神仏非習合

Enin Fujimi

 天を仰ぐ、真新しく巨大な高架橋の麓に、ふたつの人影があった。

 ひとりは白い小袖こそでに赤いはかますなわち巫女装束に身を包み、小芥子こけしを思わせる黒いおかっぱ頭と耳の下にぶら下がっている一対の紅白の勾玉まがたまが印象的な女性。彼女の名は鶴舞弥咲つるまいみさき。日本の辺境にある多々里村たたりむらの多々里神社の巫女である。

 もうひとりは黒を基調とした着物に、きらびやかな金の五条袈裟ごじょうげさ、つまり僧衣に身を包んだ坊主頭……ではなく、派手な金髪のボブカットと、狐のように細長い眼が印象的な女性。彼女の名は妙典法子みょうでんのりこ。多々里村近隣の大仏おさらぎ町にある金剛寺の僧侶である。

 ふたりは好戦的な笑みを浮かべ、見つめあっていた。

 否。睨みあい、と言っていい。

「わざわざ隣町から遠路はるばるようこそ。妙典法子さん。仕事が暇すぎて遊びに来たのかしら? 多々里村はいいところよ。ゆっくりしていってね」無垢な笑みを浮かべ、弥咲は法子を歓迎した。

「南無」

 そんな弥咲の歓迎を一蹴するように、法子が錫杖しゃくじょうをひと振りした。

 何かを感じとったのか、弥咲はすばやく懐から御札を取りだし、前方にかざした。

 ……直後、弥咲の身体は、まるで大型トラックにでもはねられたかの如く宙を舞い、十メートル以上も後方へ、ふき飛ばされてしまった。

「挨拶にしてはずいぶんねえ」

 いきなり得体の知れない攻撃を受けたにもかかわらず、空中でひらりと身を翻した弥咲は、そのままオリンピックの体操のメダリストのように優雅に着地。余裕の笑みを浮かべていた。法子の法術に対し、御札を使って防御結界を発生させ、ダメージを無効化したのだ。

 すぐさま弥咲は右手に持った玉串たまぐしを天高くかざし、そっと眼を閉じた。

 法子の細い眼が、かすかに見開かれた。

「お返しよ」

 弥咲が玉串を振りおろすと、あろうことか彼女の前方に無数の大小さまざまな火の玉が発生し、法子へ向かって一斉に放たれた。

「〈韋駄天いだてん〉」

 法子が小さく低い声でとっさにそう呟くと、次の瞬間彼女はビデオのコマ送りのように、人類としてはありえないスピードで駈け、火の玉の集中砲火をかわした。

「その能力。かの神殺しの火、〈凶火迦具土まがつほのかぐつち〉の力か」法子もまた、その柔和な笑みを崩さずにいた。

「〈凶火神マガツホノカミ〉よ。無礼者」弥咲がいきなり顔をしかめて一喝した。

「神は神でも、たたり神だろう」

 法子はその僧衣に似合わぬ高価たかそうなルイ・ヴィトンの鞄の中から、黄金の三鈷杵さんこしょを取りだした。

「オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ」

 得体の知れない呪文を詠唱する法子。特に何の変化も見られなかったが、それは常人目線での話。

 弥咲の眼には、法子の背後にたたずむ巨大な千手観音せんじゅかんのんの姿が、しかと映っていた。

「祟り神じゃないわ。多々里村の守護神よ」

 弥咲が袖の下から先ほどとは違う術式の描かれた御札三枚を取りだした。それは彼女の手を離れ、重なり、くるくると回転しながら、炎をまとう巨大な火の玉と化した。

「南無三」

 法子が錫杖をひと振りすると、彼女の背後の千手観音が、幾百もの掌底しょうていを、弥咲に向けて放った。

 瞬間、弥咲の背から燃えさかる炎の翼が、生えた。彼女は空高く飛翔し千手観音の放った掌底をいとも簡単にかわした。

「消え失せろ、くそ尼」

 そして玉串を振りおろし、自身の前に作りあげた大火球を、法子に向けて投下した。

 大きさ実に数メートルもある高熱の球体は、時速二百キロメートルをゆうに超える猛スピードで、法子を完全に捉えていた。こんなものを生身の人間がまともに受ければ、直ちに消し炭と化すであろう。

「山火事にする気か。ばか」

 法子はあえてその場を離れずに、錫杖の底をがつんと地面にたたきつけ、眼を閉じた。

「オン・バサラ・ソワカ」

 法子が呪文を唱えると、先ほどまで背後にいた千手観音が消え去り、代わりに筋骨隆々とした巨大な金剛力士が姿を表し、両腕を大きく広げて大の字状になり、弥咲の放った大火球を受け止めた。

「ぐおお」

 身長五メートルはある強面の巨漢のその顔は苦痛に歪み、その眼尻からは涙がぼろぼろとこぼれていた。

 法子は眼の前に迫る火球の熱で汗だくになりながらも、精神を乱すことなくお経を唱え続けていた。

 数秒後、金剛力士はとうとう大火球を抱えたまま、その場でハンマー投げの選手のようにぐるぐると回転し、弥咲に向かって大火球を投げ返した。

 が、炎の翼を持つ弥咲は空中で優雅に身を翻し、火球を躱す。行き場を失った火球は、そのまま空を覆いつくす黒い雷雲の中へと消えていった。

「オン・ガルダヤ・ソワカ」

 法子の背中に、黄金の翼が生えた。

「知っているぞ。鶴舞弥咲」法子は、唐突に弥咲を指さして言った。「数日前に多々里村の各地で起きた火災。あれはお前さんの仕業だろう」

 弥咲は法子の指摘に対し、片眉を持ちあげ、肩を竦めた。

「ああ。あれは〈死守同盟〉の過激派がやったことよ。私は何の関係もないわ」

 多々里村死守同盟……要するに、多々里村の周辺に築かれる八重葉やえばダム建設反対同盟である。ダムの建設は、様々な犠牲を必要とする。水没する村に住んでいた人々が長年営々と築いてきた生活を、安々と奪ってしまう。山の生態系を根こそぎ変え、国や県の財政を圧迫し、それは最終的に国民の負担、すなわち税や水道代として、家計に重くのしかかってくる。まして今や人口減少時代に突入し、水の需要は減っている。にもかかわらず、多々里村を滅ぼす八重葉ダム建設計画は、着々と推し進められている。国や県の自治体、事業者は、ありとあらゆる方法で村の住民たちに圧力をかけ、あるいは一部住民を懐柔して分断を謀った。たとえば、村の土地を高値で買い取り、引っ越しの費用も全額援助するというもの。しかしこれで得をするのは一部の土地持ちだけであり、借家で暮らしている貧乏人は、ただ着の身着のまま他所の土地へと放り出されてしまうという落とし穴があった。何より弥咲は何百年と多々里村を守り続けてきた守護神〈凶火神マガツホノカミ〉を祀る多々里神社の巫女の末裔として、それを許すわけにはいかなかった。彼女はとぼけているが、真相は法子の言うとおり、弥咲が凶火神の力を用いて、多々里村を売ろうとした裏切り者たちを、火で罰したのである。

「とぼけても無駄だ。広目天ヴィルーパーク天眼通てんげんつうは、すべてを見透かす。あれはダム建設による多々里村、殊に多々里神社の消滅を恐れたお前さんが、〈迦具土カグツチ〉の力を使って見せしめに制裁を加えたのだ。証拠など残るはずもないからな」

「あのー。証拠もないのに人を犯罪者呼ばわりしないでくれます?」

 とぼけた顔をした弥咲は、二枚の異なる術式が描かれた御札を取りだした。

「風よ。炎よ」

 二枚の御札は彼女の手を離れ、それぞれ右前方と左前方に静止。

 やがて御札の間に、竜巻状に渦巻く小さな炎の渦が発生し、徐々にその規模を拡大していく。

 弥咲が玉串を振りおろすと、幅二メートル、高さはゆうに十メートルを超えるまでに成長した炎の竜巻が、法子に襲いかかった。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 法子が次の呪文を唱えると、空から突然巨大な不動明王が降ってきて、息を大きく吸いこむようにして炎の渦をすべて食べ尽くしてしまった。

「ふむ。これがあの悪名高き〈迦具土カグツチ〉の力か。他愛もない」

 法子は拍子抜けした、とでも言いたげに肩を竦め、いや味ったらしい笑みを浮かべた。

 そう、彼女の言うとおり。科学技術の発達によって天災や疫病の起こり方は次々に解明され、対策もわかってきた。人々は次第に得体の知れない神の存在よりも、科学を信仰するようになってしまった。情報技術の発達、特にインターネット、パソコンやスマートフォンの普及によって、片田舎の村落の若者や子供たちでさえ、親や年寄り連中の〈言い伝え〉よりもウィキペディアの情報を信じるようになり、また、信仰心を持った高齢者たちは徐々に亡くなっていく。神とは信仰する者がいなくなればその力を失い、やがて消滅してしまう。一世紀ほど前には村の守護神として崇められていた強大なる凶火神マガツホノカミの力も、今となっては風前の灯火であった。

「オン・アキシュビヤ・ウン」

 法子が呪文を唱え、錫杖を地面に突き立てた。先端に付けられた六つの輪がじゃらんと音を立て、同時に不動明王が弥咲に急速に接近、右拳を振りおろした。

「く」

 弥咲がとっさに小袖から護符を取り出し、自身の前に見えない結界を張った。

 が、ありあまる威力の明王パンチを受け切ること叶わず、結界ごと後ろへふき飛んでいった。

「〈韋駄天〉」

 間髪入れず法子が一瞬で弥咲の眼の前まで移動し、錫杖の柄で、弥咲の脇腹を殴打した。

 ばき、と、厭な音がした。

 そのままろくに受け身をとることもできずに横にぎ飛ばされ弥咲は、背中から木に叩きつけられ、地に沈んだ。

 もはや戦えまいと悟ったのか、法子の召喚した明王が背景に溶けこみ、そのまま消えていった。

「小林組の大工たちを襲ったのは、お前だろう。これに懲りたら、二度とあんな狼藉は働かぬことだ。この村のことは気の毒だが」

 法子は一瞬物憂げな顔で、天高くそびえ立つ高架橋を見あげた。ダムが完成した暁には、風光明媚な湖を横断する新国道の橋として、隣町である大仏町の観光資源となる予定である。

「しかし、すべては決まったこと。どんな理由があれ、お前さんが小林組の若衆たちを傷つけていい道理はない」

「くそ、畜生」

 弥咲は苦悶に顔を歪め、打たれた脇腹を抱えながらも、這いあがろうと地面でもがき続けていた。

 法子は神妙な顔つきで言った。

「無理をするな。肋骨をたたき折って肺に突き刺した。早く医者に行かんと死ぬぞ」

「うげ」

 弥咲の口から、どろり、と、大量の血がこぼれ落ちた。

「救急車くらいは呼んでおいてやろう」

 法子はルイ・ヴィトンのバッグの中からスマートフォン(それも最新のハイエンド機種であるワイフォーンテン)を取りだし、一一九番通報して、その場から立ち去った。

「待……」

 弥咲はもはや立ちあがることも叶わず、ただ遠ざかる法子の背中を、茫然と見つめることしかできなかった。

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