第18話 星は消えても月は寄り添う
「ちょっとぎこちないですけれど、問題無いレベルですかね?」
「だったらもう少しだけ練習しよう」
来る創立祭。
そこで王族と挨拶する機会があるかもしれないということで、俺はアトリに貴族の礼儀作法を教わっていた。
勉強も運動もポンコツのアトリだが、流石に最低限の教養としての礼儀作法だけは身についているらしい。
悪者が何かしらの行動を起こす可能性があるのだが、こちらに事前に食い止められるだけの手札が無いために、今はアトリを守る事だけを考えて、専らアトリから目を離さない事に専念する。
故に、無駄な捜査はせず、こうして前向きな取り組みに精を出す事にした。
二時間も練習すれば板についた自然な動作が出来るようになり、アトリのお墨付きも貰えた。
元々背筋や体幹が鍛えられているから、立っているだけで様になるらしい、故に動作の予習以上の教育は必要無いということだ。
「そうだ、折角なので練習してみませんか、お兄ちゃん、私を初対面のお姫様だと思ってエスコートしてみてください」
言われた通り、俺は背筋をピンと伸ばすと、恭しく頭を下げる。
「初めましてお姫様、私はバルドルス伯爵家の嫡子、シオンです、貴女との出会いに無上の感謝を」
ちょっと大げさ過ぎるくらいの表現の方が喜ばれるらしいので、俺はそのまま膝をつくとアトリの手を取り手の甲に顔を近づける。
正しい作法では、実際に唇を当てたりしないらしい。
「初めましてシオン様、今日は学院の案内、よろしくお願いしますね」
アトリは今まで見たこともないくらい上品な仕草でお辞儀をする。
こいつ…やれば出来る子なのに隠してたな。
普段子供っぽく振舞っているからギャップでちょっとキュンとしちゃったよ、お兄ちゃんなのに。
まぁ貴族だったら躾や作法なんかは特に念を入れて教育されるところなので、できて当然なのかもしれないが。
アトリの魂胆は、練習にかこつけた「お姫様プレイ」による学院デートがしたいのだろう。
とは言っても学院内にデートして楽しめる場所があるとも思えないし、創立祭の準備に向け、最後の仕上げが行われている最中であるために賑やかである。
面倒が起きないといいけれど。
俺達は一旦別れて、自室で「よそ行きに使う仕立てのいい服」にそれぞれ着替えて待ち合わせする事にした。
「お待たせしましたお兄ちゃん」
アトリがヒラヒラとしたドレスを来てこちらに小走りで駆けてくる。
もっとゴスロリっぽいのがアトリの趣味だと思っていたので王道というか無難な装いだったことに感心した。
「似合っているよ」
「えへへ、ありがとうございます、実はこの服、去年お兄ちゃんがプレゼントしてくれたんです」
なるほど、シオンの趣味か。
露出少なく、装飾は適度に、生地そのものの美しさを生かしつつ、花をあしらったアクセントで主張も忘れずといった派手さと清楚さを併せ持ったバランスは、目立ち過ぎず派手過ぎず、伯爵という家柄を示すのに相応しい装いだと思う。
俺の服装も、王道の貴族服といった感じでファンタジー感は無く、異世界人の俺が着ても全く違和感を感じない代物だ。
「それではお姫様、案内させて頂きます」
俺は作法通りにお辞儀して、ゆっくりと歩みだす。
ここ数日の間に俺は学院内の探索を隅々まで行い、異常の有無の確認や、施設や地理の把握を行っていたので、恐らく出不精のアトリよりはこの学院に詳しくなったのではと思う。
「ご存知かも知れませんが、あそこにあるのが発電所、学院全ての電気を発電しているところです」
あそこが機能停止すると警報設備の半分が動かなくなる事まで確認済み。
「へー、知りませんでした、あの建物は何ですか?」
「あちらはアカデミーの研究所になります、暗闇で作業できる
逆にこちらは要塞じみた最新の設備が整っており、学院関係者であっても単独では機密の持ち出しや破壊工作などが出来ないくらいセキュリティレベルが高い。
「へー、すごいですねぇ」
そんな風に説明しながら、広大な敷地の中を歩いていく。
創立祭の準備は概ね終わっているのか、
やはり魔法のある世界だと、こういう建築にかかる期間も大幅な短縮ができるのだろう。
適当に説明を続ける内に、目的地にたどり着いた。
「お待たせしました、本日の目的地にございます」
アトリの手を取りながら、中に入るようにと促す。
「ここは?」
「時計塔にごさいます、星の動きから正確な時間を示すと共に、最上階は辺りを展望出来るようになっていて、そこからの景色はまさに絶景です」
勿論鍵はかかっているが、鍵開けの魔法をほぼ自在に使いこなしている俺には関係無かった。
中は、僅かな日の光が差し込むような薄暗い空間だ、その壁際に螺旋状に伸びた階段が、遥かな高みまで続いていく。
「…え、もしかしてこれ上るんですか?」
空を飛ぶ魔法が使えれば恐らく一瞬なのだろうけれど、生憎俺もアトリも高度な魔法は使えない。
「たまには体を動かさないと筋肉が腐ってしまいますので」
敢えて過激な表現で嗜めたが、それを言わせるくらいにはアトリの体は貧弱だ。
箱入りの貴族のお嬢様だから箸より重いものを持ったことが無いのは仕方ないにしても、アトリは魔法が使えない、それなのにごぼうの様な筋肉ではいざというときに困るだろう。
この階段を一人で登り切る事が出来るようになれば、いざというときに助かるかもしれないと思った為に、連行したのであった。
「嫌です無理です長すぎです、こんなの絶対登れる訳ありません、おんぶか抱っこしてください」
予想通りアトリが駄々をこねるので、俺は用意しておいた秘策を使う。
「お姫様、ではこうしましょう、お姫様は目隠しをして歩いてください、限界と思ったらいつでも立ち止まって構いません、本当に限界が来たならば、抱っこでもおんぶでも好きな方法で運びます、それまで一緒に頑張りませんか」
俺はアトリの頭を撫でながら優しく言った。
一緒に~しようという頼み方は、○○してくれない?という頼み方に比べると物凄く断りにくいという事が科学的に証明されている。
…主に子供の躾に使うものだけど。
「…本当に好きな運び方でいいんですね、何でもいいんですね、絶対ですよ」
アトリがどんな運び方を要求するのか知らないけれど、当然リタイアを許すつもりは無い。
何故なら、この階段は確かにきついし長いけれど、急ぎで無ければ人はいくらでも歩けるからである。
俺は、物質変化の魔法でハンカチを黒いスカーフに変えると、それでアトリの顔をぐるぐる巻きにする。
「さぁ、行きましょうかお姫様」
アトリの手を引っ張りながら、ゆっくりと歩み始めた。
「ぜぇぜぇ、もう限界です、おんぶしてください」
(まだ初めて十分も経っていないのに……)
俺はアトリの体力について過信したいたようだ。
自分ではゆっくり歩いているつもりだったけれど、アトリにとっては速かったらしくバテさせてしまった。
(しょうがない、ペースを落とすか)
一人で登るなら恐らく十分かからない場所を一時間かけて昇るペースで歩いていたが、それでも疲労しているようなので二時間かけて昇る事にする。
「では休憩にしましょうかお姫様、どうぞ飲んでください」
俺は階段に座り込み、アトリを膝の上に乗せると、四次元魔法で収納してある水差しとコップを取り出した。
何かあったときの備えは全部、四次元魔法で収納してあるので、災害程度なら余裕で耐え凌げるだけの備えはある。
目隠しをしているアトリの口に、水の入ったコップを近づけると、アトリはその中身を勢いよく全部飲み込んだ。
「ぷはぁ、生き返ります、もっと下さいお兄ちゃん」
そんなに汗はかいていないけれど色白なアトリの肌が一層白く見えるくらい貧血しているので、喉が乾いているのは間違いないが。
「水は一度に飲んでも吸収されないから、むしろトイレの無いここで催しても面倒だし、だから」
俺はアトリの口に飴を放り込んだ。
「塩分を取って、体内の水分が逃げないようにした方がいいんだよ」
飴は歩きながらでも舐められるし、こういう登山に於ける必需品ともいえる。
まぁ、登山と呼ぶほどの距離でも無いけどな。
「…お兄ちゃん、物知りなんですね、そんな話初めて聞きました」
異世界に来て初めて現代の知識が役に立った瞬間かもしれない。
「脚は大丈夫、痛くない?」
「平気です」
まぁ見た感じ脚に来ているというよりは、急な運動で体がついていかないという感じか、心肺的な疲労だけなら休めばまだまだいけるだろう。
「じゃあまだまだ頑張れるね、一緒に頑張ろう」
「嘘です無理です限界です、抱っこしてくださいお兄ちゃん」
「大丈夫、アトリはまだまだ行けるよ、脚、マッサージしてあげるから」
俺はアトリのドレススカートの中に手を突っ込んで、ほとんど筋肉のついてないふくらはぎや太もも足首を揉んだり回したりして、ストレッチしてやる。
これで筋肉に溜まった疲労物質も循環していき、かなり楽になっているはず。
最初の十分で進んだ距離は二割に満たないのでまだまだ先が長いけれど。
これをあと七行程くらい繰り返せば、頂上に辿り着く計算だ。
「お兄ちゃんテクニシャン過ぎです…他の人にもしてるんですか?」
「いや、自分のしかやったこと無いよ」
ここだけ見たらヤバい会話だな……。
休憩の度に駄々をこねるアトリをうまく鼓舞してその気にさせて、頂上までもう少しの所まで到達した。
途中からアトリは「お姫様プレイ」の設定を完全に忘れたただの駄々っ子に変わったけれど。
どれくらいで着くか分からないのと、半分まで登ったと知ったら余裕が出てきたのか、今では弱音も溢さずに黙々と登っている。
「頑張れアトリ、もうちょっとだ」
返事をする元気も無いのか、俺に引っ張られるままにふらふらとした足どりだったけれど、アトリは、自分の力で歩いていた。
道中何度も転びそうになり、その度に支えて、もう限界だと諦めるのを励ましたのを思い出すと、喜びも
ふらふらのアトリを見て手助けしたくなるのを堪えてた甲斐もあったというもの。
「あと3段……2……1…………ゴール!」
そんなに大した物ではなかったけれど、休憩含めて二時間かけて行った登頂だったので、無駄に感動的なゴールだった。
俺はアトリの目隠しを外して、景色が見える窓際まで運んだ。
「お疲れ様ですお姫様、これが、お姫様が自分で手に入れた景色ですよ」
時計塔の最上階から眺める景色は遥かに離れた王都の王城まで見えた。
学院の中で創立祭に向けて働く人々を見下ろすこの眺めは、まさしく雲の上の景色と呼ぶに相応しい。
「……人が、蟻のようですね」
高所恐怖症なのかアトリは、俺にしがみついて震えていた。
「はい、今のお姫様からしてみれば、全ての人々は蟻んこ同然です、いかがですかお姫様、頂の景色は?」
俺はそんなアトリの頭を撫でてやる。
「……悪く無いものですね、今までの私だったらきっと途中諦めてたと思います、でもお兄ちゃんと一緒だったから頑張れました…初めての共同作業です、だから……」
その先は言わなくても分かるので、アトリに水を飲ませてあげながら、勝手に答えた。
「私はずっと……お姫様の側にいます」
アトリはそれを聞いてもう限界と言わんばかりに俺の膝に顔を埋めて眠ってしまった。
俺は汗一つかいていないが、それだけ過酷だったということだろう。
帰りは、目覚めたアトリにお姫様抱っこならぬ「お兄ちゃん抱っこ」を要求されたのでそれに応えてあげた。
いつかアトリを連れて登山に行こうと、俺はこの日胸に誓った。
美しい自然と山の生き物を眺めながらの登山なら、楽しく登れると思うし、登頂した時の喜びも格別なので、アトリにはいい経験になるだろう。
まぁ死ぬほど嫌がるのは目に浮かぶけど。
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