第11話 流したのは血か涙か 3

「ここが王都かぁ〜」


 ファンタジー世界の王道である近世的で、かつ文化的な町並みに心を踊らせる。

 流石に鎧を来た騎士や、ボロのフードを着込んだ魔術師みたいな記号的な存在こそ居ないが、異文化の建造物と街並みに心躍らないものがいようか、いやいまい。

 東京タワーのように圧倒的な存在感を放つ巨大な塔や、新宿駅よりも遥かに大きな王城を見て、言葉にならない期待感に胸が沸騰しそうなほどだ。


「…うっ、私、人の多いところ苦手なのでさっさと行きましょうか、…お姉ちゃん」


 アトリは気分悪そうに俺にしがみついた、「うう…お姉ちゃんお姉ちゃん……」と本気で弱っている様子を見るとなんで外に出ようと言い出したのかとツッコミたくなるが、外出した事は俺にとってプラスなので我慢する。


「……そう言えばお金のアテがあると言ってたけどどうするの?」


 俺は最初からずっと気になってる所を口にした。

 異世界に於いて一番心許ない状態とは無一文なのでは無いだろうか。

 普通なら知らない異国に無一文で転生させられたら、奴隷として捕まる以外の可能性が見いだせないし…。

 まぁここはそこまで治安の悪い世界では無いみたいだから、そんな心配は不要なんだろうけど。


 そんな俺の根本的な疑問に、アトリはムカつくくらい得意そうな顔で答える。


「お金のアテがあるとは言ってませんよ、ツケで食べられる店のアテがあるだけです」


 ここまで無一文である事に得意気な少女を、俺は他に知らない。


「は?」


 カチンときたが、俺は本気でアトリにお説教しそうになるのをぐっと堪える。

 貴族がツケで飯を食べるとか恥ずかしくないの?

…いや多分この世界では平民の店でただ飯を食らう貴族なんて珍しくないのだろう、そういう文化が育まれているからこそ、アトリは平然と言いのけたに違いないのだから。

 現実世界でも少なからず存在していたものだろう、権威を盾に飲食店や越後屋をツケで踏み倒すような人間なんて。

 でも、俺はそう言うのを見過ごせない人間だ。

 立場や権力を利用した不当な搾取は断罪すべき悪だ。

 たとえ価値観が違うとしても、やがて是正されるとしても、「今」に残していたら「後」にも残る悪習。

 だから俺は見過ごせない。

 そう声にしようとしたら。


「お姉ちゃん勘違いしてるみたいなので説明しますけど、ツケで食べられるには理由があるんですよ」


 アトリも俺の陰気な雰囲気で何を考えているのか読む力が養われているようで、機先を制して捕捉された。


「どんな理由なんだ?」

「それは食べてからのお楽しみという事で」


 そう言えば俺が納得せざるを得ないと分かってか、焦らしてきた。

 …クソッ、アホのアトリの癖に、俺の扱いだけは心得てやがるのが癪にさわるな。

 どうやら俺がアトリの扱いを覚えるのとほぼ同速でアトリも俺の内面を理解しているようだ。

 こんな汚い人間の中身なんて、一つも知られたく無いんだがな…。




 町の中枢から外れて迷路のような路地裏を十分程歩くとそこについた。

 一体どんな店だろうかと思っていたら、思っていた以上に小洒落ていて繁盛している、普通の喫茶店だった。

 忙しなく働くウェイトレスの姿が、大変目の保養として素晴らしい。

 その繁盛ぶりは店がいっぱいになって外のテーブルまで埋まるほど。

 そこの十人程並んでいる行列に並ぶのかと思いきや、彼らを他所に店内に入り、カーテンのかかった見るからにランクの高い席に居座った。

 そこには貴族専用と札が掛けられていた。


「ここは私達の特等席なんです、文字通り私達の為に作られた席ですからね、こんな場末の庶民派な喫茶店に来る貴族なんて、私達しかいませんから」



 なるほど、つまりこの店はアトリがオーナーもしくは株主などで支援している店という訳か、だったらツケが利くのも納得できる。

 なぜなら本来払われるべき配当金をツケという形で消化できるのは、双方にとってメリットであるからだ。

 俺が一人で勝手に納得していると、アトリはメニューを貰うでもなく勝手に注文した。


「いつものふたつー」


 若いウェイトレスが愛想よく頷く。

 店の外の席は老若男女構わずと言った感じだが、店の中は若い女性が多い印象だ、もしかしたら、中と外でメニューが違うのかもしれない。

 テイクアウトした客のイートインとして、簡易的なベンチとテーブルを置いてる感じだろう。

 中は若い女の子が好きそうなスイーツ菓子と紅茶を主に提供しているようだ。

 女装でなければ、若干居心地が悪かったかもしれないな。

 なんて考えつつ、そわそわと店の中を物色した。


「いい店だな、なんというか雰囲気が好きだ」


 レトロでアンティークな貴族趣味っぽい落ち着いた家具と食器に、魔法仕掛けのレコードから流れる音楽が心地よい。

 その場にいるだけで優雅な気分に浸れる。


「えへへ、そうでしょう、この部屋の人形は全部、私が選んだんですよ♪」

「…いや、これは趣味悪いだろ」


 俺達のいるスペースだけフランス人形アンティークドールやピノキオみたいな木の人形がいっぱいあるのはなんでだろうと思ったらお前の仕業か。

 ここだけ別空間過ぎて台無しだよ、だからカーテンしかれてんのか。

 というツッコミが喉まででかかるが、お姉ちゃんだからね、我慢我慢。

 他愛のない会話をしていたら、料理が運ばれてきた。


「おまたせしました、『粉皮織りなす千の至福・氷結せし白乳の月乗せ』、でごさいます」

「おお」


 ネーミングセンスには突っ込まない事にした。

 誰が名付けたのかは言うまでも無いし。


 運ばれてきた料理に思わず感嘆した。

 それはクレープを何層にも重ねてつくるミルクレープ。

 しかし、その層の数は、現代でもなかなかお目にかかれない百層以上の超薄型ミルクレープ。

 この時点で調理人の技術の高さが伺えるが、それだけではない。

 ミルクレープの上には苺をはじめとして、桃、マンゴー、メロン、葡萄がのせられている。

 ドライフルーツでは無いので、この世界にも時期作や冷凍保存の技術が存在するという事だろう、料理一つでそんな考察まで思考が及んだのは異世界にいるという実感を感じているから。

 現実の菓子と比較しても遜色しないくらいの出来だ。

 そして驚いた理由はまだあるのだ。

 そのミルクレープは白い。

 甘い甘い生クリームに包まれているから…だけではない。

 その中心に丸い月のような白い物体がある。

 それがなんなのか、確かめるべく、俺はスプーンでそれを掬った。


「……冷たい」


 やはりそれはアイスだった。

中世風の景観に近世レベルの文明度でありながら、アイスがある、アイスの詳しい歴史については知らないけれど、確か日本人が初めて食べたのは明治時代の頃の筈だ。

 それなのにアイスがある、凄い。

と、一口でそこまで思案し、二口目を口に運んだ辺りで、あ、でも魔法使えばこれくらい簡単に作れるか。

 と冷静になれば別に凄い事ではなかった。

勿論、中世風の世界観でアイスが食べられるというのは非常にオツなものではあるけれど。


「…あれ、お姉ちゃん、思ってたより普通の反応ですね、もしかして食べたことありましたか?」


 アトリは俺が感動して一人で盛り上がる姿でも見たかったのか残念そうだ。

 アトリが驚く反応を期待していたのなら、このアイスは珍しい物なのだろう。

 路地裏に隠れた小さな喫茶店に行列を作るほどに。


「まぁな」


 実はここよりもっともっと文明的に発達した世界から来ました。

 というセリフは飲み込んだ。

 俺は俺の過去については封印することにしたのでアトリみたいにホイホイ口を滑らせたりはしない。

 黙々と、その甘い月を蝕んでいく。


 しかし、やっぱり甘いのは苦手だ。

なんというか、甘味というのは幸せの象徴という話を聞いて以来、無意識に避けるようになり、苦手意識がついてしまったから。

 甘いものを食べると自然と罪悪感が湧いてしまうのである。

 そんな俺の感傷を無視してアトリが身を乗り出してきた。


「お姉ちゃん、あーん」


 まぁ御約束だ、予想はしていた展開なので、今さら拒否る理由も無いけれど、それでも照れてこっ恥ずかしいのは不可抗力。

 カーテンで遮られてるから、一目につかないことだけが不幸中の幸いである。

 下手に嫌がってもアトリを喜ばせて、どうせ命令されるだけ。

 俺は意を決して目を閉じ、口に運ばれるそれを受け入れる。

 そのスプーンで口に運ばれた苺は、3割増しで甘く感じたけれど、気のせいでは無いのだろう。

 そのままアトリにあーんをされたけれど、半分食べた辺りで胸焼けがしてギブアップ、残りを全部アトリにあーんさせたが、アトリは文句を言わずに食べきった。

 偉いぞアトリ、流石女の子、甘いものは別腹と言うのは本当かもしれないと確証を持った。


 甘くなった口の中を洗浄しようと食後のコーヒーを頼んだら、店主が挨拶に来た。


「どうもご無沙汰しておりますアトリ様、今日の品もご満足頂けたでしょうか」


 店主という割にはまだ俺とそう年の変わらない、勤勉そうで上品な少女の慇懃な挨拶に、アトリは偉そうに頷いた。

 アトリを「エレナ」では無くアトリと呼ぶ人間を自分以外で初めて見た以上、この店がアトリにとって特別なのは間違い無いのだろう。


「うむ、本日も美味であった、相変わらずの贅を尽くした馳走に腹だけでなく心も満たされた、大義である」


 実に傲岸不遜な返答だが、本心から喜びを表現しているようなのでそこまで嫌味には感じない。

 店主もノリがいい人物らしく「ははっ、ありがたき幸せ」と優雅に頭を垂れた。

 アトリも、前は結構通っていたのかな

 そしてアトリの悪ノリによる一通りの挨拶が済んだ後。


「そういえばアトリ様、シオン様も最近はご無沙汰ですが、お元気なんでしょうか?」


 店主は、俺が一番気になってる事を聞いた。

なんと答えるのか、興味の無いフリをして伺っていると。

 アトリはこちらを横目で見ながら答えた。


「元気ですよ、今もピンピンしてます、そのうち二人で来るのでその時はよろしくお願いしますね♪」


 この解答の意味としては本来のシオンを連れてこずに、俺をシオンとして扱う事を指す。

 勿論、俺の手前だから、都合のいい解答を選んだという可能性もあるけれど。

 少なくとも、本来のシオンの存在の気配が遠ざかったのは確かだろう。

 もし近くにいるのなら「一緒に」をつける必要も無いと思うから。

 生きているのなら一人で来る可能性もある、それを否定した以上は、もう近くにはいない。

 それでも俺と一緒に来ることを仄めかしたのが理由だ。


 ……これでシオンの生存率が大分下がった、当初から予想は付いていたが死因は一体なんだろう、恐らくまだそんな昔の話でも無いのだろうし、それだけが知りたい。


 俺達は店主と軽く挨拶すると、邪魔にならないように長居せずに店を出た。


「結局、なんであの店はツケで食べられるんだ?」

「それ、お姉ちゃんの聞きたい、なんでも答える質問という事でいいですか?」


 アトリは意地悪そうな顔で訊いてくる。


「じゃあ、答えなくていいよ」


 俺はわざと不機嫌そうに、ぶっきらぼうに答えた。


「冗談ですよ、怒らないでください」


 アトリは繋いだ手をぎゅっと握りながら訂正した。

 怒ったフリをする俺に気遣ってくれる所に、アトリとの近さを感じた。


「怒ってないから、冗談じゃなくていいよ」


 俺も、優しく握り返して、小さなアトリの手から伝わる熱を逃がさないようにする。

 元々他に行き場の無い魂だっただけに、アトリの隣という居場所は、これ以上なく居心地がよかったから。

 だから俺は茶番にのめり込んでいるのだ。


 そのまま二人で何処に向かうでもなく、ブラブラと歩き続けた。




「…あの店は、が創ったんですよ」


 アトリはぽつりとそう溢した。

 人気の無い広場、その噴水の縁に腰かけて、俺達は午後の昼下がりを何もしないまま過ごす。

 時間は噴水の水と同じく流れるだけだった。


「…どうして?」

「お兄ちゃんは無類のお人好しで、女好きでもあるんですけれど…その、学院の生徒で没落して、学院に通えなくなっちゃった人がいたんです」


 それがあの若い店主なのだろうか。


「それでその人、借金まみれで、姉妹がバラバラになるかもしれない、ってなって、その時にお兄ちゃんが店を開く事を思いついたんです」


 なるほど…シオン、思ってたよりかなりいい奴じゃん、疑ってごめん。

と一瞬見直すものの、三週間経ってもなお、魔法で治療されても微かに痛む左腕と、今自分が女装している原因を考えて、心の中で自分と同じ顔をしているだろうシオンの顔を取り敢えず殴っておく。


「店が繁盛するように高級品である冷蔵庫や、自動で料理を作る魔道具を全部自作して、路地裏のボロ家を一から改装して全部手伝って、お店を創ったんです」


 それを聞いて、他人の為にそこまでできる人間が世界に何人いるだろう、とか考えつつ、天才のシオンの心中を慮ってみる。


「だからあの店はお兄ちゃんの店も当然なんです、だから、何の見返りも受け取らないお兄ちゃんの代わりに、私達が見返りを受け取ってもバチは当たらないですよね」


 アトリは寂しそうに笑った。

 もしかすると、シオンが受け取らなかった見返りを俺に受け取らせる為にアトリは、あの店に連れていったのかもしれない。

 見返りを求めない慈善を施す兄への、ささやかな復讐として。

 そう思うと、複雑な感情が渦を巻き、なんとも言えなくなる。

 俺にはシオンのやりたい事が分かるかもしれないし、想像出来たかもしれないから。

 だからなんとも言えないし、痛痒な皮肉しか感じない。

 否定したくなる。

 

「…女目当て、だったんじゃないのか、フェミニストとして、女を悲しませる事が許せなかったとか」


 だからそんな一般論で、描いた真相を覆い隠した。


「そうですね、お兄ちゃん、女の人相手になると見境なかったですもんね、きっと不純な動機だったにちがいありません」


 アトリはしがみつくように、俺の体に抱きついた。


「お兄ちゃんは、私だけのお兄ちゃんでいてくれるから大好きです、ずっと、ずっとこのままでいてください」


 アトリのその願いがどれだけの確率で叶えられるかを考えて、残りの可能性に蓋をして、抱きしめ返すと、呟くように答えた。


「……わかった、ずっと君のお兄ちゃんでいる、死ぬまでずっとだ」


 それがアトリにとって本当の幸せになるとは自信を持って言えなかったけれど。

 お兄ちゃんごっこをすると決めた。

 使い道の無い命の正しい使い方。


 正義を行う者として、特定の誰かに肩入れするのは不義であると断じていたけれど。

 恋人でも友人でもなく、ただのお兄ちゃんとして、妹を導く者としての役割ならば。

 その役割を全うしてもいいと思った。


 だからこれは独りよがりで自分勝手な、俺が一人で救われる為の選択でしかない。


 それでも俺は君が望む全てを叶えよう。


 それしか出来ない不出来で粗末な命だから。


 終わる時まで偽善せいぎを貫こう。

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