1章67話 家族
患者が座るであろう長椅子の端で顔を隠して小さな嗚咽だけが響いている。この声がリーネさんに届いていないことを祈るばかりだ。広い玄関口で二人だけの世界。そこにいるには少しばかり空気が悪すぎるように感じる。
「話を付けてきたよ」
リサの隣に座って頭を撫でる。
顔を見るなんて野暮なことはしない。わざわざ見せないように顔を隠しているのに無理やり見れるだけの性根の悪さは持ち合わせていない。ただリサを自分の方に引き寄せて一人ではないことを伝えておいた。これだけはしなければいけないと思ってしまったんだ。
リサの悩みの一つを身を持って体験してしまった。好きのベクトルは違えどそれが何となく嬉しく思えてしまった自分もいたから。恋人としての好きではなくても例え恋愛の対象として見れなかったとしてもリサのことは大好きだから、だから……。
「別に無理に話をしなくてもいいよ。リサも苦労したんだね。大丈夫、俺はリサの血にも家族の過去には興味が無いから」
例えリサの血の中に護り手としての力があっても俺には関係が無い。俺の見たいリサは自分の血に縛られている姿じゃなくて守りたいと思えるもののために動ける姿だ。血で強制されたもの何かでは絶対にない。
「泣いていて良いから。俺は別にリサがしたいようにさせてあげたいし、泣きたい感情を押し殺せ何て身勝手過ぎることは言えない」
何度も体験してきた世界。
辛かろうが苦しかろうが泣くことも、弱音を吐くことも出来ない世界にリサを引きずり下ろしたくはない。あの世界は身勝手な存在が作り上げた美しさの欠片もない廃棄されるのを待つだけの空間だった。
いや、あの世界で例え泣いても弱音を吐いても誰が助けてくれたのだろうか。俺を完璧に救ってくれる人なんて絶対にいなかった。そんな存在がいたのなら俺はあそこまで落ちぶれることなんてなかったんだから。
「でも、一つだけ言いたいことがある。別に泣いても構わないし誰のもとへと向かっても良い。それはリサの自由だから。ただリサが本当に守りたいものがあったり、したいことがあるのなら俺は味方になるよ。哀れみとかじゃなくて本心で言っている」
少しだけ顔が動いた気がする。
それでも顔は見ないでおく。
「今は婚約者の事なんて忘れていい。リサはどう思っているかわからないし、今の俺にリサと婚約するって気は無いけどさ。……今のリサの婚約者は俺なんだから他の男なんて気にするな」
悪手だと思う。こんなことを言ってしまえばリサが俺に対して兄とかのような好きではなく、本当に恋人としての好きの感情が強くなることは俺も分かっているから。それでもこれ以上に辛いことを押し付けたくはない。何度も言うがリサは俺なんだ。一歩間違えれば俺のように落ちぶれるだけ。
小さな嗚咽が聞こえなくなる。
それでもまだだ。顔は隠れているし覆う小さな手からは涙が流れている。複雑な感情が襲っているのかもしれない。俺の話した事が俺の意図している意味で悪手だったのではなく、想定外での悪手だった可能性も充分にある。
リサに話しながら考えてみると、存外この村に身を置くのも悪くないように思えてきた。最初こそは人間を疎外する最悪な人達の集まりなんて思ってしまった時もあった。それでもそんな人達でさえ俺をリサの婚約者として認めていたんだ。その心理は俺じゃ分からない。だけどヤクの言葉を否定している時点で俺がいることを嫌ってはいないことだけはよく分かっているんだ。真実を否定することは俺には出来ない。
「話しただろ。嫌なら俺が連れ出してやるって。ただ今、逃げ出すことだけは許さない。それはどう取り繕うとリサが母親を助けたいっていうことを俺が知ってしまっているから」
「たすけたいよ……」
「知っているよ。だから他の男なんて気にするなって言っているの。全てを終えた時だったらキテンもリーネさんも連れてリサの嫌いな人が誰もいない場所に連れ出してあげるから」
か細い返事に俺は少し小声で返した。
声の大きさ一つで苛立っているとか、怒っているとか……そういう負のイメージで受け取る人もいるからね。そんな精神への負荷を今はかけさせたくないし。
「もう少しなんだ。ダンジョンの最下層まで行くのに時間はかからない。強くなれた俺達なら少しだけ時間をかければダンジョン攻略なんて目じゃない」
「なんで……わかるの……」
声音は変わらずに精一杯、絞り出したような声でリサが聞いてきた。言えない、ドロップしたアイテムの中に地図があって最下層が分かるなんて。最下層が分かってしまえば焦ってしまう可能性もあるんだから。毎日の回復魔法さえあればリーネさんは苦しまずに半年は確実に保つ。一番に怖いのは焦って全滅することや、誰かが欠けることだ。
「俺だからだよ」
それだけで何かを話すのをやめた。
不確定な何かであってもリサには今までのことから俺を信じて欲しい。そんな身勝手な理由だったけど本当にそれ以上は不必要だと思ってしまった。小さな甘えだとしても、例え俺が全てを抱えることになっても伝えられるわけがない。
「……わかったの。迷惑をかけて本当にごめんなさい……」
「迷惑だと思っていないよ。ただ先を進むにしても今の俺達じゃ力不足なのは確かなんだ。俺であっても一人じゃその内に死んでしまう場所だよ」
それは事実だ。ここまで強くなってファーストジョブに勇者、セカンドジョブに付与師を付けている完璧な状態だったとしてもステータスが足りない。一人で出来ることには限りがあるし多くても足でまといになるだけ。それでも、せめて今の俺より少しだけ弱い四人が一緒なら進むのも難しくはないと心の底から思う。
「もう少しだけ強くなろう。今のリサじゃ……いや違うな。俺達じゃ力不足だ。そのために割と安全で効率的に強くなる方法も考えておいたから」
リサの頭を撫でてから席を立つ。
このまま二人での時間を長引かせるのも有りだけど理由を話さなければ唯が怒りそうだし。それに一番の目的はリーネさんの容態管理と現状報告だったからね。出来る限り毎日一回は簡易的な治癒には行っているけど、行けない時はキュアさん任せだ。そういう時間が無い時とは違って話さなければいけないことも多くある。
「先にリーネさんと話をしてくるよ。心の準備が出来たら来て」
少し突き放し気味だったと思うけど大丈夫だと信じたい。リサに構いたいけどやらなければいけないことが多いのも確かだ。奥へと入って行って静かな病室の一部屋をノックする。少しぐらい大きな声で構わなさそうだ。今日は患者もいないようだし。
「あ、こんばんは」
「こんばんは」
病室のベットで複雑そうな顔をしながら挨拶をしてくれるリーネさん。椅子にキュアさんが座っていることを考えると外で起こったことは知っていそうだな。
「……巻き込んでしまって申し訳ないね」
「キュアさんが謝る必要は無いですよ。俺はリサを守るために動いているだけです。その中で誰かから通せんぼうを食らうのは慣れています。それに今回は助けてくれて人がいましたし」
挨拶を返してそうそう謝ってくるキュアさん。
少なくとも俺は怒っていないし謝られるとすれば筋違いも甚だしい。リーネさんの から謝られたとしても同じように返していた。謝ってくるとすればヤクの方だ。いや、謝られても許しはしないが。
「それよりも見た感じ元気そうですね」
「おかげさまでピンピンですよ。今なら護り手としての仕事も出来そうです」
「嘘でもやめてください。今のリーネさんだと大きな魔力を動かそうとすれば命を削る結果になりますよ。死ぬのは勝手だと思いますがさすがに言っていいことと悪いことがあります」
リーネさんが苦笑する。
分かっている。本当に場を和ませるために吐いた冗談だって。それでも恵まれた優しい親がいるのに死ぬのはどうしてもいただけない。人が死ぬのは勝手だし自殺を止めるなんてことは俺には出来ない。後が怖いとかではなく本人の感情は本人にしか分からないことだから。
それでもリサが悲しむのは本当に見たくないから。だから冗談だとしても心の底から思っていることは伝えておく。死ぬのは勝手だと思っている時点で医者としては完全に失格だと思うけど。
「現状での魔力操作は無理やりこじ開けた血管の中で少量であっても周囲を傷付けながら動いていきます。魔壊病が完治したとしてもすぐに多大な魔力を操作することは出来ません。もっと言うのなら足りなくなった魔力を注いで溢れ出しにくくしているに過ぎませんし」
少しの間でも接してみて分かったことがある。
それは魔壊病という病気が人体から溢れてしまう魔力を増やしてしまう病気であって、同様に溢れ出す際に血管から皮膚へ、そして外へと出て行ってしまう症状を起こさせること。この時に血管を傷付けてしまうために何とか厚さを保とうと収縮を始めてしまう。実際の死に直結する原因は血管の圧迫による擬似的な心筋梗塞の発生、もしくは体を構築するためには不可欠な魔力の欠乏による死亡だ。逆にそれ以外での死亡はありえない。
だから治療法としては溢れ出てしまう場所の血管の強化と拡張。これはやり方さえ分かればキュアさんでも出来るからね。ただ持続力も回復力も俺の方が早いのは確かなことだけど。
「ゆっくり待ってください。急いだところで何もいいことはありませんよ。俺の故郷の言葉で急がば回れというのがあります。本当に焦っているのなら遠回りする方が近道になることがあるという意味ですね。今のリーネさんにはピッタリだと思いますよ」
「そう……ですよね。すいません、少しだけ元気になって勘違いしていました。……本当にお医者様じゃなかったのですか? 話していることがキュアさん以上にお医者様らしいのですけど」
「いえ、違いますよ」
少しだけ日本人としての知識があるだけで俺みたいな奴が医者だったらヤブ医者確定だ。ただ日本で無駄だと思いながらも見ていた病気に対する知識があるだけで、少しだけ初めて見る病気への理解力は確かに早まる。心筋梗塞のような症状ってだけで魔力さえあれば負荷をかけずに血管を広げる方法はいくらでもあるし。
「まぁ、お説教じみた話はここまでにします。治療を始めますね」
軽く首肯されたのでキュアさんの方を見る。察してくれたようで部屋を出たのを確認してから、ササッと背中から魔力を流す。やっぱり、治療はしていても少しずつリーネさんの体を病魔が脅かしているみたいだ。魔力がより無くなり始めている。いや、体が回復したなら溢れ出す魔力が体を再構築させようと動き出すから後少しの辛抱だ。……さすがにそう言えず「まだまだ安心して大丈夫ですよ」と笑いかける。
「終わったの……?」
「うん、もう帰れるよ」
治療が終わる頃に扉が開きリサが入ってきた。
まだ目元には涙の後はあったけど先程よりはマシになっているみたいだ。少なくともまた泣くみたいなことはない。一番にありがたかったことは服を着た後でリサが入ってきてくれたことだった。
「……少し話をしたいの」
「俺はいない方がいいかな?」
込み入った話かと思って聞いたけど首を横に振られた。仕方ないのでリサがリーネさんの隣に座るのを見越して立ち上がっておいた。予想通り座ってくれたので壁によしかかりながら二人を見守る。リサが小さく深呼吸をしてからこもり気味の声で話し始めた。
「守ってくれたよ」
「……そう、よかったわね」
「うん」
一言ずつの会話が終わる。
続ける言葉が思い付かないのかリサの顔は少しだけ暗い。それを見てリーネさんの表情も少しずつ暗くなっていく。二人の会話の中に割り込むわけにもいかず黙って聞いていた。一分は待った。ようやくリサの口がまた開く。
「余計に好きになった」
「……それは異性として?」
リーネさんの質問にリサは小さく頷く。
それだけを話したかったとばかりにリサは何も言わずにリーネさんを軽く抱きしめた後、病室を出ていってしまった。親子ならではの会話だったのかもしれないけど俺にはよく分からなかった。
さすがにリサを一人にはさせられないので一礼してから出ようとした時に小さな声が聞こえた。一言だけだったけど俺の耳には強く残った声。それに対して「当然です」とだけ返すと安心したように大きく息を吐いていた。顔は見ていない。
もしもなんて先のことは分からないけど……「もしも村にいられなくなったらリサを連れて逃げて欲しい」なんて言える母親の気持ちは計り知れない。本当に生まれた環境としての例えとしては最悪だけどガチャなら最高の親の元に生まれたな、リサは。
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ラストスパートと言うことで早めの投稿です。
次回は年内には出せるように頑張ってみます。
よろしければ評価や感想等、お願いします。
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