1章73話 小さな嘘
横を見た、唯だった。
別に怒っている様子は無い。多分、莉子の時と同じように俺が菜沙と男女の関係になることを嫌がってはいないからだな。普段だったら俺が女の子と関わるだけで敵対心丸出しになるわけだから、無いってことはそういうことだろう。
「あ、あの! これは!」
「別に菜沙に頼んで癒してもらっていただけだよ。さすがに看病で疲れたからな。こうやっていれば心配事も少しは楽になるってものだ」
「あー、確かに!」
やっぱり、怒ってはいないか。
俺が菜沙に対して何をしようと、唯からすれば自分を愛してくれるのであればそれでいいって考えだしな。ただし、唯が気を許せる相手でなければ怒っていただろう。それだけ菜沙は信頼されているってだけか。……まぁ、菜沙の痛みを知っているからこそ何も言わないって線もあるかな。
「じゃあ、今度は私だね!」
「後でな」
気にした様子もなく俺の隣に来る。
でも、残念だったな。俺の隣に座る場所はない。今は菜沙で癒されたいんだ。大好きな唯とは言っても今の俺には片方で手一杯。……って、そんなわけにもいかないよな。知っていた、小さなソファを持ってきて隣に来ることなんて。
仕方ないので菜沙を右手で引き寄せ、空いた左手で唯の頭を撫でてやる。嫌だったのか菜沙に距離を置かれてしまったが……いや、気を利かせてくれただけだった。今度は右手を掴んで引っ張られてしまったよ。小さく溜息を吐いて菜沙の隣へ移動した。唯も俺が動いたのを見てソファを戻して俺の隣に来る。
「……両手に花だな」
「いつものことでしょ」
「……花……ですか?」
対になるくらい正反対の反応だ。
唯は胸を張って自慢げに、菜沙は意味が分からなさそうに小さな声で。でも、どちらも間違いなく可愛い。まぁ、可愛いのベクトルは違うけど。個人的には俺の好みに合わせてくれている分だけ唯の方が可愛く思えるが……菜沙が合わせてくれたなら揺らぐかもしれない。
「私って花では無いと思いますよ」
「いや、花だよ」
それは断言させてもらう。
唯とは違って菜沙は自分に自信が無さすぎだ。こんなにも綺麗なのに何でここまで自分を卑下するんだか。俺からすれば後輩としても勿体ないくらいに綺麗で可愛いと言うのに。そう、菜沙を例えるのならアレだ。
「彼岸花みたいで美しいよ」
「彼岸……花ですか……」
口角が下へ落ちる。
唯の方を見たが「あちゃー」と言わんばかりに手を頭に当てていた。何か変な事を言ったのだろうか。少しもおかしなことを言った自覚がないんだが。
「……美しさはともあれ、確かに彼岸花には毒がありますからね。私にはピッタリかもしれません」
「毒……あ……」
そこか……やらかした。
というか、普通の人からすれば彼岸花って悪いイメージの方が多い花だったな。外の世界との関係を長いこと絶っていたせいで忘れていたよ。全然、そんなイメージはなかったんだが……。
「口と性格の悪い私には合いますね。それに不幸を届けそうな感じも私らしいです」
「口が悪い……?」
「はい、学校ではそうでした」
笑って言われてしまった。
すごく悲しそうだ……これは……さっきまでの励ましが全部、無意味になってしまったかもしれないな。チラッと唯を見る。俺の知りたいことを理解してくれたのか、唯が首を縦に振った。もしくは助けるつもりがないという意味か。
「菜沙の口は悪いよ。特に男子には辛く言っているかな。近付くだけで『消えて』とか言っていたから影で結婚出来なさそうとか、性格が悪いとか言われていたよ」
「ええ、性格が悪いのはクラスの人達と変わりませんから気にしていませんでしたが、そんな感じでしたよ」
助け舟を出してくれたが説明で終わりだよな。
それはそうだ、今回の発言は明らかに俺のミス。唯に助けてもらおうとする方が勝手すぎる。ただそれって……男嫌いな理由も分かっているから否定出来ないな。……逆に理由を知らなければ言われた側はそうなるのは当たり前か。
まぁ、それよりも先に言わなきゃいけないことがあるか。
「ごめんな、その事を知らなかったんだ」
「いえ、知らないでその発言が出たということは話しているうちに性格の悪さが滲み出ていたんだと思います。洋平先輩の悪いところは見つかりづらかったので言っていなかったんですが……」
すごく悲しそうな顔だ、気にしていたんだな。
ああ、こんな時に限って外で活動していなかった自分を恨むよ。ネットサーフィンのし過ぎで人の喜ぶこと、嫌なことに疎くなり過ぎだ。褒め言葉だと思ったことでさえも傷付けてしまう。……いや待て、だったら何だ。よく考えてみれば俺の真意を知らないで勝手に解釈されただけだろ。
確かに悪いところだと思うが、それで悲しむのは正しくないよな。一番に悲しいのは誤解された俺じゃなくて否定された菜沙だ。
「やっぱり、私って必要ないんですかね」
それは違う、大きい声で言いたかった。
だが、それは叶わない。口元を唯に抑えられてしまったから。これ以上の発言は菜沙の不安を煽ると思ったからかもしれない。俺も何も言えない、一つの失態とはいえ、大き過ぎるものだったから。
「なんで?」
唯は笑いながらも冷静に聞いた。
短い沈黙、すごく重くて心臓が痛い。
「さっきまで洋平先輩に悩みを聞いてもらっていたんです。私のせいで莉子ちゃんを傷付ける羽目になってしまって……それで洋平先輩や唯ちゃん達は私のことを嫌っていないって言ってくれたんですが、信用は出来ても言葉を信じられはしなくて……」
その信用すらも最悪のやり方で俺が裏切った。
何かを言いたい、ただ、俺にはその発言権がない。火に油を注ぐことになりかねないから……ここは唯に任せるしかないよな……。唯も重い話のせいで少しだけ悩んでいるみたいだ。身勝手だが、その沈黙がとても怖くて辛い。
「……私のせいで唯ちゃんの友達が死にかけてしまって……二人みたいな特殊な力があるわけでもなくて……私だけ、弱いから」
悩みの種はやっぱりそこだったか。
……せっかくの信頼を俺自身が破壊してしまって弱いところを隠せなくなったのか。それだけ俺のことを信用してくれていたというのに……こんなにも苦しませて。
俺の言いたかったことを話そう。
覚悟を決めた、どうなろうと勘違いされたままは良くない。信頼の全てを取り戻せるかは分からないが本当の意味があったことを知って欲しい。乾いた口を開き始めた……時だった。
「別に良くない?」
「え……?」
唯の表情は何も変わらない。
何で悩んでいるんだろうみたいな顔だ。
「多分だけど莉子は馬鹿だからさ、大切な友達だと思えたから助けるために死にかけてでも菜沙を助けに行ったと思うんだよ。菜沙が私だったとしても同じような行動を取ったと思う」
「それは……」
「間違いなく失言があったと思うけど、莉子が動かなければお兄ちゃんも倒しに向かっていたと思う。それに菜沙のことを悪くいうと思わないから発言の理由もあるかな? そこは何とも言えないけどさ」
チラッとこっちを見てウインクしてきた。
可愛い……じゃないな。小さく呼吸をする。
「彼岸花って俺からしたら良い花のイメージがあったんだ。花言葉とか……菜沙にピッタリだったからさ。長い間、人と話す機会が無かったから忘れていたから……本当に申し訳ないと思っている」
「ね? 知っていると思うけど変わっているんだ。私も莉子も、お兄ちゃんも」
「知っていますよ、良い意味で変わっているというのは」
良い意味で、か……。
少しも悪い気がしないな。これのどこが口悪いのか、性格が悪いのかって思えてしまう。後……唯には感謝だ。俺が勝手に言っていたら分かってもらえたかは分からないし。
「確かに弱いと思うかもしれないけどさ、それで要らないとはならないかな。私は菜沙に助けられているし、弱いとかなら私も莉子も菜沙ちゃんと変わらない、間違いなくお兄ちゃんの足でまといだからね!」
そこは自信満々に言うことではないな。
弱い……わけではないけど俺ほどの強さは確かにないからな。足でまといになる場面はあるかもしれないが俺も同じだ。俺にはグングニールがある、チートがある。それでアドバンテージが稼げているに過ぎない。だとしても菜沙からすれば自分の弱さを悲観する理由になってしまうんだろうが。
「でも、二人は先輩と関係があるじゃないですか。何も無い私とは違います」
「え、菜沙だって関係あるじゃん。出会って助けられてから仲良くなって、時には助けた。それでいいじゃん、私は菜沙のこと大好きだからね! いつもの菜沙らしくないよ!」
唯らしい良い返答だ。
上手い具合に人を慰めて助けてくれる。こういうところが俺が唯を大好きな理由だ。この優しさに何度も助けられた。死ぬ手前で踏みとどまってしまった理由だ。
「……皆が輝いて見えてしまうからですかね」
「え? 別に羨んでも良くない? 何がダメなの?」
不思議そうな顔を見るに本当に理解出来ないんだろうな。唯からすればいつもの菜沙というものと、羨ましいという感情が直結しないんだろう。
「……嫉妬や羨望って汚い感情じゃないですか?」
「それってさ、裏を返せば皆のことをしっかりと見ているってことじゃん。しっかり見ているから良いところが輝いて見える。私からすればただ羨んで見てくれているのも一つの菜沙の良いところだと思うよ」
視点の位置で考えは違う。
悪いところも見方を変えれば良いところになるってことか……その考えはあっても、その見方は無かったな。これは……本当に感謝するしかなさそうだ。唯の優しさは俺とは比べ物にならない。それこそ踏んできた場数が違うってことか。
「お兄ちゃんだって、そう思うでしょ?」
ここに来て話を振るか。
まぁ、どちらにせよ……一つしか返答はないよな。
「そうだな、羨んでもいい、弱くてもいい。俺からすれば皆がいてくれるだけで強くなる理由になるんだ。問題は足を止めるかどうかだろ。その点、菜沙は止まろうとはしなかったから俺は菜沙を必要としているわけだしな」
「そーそー、気にしたら誰とも仲良くなれないよ」
唯はケラケラと笑っているけど……。
悪いが俺には笑えないな。俺のせいで菜沙を傷付けたことは消えない。絶対に忘れてはいけないんだ。
「二人は……すごいですね。スクールカウンセラーよりも説得力があります」
「いや、俺は関係ないだろ。説得力があるのは俺よりも唯だ」
「洋平先輩もですよ。二人の発言のおかげで少しだけ自分を好きになれましたから」
そう、だろうか……。
さっきまでの俺ならまだ納得出来たが……いや、変に考えるのはやめよう。褒めてくれたのだから否定はしないでおく。ただ……。
「嬉しい……けど、比べる相手が悪いな。心外とまでは言わないが学校のカウンセラーとかは大したことない奴らとしか思えないからな。所詮は幸せもんの自慢を話されるだけだし、アイツらだけの解決策をタラタラと説教されるだけ。資格はあれど心理学を少し齧っただけの存在でしかないからな。ゼロとは言わないが本当に悩みを癒せるのは百人いて一人いるかどうかだとしか思えない」
「……間違いないですね」
俺の言葉が面白かったらしい。
口元を隠してフフフと笑っていた。また悩みが顔を覗かせるかと思ったけど唯の言葉もあって清々しい顔になっている。やっぱり、こっちの方が確実に可愛くて良い。……それに、この表情からして照れ隠しなのはバレバレか。なら、少しも隠さない。
「そんなことはどうでもよかったな。俺が伝えたかったのはアレだ、菜沙がここに居たいなら居て欲しいし、何なら引き止めるためなら俺は菜沙が思い付かないことまでするかもしれないね。俺は自分を馬鹿だと自覚しているからな。だからさーー」
「はい」
「ゆっくり強くなろう。急がなくていい、性急に強くなる必要は無いんだからね。今回のことを忘れないで戦い続ければ誰よりも強くなっているさ。俺達のクランもそうだったんだから」
少しだけ胸が痛む。
本心ではある、だが、その言葉を俺は自分から破ろうとしているんだ。上手く笑えているかが分からない。真剣に聞いてくれている菜沙の目がとても悲しくて怖い。……気持ちを隠すように菜沙の口角に指を当てて無理やり上げさせる。首を振って払われてしまったが嫌な顔はしていない。
「もし良かったらさ」
「……はい」
「その強くなる過程の中で、君の隣に俺達を置いていて欲しい。やっぱり悲しそうな菜沙を見るのは嫌なんだ。それに……隠したり影でそんな顔をしていると思うだけでも辛くなる」
本心だ、心からそう思っている。
菜沙は……頬を赤らめていて俯いているな。単純に恥ずかしいんだろう。ってか、その発言をした俺でさえも恥ずかしいのに面と向かって言われた菜沙が恥ずかしいと思わないわけが無い。返事を待つという名の短い沈黙が流れる、それを遮ったのは菜沙だった。
「すいません、実は二人を騙したんです」
ボソッと漏れた言葉。
だが、驚きを表情には出さないようにする。「何を騙していたの」と聞く唯に同調するように首だけを振って続きを促した。
「彼岸花の花言葉……少しだけ知っていたんです。だから、洋平先輩の言いたかったことも分かりますし……そんなに私を引き留めようとする理由も分かります」
「……当たっているか分からないよ」
知らなかったわけではない。
見て見ぬふりをしていたことには違いないか。彼岸花の花言葉は確かに良いものばかりだけど、代わりに『独立』なんて意味もあるからな。そこだけは彼岸花を例に出したのは間違えたと思っている。知っていたのなら尚のことだ。
「だとしても、です。本当のことを話さないと性格悪いままですから。それに……少しだけ皆の気持ちを言葉で聞きたかったのかもしれません。嫌な気持ちをさせたかもしれませんが私は何も後悔していませんよ」
何かが菜沙を変えたんだろう。
笑顔が瞼に張り付く……どうしても、その顔が恥ずかしくて席を立ってしまった。眩しくて俺には触れられそうにない菜沙を見ると……場違いと思わざるを得ない。リサが部屋に入ってきた時も、ご飯の時も話はしても目は合わせられなかった。……そのせいで唯に怒られて同じベットで寝ることになってしまったけど……まぁ、それも仕方が無いと飲み込むことにした。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
唯が寝付くまで少しばかり時間がかかった。
時が長く感じる。小さな罪悪感、寝息を聞く度に唯に、皆に申し訳ないと思えてしまう。でも、これは俺が決めたことだ。軽く唯の頭を撫でる。
「いか……ないで……」
不意に聞こえた寝言。
高鳴る心臓を抑えるために手を動かそうとするが唯に掴まれたせいでどうにも出来ない。小さく「莉子」と呟く姿からして本心を隠していたんだろう。俺と同じく莉子が死ぬのではないかと内心、気が気では無かったんだ。だから、こんなこじつけで無理やりに眠ろうとした。
「ごめんな……唯」
唯が完全に寝ているのを確認する。
尚更、動かないという選択肢は俺には無い。そのまま一度だけキスをした。それがくすぐったかったのか、手を離してくれたので最後にもう一度だけ頭を撫でておく。足りない勇気を手に入れるためにも、守るべきものを再確認するためにも必要な事だ。
「お兄ちゃん、ちょっとだけ……行ってくるよ」
この感触を忘れないためにも俺はやらなきゃいけない。俺の我儘であっても、この馬鹿っぽい寝顔を守りたいんだ。菜沙のことだって、莉子のことだって、リサのことだって……。
ベットを離れ一人、ダンジョンへと移動した。
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1章もようやく終盤へと近付いてきました。区切り自体はどこで終わらせようか悩んでいますが恐らくここで、という場所があるので後三十話は続くかなと言った考えの元で書いています。
もし宜しければフォローや評価、感想など宜しくお願いします!
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