第9話 流したのは血か涙か

 ここ、アリス・テレスティア魔法学院は、我が国アーシリスタの中心、王城のある首都デュ・アルカディアの郊外の丘陵地帯に位置する。

 国中の有力貴族の子弟が集まるこの学院は、この国の最高学府であると同時に、一つの教育機関としてはあり得ないほどの独立性も兼ね備えている。

 それはこの学院の予算の大元はOBである、貴族の寄付であり、毎年する名門貴族の親から多額の支援金がという名目で支援されるからだ。

 故に国から支給されて余った予算を国に返納しており、毎年国から与えられた予算は滅多なことでは使われず、国立でありながら、独立して運営されているのであった。

 そして、そうして運営していることによる弊害もある。


「だから、シオン・アルティール・バルドルスを退学にしろと言っている、公爵家の娘が何人も毒牙にかかっていて、ウチの娘もいつ襲われるか知れたもんじゃない!こんな簡単な要求も呑めないのなら、ウチの商会からの寄付を打ち切るぞ」


 俺は、美魔女と呼べそうな妙齢の校長に呼び出され、ある大物貴族の娘の父親と三者面談させられた。


「思い上がらないでください、お兄ちゃんは節操なしの軟派者ですが、あなたの娘のようなぽっちゃりに手を出すほど落ちぶれちゃいません」


 否、三者ではない、アトリは今や俺の主人なので、強制的に同席して、さっきからずっと俺の代わりに激しく言い争っている。

 アトリのその反論に頭に来たらしい禿頭の太ったおっさんがキレた。


 堕落した生活を送っているのがひと目でわかるその風体に、やっぱ貴族ってこういうもんだよな、という安心感を感じながら、俺は蚊帳の外で二人の口喧嘩を傍観していた。


「嘗めるなよクソガキが、バルドルスみたいなちんけな伯爵家ごとき、我がガルヴァニル侯爵家の力を持ってすれば、簡単に潰せるんだからな」

「まぁまぁ、ガルヴァニル侯爵殿、子供相手にそんなに熱くならないで」


 妙齢の校長は加熱する二人とは対照的に、落ち着いた様子だった。

 そもそもガルヴァニル侯爵が直談判しに来たところに俺を呼び出すという時点で意図が読めないのではあるが。

 実際、火に油を注ぐようなものだろう。

 この学院にきて二週間、周りの反応からシオンの人となりを、俺はあらかた理解している。

 簡単に属性で表すとするなら

 魔法の天才、無類の女好き、しかも両刀♂、身分問わずにファンが多いがアンチも多い、不思議と教師からは好かれている、公爵家の人間にも平気で話しかける無礼者、授業のサボり常習犯、学院随一の問題児。

 まさしく才能を鼻にかけて増長しまくった悪ガキ、といった感じだろうか、それにカリスマと実力が伴っているから手に負えない感じもするが。

 ガルヴァニル侯爵の気持ちも理解出来てしまうのが、シオンという問題児の評価だ。

 俺としては学院を辞めても、アトリの使い魔として居残るという建前でこの場をやり過ごそうかなという案があるのだけれど、まぁそれは場がもっと煮詰まって他に意見はないか、くらいのタイミングで切りだそうと思っていたら。


「ガルヴァニル侯爵殿は事実ではなく、噂を根拠に退学という要求をしているわけですよね、なにせこの学院にはそのような事案があったという事実は露見していませんから、では、その噂は果たして真実なのでしょうか?」


 と校長が切り出した。

 …なるほど、それが俺を呼び足した理由か、シオンの素行不良が真実なのかどうか、それを本人の口から問い質すという。


 しかし俺はシオンではないから、何も知らない訳なんだけれど。


「お兄ちゃんは無実です!なぜならお兄ちゃんの純潔は私の物だからです!それは万物万象の絶対真理であり、疑う余地なんてありません!」


 アトリはがなりたてるように断言、いや咆哮するように換言した。


「エレナさん、少し黙っていて貰えますか」


 校長はアトリの口にチャックをするように手を動かした、するとアトリの口はモゴモゴさせながらも開かなくなった。

 アトリを同伴させてしまったのは俺の不始末だったが、逆らえるものでも無いので黙らせてくれたのはありがたい。


 ……さて、なんと言ったもんかな、こうなったら適当に話の方向性を変えつつ、相手に納得してもらうしかない。

 俺は、自分にできる最大限に丁寧な所作で、ガルヴァニル侯爵に向き合った。


「貴殿の仰ることは最もです、私の様な素行不良な生徒は、この学園に在籍するのは相応しくないでしょう」


 この発言にアトリは異議を唱えようと抵抗し、校長は訝しんで、ガルヴァニル侯爵は頷いた。

 そこに俺はしかし、と付け加える。


「それには理由が存在します、私は魔法の才能に恵まれ過ぎていて、周囲との軋轢を作り、妬まれ、嫌がらせを受ける立場にあるからです」


「つまり、ミスターガルヴァニルの言う、事案とは、シオンを妬む生徒の嫌がらせという訳ですね」


 校長は補足するようにフォローしてくれた。


 正直、シオンの噂について俺は、アトリやユーリの反応からして半ば真実ではないかと考えているが、まぁ今の俺には関係無いことなので強引に話の方向性を変える。


「公爵家の令嬢に取り入っているのは、仲良くなる事で庇護を得るため、少なくとも同年代の優秀な同性というのは得てして尊敬よりも嫉妬の入り交じった敵として認識されるものだからです、だから異性の、公爵の、ご令嬢と親密になる必要があるのです、そして素行不良なのは、才能で大きく人と距離を開けた分を、別の部分で失点することでバランスを取るためです、何でも出来る完璧超人より、欠点のある人物の方が愛嬌があると、多くの優秀な軍師や宰相とされる人物はあえて分かりやすい欠点を作り、人から疎まれないようにしてますよね」


 俺は、立て板に水を流すが如くすらすらと持論を述べているが、これらは全部アニメや漫画の受け売りである。

 優秀な軍師や宰相が誰かと聞かれても答える由もない。


 途中で校長が「シオンさんは女王様のお気に入りでもあるわけですからねぇ」とフォローしてくれたのもあって、ガルヴァニル侯爵も反論はしなかった。

 ここまでの話を聞いて、ガルヴァニル侯爵はむう、と唸っている、俺が筋の通った説明をしたことで、感情による批判を封殺されたためだろう。

 続けろという思惑を感じ、俺は説明を続けた。


「情けない言い訳を聞いて頂きありがとうございます、勿論、どう取り繕おうと、それが全て自分の不徳が成すところと理解しているので、然るべき処分は受け入れる所存です、しかし、どうか、ガルヴァニル侯爵殿に寛大な処置を願いいれたいと思います」


 俺は、項羽に平伏し命乞いをした劉邦の姿を思い浮かべながら、気取らない素振りで頭を下げた。


「ガルヴァニル侯爵殿、もし噂が本当で公爵の娘に手を出したことが事実なら、今頃この学院も大騒ぎですよ」


 またも校長がフォローを入れてくれる。

 どうやら素行不良の俺の事も受け入れてくれる器の大きい人物のようだ。


「だが火の無いところに噂は立たんというぞ、少なくとも、彼なら簡単に忘却魔法フォーゲットだって操るんじゃないのか」


 ガルヴァニル侯爵も当初に比べれば大分気勢が削がれているが、まだ納得はできないらしい。


「小さな火種でも大きくしてしまうのが大衆というものですよ、シオン君は有名人ですから、何かにつけて注目の的ですからねぇ、ちょっと奇抜な振る舞いをしただけでも大騒ぎです、そんな子供達の行いを見守るのも、我々大人の務めなのではないでしょうか」


 校長は諭すような口振りで、暗にしゃしゃり出てきたガルヴァニル侯爵の事を痛烈に批判した。

 ガルヴァニル侯爵はそれでもなお納得いかないようだったので校長がこう続けた。

 多分、アトリのせいで高く振り上げることになった拳の下ろし方が分からないのだろう、大人になるとそういうのが面倒くさい。


「では、シオン君はほとぼりが冷めるまでの謹慎処分と言うことにしましょう、期間は未定です」


 その発言にアトリが叫ぼうとするも、声にならず、口を閉じたまま大声を出そうとして呼吸困難に陥る。

 アトリのその無様な様子を見て大分溜飲が下がったのか、ガルヴァニル侯爵も納得した。


「分かった、ひとまずはそれで手を打とう、女王陛下のお気に入りである彼をおいそれと退学にすることは出来ないだろうからな、だが、もし何か問題を起こしたなら、……その時は容赦しないからな」

「そうならないように、精一杯、善処します」


 俺は、ははー、と印籠を見せられた悪代官のようにひれ伏した。

 それだけ言い残し、ガルヴァニル侯爵は退出する。

 それを見て校長は酸素不足に苦しんでいるアトリの口を解放した。


「ぷはっ、ぜー、ぜー、ちょっと校長先生、こんなのあんまりです!どうして何もしてないのに謹慎処分なんですか!」


 やっぱりアトリは残念な子だ、この流れで俺に対する処分が建前でしかないと理解してないなんて。


「ごめんね、エレナさん、この場を丸く納めるにはこうするしかなかったの」


 アトリの理解の低い抗議にも、校長は丁寧に謝罪した。

 仕方無いので俺が蛇足的会話を続ける。


「…ところで、俺の謹慎はいつまで続くんですか?」


 予定調和故に棒読み気味な俺のセリフ。


「そうねぇ、ほとぼりも何もとっくに冷めてる訳だし、明日から謹慎解除ということで」


 校長はこんな蛇足のような無駄なセリフであっても、一字一句感情を込めて発音していた、やっぱり出来る大人は違うというところか。

 アトリが、「え、それじゃあ何も……」と混乱していたけれど、一から説明するのが面倒なので放置。

 そして、俺達はそのまま退出した。




「お兄ちゃんはどうして何も知らないのに、あんなにすらすらと言い訳が出来るんですか、元の職業は詐欺師でもやってたんですか」


 アトリは納得いかないと拗ねた様子だ。


「別に、もうここにきて二週間になるし、何も知らないというほど無知でも無いし、それに、クレーマーっていうのは自分の要求を通すことしか頭に無いわけだから、最初に同調して、気をよくしたところにこちらから頼み込む形で要求すればチョロいもんだろ」


 ああいう類いの人間の接客をした経験からいえば、今回の相手は金にも時間にも心にも余裕があり、要求も素直で本当に楽だった。

 まぁこれはこの世界と地球との文化や知能レベルの違いだろうか。

 しかし、シオンについて自分であれこれ調べておいて損はなかったな。

 主な情報源は自覚なく口を滑らせるアトリなのだけれど。

 今回新たに得られた情報である「女王様のお気に入り」とはどういう意味なのだろうか、そのままの意味だったら今までの情報と照らし合わせても結構な強キャラだぞ。

 鏡で見た俺の顔はどう見ても、ユーリみたいな超絶イケメンとは月とすっぽんの普通……というよりはむしろ変な顔だから、モテるとかではないのだろう。


(シオン、お前は一体何者なんだよ……)


 俺は、当初に比べれば徐々に株が上がってしまっているシオンの正体を夢想する。


 その偶像はあまりにも自分とかけ離れていて。


 だからアトリが俺の何処にシオンの面影を感じているのか、不思議でしょうが無かった。


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