第13話 君はいつか降る雪の理由を知らないけれど
その日は、俺がこの世界に来てから初めての雨の日だった。
学院全体は、来月開催される創立祭の準備に向けて、俺がかつて見たことの無い活気に溢れていたけれど、そこに来てのこの雨は、水を指すように停滞的だ。
俺は雨が苦手だ、雨は涙の象徴とされているから、この雨の下では誰かが泣いているのだろうかなんて、見知らぬ世界の彼方まで、思いを馳せてしまう程に、感傷的になるから。
しかし同時に、この雨が世界の血や汚泥といった汚れを洗い流してくれるものだと、雨に対して一種の感謝と尊敬の念も持っているために、嫌悪している訳でも無かった。
そんな、夏の前触れを示すような、雑音を取り除くかのように流れる雨の降りしきる日の事。
俺は、アトリが風邪を引いた為に、使い魔としてアトリの授業に出席することができず、かといってシオンとして二年生の授業に出席しようとも思わなかったので、若い寮母さんに事情を聞いてから、何をしたものかと、雨の中で曇り空を見上げながら、さ迷っていた。
お兄ちゃんの役割としてはアトリの看病をしてあげたいところだけれど、寮母さんが看病すると言ってくれたので生徒である俺は、本来授業に出るべきなのだろう。
この機会に自分のクラスに入ってみてもいいかなとは思わなくもないが、アトリが嫌がるだうし。
アトリの使い魔は演じられても、天才のシオンを演じられる訳も無いので、変に勘繰られても困るし、そんなリスクは背負うべきでもないので、授業に出る事もない。
かといって自室で待機しているのも、やることが無さすぎてする気にはならないので。
俺は、広い学院の中を探検する事にした。
ここアリス・テレスティア学院の中は、非常に広大だった。
多くの生徒が在籍する学院と、魔法の研究をし、講師達が在籍する
出不精のアトリと一緒の時は、この町が一つ収まりきるくらい広い学院の、ごく狭い範囲でしか活動していなかったので、千載一遇の機会だと、この機に探索する事にした。
王道をいく魔法学院なら、四つの寮に別れて競っていたり、生徒の代表を選んでスポーツをしたりみたいな見せ場があるところだけれど、この学校は貴族の学校であるためか、クラブ活動や同好会よりも、慈善活動のような
そもそもスポーツなどの競技を真面目にするのは平民の娯楽であり、貴族は自分のチームをパトロンとして支援する側になる訳だしそれも当然の事だろう。
なので学院内の施設の中に学生を楽しませるような物はあまりないと思っていたが。
俺は前から気になっていた円型の、前衛的造形をした建物の中に入ってみた。
扉は自動で、真実の口のような円盤型になっており、それの中央に空いた穴の中に手を入れると、転移魔法により中に入れた。
これは恐らく魔法で相手を認証するシステムなのだろう。
転移された先は薄明かりの中に、剣や、服や、釜などといった数々の骨董品が配列されていた。
「…なるほど、ここは資料館か」
これは、退屈凌ぎにはこれ以上無いくらいに当たりの施設だろう。
文字が読めないのでそれがどういったものか、名前や歴史は分からないけれど、厳重に保管されているわけでもないので、大した品でもないのだろう、貴重品なら、一生徒に過ぎない俺が簡単に入れる警備員もいないような施設に置かれている訳もないし。
それでも年頃の男の子としては、装飾華美な剣や魔仗や、風化した魔導書、ボロボロの鎧なんかを見て勝手に妄想を膨らませて楽しむ事が出来る。
他に人もいないので、時間が許す限りは片っ端から見て回ろうと探索をしていたが、次第に違和感を感じた。
「……もしかしてここ、迷路になっているのか」
部屋の中は薄暗くて視界が悪く、似たような柱が何本も立っている、条件としては諸葛亮の「石兵八陣」と同じだ。
「これ以上先に進むと出られなくなるかもしれないな」
とか不安はあるけれど、こういった罠はむしろ挑戦だと感じてしまうのが男の
「脱出ゲームだと思えば、尚更楽しめそうだな」
俺は迷宮の深奥目指して飛び込んだ。
闇雲に歩き回ってもどうしても原点回帰してしまうので、流石に何十回と同じ轍を踏むとめんどくさくなり、最後はハンカチをロープに変化させて、ロープを後ろに垂らしながら歩くという、もはや知恵比べでも何でもない力業で踏破を目指したのだが、そこであることに気づく。
「ロープのある場所にたどり着かない……?」
遠くに見えるロープに近づいて行くと、ある境目でロープが消える、つまり見えていたロープは虚像だった訳だ。
虚像が見えるということは、鏡か何かが存在する事になるが、周囲を見回しても、自分の姿が映った事は無かった。
情報を整理する。
・遠くにあるロープは近づくと消える。
・全部通った事の無い道を進んで今まで歩いてきている。
・施設は円形。
・部屋はどれも似た作りになっており、均等に柱が立っている。
……何らかの魔法で幻惑されていると考えるべきか。
魔法の鏡だったら魔法世界の日用品みたいなものだしな。
俺は結論を出すと、早速その推理を実験してみる。
遠くにロープが見える場所、その位置に向かって真っ直ぐ、真っ直ぐに。
遠くにある虚像が近づいては消え近づいては消えを繰り返し、俺はそこにたどり着いた。
「やはり、近づくと見えなくなる透明な鏡だったか」
石兵八陣をベースに、その透明な鏡で隣の部屋の虚像を写すことによって、奥にある部屋を既に到達した部屋や行き止まりだと錯覚させる仕組み。
部屋に並べてある鎧や剣なんかは目印になる記号的な物であり、特に意味は無いのかもしれない。
そしてゴールと思われる地点は、行き止まりに見える道を奥に進めば辿り着けるという訳だ。
とにかく、半ばズルをしたようなものだけれど、俺はそこにたどり着いた。
「なんだ、久し振りに客が来たかと思ったら貴様か」
厳かな声が、建物の中心である広間に響き渡り、俺は咎められたのかと背筋を震わせた。
誰かと思って慌てて辺りを見回すけれど、何処にも人の姿はない、ぞわぞわと不安が這い上がってくる。
「おい、どこを見ている、ここだ」
声の方向を認識し改めて向き直る。
人の姿はない。
だから多分……。
「金の像が喋った?」
黄金に輝く翼の生えた獅子の像、その目に付いたルビーの瞳がこちらを見ている。
まぁこういう世界なら像が喋ったとしても不思議は無いのだけれど。
「なんだ今さら、そのやり取りは前にもしただろう」
ということはシオンも前に来たことがあるという訳か。
面倒だしシオンのフリをしておこう。
「すまん、久し振りに過ぎて色々忘れた、君の名前はなんだったか」
「アーサーだ、全く、人間のくせに物忘れが早いのでないか、そう昔の事でも無いだろうに」
「いやはや面目ない、それはそうと、ついでにこの奥を案内してくれないか?」
俺の頼みにアーサーはため息をついた。
「我はここの番であり、監視するのが役目だ、通りたくばいつものように問いに答えろ」
問いか、正直この世界の事について何も知らないから、大分分が悪いな、まぁ間違ったなら大人しく引き返そう。
「では問題だ……朝は四本」
「人間」
番犬の問いかけと聞いて真っ先に連想される一番メジャーな問題だったので、皆まで言うのを待たずに、反射的に答えてしまった。
俺の答えにアーサーは冷や汗をかきながら。
「あ、アーサーは四本脚で歩くが~」
と誤魔化した。
しょうがない、付き合ってやるか。
「脚が三本あるのに、一つの脚ばかり動いているのは何か」
人魚とか?いやしっくり来ない……脚が三本の時点でおそらく動物の可能性は限りなく低いな。
一つの脚ばかり動いているとなると……。
「フハハハハハハどうだ、参ったか、これで知恵の番人の面目躍如といったところ…」
「時計だ」
脚という表現が引っ掛けだが、三本あって、一本ばかり動くと言ったらそれしかない。
「チッ、第二問、タヌキ、キツネ、ウサギでギャンブルをした、負けたの誰?」
「ウサギだ、タヌキとキツネは匹と数えるが、ウサギは羽と数える、つまり匹が無い=ヒキが無い」
「第三問、普段は目に見えないけれど、丸い形をしているものは何か」
「空気だ、水中では丸い形をとる」
こんな調子で微妙にとんちの効いた問いに延々と答えさせられた。
アーサーはここの番人でよほど時間をもて余していたのか問いは百問に及んだ。
「ちっ、中々やるでは無いか、不眠不休で作り出した珠玉の難問を全て解き明かすとは、相変わらずキレ者だな」
「いや、正直なんの知識も必要とせず、子供でも解けそうな問題で挑戦者をふるいにかける事に、疑問を感じずにはいられないよ……」
まぁこういう問題って、調子が出るというか、解ける時は解けるけど、解けない時は物凄い時間かからから、ふるいにかけるという点では、より多くの人間を絞れるのかもしれないけれど。
「ふん、貴様が言ったのでは無いか、「考える事を放棄するような難問」より「解けそうで解けない難問」の方が解くのに時間を要すると」
「……そうだったな、確かにそれは道理だ」
でもそれは多分、フェルマーの最終定理的なあれを想定しているのであって、なぞなぞの事では無い気がする。
解くことを放棄すれば知ってる奴に聞けばいいだけだからこそ、なんだろうけど。
「それでは最終問題、心して解くがよい」
「ああ」
まぁこの調子なら余裕、と思い特に構えることも無く油断していたら。
「時間、空間、物質、これらの物は無限の広がりを持ち、尽きる事は無い、だがこの世界の法則は等価交換であり、1+1=3になる事は無い、では、この世界にある無限とはつまり最初から無限であるのか、それとも増殖していく事で増えていく物なのか、答えよ」
「……お前性格わっるいなぁ」
散々なぞなぞで油断させておいて、本命はこれかよ。
深く考えなくても解けそうに見えるけど、でもどうせきちんと学術的な論文で証明しないと駄目なんだろう。
単純そうに見えて専門知識オブ専門知識の超、難問だ。
義務教育未満の学歴底辺の最下層である俺に、解ける道理など無い。
敗者は去るのみだ。
俺はわざとらしく舌打ちして、アーサーに踵を返した。
「な、貴様、解いていかないのか!?」
「こんな問題、学生である俺に解ける訳無いだろう、「解く気も失せる難問」なんて出しやがって、クソが」
「だが前回は七世紀に渡る魔法界最大の難問、ゼウスの預言、「創造の原理」をその場で証明したでは無いか」
「……そういえばそうだったな」
シオンは天才だったから、シオンのレベルなら解ける問題だったのだろう。
やっぱりシオンは俺と別人だよ、俺の脳みそじゃ百年かけてもそんな相対性理論みたいな宇宙の真理を理解出来るわけが無い。
シオンは魔法が使えて頭が良くて可愛い妹がいて美しい婚約者もいてしかも貴族か、冷静に考えてみたらいくら顔が同じでも全く似通った部分が無い。
全てにおいて完全敗北してるじゃないか。
そんな俺の敗北感に項垂れる様子にアーサーは満足したのかけたけたと高笑いをした。
「フハハハハハハハハ、つまりこの勝負は私の勝ちという事だな、ならば通るがよい」
「……いいのか?」
「前回の勝負で貴様が勝ったら顔パスにすると約束したしな、今回は侵入者に対してどれだけふるいにかけられるかをテストしたに過ぎん、この問題があれば百年の沈黙も守られると分かったし、問題は無かろう」
顔パス、ね、シオンは俺がここに来る事まで想定していたみたいだ。
だったらこの誰も寄せ付けない場所に、何か手がかりがあるのかもしれない。
「しかしお前、雰囲気変わったな、前はもっと賢そうで、気品があったように思うが……」
「ほっとけ」
ぶっきらぼうにそう返して、アーサーの足元に隠されていた隠し階段を降りた。
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