第10話 流したのは血か涙か 2

「今日はお兄ちゃんの得意な女装して貰います♪」


 と上機嫌な顔でアトリがさざ波寄せて返す何も残らない砂浜のように平らな胸を張った。


 じょそう、除草、助走、助奏?


「……ごめん俺、楽器は一個も触ったことない」


 そもそも音楽的教養が皆無なので口笛でアニソンを吹く程度の能力しかないぞ。

 そんな俺の返答を無視してアトリが棚の奥からを持ってきた。


「それじゃあ早速これに着替えてください♪」


 そう言ってアトリは女モノの制服と下着を俺に手渡した。

 は?俺にこれを着ろと?そもそも得意ってどういうことだよシオン……。


「なんで?」


 俺は理由を訊ねる、どこにそんな辱めを受け無ければならない義務があるのか。


「久しぶりにお姉ちゃんプレイがしたいからです」


 なんだよお姉ちゃんプレイって、兄貴に女装させて兄妹で百合プレイするとか需要がニッチ過ぎだろ、自分でするとかありえんぞ。

 俺は断固として拒絶した。


「やだよ絶対、無理無理無理だって」


 そんな俺の態度にアトリはやれやれと芝居じみた動作で頭を振る。


「しょうがないなぁ……お兄ちゃんは、命令コマンドで言うことにを聞かせてもいいんですけど、今日は特別に言うこと聞いてくれたら、お兄ちゃんの質問をなんでも一つ聞いてあげますよ、さて、それじゃあ好きな方を選んでください、命令されるのが好きか、自分でするのが好きか」


 なんでもか……正直アトリの口におけるシオンの情報はほぼフリーパスなのでそのうち全部聞けるだろうと思うけれど、どうしても今知りたい事がある、だから俺は素直に従うことにした……言うこと聞きます。


「本当に、現金ですねぇ、お兄ちゃんは、まぁそんな現実主義リアリストな所も好きなんですけど」


 今回はアトリに手玉に取られた形だがまぁいい、俺はパパッと服を脱いで畳んで、女物の制服に袖を通した。


 サイズは……ぴったりだった。


「どこで手に入れたんだこの制服?」

「お兄ちゃんが自分で調達してきたんですよ、なんでも、女子寮に潜入したいとかで」


 ……は?、俺の中でのシオンの評価が一気にストップ安だ、なんて不純な動機なのだろう。


「まぁその時は私もお兄ちゃんが間違いを犯さないように監視していたので、問題はありませんでしたけど」


 てかシオンが女装道具を処分しなかったせいで現在俺がこんな目あってると思うとシオンに対して怒りがありえん沸いてくるな。

 女装姿を姿見で見る。

 うん、髪も短いせいか、女装した男にしか見えん。

 毛が薄い方なのですね毛とかが気にならないのがまだ救いか。

 これで外を出歩けと言われる位なら、「エウレカ!」と叫びながら全裸で出た方がまだマシだろう。

 なんて思っていたが。


「……あ、そうか、カツラ忘れてた」


 アトリは黒、金、白のカツラを取り出した。

 それを順に俺の頭に被せていく。


「うーん、地毛と同じ黒かと思いましたけど、やっぱり白の方が似合いますね、どうですか、お揃いですよお兄……お姉ちゃん」


 確かに今は髪の色や、胸の薄さ、同じ制服等の共通点により、見た目に親近感が生まれている。

それ以上に、カツラを被っただけなのに、さっきまで立ち込めてた違和感がすっかり無くなったことにも驚きではあるが。

 ……てか、女装全然いけてるな、得意って言ってた意味理解できるぞ。

 予想外に似合ってしまった女装に、俺のテンションもうなぎ登りに上昇した。

 自分の中の新しい扉を開いた満ち足りた気持ちになったのである。




「お姉ちゃん、膝枕で耳掃除してください~」


 まるでじゃれる猫のようにアトリが甘えてくる。

 今日は休日、学院は休みだ、休日の生徒の過ごし方はそれぞれだけれど、アトリみたいに部屋でゴロゴロしている生徒は極めて稀だと思う。

 なぜなら、ここはアーシリスタの首都、デュ・アルカディア、学院に定時便で運航する馬車で移動すれば、観光名所や暇つぶしには困らない首都に遊びに行けるからだ。


 まぁ俺としてはアトリの好きにすればいいという考えなので、首都の都に興味はあるものの、特に口出しはしない。

 アトリの望む通りに、膝枕で耳かきをしてあげる。


「あ~、最高です~、こういうささやかな幸せを実感できるって本当に豊かな事ですね~」


 アトリは何気なく言ってるが、創作物においてそれはフラグと呼ぶべきものである。

 象徴的な日常とはえてしてもうニ度と取り戻せない過去へと変わるものであるから。

 なんて、大分不謹慎な想像をしているのは俺の過去が人より大分、そりゃあもう、一般人ならドン引きするレベルで重いからだろう。

 なので俺は俺の過去について語るつもりはない。

アトリが隠し事をするように、俺にも確かに隠したいことはあるのだった。


 俺の膝の上でアトリがうたたねし、 お昼時になった頃。


「それじゃあお姉ちゃん、ご飯に行きましょうか、行きたい店があるんです」


 まさかとは思うがそれって……。


「女装で?」

「勿論♪」

「やだよ、絶対、やだ、やだ無理無理無理本当無理!」


 俺は高速で首を左右に振る。

 流石にこの何のメイクも変装も無い女装で人前に出るのは、辱めをカンストして一生の恥でしか無いだろう。

 いやまぁ、自分で言うのもあれだけど似合ってはいるんだけどね。


「お姉ちゃん」

「はい」

「命令されるのと、自分でするの、どっちがいいですか?」

「」


 白馬は馬に非ずというか、うんこ味のカレーはうんこに非ずというか、とにかく無茶苦茶な要求ばかりする妹だが、正直、元の世界に比べれば今の環境は大分恵まれているので、この程度の理不尽には耐える事にした。

 とはいえ女装は慣れていないのでこれで外出するのは普段は引きニートしてる羞恥心も過労死レベルで恥ずかしい。

 まぁそんな反応をみてアトリは喜ぶだろうから努めて平常心を保てるようにしよう。





「そういえばお金は持っているのか」


 王都行きの馬車は既に去っていたので、歩きながら王都へ向かいながら、そんな疑問を口にする。

 少なくとも俺は素寒貧、アトリも前はコインの代わりになるものを持っていなかった、こういう中世~近世風な文化レベルで紙幣が発達しているとは思えないので、必然的にアトリも無一文だと思うのだけれど。


「アテがあるので大丈夫です、ただ歩いて行くのはあれなので、お姉ちゃん、カボチャの馬車を用意してください」


 いやいや、そんなまどろっこしい魔法使うなら空飛んだり幻獣召喚したり楽な魔法で移動したい。

 最初は地球人の俺に魔法が使える訳が無いと諦めていたけれど、なんというか、自分で思ってる以上に俺は魔法の扱いが達者だった。

 独学、いやそもそも何も学ばないうちから適当に発動させて魔法が使えるんだから、その資質はチート級と言って差し支えないだろう。

 まぁ、チートも異世界転生のお約束だしな。

 とはいえ今のところ使えるのは、幸運化の魔法と、物質を変化させる魔法と、四次元に物を送る魔法だけ。

 仕方無いのでアトリを馬に変えて走らせようかなと考えていたら。

 地面に大きな影が落ちてきた。


「あれに乗って行こうか」


 それは大空を舞う、巨大ドラゴン。

 その巨体は家一つ程の大きな影を地面に落とす。

 この世界、比較的平和ではあるが、人に太刀打ちできない災害のようなものもある。

 その象徴がドラゴン。

 しかし、あれは、見たところ野生の物ではないので、危険はないだろう。

 俺は幸運化の魔法と、物質変化の魔法を駆使して、ハンカチを重りのついたロープに変えると、遥か上空を飛ぶドラゴンの脚めがけて投げる。


「よし、上手くいった」

「え、まさかお姉ちゃんそれ本気で」


 次第にロープが緊張され引っ張られるので、俺はアトリの体を片手で抱き寄せてそのまま跳んだ。

 そして再び物質変化でロープを縮めて、腰に巻き付いた状態にして、両腕でアトリを抱き抱える。

アトリはぴゃーと絶叫していたけれど、お姫様抱っこしたら大分落ち着いた。

 最後に四次元魔法の応用で実体をにして、視覚的に隠蔽する。

 この四次元魔法というのは俺のオリジナルだ、そもそも科学や数学が発展しないこの世界に四次元という概念があるかも怪しいし、アニメや漫画を参考にして産み出した俺だけの魔法である。

 だからもしかしたら、四次元を作り出しているというイメージのこの魔法も、現実には四次元と関係ないのかもしれない。


「お姉ちゃんは本当に無茶ばかりしますね、怖くないんですか!」


 アトリは多分初めて地面から足が浮いた状態を経験したのだろう、怯えていた。


「全然、それより、このドラゴンやっぱり中央の配達の奴だ、これで町までいけるな」


 このドラゴンは中型の風竜で主に航空輸送に使われている種だ。

 毎日飛んでいるのを下から見上げていたので、町に行く奴だとは分かっていたけれど。


「そりゃあ航空輸送竜は首都から飛ぶか、首都に帰るかの二つしか無いわけですから……」


 なるほど、つまり全ての便は首都を経由しないといけないってことか?

 コストが高すぎるから首都以外には維持費を賄えないとかそんな理由なのかな?

 まぁどうでもいいか。

 それより


「風が気持ちいいなアトリ」


 晴れ渡る空、見下ろす広大な景色、遠くに見える王都の町並みがどんどん近づいていく。

 初めて見る空の風景に、俺は異世界に来た実感と感動を覚えていた。


「全然きもちよくないです、最悪です」


 アトリは目を瞑りながら俺の胸にしがみつく。

 何気に、普段俺に我が儘ばかりいうアトリが弱っている所を見るのも初めてで、女装を強要したことに対するささやかな復讐もできて胸がすく思いだ。

 だからもっと意地悪したいと心の中の悪魔が囁くが、目を瞑って怯えているアトリの姿を見ると、自然に抱いてる腕に力が篭って優しくしてしまうのであった。

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