1章36話 語るに落ちる
月が昇り始めてきた。
異世界の月のようだ。俺たちの知っている月とはまた違う。今更にして俺達のいた世界との違いを実感させられてしまう。
血のように赤い月。
それを眺めながら日本酒を傾けるのも一興なのかもしれない。そっと月夜を眺めながらおちょこに日本酒を注いだ。
「……飲みなれていねえか?」
「気のせいだ」
「……絶対に嘘だな」
失敬だな。本当に飲んだ回数は少ないぞ。
日本の漫画とかの文化がおかしいだけだ。どうすれば美味しく飲めるのか、なんて簡単に知ることが出来る。今の月を眺めながらだって出来れば団子を食べながら……いや、日本酒の甘みを感じられなくなるからしょっぱいものの方がいいな。
キテンと俺の間の僅かな空間に刺身とスルメ、タレを置いておく。一応、箸も置いておいたが使われるかどうかは不明だ。刺身に関しては使ってもらいたいけど。
「これは?」
「ツマミ、ほら、リサも口を開けて」
「……あーん」
箸で盛り付けられたマグロを一欠片取ってわさび醤油に付けてからリサの口に運んだ。少し辛そうにしているリサに「お酒も飲めばいいんだ」と進めると落ち着いたように笑う。
この見た目でアルコール度数が三十を超えるお酒を飲んでいるのだから恐ろしい。リサと同じようにマグロを口に運んで日本酒を喉に流した。……少しだけ昔の人達がお月見をしていた理由が分かった気がする。薄暗い中で飲むお酒も悪くは無い。
「……美味そうに食うな」
「食えばいいだろ。箸は使えよ」
「……それならこっちを貰う」
おいおい、箸を使う気はゼロかよ。
まぁ、スルメの方もツマミとしては最高だと思えるから別に構わないけど。ただ刺身を食べられないなんて人生の半分は損しているぞ。
キテンは大きめのスルメの足を取ってそのまま口に放り込む。目を細めた後にタレである味噌マヨにスルメを埋めてから再度、口に放り込んだ。
「美味いな、料理でもしていたのか?」
「あー、まあまあ。生きていくためには必要だっただけだ。唯達ほどではないが簡単なものなら作れる」
「……お前は不思議だな」
「……何がだ?」
不意に関係の無いことを言われたのでドキドキしてしまう。いきなりは本当に辛い。考える時間がなければ対応すらも用意出来ないからな。
「人とドワーフは仲があまりよくはない」
「知っている、だから?」
「お前がここにいる意味と、その真意がよく分からない。嘘をつくのなら逃げていてもいい頃合いだ。それなのにリサにも、俺にすら優しくしている」
「当然のことだろ。助けたいと思っただけなんだからな」
そこは本当のことだ。
リサの母だから助けたい。
リサの父だから仲良くなりたい。
ドワーフと仲良くなって武器制作のイロハを学びたい。俺は俺の武器を作ってみたい。生きるために必要な技術を手に入れたい。他人は、家族は裏切っても手に入れた知識や技術力、資格は絶対に俺を裏切らないからな。
「そこがおかしいんだよ。リサを見てみろ」
キテンに指をさされたのでリサを見てみる。
可愛らしい笑顔で、雛鳥のように刺身を欲しがる姿に愛着すら覚える。
「なぜ、そこまでリサに好まれたのかは分からなかった。だけど今なら少しは分かる。お前は良い意味で変だ」
「……余計なお世話だ」
「恥ずかしがるなよ。珍しく俺が褒めているんだ」
キテンに褒められて悪い気はしない。
例えるなら……上司に褒められた気分か。頑固な上司が仕事を褒めてくれるような、いや、先輩か? まぁ、そこはどっちでもいいけどさ。
マグロを三欠片醤油に付けてリサに食べさせてみる。ハムスターのように頬を膨らませて美味しそうにドワーフ酒を流し込む。俺も真似るように日本酒を喉に流し込んだ。
熱い血液のような妙な温かさを喉で感じる。
おかしい、日本酒はキンキンに冷えていて少し温めてもいい気がするくらいだ。酒はぬるめの方がいい、そんなことを実感するくらいの温度のはずなのに。
「……ヨーヘイはなんで人なのにドワーフである、ハーフエルフでもあるリサを軽蔑しない?」
俺はキテンの言葉に唾を飲んだ。
キテンなりに俺を理解しようとしている姿勢に俺はしっかりと対応しなければいけない。そして俺は逆に二人のことを……。
なぜ、と聞かれても答えはすぐには出てこない。リサを助けた理由はなぜかと聞かれれば俺が助けたかったからだしキテンはその親だったからだ。リーネさんもリサの悲しい顔が見たくないだけで……。
そう考えると確かに俺の行動は全てリサ中心に動いている。どうしてだ? 俺は別にリサに対して好意があるわけでも、ましてや思い入れがある訳でもない……。
ゆっくりと不思議そうにか俺を見つめてくる膝上のリサを見つめる。俺と目が合ってから微かに頬を染めている姿に胸がドキリと痛んだ。
「……お前は……よく分からないな。初めて見たぞ、そんな人を」
「俺のような人は多いと思うんだけどな。俺は……」
「俺は?」
そこで言葉を詰まらせた。
俺は、なんだ? ドワーフだから、なんだ?
人だから、なんだ? ハーフエルフだから、なんだ? そこに違いはあるのか?
違う無い。だけどあるんだ。
俺は心底、人が嫌いだ。それはそれなりの攻撃を人族にされたから。大人も親も友人も全てが虚飾の偶像であることを理解させられたから。
でも、人族以外なら逆に純粋無垢なまでの本当の自分で接せられる。アレスやアテナもそうだしリサもそうだ。何よりも俺はこの三人にいくらかの共感は抱いていた。
例外はいるけれどその中に入るのは至って少数でしかない。唯や莉子、菜沙、そして元ゲーム仲間のアイツらくらいだな。それ以外に俺は大して興味も、近づいてきて欲しいという願望もない。人とは平行線でありたい。下手に近付いて同じ轍を踏みたくはないからな。
そっとリサを撫でる。
よく分からなさそうに純粋無垢な笑顔を浮かべ徳利で日本酒を注いでいた。スルメを口に含んでから美味しそうにお酒を飲む姿は子供の見た目とは全然合わない。だけど、この合わない感じがなんとも言えず面白い。
「……ドワーフと変わらない、それほどに人が嫌いだからかもしれない。リサにはいくらかの似ているところを感じた。俺のように悲しいだけの生活をさせたくはないと言う考えと、死ぬ間際の死んでも死にきれなさそうな顔はよく見たものだったからな」
あの時の俺の顔。
あの時の辛い毎日。
寝取られるなんて生易しいものならどれほどよかったか。そこで済んでいれば唯も莉子もブチ切れたりなんかしない。滅多に怒ることのない二人が怒るほどのことをアイツらはやったんだ。
朝、目が覚めて鏡を見て死相がないかと祈る日々に、活路が見えてくれないかと流れ行く街を自転車で走りながら見守る登校する道。細い道で隣を走るトラックに何度撥ねられることを望んだか。
「俺は人族ほどの裏切ることを得意とする、身勝手な存在はいないと思う。ドワーフはどうかわからない。未だに三人のドワーフとしか深い話をしてはいないからな」
ドワーフは人だ。だけど違う。
エルフは人だ。だけど違う。
頭では分かっていても否定するんだ。
きっとこれが消えてしまえば俺は誰も信用出来なくなる。ただただ唯以外を切り捨ててどこか洞窟にでも住むだけだ。俺は人との関わりは持てない、本当な人間失格者に陥るだけ。
逆にここで活路が見えれば。
「……俺は人を信じられるかもしれない。ドワーフは俺とあまり変わらない。リサやキテン、リーネさんを見て違いなんてなかったのだから」
「だから助けてみると? 大した見返りもないのにか?」
「それだけで十分だ。俺は誰かを信用するための、人としての最低限のものだけは捨てたくはない。死ぬまで人としてはいたいからな」
小さいながらに強く言い放つ。
許せない人がいても、恨みを心の奥底にしまいこんでいても、それは人として当然のことだ。最低限のモラルを守れば何をしてもいいと思っている。法律とモラルは似て非なるものだからな。殺すことに対しても少しニュアンスが変わるだろう。
俺は人を殺すことを推奨するわけじゃない。だけど「恨む相手に対して自分が幸せになればそれが一番の復讐になるだろう」なんて言える人は大体、幸福な家庭を持っている人達だけだ。俺達の気持ちを知っているようで知らない。俺はそんな甘い考え方は一度たりとも共感したことなんてない。
相手が死ぬことでようやく消える恨みだってあるのに、それを弾圧して消し去る世界は間違っているだろ。自分の大切な家族がよく分からない奴に惨殺されても同じことが言える人はそうそういない。そんなことと俺達の気持ちは大して違いもないのに。
「俺には殺したいヤツらがいる。許せないヤツらがいる。そして……話を聞きたいヤツがいる……」
俺を最後で見捨てた静と最後に話がしたい。
誤解を誤解のままで終わらせることなんて出来ないからな。俺の殺したいヤツらは至る所にいる。そいつらを殺すために生きているのかもしれない。……もしかしたら、ただの幸せを得たいがために生きているのかもしれないが。
だけどそれ以上の発言は阻かられた。キテンだけならまだしも、俺の膝には年寄りも少し幼い精神を持つリサがいる。リサに悪影響を与えるのは俺としては好まない。多分、キテンもだろう。
「なるほどな。お前も……苦労したんだな」
「奥さんが病気で、娘は珍しい力がある。そんな苦労するのが目に見えている奴に言われても嬉しくねえな」
俺はキテンの微かな気遣いに心の中で感謝した。俺とアレスがどこか似ていたように、キテンがリサに抱く気持ちと俺がリサに抱く気持ちは近いものがある。いや、突き詰めれば誰だって考える、大切な人には幸せになって欲しい。そんな前提が考えの中にあるのなら俺もキテンも、アレスも大して変わらないかもしれないな。
「……すぅ……」
「……寝たのか」
「久しぶりに楽しんでいたからな。食事も酒もリーネがあんな感じになってから好んでいなかったくらいだ」
俺の膝上で寝息を立てるリサ。
その手にあるおちょこに日本酒を注いで口に含んだ。初めて飲んだ時とは違う味がする。誤飲したあの時から俺は変わってしまったのかもしれない。
刺身のわさび醤油の辛さも、キテンの飲んでいたドワーフ酒の辛さも今の俺にはとても美味しく感じられた。朝までキテンと飲み明かしていたのは言うまでもない。
もちろん、少しばかりと言っていたドワーフ酒も、俺が持ってきた日本酒も全部、空になっている。五、三、二の割合でキテン、俺、リサが飲んでいた。俺達は最後の最後まで酔うことすら出来ずに暖かい月の光に照らされながら瞳を閉じた。
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以下、作者より
久しぶりに真面目に書いてみました。少しだけ読んでいて「いつもと違う……?」とは思うかもしれませんが気にしないでください。
やっと本題のダンジョンに入れそうで気がうずうずしているだけですから。
以上、作者からでした。
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