど、下品とゲスなところだけは、結局完治しなかったなあ」
この手の遠慮のない軽口は、カツラが生まれる前からの、長い長い付き合いのせいかもしれない。
「もういいよ。話を元に戻そうぜ。カツラ、ぶっちゃけ、どんな男が好みなのさ?」
「うーん。……スイタ先生みたいなひとが、タイプかな」
「けっ。オレの公称年齢より、二歳年下なだけのオッサンなんだぞ」
「でも、そういうのがいいんだもん。なんなら、もう二、三歳年上のひとがいい」
「そうかあ。カツラちゃん、ロマンスグレーが好みなんだね。同年代の男の子が、子供っぽくて仕方ないって感じなのかな? 僕に嫁と子どもがいなければ、ほっとかないところなのに」
「何、本気になってんだよ。リップサービスに決まってんだろ」
「いや、ミレー。彼女みたいな可愛い娘さんなら、お世辞と分かっていても嬉しいものですよ。……ただ、04基地には中年男性、ゴマンといるけれど、カツラちゃん好みのインテリっぽいひとは、意外に少ないかもね」
「あ。いえ。特にインテリタイプのオジサマが好きってわけじゃないんです。どちらかといえば、ワイルドなほうが。ええっと……百戦錬磨の老兵って感じで、新米兵士から基地司令官にまで一目置かれていて、豪快でひょうきんで時にはコワモテだけど、一人娘にだけはめっぽう甘い、みたいな。包容力のあるオジサンがドンピシャで超・好みなんです」
「そう。なんとなく、分かった。……でも、そういうタイプって、恋愛感情にはすごく鈍感だと思うな。一途に慕ってくれている女の子に頓珍漢なアドバイスをしたり、相手をあまりにも子ども扱いし過ぎて、セクハラしちゃったり。年の差以外にも、いろいろと障害があるだろうし……カツラちゃん、ひょっとして、というかひょっとしなくとも、禁断の愛って、好き?」
「大好物です」
「オレ抜きで謎の会話をせんでくれよ……というか、禁断の愛って……そうか、学校の先生だな。チクショー、盲点だったぜ」
「違いますよ、ミレー。カツラちゃんが言っているのは、もっともっと、身近な男性のことです」
「学校以外で、カツラと接点のあるオッサンって、要するに、この04基地内の人間ってことだろ。どう考えても、該当者、いないような」
「そんなこと、ありませんよ。一人ぐらいは、確実にいるかもしれません」
一瞬のおしゃべりが途絶えたところで、タイミングよく無線がガーガーピーピー鳴った。
機械音に続く声の主は、例によってホンゴウだ。
『お取り込み中のところ、すみません、ミレー、ドクター。ただちに雪上車の進行を停止し、待機願います。復唱してください』
「了解。医療・輜重車両をただちに停止させ、待機する。いったい、何事?」
『スノーモービルで先行していた偵察が、今日の作戦予定グリッド奥、2キロの地点で、敵影らしきものを発見しました。さらに五百メートルほど奥には、何かに踏み荒らされたような痕跡。双眼鏡で確認はしたものの、イマイチ、不明瞭で……万一のことを考えて、偵察にはそれ以上近づくな、と命じました。まあ、単なる自然現象で取り越し苦労かもしれません。でも、そうでないかもしれません。画像が複数枚あります。コンピューターでの解析はこちらでやります。ミレー、アナログ的な……もとい、AIの情報処理ではどうにもならない部分の評価を頼みます』
「了解した」
ほどなく、ファクシミリで画像が届く。無線といい、つくづくレトロな通信手段が似合う部隊だと思う。よく見ようと、カツラが半身を私に預けてくる。重い。というか、オッパイが当たっている。私は画像をコピーして、娘と親友に渡した。
「当該グリッド手前に、旧港湾がありますね、ミレー」
「ああ」
作戦地図を配布された時点で、分かっていたことだ。
ただ、こうはっきりと、素人でも判別できるくらい、直線構造物が視認できるとは。
「埠頭への氷結が弱い。薄い。たぶん、地下水か何かが流れ込んでいるんだろう」
雪上車が乗れば、割れてしまうほどの厚みしか、ないように思える。
「で、肝心のグリッド奥は……」
リアス式海岸で、入り江と岬が三たび交互している地形る奥の入り江二つは、たぶん砂浜に積雪が固まったものだろう。汀線らしき懸崖下から50メートルほど沖合いの場所に、テトラポッドを並べた離岸堤が見える。砂浜を涵養する目的のものだ。三世紀前には、海水浴場とか、そういう場所だったのかもしれない。風化には弱いコンクリート製構造物が、過去の姿のまま大量に残っているのは、この全球凍結時代の特性かもしれない……。一番手前の入り江は、旧港湾に隣接している。
たぶん、喫水が深くて、養浜には向いていなかったのだ。
そして、旧港湾と地続きのここも、薄氷に見える。
「ホンゴウ。リアス式の一番最初の入り江、立ち入り禁止だ。雪上車の重量じゃ、氷割れて落ちるぞ。ドーザーブレイド隊に伝えろ」
『了解。他に、気づいたことはありますか、ミレー?』
一番奥にくだんの荒らされたらしき跡があるが、確かに自然現象かどうかはっきりしない。
「偵察に言って、敵影の話、もう一度繰り返させてくれ」
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