第17話 君はいつか降る雪の理由を知らないけれど 5

「月が綺麗ですね、お兄ちゃん」


 アトリと学院に帰って夕食を摂った後、再び俺はアトリを背負って天文台に来た。

 そこの観測室で、水晶でできた天井に映しだされる星々を、並んで眺める。

 天井の水晶が凸レンズとなっており、それを手に持った凹レンズで観測する為の部屋だった。

 現実にはこの原理で綺麗に星が見える事は無いから、凸レンズ水晶と凹レンズ水晶の間を繋ぐ、何らかの魔法が働いているのだろう。

 余計な雑音の無いこの部屋から見る夜空の星は、世界とはこんなにも綺麗なものなのだと思い知らせるに足るほどの美しさだ。

 もしも、世界中の全ての人間が、この「美」を感じる心があったのなら、世界は平和になるのだろうか。

 少なくとも今は、現代とは違いこの世界は平和だ。

 近世に近い文明レベルでありながら、絶対王政のような過剰な搾取は存在しない。

 それは、この文明の礎となっているのが、金喰い虫にして成果を出すのに途方もない時間のかかる科学ではなく、簡単で誰にでも使える魔法だからだろう。

 まさしく神の愛とも呼ぶべき万能の力を持つ奇跡が、あまねく人々、では無いけれど、この国の半分以上の人々に行き渡っている。

 そこから起因する「豊かさ」が、平和を作り上げている訳だ。

 …もしも、科学が魔法と呼べるレベルまで便利になったのなら、世界は平和になるのだろうか。

 核やプラズマといったエネルギーを、戦争に利用することを放棄できるだろうか。

 遥かな未来に、人類は労働から解放され、多くの人間が娯楽の創作に励む世の中は来ないものかと夢想した。


「お兄ちゃん、泣いてるんですか…?」


 気づけば涙が溢れている、俺はそれを拭うと息を吸った。


「こんなにも綺麗な星空を見たのは初めてだったから、感動して…」


 感動したのも本当なので、そう答えた。


「ここでは当たり前の物も、お兄ちゃんにとっては当たり前じゃなかったんですね」


 アトリはそう言って空を指差す。


「あれがベガ、私の守護星で、あれがアルタイル、お兄ちゃんの守護星です、私たちは生まれてきたときに、あの星達から祝福を受けたので、名前につけてもらったんですよ」


 エレナ・ヴェガ・バルドルスとシオン・アルティール・バルドルス、これらのミドルネームは、そこから来ていたわけか。


「でも、縁起悪いですよね、ベガとアルタイルって、そんなに近いわけでもなければ、間には天の川で引き裂かれている訳ですから」


 確かに二つの星は、仲を引き裂かれているという意味でもとても縁起が悪い話だ。


 シオンとアトリは引き裂かれている訳だから、それは現実になったのかもしれないけれど。


「だから私はパパに聞いたんです、どうして、そんな名前をつけたのかって」


 アトリはいたずらっ子の笑顔でこちらを見た、それはいつもの、我が儘を言う時の顔だ。


「…どうしてなんだ?」

「聞きたいですか?だったら、この前のなんでも一つ答える質問ということにしてください、後悔はさせませんから」


 俺は、その約束についてはもはや使い道が皆無だったので、快く頷いた。

 シオンについての質問は時期を見て、アトリの好感度がもう少し上がってから切りだそうと考えていたが、「シオンの本」という切り札を手に入れたことにより、その必要性がなくなった。

 本には鍵がかかっているが今の俺なら魔法で開けられると思うし、覚悟が決まったら読む予定だ。


「昔は、ベガとアルタイルももっと近くにいたんです、長い時の中で徐々に離れていきましたけど、元々は隣合う星だったそうですよ」

「へー、それは知らなかった」


 そういえば、今見える星の光も何年も前の物で、もしかしたら今はもう無い星の光を見ているのかもしれないという話を聞いたことがある。


「だからあの二人はれっきとした夫婦星

なんですよ、私とお兄ちゃんのように…」


 アトリは俺の体を布団にして背を向けて寝転んだ、その体が落ちないように後ろから抱き締めてあげる。

 アトリの甘く優しい匂いのする髪が俺の鼻をくすぐり、全身でアトリの柔らかい体を感じるが、特に俺の中に揺れ動く物はない。


「…なんでもしてくれるお兄ちゃんが好きです、我が儘を言っても、無理矢理命令しても、怒らず聞いてくれるお兄ちゃんが好きです、でも、なんでもしてくれるのに何もしてくれない、そんなもどかしい所が、お兄ちゃんらしさだってわかって悲しいです、でも、やっぱりそんなお兄ちゃんが大好きです」


 アトリは何度目になるか分からない愛の告白をした。

 だけどそれは恋人としてでも、お兄ちゃんとしてでも受け取れる物なので、俺は迷わずに後者を選ぶ。


「俺も、大好きだよ」


 好き、言葉にすると薄っぺらい言葉だ。

 好き好きと連呼する恋人達の中に、愛するものの為に死ねる者は何人いるだろうか。

 そう思いつつも、アトリが望む言葉を俺は口にする。


「嘘でも嬉しいのが悔しいですね…」

「?、何か言った?」

「いえ何も」


 アトリは自分の体を抱き締める俺の手に、その小さな手を重ねた。


「これは、いつかは知ることになるので言います」

「シオンのこと?」


 とうとうその時が来たのかと思ったのだけれど。


「いえ、始祖の交わりの事です、多分、最初に話しても信じてもらえないので、信じて貰えるまで黙ってました」


 始祖、幾度となくアトリの口から聞いたキーワードだが、始祖と俺達に、どれだけの関連性があるのやら。

 諳じるように、アトリはゆっくりと語り始めた。


 曰く。

 始めにこの星は、多くの部族が争いを続ける、混沌の時代にあった。

 そこに天界を追放された十二の罪人達がやってくる、彼らは人々に魔法を授けて、文明を発達させるとともに争いを助長した。

 彼らにとっての闘争は、本能のようなものだったから。

 故に、罪人達は獣と呼ばれるようになる。

 それを見かねた神は天界を下りて、人間との間に始祖を産ませる。

 救世主として生まれたそれが始祖アルトナとアトリシア。

 アルトナは獣を封印する力を持ち、アトリシアは獣を使役する力を持ったという。

 罪人達の子供であるの中に流れる獣の血を封印し、うまく使役することで、二人は世界に秩序を作った。

 そしてアルトナは獣を封印するためにその魂を十二に砕き。

 アトリシアは密かに身籠った子供と共にアルトナの墓を守り続けたという訳だ。

  アルカ教の聖書にも我が国の歴史の教科書にも書かれていない、バルドルスだけが伝える「隠された歴史」。

 今の聖書はアルカ教の教義である「メイジの絶対優位」を伝えるために幾度となく改竄されたものだとか。

 アトリシアの名前は消され、その偉業はアルトナのものとされてしまった。

 まぁプロパガンダや権力者への迎合をしなければ、怪しい宗教なんてそもそも流行らんしな。

 ブッダやキリストが聖人であろうと、聖書や聖典にあるような事を彼らが本当にしたとは限らない、何故なら彼ら自身が書いた者ではなく、そして聖人とは皆、都合よく殺されているものだからだ。

 もしも、何千年も前の誇大妄想家や詐欺師の書いた空想の話が、現在に生きる人達の自由を奪っているのだとしたら、非常に迷惑な話だな、なんて思うのだけれど。


 ……結局。


「つまり、バルドルスが始祖の末裔ってこと?」


 世にいる多くの救世主はこの世に血を残していないが、この話のオチはそういう事になるのだろう。


「唯一の、ですよ、故にバルドルス家だけが、始祖の魔法を扱えるんです、お兄ちゃんの等価交換を無視した物質変化の魔法なんてまさしく始祖の奇跡とも呼ぶべき偉業です」

「ふーん、じゃあアトリも、始祖の魔法が使えるの?」


 俺は、アトリが魔法を使っているところを一度も見たことがない。


「…いえ、私はまだ一度も…お兄ちゃんと同じくしてるのに何故か使えないんです…」


 優秀な兄に才能を全部持っていかれたのか…いやきっと持っていかれたのは才能ではなく…。


「確か、聖書の予言では、今から近い時期に終末戦争が起きるんだよな」


 この世界において、恐らく一番重要なイベント。

 これが発生するのかどうかは分からないけれど、始祖に関連付けるなら一番注意するべき所だった。


「はい、でも予言は既に外れてて、本来なら一年前に最初の獣が目覚めて、それに呼応して全ての獣が目覚める筈だったんですけれど…結局何も起きなくて…それでアルカ教は前時代の迷信だと廃立させられたんです」


 と言うことは既に回避されたイベントなんだろうか…いや、だとしたら指輪が盗まれるというイベントに遭遇した意味がなくなる。

 今までバラバラだったピースがようやく一つに纏まっていくのを感じる。

 シオンの果たした「役目」それはきっと、俺に引き継がれたのだろう。

 もしかしたらそれはアルトナの末裔であるアトリにとっては許しがたい形での成就だったのかもしれない。

 それが、アトリとシオンの確執なんだろうか。


「アトリは、終末戦争が起こってほしいのか?」


 俺はなんともなく、気軽に聞いた。

 この遥かなる銀河を見上げる暗闇の中に二人きり、嘘も偽りも温度差も無いと思ったから。

 それに肯定を示すのならお兄ちゃんに許されるあらゆる手段でもってアトリを止めようと思ったけれど。


「いえ、特に…だって私はお兄ちゃんさえいてくれるなら、それ以上の望みなんて無いかですから」


 アトリはそう言ってくれるが、俺はもっと踏み込んだ。


「俺はシオンじゃない、シオンとしての記憶もなければお兄ちゃんとしての愛情もない、ただ、演じているだけの他人だ」


 アトリは、俺の諭すような声に、間違えを指摘するように反論する。


「違います、お兄ちゃんはお兄ちゃんです、シオンなんて知りません、だって……」


 アトリは体をひっくり返してうつ伏せになった。

 お互いの瞳が交錯する。

 こんな時でも、アトリの瞳は綺麗だった。


「お兄ちゃんはこんなにもお兄ちゃんそっくりです、真実を言わなければ誰も気付かないし、思想や仕草もそっくりです、一緒に過ごした記憶なんて気にならなくなるくらい同じで、最低最悪人でなしのシオンお兄ちゃんと違って、の理想のお兄ちゃんです、だから、全部演技だったとしても、お兄ちゃんは嘘ではありません」


「…仮にあの星のように、実は全部幻で、真実は既に消えた光だとしてもか?」

「それを知る術が無いのなら、真実は中身ななんて関係ありません、結果が全てです、あの星が美しいということ、お兄ちゃんがお兄ちゃんであること、どちらも嘘なんかじゃありません」


 俺は、とうとう気づいたのだろう。

 俺の思想も主義も哲学も全部独りよがりな独善であることは自覚していた。

 それを遂行する為に人間性の全てを引き換えにしたことも。

 天涯孤独にして、人を愛したこと愛されたことも無いのに、ただ、人のために生きるという美学のために生きる。

 そんな人間未満の感情欠落者を無条件に唯一余すことなく愛してくれるのがアトリなんだと。

 この世界に俺が呼ばれた意味なんだと。


 それは一生届かない星に手を伸ばし続ける行為、そのやり直し。


 自分がひどい事をしていると分かっていて、今だけは幸せな夢をとアトリの頭を撫でてやる。

 そんな欺瞞に満ち溢れた二人を、月と星々が照らす。




 このとき俺は、失念していた。

 隠れ家に最適ということは、当然それを利用する輩もいるということ。

 俺が探していた少女が、そこを根城にしていたとしてもなんの不思議もないということを…。



「バルドルス家、まさか獣を封印、使役する力を持っているとはね…噂に聞く天才シオンの奇行はやはり擬態ブラフ、さて、どうしたものか」

「案ずることはない、始祖の末裔であろうと我らは人類の叡智の管理者、千年に渡り蓄えられた知恵がある、いかなる魔法を用いようとも、我を倒すことはできん」

「…確かに、総てを識る私達に不可能な事ではないわね」

「千年も眠らされておったのだ、暴れなくては気がすまん」

「もう少し、あと三日で創立祭…そこに集まってきた貴族を皆殺しにすれば、獣の封印は一斉に解け、約束の終末戦争が始まる」

「恐らくは、シオンという始祖の末裔に何体かは封印されておろうがな、奴を殺さねば全ての封印を解くことはできまいて」

「シオンの抹殺、それが何よりも優先して行うべきということ…出来るかしら?」

「いかなる英雄も人質を取られれば容易く討ち取られる、妹を使えば容易かろう」

「彼は本当の兄では無いと言っていたけど?」

「そんなの欺瞞に決まっておろう、修羅の道を往くものは、大切な人を遠ざける物だ、あのように睦まじく過ごしている兄妹の絆が薄弱なものである筈がない」


 体を密着させて眠る兄妹の姿を見て、少女は納得した。


「…どうする?、今なら無防備だけど」

「くくく、無防備に見えるか、あの小僧、眠っているように見えて全く隙がないぞ、あれは相当訓練されておる」

「つまり?」


「狙うなら一人の時だ、計画の準備の前に邪魔されるのも面倒だしな…、先手を打つなら必勝の好機に」


「…なら、罠を仕掛けておかないといけないわね」



 こうして舞台は整った。

 物語の幕は開かれ、最後の真実が暴かれる。

 彼は、最後まで妹の味方お兄ちゃんでいられるだろうか。




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