「あの馬鹿」

 とっさに弥咲みさきが六枚の御札を投下し、村人たちの頭上に強力な結界を張った。

 しかし核兵器のように強力な〈仏陀の微笑みメガフレア〉をいつまでも防ぎ切ることはできず、結界は根こそぎ破壊されてしまった。

 ……が、弥咲が時間を稼いだおかげで村人は四方八方に退避し、犠牲者はゼロに抑えられた。

「やー。甘い。甘いねー。〈迦具土カグツチ〉の巫女ともあろう者が」


 弥咲の腹部に、法子のりこ錫杖しゃくじょうが、深々と突き刺さっていた。


「ぐふ」弥咲の口から赤い血の滝が噴き出た。

「お前なら、村人を守るために動いてくれると思っていたよ。私を大量殺人鬼にしないでくれてありがとう」

 法子の錫杖によって腹を外科手術されてしまった弥咲は地面に落下し、血の海に沈んでしまった。村人たちが心配そうにけよるも、待ってましたと言わんばかりの警官隊たちによって一網打尽にされてしまった。その様、飛んで火に入る夏の虫の如し。

 村人たちは、法子が放った仏陀の微笑みメガフレアによって一気に戦意を失ってしまった。無論霊感のない村人たちには法子の召喚した大仏の姿は見えないのだが、自分たちに向けて放たれた白き灼熱の光線によって焼けただれた地面を見て、明らかに恐怖していた。

「この、くそ女」

 火の雨によって制服をところどころ焦がされた警官のひとりが、地面でうずくまる弥咲の背中を思い切り蹴り飛ばした。もはや抵抗する力もない弥咲は、地面に血の跡を描きながらごろごろと地面を転がっていった。

「署でたっぷり可愛がってやる」

 警官が弥咲に手を伸ばそうとすると、三人の子供たちが駈けつけ立ちはだかり、両手を拡げて弥咲をかばった。

「どけよクソガキ」

 ヤクザのような強面こわもてで警官に威嚇いかくされ、子供たちは涙をぼろぼろと流し、小便をらしてしまった。が、それでも彼らは頑としてその場を動かなかった。子供たちの眼には、瀕死の弥咲を守ろうとする強い光、断固たる決意が、宿っていた。

「やれやれ。困ったね」

 法子が頭に血の上った警官を手で制した。いかに破戒僧といえど多くの警官隊が見る前で非武装の子供たち相手に錫杖を振りおろすような真似はできず、ただ苦笑してその場に立ち尽くしていた。そして、妙に優しい口調で子供たちを諭しはじめた。

「小さき勇者たちよ。君たちがかばっているのは、罪もない建設業者や警官隊を襲った張本人。邪神に取りかれた悪い巫女さんなんだ。君たちは、彼女に騙されているんだよ」

「う、うそだ」三人の子供たち、その中央にいた六、七歳の短髪の少年は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、喚き散らした。「おまえたちは村をこわしにきたわるいやつらなんだって、父ちゃん母ちゃんいってたぞ。だ、だまされるもんか。弥咲ねえちゃんに手をだすな」

 法子は子供たちのすぐ傍まで歩み寄って屈み、朗らかだがどこか貼りついたような笑みを浮かべた。

「それは誤解だよ。国だって、何も君たちが憎くて村にダムを造ろうとしているわけじゃない。日本全体がもっと豊かになれるように、身を切る想いで決定したのだ。君たちには国が新しい家をちゃんと用意してくれるし、ご褒美だってたんまりくれるだろう。これは〈お国〉の意思なんだよ。逆らえば、君のお父さんやお母さんだって……あー、もうめんどくさい。いいからどけよ」

 とうとう善人ぶるのをやめた法子が強引に子供たちを押しのけて進もうとすると、中央の少年が、法子に飛びかかった。やけっぱちに腕をぐるぐると振り回して。

 しかし無論、尼としての厳しい修行を耐え抜いた法子にそんな子供の喧嘩が通用するわけもなく、彼は簡単に蹴飛ばされ、地面を転がっていった。

「子供をいたぶるのは趣味じゃないんだけどねー」頭を掻きながら苦笑していた法子のその顔には、やがて陰湿かつ嗜虐的な笑みが浮かんだ。「でも、向かってくるなら、相手が子供でも、容赦しないよ。死ぬ覚悟のある真の勇者だけ、かかってきなさい」

 法子の言葉が決して洒落シャレや冗談ではないとわかると、子供たちはただ互いに抱きあって、肩を震わせた。

「くそ。弥咲を助けないと」

 勇ましい〈死守同盟〉の過激派である青年たちが、何人か縄で拘束されているにもかかわらずじたばたと往生際悪くあがき続けていたが、所詮は囚われの身、警官隊の特殊警棒による袋叩きで昏倒こんとうさせられるのがオチであった。

 村人たちが次々と血の海へ沈む絶望的な光景の中で、ただひとり、齢八十を過ぎた長老が、こんな提案をした。

「皆の者。よくわかったじゃろう。科学や国家が、わしらの故郷を守ってくれたか。否。何百年にも渡ってこの多々里村を守ってくれたのは、我らが守護神。わしらが崇め讃えるべきは、科学でも近代国家でもなく、我らが〈凶火神マガツホノカミ〉に、他ならぬ。皆の者。神を信じよ。祈りを、〈信仰〉を、捧げるのじゃ」

 困った時の神頼みとは何とも都合のいいことだが、今まさに自分たちの故郷を奪われようとしている彼らは必死に、それこそわらにもすがる想いで、土着神である凶火神に祈りを捧げたのであった。どうか私たちの故郷を守ってほしい、と。これまでさんざ科学やインターネットの情報を信じ、老人たちの言い伝え、土着神の信仰など眼もくれなかった比較的若い世代も、今回ばかりは同調し、どうか郷土を守ってくれ……というよりは、村を守ろうと必死に戦う巫女、そして彼女を守ろうと、勇気を振り絞って立ち向かった子供たちを守ってくれ、と、必死に懇願した。


 突如、空が眩しく輝きだした。


「何だ、あれは」

 警官のひとりが叫んだ。

 凄まじい光とともに現れた、紅く美しい怪鳥が、大空を舞っていた。

 人間の何倍も大きなその翼の後部からは、だいだいに輝く炎が、ゆらめきながら尾を引いていた。

「おお。よくぞ舞い戻られた。我らが守護神よ。何と美しい、何と神々しいお姿か」村長が歓喜のあまり眼尻に涙を流しながら叫んだ。

 霊能力を持たぬ一般人にさえ見える、その濃密にして強大な力。村人のほとんどがその存在を信じて疑わなかった時代の、最強の祟り神……そして、多々里村の守護神でもあった、神話の一説にも登場する神殺しの火、凶火迦具土マガツホノカグツチが、本来の姿を取り戻したのだ。

 多々里村の上空に顕現けんげんしたその邪神は、見る者すべてを魅了するほど美しく、そして敵対する者すべてを焼き尽くす厳めしさと凶々しさが、あった。

 完全に全盛期の力を取り戻した凶火神マガツホノカミは、眷属である巫女すなわち弥咲をその背に乗せ、しばらく空を優雅に飛翔していた。

「うっそ。何これやばくない」

 神の力によって傷がえたのか、あるいは壊れた身体を無理矢理動かされているのか定かではなかったが、とにかく多々里村の守護神〈凶火神マガツホノカミ〉の巫女である鶴舞弥咲は、何事もなかったように、平然と、驚いていた。無理もない。彼女が凶火神の完全な姿を見るのは、これが初めてなのだから。

「〈信仰〉が戻ったか。面白い」

 法子が心底面白そうに、笑った。わらったのでも嘲笑わらったのでもなく、笑った。

「ゲームとは、攻略が難しければ難しいほど面白い」

 不敵な笑みを浮かべてそう言い放った法子は、弥咲の血で赤黒く染まった錫杖をくるくると回転させ、地面に突き立てた。

「ナウボウ・バギャバテイ・ウシュニシャヤ・オン・ロロ・ソボロ・ジンバラ・チシュタ・シッダ・ロシャニ・サラバアラタ・サダニエイ・ソワカ」

 今までになく長大な呪文を唱えた直後、法子の背後で山のように不動となっていた大仏に、わずかに後光が差した。

 一方、多々里村の住人、警官隊、建設業者すべての眼にはっきりと見えるほど強大な力を得、現界した凶火神。背後の分厚い黒雲を炎で紅く染めあげ、無数の稲光が地を穿うがつ。

 人々は、自分たちの目的すらも忘れ、ただ神と御仏の決戦に、釘づけになっていた。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ア・ビ・ラ・ウン・ケン」

 法子が法術の呪文を一心不乱に唱え続けていた。

「風よ。炎よ。稲妻よ。大自然の神々よ。我らに力を」

 弥咲が玉串を振り、数十の札を一斉に宙に投げ放った。

「真言仏道奥義……」

 法子が詠唱を終えると、彼女の背後にそびえ立つ大仏が、光りに包まれた。

凶火神道まがつほのしんとう奥義……」

 完全なる凶火神の力を背景にした、先ほどよりもはるかに強力な火の雨が、弥咲の投げた数十の札から放たれ、地に降り注いだ。それは弥咲の絶妙なコントロールによって、多々里村の住人たちに被害を及ぼすことはなかった。が、逆に言えばそれ以外の者、特に彼らに仇なす警官隊やダム建設業者、そして法子には、容赦なく牙を剥いた。

「南無!」

 糸のように細い法子の眼が、大きく見開かれた。

 そして今まで微笑みを絶やさなかった大仏が、初めてその表情を強張らせ、両手を前に突き出し、両手首を上下に密着させて構えた。その両手の形状、阿弥陀経あみだきょうに出づる蓮華の如し。

ね、ふるき祟り神よ。〈天罰・仏陀の怒りギガフレア〉」

 法子がそう叫ぶと、大仏の全身を覆っていたオーラが両手に集中し、先ほどの〈仏陀の微笑みメガフレア〉よりもはるかに巨大な白き熱線が、弥咲と凶火神マガツホノカミに、襲いかかった。

「盟約に従い、我らが故郷と同胞たちを守護せよ、凶火神!」

 弥咲がそう叫ぶと、彼女を乗せた紅き火の鳥……凶火神が、両の翼を大きく拡げた。

 その前方で小さな炎の玉が、徐々に大きくなってゆく。

 ついに肉眼では直視できぬほど白く眩しく輝きだしたそれは、まさに第二の太陽と呼ぶに相応しかった。

「多々里村二千五百人の信仰を乗せてけ、〈信仰玉〉!」

 弥咲が、玉串を法子に向かって突き出した。

 同時に白く輝く灼熱の炎の玉が、法子と巨大大仏に向かって放たれた。

 多々里村の全住人の祈りが功を奏したか、凶火神マガツホノカミが放ったその〈信仰玉〉の威力はあまりに強力無比で、大仏が放った熱線を押しのけて突き進み、大仏の腹のど真ん中に、まん丸い風穴を開けてしまった。

 そして凄まじい破壊力を秘めた〈信仰玉〉の勢いは衰えることを知らず、警官隊や建築業者、建設半ばであったダムへ向かって、飛んでいく。


 辺り一帯は光に包まれ、凄まじい轟音とともに、歪なキノコ雲が、多々里村上空に上がった。

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