弐
「あんのくそ尼が」
「弥咲や。もういいんじゃ。こんなになって、よく戦ってくれた。後はわしらが何とかする。今はゆっくり休んで、傷を癒してくれ」
街の診療所のベッドに横たわり療養する弥咲に、サンタクロースを
「冗談じゃないわ。ダムの建設なんて絶対にさせない。多々里村がダムの底に沈むのよ。黙って見てろっていうの」
土気色の顔をしかめながら、弥咲は喚いた。
弥咲たちが暮らしている多々里村は、日本アルプスの山間にある人口二千五百人程度の小さな村だ。数年前ここにダムを建設する計画が急遽決定され、住民たちの猛反発を押し切って建設業者が次々と乱入し、強引に工事を押し進めた。無論最初は村人の激しい妨害によってなかなか進まなかったものの、国家権力すなわち警察が暴動の鎮圧に乗り出し、首謀者を何人か刑務所送りにしてからは表立って邪魔することもできず、ただ〈平和的〉にダム建設反対デモを行ったり、署名を集めるといったささやかな活動しかできなかった(無論ダム建設強行派である県知事と国によって握りつぶされた)。そこで村の守護神として崇められ、古来より村を守り続けてきた
「何が決まったこと、よ。私たちの話なんか聞かずに勝手に決めたくせに。ふざけるな。自分の町は水没しないからって」
弥咲は悔しそうに歯噛みして、ベッドの上に備えつけられたテーブルを
「あのくそ尼さえいなけりゃ」
そう呟いた弥咲の眼には、すべての光を囚えて逃さぬブラックホールの如くどす黒い
「弥咲おねえちゃん。多々里村、なくなっちゃうの?」
四、五歳くらいの子供三人が、弥咲にそう訊ねた。彼らは眼に大粒の涙を浮かべ、果実やパン、お酒などが入った大きな
「いやだよ。いやだ。いやだ。いつもあそんでる公園も、学校も、森も、川も、ぜんぶ、なくなっちゃうの。みんな、はなればなれになっちゃうの。もう会えなくなっちゃうの。ねえ。何でこんなことになっちゃったの。ねえ。おねがいだよ。神さま。いい子にしてるから。おそなえものだって、いっぱいもってくるから。この村を、みんなのいばしょを、守ってよ。ねえ。おねがいだから。おねがい」
この子たちは、決して裕福な家の生まれではない。なけなしの小遣いをはたいて、あるいは決して豊かとは言えない家の冷蔵庫から食べ物をかっぱらって、お供え物を持ってきたのだ。無論弥咲の能力の源泉である神霊・
「私に全部任せなさい。ガキンチョども。私がいる以上、この村で好き勝手なんかさせやしないわ。ダムの工事に来た余所者なんて追っ払ってやるんだから。うちの神様が許しやしないわ、そんなこと」
自信満々の笑みを浮かべた弥咲がそう言うと、子供たちの顔に笑顔が戻った。
その後、村では毎日のようにダム建設反対のデモが行われた。が、非武装の村人たちが日増しに強化される武装警官隊の厚い壁を突破するのは
二カ月もすると辺りの景色はすっかり一変し、破壊された家屋、緑が
だが、そんな一方的な展開にもとうとう終止符が打たれる時がきた。
ある日、建築業者や警官たちに、無数の火の玉が降り注いだのだ。
「うわあ。熱い」
「祟りだ。祟り神の仕業だ」
ダム建設現場は一瞬で紅蓮の炎に包まれ、てんやわんやの騒ぎとなった。建設業者や警官たちは燃え移った火を消すため、あるいは火だるまになった仲間を助けるために奔走していた。
「多々里村を侵略する野蛮人どもは必ず火で罰する」
背中に巨大な炎の翼を生やし、空を舞う弥咲を見た業者や警察はパニックに陥り、四方八方に逃げ出した。
「オン・ガルダヤ・ソワカ」
だが、すぐさま黄金に輝く鳥の怪物が、弥咲に襲いかかった。
「またお前か、くそ尼。こないだの借り、五千兆倍にして返してやるわ」
弥咲はありったけの憎悪をこめて、火の雨降り注ぐ地上を
「罪もない一般人を襲う祟り神の使いを、野放しにしておくわけにはいかないんでね。この村のことは気の毒だが」
法子は飛翔する弥咲を見上げると、口角を吊りあげて
「こちらも商売でね。恨むなら、ダム計画を決めた行政を恨んでくれよ。くひひひ」
弥咲は胸の内で唾を吐いた。そうだ。この尼は、破戒僧。どこまでも強欲で、宗教を金儲けの道具としか考えていない。今回もおそらく、建設会社か国から法外な金を受け取っているのだろう。
「結局金目当てってわけね。この破戒僧が」
弥咲とは対照的に、法子は
「おやおや。金儲けを否定するのかね。誰もが多かれ少なかれ、金を稼ぐために人生の時間をすり減らして働いている。私は少し知恵を働かせて、効率よく稼いでいるにすぎないよ」
「そんなことはどうでもいい。お前のブランド品や
「よく稼ぎよく遊ぶ、が信条でね。お前たちこそ国家の決定に楯突く反逆者だ。罪もない業者や警官たちを傷つけた罪、仏罰をもって思い知るがいい」
「なーにが国家の反逆者じゃ。いつからお前は公僕になったんだよ。偉そうに。言っておくけど、今度は前みたいにはいかないわよ」
弥咲が自信満々の顔で法子にそう告げると、唐突にぶおーと野太い角笛の音が、大地に
角材、金属バット、
「私たちの故郷をー、奪うなー」
「奪うなー」
延べ千数百人が同時に叫んだため、そのあまりの声量に大地が震え、地響きとなって警官隊を威圧した。
警官隊の中央にいた部隊長と
「怯むな。相手は国家権力に楯突く非国民だ。正義は我らにあり。多少手荒に扱っても構わん。工事の妨害はすなわち威力業務妨害および公務執行妨害罪。全員逮捕せよ」
齢八十をとうに過ぎた細身の村長が、大地を
「うらアー」
直後、武装した多々里村の住民千数百名が、一斉に
「せ、先生。どうか、お願いします」
多勢に無勢と見たのか、警官隊の部隊長である〈丸眼鏡〉は、脇にいた法子に
「ふむ。是非もない。だが、その前にひとつ確認しておきたい。……これから起こることはただの天災あって、誰の仕業でもない。よろしいかな」
法子は
ルイ・ヴィトンの鞄の中から
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・オン・ボダロシャニ・ソワカ」
直後、法子の背後に巨大な大仏が降臨した。と言っても、突撃してくる村人たちや警官隊、建設業者といった霊感のない一般人に、その姿は見えない。
「何をする気」
弥咲の顔から、血の気が引いた。
「偉大なる
山のようにそびえ立つ大仏は、多々里村の住民たちを
そして、
その
「天罰・
法子がそう叫ぶと、大仏の口から巨大な白い熱線が、無慈悲にも多々里村の住人たちに向けて、放たれた。
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