第6話 アリス・テレスティア魔法学院 4
アトリは正論にボコボコにされ意気消沈といった体で寮に帰ろうとするが、そこに泣き面に蜂とも言うべき事件が起こる。
「何言ってるんですか、使い魔だろうと何だろうと女子寮は男子禁制です、お兄さんを入れるわけにはいきません」
とまだ二十代前半、大学生くらいの若い寮母さんにひき止められた。
まぁ当然の話だろう、正直女ばかりの授業の最中でさえ寿命が縮む思いだったので、女子寮で暮らすのを回避出来るのは僥倖とも言える。
だが問題は、どこで暮らすかだが……。
「まぁ屋根のあるところならどこでも平気だから、適当に校舎の空いてる所で過ごす事にするよ」
食堂は出入り自由だし、洗濯は夜中に井戸水で洗って干せばいい、ここでの生活に不自由が無いことを想像すると俺はそう提案するが。
「いえ、お兄ちゃんを野放しにするのは不安でしかないので、男子寮に泊まってください」
アトリは銀で出来た鍵を俺に渡した。
「……え、何で男子寮の鍵があるの?」
疑問に思う俺をよそにアトリはそっけなく俺を男子寮に案内すると、使い魔に対する主人としての
初めて来る場所というのは必要以上に緊張するし、そこが貴族様の巣窟だと考えたら尚更の事ではあるのだが、幸い、誰にも合うことはなく、真っ直ぐに教えられた部屋までたどり着いた。
ほとんどの生徒はまだサークル活動や同好会に精を出している時間だ。
そして部屋の表札を見てどきりと心臓が跳ねる。
(シオン・アルティール・バルドルス……?)
何故か、文字を読めない俺でも、その名前は読む事ができた。
恐らく、何かしらの魔法で、対象が誰でも読めるようにしてあったのだろう。
……何のために?、……俺に読ませる為だとしたら、いや、その先はまだ考えても仕方ない。
誰の名だろう、なんて聞くまでもない、アトリのお兄ちゃんの名前に違いないのだから。
だが、ここでいくつかの謎が生まれた。
シオンが今も存在するのかどうか。
そして、どうしてシオンがいるのに、俺の事をお兄ちゃんと呼ぶのか。
途端に冷や汗が流れだし、得たいの知れない恐怖が背筋を這い上がってくるが、ここでどれだけ考えも結論は出ないと思い至り、扉を開いた。
普通の部屋だ。
アトリの部屋より少し狭いくらいで、ベッドがあり机があり箪笥があり鏡がある普通の部屋だった。
綺麗にベッドメイクされ、埃一つ無いことから、誰かが手入れしている事が伺える。
俺は、何か手掛かりが無いかと、箪笥の中を開いてみた。
制服がある、正直、着たきり雀の一張羅は召喚前から数えて既に三日目に突入し大変不潔な上にこの世界と意匠が違いすぎて浮いていたので、その制服を着てみることにした。
サイズは……ぴったりだ。
何から何までオーダーメイドされたんじゃないかってくらい馴染んでいるし、恐らくそうなのだろう。
つまり俺とシオンの体格は一致している。
だがこの体は正真正銘俺の体だ、それは間違いない。
取り敢えず疑問は残るが、明日からはこの格好で出歩けば、今日より馴染めるか。
他に何か手掛かりが無いかと部屋の中を漁ってみるが特にめぼしい物は無かった。
アトリが俺に隠していることを、明日聞いてみよう。
次の日昨日アトリが登校した頃合いに女子寮に迎えに行こうとしたらある生徒に絡まれた。
「シオン、貴様妹の使い魔になったんだってな、貴様の薄汚い魂胆はわかっているぞ、使い魔になることで女子寮に自由に出入り出来るようにし、女子を
と、煌めく金髪のとても顔立ちの整ったモデルのようなイケメンに絡まれた。
男でも惚れてしまいそうな位に、その意思の強い瞳はバチバチに輝いていて、王子様のようで思わず見蕩れた。
この世界、女子のレベルに負けず男子のレベルも高いなーとか思いつつ、彼の言葉を反芻する。
彼はシオンと言った。
誰を?該当者……俺だけ。
妹の使い魔、つまりアトリとシオンは兄妹で俺はシオンと瓜二つの容姿をしていることになる。
そして彼は明らかにシオンに対して敵意を持っている。
うーんめんどくさそうだ。
そもそも、アトリに
俺がどうしたもんかと顎に手を当てて考え込んでいたら、彼はその様子にしびれを切らした。
「なんとか言ったらどうだ、今さらのこのこと出てきやがってこの卑怯者の強姦魔の変態クソ野郎が、貴様のやったこと忘れたとは言わせんぞ」
なんかよくわからないけど、多分よくあるラブコメだったら、シオンが彼と仲のいい、もしくは片思いしている女子にセクハラしたとかだろ。
正直元のシオンがどんなやつだったのか全然知らないから、何をしたのか想像もつかないし、適当に無抵抗で殴られればこいつも満足するだろう。
基本的には噛み付いて来る相手には誰であろうと抵抗の意思は見せるべきなんだが、ここは貴族の学校だからな、見るからに位の高そうな相手に無闇に逆らうのは後が怖いし。
「決闘だ、貴様は必ず、この手で成敗すると決めていた」
そういって、彼は手袋を外して俺の足元に投げた。
俺は黙ってそれを拾う。
「杖を抜け」
そう言われてそういえば上着の内ポッケに入っていたなと杖を取り出した。
なるほど、貴族の決闘は杖を使ってするのか、正直殴り合いより痛そうだなと思っていたら、頭に石をぶつけられたような衝撃が走る。
「ぐわっ」
その衝撃に上半身が弾けて仰向けに倒れた。
初撃で思考を奪われた為にそのすぐ後に加えられた追撃の魔法を認識する間もなく体で受け止める。
まるで空気のピストルで全身をなぶられるかのように痛め付けられた。
無抵抗に受け止める予定だったが、感情に身を任せた暴力に手心などは加えられるはずもなく、俺は体を丸め頭を守り致命傷を負わないようにして耐えた。
「まだまだ、こんなものじゃあすまさないぞ、貴様のその顔を醜く腫れ上がらせて、二度と婦女子に近寄れないようにしてやる」
彼が本気で痛め付けてくるのを俺は、人間性の維持、人間性の維持と反芻し、吹き飛びそうになる理性を辛うじて守った。
普通の人間ならとっくに気絶していてもおかしくない激痛が全身を駆け巡るが、残念ながら、それを余すことなく受け止められる程度に、俺の体は頑丈だった。
蘇る記憶ごと、───────抑え込む。
そしてなんとか、彼の魔力切れまで粘る事ができた。
これが貴族の粛清か、とその理不尽さを全身で実感した。
まぁ俺は貴族社会に紛れ込んだ不純物だから、こういうこともあるだろうと予想はしていたのだが。
「はぁはぁ、クソッ、クソクソクソ、こんな奴に姉さんが犯されたと思うと虫酸が走る、やっぱり殺す、死んでも殺す」
そう言って彼は俺の胸ぐらを掴んだ。
「貴様を殺しただけじゃあ、全然足りん、次は貴様の妹を犯して殺して、貴様の領地にいる奴等も皆殺しにしてやる……っ!公爵家に狼藉を働いたんだ、家の面子にかけて、全力で潰してやるぞ、勿論貴様も楽には殺さん、時間をかけて、切り刻んで、陵恥刑にかけた後に豚の餌にしてやる」
この瞬間、俺の中の天秤が傾いた。
今までは、俺と彼の問題だったから、彼の言うとおりにしようと思った。
だが、その秤にアトリ、無辜の住人、その他大勢が加われば話は別だ。
俺は俺を優先しない、いつ死んでもいいとさえ思っている。
だから、その命の「正しい使い道」を考えて今日まで生きてきた。
平和を乱す様な輩は俺の『敵』だ。
そして、敵に対する俺の行動は決まっている。
――――冷めた体に、灼熱の怒りが伝播する。
燃え盛る闘志に焚べられるのは、不屈の正義感。
――殺レ、命ニ代エテ滅ボセ。
――――ガン。
「なっ!?」
ひび割れて血まみれの頭で、彼の頭を思い切り殴り付けた。
お互いに意識が一瞬飛んだが、俺は次の行動を既に思い描いてある。
持っていた杖で彼のみぞおちを突き刺す。
ほぼ骨折している右腕の膂力では、貫通することなどできないが、それでも彼の肺の中の空気を吐き出させるには十分だ。
そして俺はすかさず口で噛みついて、彼の気道を圧迫した。
手も足も満足に動かないから、口で気道を絞める。
顎の筋肉は人間の持つ筋肉の中で最も強靭な場所だ、いくら抵抗しようとも、もう離れることはない。
「~~~~!」
酸素を吐き出させた直後だ、息が吸えないのはこれ以上ない苦しみだろう。
パクパクと口を開閉しながら無様に涎を垂らしながら抵抗するが、どんな攻撃を受けても、俺は緩めなかった。
恐らく人間の死に方の中でも窒息死が最も手軽で苦しいのではないだろうか。
だが、俺に迷いは無い、この世にある悪性は全て等しく許さないと決めたから。
悪は悪を育て、善を淘汰し、悪を増長させる。
だから俺は悪を許さないし、それを行う奴はこの手で殺す。
例え検討違いの八つ当たりだろうと、行き場を失った復讐心の代償行為だろうと、俺は俺の信念を貫き通す。
出来ることをする。
誰かを守る
その涙を見たくない俺は、悪魔と蔑まれようとも、出来ることをする。
あと三十秒で彼は死ぬだろう、それまでこの咬合は、例え俺の首を絶たれようとも放しはしない。
(……十三人目か、結局、俺は変われなかったな)
と、彼の命が絶たれるその寸前に。
「もうやめて!」
何者かが後ろから抱き着き、俺を背後から引き離した。
後ろからの不意打ちに意識が途切れていたのと、その女性とは思えない不自然な怪力に、俺は彼の首の皮を噛みちぎりながらも、離してしまった。
「ガッ、ゲホッ、ハァー、ゲホッゲホッ」
こちらを見ている野次馬たちの対応からして、殺したとしても止められないと思っていたのだが。
「ね、姉さん、なんで」
どうやら俺を背後から抱きしめる謎の人物は、彼の言うところの、シオンが強姦した姉らしい。
彼のキレ方から察するに、この姉が俺に殺意を持っていてもおかしく無いかと思ったが杞憂だった。
「ユーリこそ、なんでこんな酷いことするの、シオンがこんなになるまで痛め付けるなんて」
「姉さんは騙されてる、そいつは姉さんを犯して捨てたんだ、そいつは女を道具としか見てない最低のクズ野郎だよ」
「騙されてるって、シオンは私の婚約者だから犯したもなにもないし、そもそも犯された覚えもないのだけど」
……完全に蚊帳の外だ、そもそも前後不覚だから仕方ないとはいえ、こちらの世界に召喚されてから一度も理解が追い付いてないのは理不尽過ぎる。
「はっ、婚約者だって?そんなの子供の頃の口約束でこいつだってちっとも気にしちゃいないよ、その証拠に、我が家の家宝である宝玉のついた指輪を、こいつは付けていないじゃないか」
ユーリのその言葉に彼女はこちらを向いた。
初めて拝むその顔は、クソイケメンなユーリの姉だけあって、神々しいくらいに美少女だった。
……うん、こんなに綺麗な姉を犯されたら、世界が相手でも戦争始める気持ちがわかるかもしれない。
「しーくん、指輪、どうしたの?前までは着けてたよね?」
まるで恋人の浮気の証拠を見つけた時のように冷たい目で彼女は俺に尋ねた。
どうしたの?って言われても部屋の中にそれらしいものは無かったし、本物のシオンに聞いてくれって感じなんだけど、どうしたものか。
彼女がハイライトの消えた冷めた目でねぇ、ねぇ、と俺に詰めよってくると、悪くも無いのにいたたまれない気持ちになるが、部外者の俺には答えようが無い事だ。
そこに俺が美少女と絡んでいる不穏な空気を感じたのかアトリがやって来た。
「お兄ちゃんに近づくな、この雌豚がー!!!」
そう言ってアトリは彼女を突き飛ばすと、体が動かない俺の体を引きずりながら、周りに威嚇しつつその場を去る。
アトリには色々と聞かないといけないと思いながら、俺はこちらを観察する野次馬の群れを眺めた。
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