第14話 君はいつか降る雪の理由を知らないけれど 2
明かりの無い階段を降りていくと、次第に光が広がり、そこは白い大理石で作られた広間になっていた。
広間の端には本棚があり、中央には円卓があり、その上には機械の翼を着けた猫が地面に落っこちている様を模した像がある。
これは太陽に近づき過ぎたイカロスから、好奇心は猫を殺すという諺を現しているのだろうか。
アーサーと造形が似た像になっているのがツボだな、草。
地下だからか、ひんやりとした空気と、静謐な静寂に包まれた空間に、俺は圧倒されていた。
ここにいるとお化けでも出てきそうな悪寒がするので長居はしたくない。
という理由から、シオンが前にここで何をしたのかをさっさと探るべく、本棚の周りを物色する。
文字が読めないのでそれが何の本なのか分からないために、迂闊に本を開いたりはしないが、どれも古い本ばかりなのでそれなりに価値があるものなのだろうと思った。
中には読んだものの魂を汚染するような
ここが封印された禁書の保管庫である可能性も有り得るだろうし。
そんな歴史を感じさせる古書に混じって、明らかに他とは違う、真新しい装丁の本があった。
手に取ってみると、題は知った名前だった。
「シオン・アルティール・バルドルス」
魔導書なのか表紙には鍵穴がある。
恐らく、もしかしたら、シオンは俺に向けた手がかりとしてこの本をここに保管したのだろう。
アトリが俺に隠し事をしているように。
俺がアトリに隠し事をしているように。
シオンもきっと、隠し事をしているに違いないのだから。
取り敢えず、シオンの部屋の鍵で開かないかと思い、鍵を取りだそうとすると。
カッカッ
硬い足音が静寂の広間に反響する。
まずい、誰かが降りてきた。
俺は即座に四次元魔法を使い姿を消した。
入ってきた侵入者はローブに身を包み、姿を隠していた。
(姿を隠しているということは、良からぬ目的があってここに来ているということか)
どうする?
四次元魔法なら、相手に悟られず一方的な干渉が可能だ、相手のローブを剥ぎ取り、その姿を暴く事は容易い。
だが、正体を知ったとして、俺に何ができる?。
戦う為の魔法は一つも扱えない、そしてリスクを負う事でアトリにも被害が及ぶかも知れない。
機会は今しか無いけれど、慎重に見極めなければならない。
俺は、その必要が無いと分かっているが、息を潜めて注意深く見守った。
侵入者は部屋の間取りを確認するように一週すると、ふとして立ち止まる。
そこで侵入者は手に持ったコインを空高く弾いた。
何をしているんだ?。
「なるほど、やはりこの部屋は、天地の逆転を錯覚させているのか」
その者は親切にも独り言で解説してくれた。
天地の逆転、ということは俺達が今立っている場所は天井ということか?。
地面に何らかの魔法が働き引力が発生しているとかそういう理由で。
それをコインの落下する速度で見極めたって事なのか。
ローブの侵入者はまた杖を振るい、翼の生えた猫の像を逆さまに置き換える、すると。
「おわっ」
天井に、いや、地面に吸い込まれていった。
幸い、重力の変化は緩やかなもので、五メートルの高さから頭を下に叩きつけられるような惨事にはならなかった。
この部屋も魔法の鏡による錯覚が発生していたのか、部屋の色は白から黒に変化した。
そして、どこからか声が聞こえてくる。
「汝、知恵の頂きに至る資格を有する、知性ある人の子よ、汝が始祖の封印を託された血族の末裔であるならば、叡知の試練に挑み、見事解き明かして見せよ」
そうして、またもや部屋は暗転して今度はこの空間その物が書き換えられた。
宝石箱をひっくり返したような満天の星々が瞬く夜空。
俺とローブの侵入者の前には入り口があった。
これは、与えられた条件から推測すると、北極星の位置を頼りに自分の位置を把握し、迷宮に挑めということだろう。
頭脳労働はどちらかと言えば苦手な部類だ、だからここは、ローブの侵入者についていくことにした。
「東に三十メートル、北に六十メートル……」
ローブの侵入者は、壁に突き当たり方向転換する度にそのような独り言を呟くので、おかげで出発点からどれだけ離れた位置にいるのかわかる。
そしてこの迷宮の特徴として先に進むほど薄暗くなっていき、前が見えなくなる仕組みになっている為、次第に星の座標を見て自分の進む方角を確認しながら慎重に進むようになっていった。
もしかしたら間違った道に進むと、見えない落とし穴に嵌まるとかの罠があるかもしれないが、比較的見やすいオリオン座のベテルギウスと夏の第三角くらいにしか星座を知らない俺には、全く方角の見当もつかず、ただ追従するだけだ。
「行き止まりか」
そう言ってローブの侵入者は空を見上げた。
ここまで順調に進んでいたからか、立ち止まるのは初めてだった。
俺も空を確認する。
一つの星が、強く瞬いている。
もしかして、座標を表しているのか?
「あれはこいぬ座のプロキオン、移動した距離から逆算して出発点が北極星の位置になる。恐らく残りの星々を光らせるのが課題、そして何の星を光らせるかだけど……」
ローブの侵入者は空を見上げながら熟考している、普通に考えたら冬の第三角とかじゃないのか?
と思ったけれど。
「……やはりこいぬ座以外の星座は正規の座標と違う。恐らく生半可な知識で挑む者に対するトラップなのだろう、誤りがあるということは正規の道ではないということ、そしてこいぬ座を構成する星の数は二つ、つまり…」
ローブの侵入者は、暗闇の壁に向かって歩き続けた…まさか。
「やはり最後はこの壁が虚像になっていたか」
地上から地下に至るまで虚像で埋め尽くされた迷宮、故に最後まで虚像で欺こうと言うわけか。
「第一の試練はここまで、賢しきものよ、次の試練へと進め」
また空間は暗転する、今度は寂れた闘技場を模したようなイメージだった。
そして、その舞台の上は巨大なチェス版になっていて、白黒の駒が並べられている。
だが、よくある巨大チェスとは違い、これは詰め将棋のようになっていて、ルールの知らない俺から見ても、黒が圧倒的優位になっていた。
これを詰ませるのが試練なのだろうか?
「好きな陣営を選び、好きな位置に立て」
岡目八目というが、黒の陣営に立てば、どの位置からでも勝てそうに思える。
黒の陣営はクイーンを筆頭に有力な駒が残っていて、白のキングを囲む形を取っているが、白の陣営はポーンとナイトしかおらず、もはや打つ手無しと言った具合だろう。
100%黒の陣営かと思いきや、ローブの侵入者は
「白の陣営」と宣言し、敵陣の最奥に立った。
するとローブの上からリボンをつけるというなかなかに珍妙な格好になったかと思うと、敵のクイーン、ナイト、ポーンを一気に倒し、そのままキングを詰ませた。
後から知ったことだが、これはプロモーションという、敵の一番奥に到達したポーンが好きな駒に交換できるというルールだ。
そして、自分がポーンになって相手を最善手で詰ませるというルールだったなら、黒の陣営は一手目で自身であるポーンを一つ犠牲にしなければならない。
つまり、目先の楽な勝利に囚われずに、物事を考えられるかという試練だった訳だ。
「第二の試練もここまで、次は……」
そんなこんなでローブの侵入者は俺が頭を悩ませるようないくつもの試練を踏破していった。
正直見ているだけで頭がよくなったと感じる位にその侵入者の智慧は冴え渡っており。
最終関門である「太陽を落として、月を輝かせよ」という無茶苦茶な問題を、地面になにやら大きな魔方陣を書いて解いていた。
どうやら魔術的な問題のようだ。
そして長い詠唱の後に、太陽は消滅し月が辺りを照らす。
「見事だ継承者よ、汝ならば獣を受け継ぐに相応しい、夜は罪と冥界を表し月はその本能を暴く、くれぐれも気を付けよ」
その声と同時に、ローブの侵入者の元にエメラルドに光る指輪が舞い降りた。
さて、どうしたものか。
直感であれがヤバい物なのは分かった。
しかし何が起こるか分からない以上、俺が持ってもヤバいのも間違いない。
言ってみればどちらを選んだとしてもとてつもない危険が生じる究極の二択という訳だ。
俺がここにいるのは偶然と興味本位。
何一つ責任を負う必要が無い。
だがもしも、あの指輪が悪人の手に渡ったとしたら、想像もつかない災厄が起こるという予感がする。
そもそも、ここは保管室では無く遺跡で、この試練を誰も解けなかったからこそ、この場には何のセキュリティも無かったという訳なのだろう。
つまり、平和な時代故の、平和ボケした慢心で、災厄の箱が開けられてしまったのだ。
見過ごしていいものなのか。
一瞬に一生を振り返るような俊巡、しかしその疾走は、ある地点で停止する。
…今はアトリのお兄ちゃんだ、それ以上をする義務も、資格も無い。
また力も無いのに大きな物に立ち向かおうとしている、と冷静に自分を見つめ直すことができた。
それは自分の仲間を傷つけると学んで、二度と同じ轍は踏まないと自戒したのに。
ローブの侵入者は指輪を嵌めた。
「ふふふ、これで無限の叡知と力は私のもの…残りの獣達を目覚めさせ、約束の浄化世界を作りましょう」
それは少女だった。
名前も知らないし、見覚えもない、見知らぬ少女。
体格や声で恐らく女だとは思っていたが、予想外に可憐な容姿をしていたことに驚く。
そして少女は用が済んだとばかりに、魔法を使って姿を消した。
こうして俺は相手の足取りもつかめないまま、下手したら歴史的な大事件の目撃者として、その役目を終えてしまったのである。
これは、運命だったのだろうか。
いや、宿命だ、
俺の人生、敵はいつも向こうからやって来るから。
ただ、今回は、ゴール間近の緊張感から、寄り道をしなかっただけの事。
だから、と、見過ごさない筈の物を看過した不快感をゆっくりと、咀嚼しながら呑み込んだ。
「まずはこの本を解読しよう、話はそれからだ」
俺の手元には一冊の本、それはシオンの重要な手がかりであり、もしかしたら俺の知りたい答えまで書かれているかもしれない物である。
こんな迷宮の地下に隠したということは、人には知られたくないような秘密があるに違いない。
魔導書であるならば、俺が文字を読めなくても、何らかの作用が起こるはずだが、ただの日記や手記のようなものなら、解読者が必要だ。
そして、それは、アトリであってはいけない。
アトリは俺にシオンについての事を隠したがっているし、シオンも、ここに隠したということは、アトリにも隠したかった事ということになる。
故に、もし、これが日記や手記のようなものなら、信頼できる人間に、読んでもらう必要があるというわけだ。
自分で言葉を学ぶという方法もあるかもしれないが、誤りなく全て解読するまでにどれだけの時間がかかるかわからない、だからそれは最後の手段にしておこう。
悪役が動き出した以上、こちらも、一刻も早い立ち位置の把握が必要になったから。
常に最善手を刺したい葛藤を飲み込んで、先ずは安全策で守りを固める事に専心する。
今のこの気持ちは正しくそう―――
賽は投げられた。
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