第7話 入院の時まで
岡本くんとみこっちゃんが付き合いだしたことは、思いの外みんなに伝わることはなく今まで通りの関係性のような、そうでないようなというのが続いている。
事情を知っている私と美羽ちゃんと中筋くんも、別に言いふらす理由もない。
「アイスクレープの準備はどんな感じ?」
美羽ちゃんが机の上にエプロンを置いている私に訊く。何故エプロンを置いているかというと、このあと放課後に調理室を借りて1度実際にアイスクレープを作ってみるからだ。
「作ってみなきゃわかんないね。美羽ちゃんこそ、看板とかポスターの準備はどう?」
「バッチリだよ。詳しくは中筋くんに訊いてみれば?」
文化祭実行委員の私と中筋くんは、お互いに制作と創作のチームの代表者として動いているため実情をあまり分かっていない。
「いいよ、別に。美羽ちゃんのこそ信じてるし」
そう言い残し、私はエプロンを片手に調理室へと向かった。
調理室では既に何名ものクラスメイトがエプロンを着けて待っていた。
「遅いよー」
くりっとした目と天然のくせっ毛が特徴的なクラスメイトが声をかけてくる。
「ごめんね」
短くそう告げ、素早くエプロンを着ける。そして、棚の中からボウルやおたまを取り出し1度軽くすすぐ。
「じゃあ、はじめよっか」
クレープの元となる生地を作る。薄力粉を使った作り方などもあるが、量の組み合わせなどで失敗をすると元も子もない上に、これは文化祭だ。言い方は悪いが、口にしてクレープだと思ってもらえればいい。だから、失敗の少ないであろうホットケーキミックスを使って生地を作る。
ボウルの中にホットケーキミックスをいれ、そこに卵、牛乳を投入し馴染むまでよく混ぜる。少しずつ牛乳を足し、混ぜていきよく混ざったと思ったところで生地になるそれを冷蔵庫へと入れる。
「ここまでは思ったより楽だったね」
「そうですね」
「でも本当にクレープっぽくなるのかが心配かな」
私の言葉のあと、いくつかの返答を挟みそんな声が洩れた。
「どういうこと?」
短くそう聞き返すと、それを言った浅黒い肌が特徴的な男子で、男子の中ではコーヒー臭いと有名な
「ホットケーキミックスで作ったらさ、やっぱり味もホットケーキっぽくなるんじゃないかなって」
「そんなことない! って言いたいけど、わかんないね。とりあえずできるまで待ってみようよ」
「そうだね」
安原くんは半信半疑の様子で、しかしここであーだこーだ言っても意味ないと判断したらしく、潔く引き下がる。
「とりあえず、冷やそうか」
生地の元となるかき混ぜられたホットケーキミックスが入り、重たくなったボールを持ち上げる。それから冷蔵庫の中に入れ、十分ほど待つ。
「そろそろかな」
本番だと早めに作って置いておかないと間に合わないだろうな。
そんなことを思いながら冷蔵庫の中からひんやりと冷えたボールを取り出す。
「じゃあ、安原くん。フライパン、準備してくれる?」
「了解ですよ」
コーヒーの飲み過ぎからだろうか、少し茶色に染まった歯を覗かせながら調理台の下の棚からフライパンを取り出し、ガス栓を開く。
「何でいまだにIHじゃないんでしょうね」
そんなことを零しながら安原くんはつまみを捻り、点火する。
「それはそうだよね」
黒髪を上のほうでひとつに束ねた小柄な女子が相槌を打ちながらバターを引く。
「準備はいい?」
「大丈夫だよ」
安原くんのその声を合図に、私はお玉の七分目あたりまで掬った生地の元をフライパンの中に流し込む。
「ここからは任せたよ」
その声に返事はせず、安原くんは無言でフライパンを器用に動かし、生地を薄く平らにしていく。
「いまだ!」
ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐると同時に生地を裏返す。きれいに裏返り、皺ひとつついていない。
「すごいね」
それを見ていた女子から声が洩れる。安原くんはそれに対して、何かを言うことはなかったが表情はうれしそうだった。
それから少し焼き、両面にこんがりと焼き色がついたところで生地を広げたまま、お皿の上に移す。そしてその真ん中にアイスを落とし、三つにたたみ完成だ。
「完成したね」
冷やした生地の元からここまで、およそ三分ってところかな。
見た目はかなりおいしそうだけど、熱々の生地にアイスを落としたから溶け出すのも早い。加えて、当日は人の多さなどの熱気もあり今よりも早く食べないと手が汚れること間違いなしだ。
「委員長、食べてよ」
安原くんが完成したそれを渡してくる。
「えっ、いいよ。食べてみたい人が食べればいいよ」
「まだ生地も残ってるんだし、みんなの分はみんなで作ればいい。だから最初は、一番頑張ってた委員長が食べてよ」
お皿の上にのったクレープを差し出して引こうとしない安原くんに負けた形でそれを受け取り、私はクレープを手に取り口に運ぶ。
瞬間、溶けかけのアイスのシャリ、という氷の感覚と少し甘さのある生地が妙にマッチし、口の中で温かさと冷たさが共存する意味不明な状態になる。頭の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜるそれは、単純に美味しいという解だけを伝える。
「どうでしょうか?」
恐る恐る訊く安原くんに、私は親指を突き立て「美味しいよ」と答えた。
「そうですか。それはよかった」
心底安心したような声音で洩らした安原くんは、すぐに調子を取り戻す。
「次々焼くよー」
その声に私の表情を見たエプロン姿のクラスメイトは、我先に食べんと言わんばかりに列を作った。
安原くんだけが作れても意味ないんだけど……。そう思いながらも、私はその様子を見守った。
そして次の日の放課後。私は久しぶりに中筋くんと2人きりになった。
「変な感じだね」
「そうだな。──大丈夫なのか?」
何に対する言葉なのか分からず首を傾げると、中筋くんは少し照れたように視線を泳がせる。
「階段の時のやつ」
階段のとき……? あぁ! リレーの代表決める時のやつか。そう言えば脚が痺れて階段登れない時助けに来てくれたっけ。
「大丈夫だけど、遅過ぎない?」
「わ、悪い。でも何だか話しかけづらくて」
「どういうことよ」
「だって誰にも見せたくないんだよね、ああいう姿。だから黙ってる。違う?」
文化祭実行委員が開かれるのは前と同じ図書室。4階にある図書室に向かうためには階段を登らなければならない。3階から4階へ上がる、その1段目に足を踏み入れた瞬間の言葉だった。ドンピシャすぎて返す言葉が見つからないでいると、中筋くんはさらに言った。
「だから2人になった時に聞こうと思ってたんだけど、遅くなって悪かったな」
「うんん、大丈夫。心配してくれてありがと」
踊り場を回り、残り僅かな段数となった階段を登りながら中筋くんは耳まで真っ赤にする。
「どうしたの?」
「べ、別に」
早口になると同時に、階段を登るペースも早くなる。
「はやいよー」
「そんなことはない」
笑いながらそう言っているうちに図書室に到着した。中には、既に何クラスか訪れているも今回は最後ではないらしい。第1回の時と同じような位置に腰を下ろすと、中筋くんは緊張した面構えで私の隣に座る。
「顔、固いよ」
「う、うるさいな。この前来てなかったからちょっと緊張してるんだよ」
小声で強がる中筋くんの姿がどうにも面白く、少し吹き出してしまう。
「笑うところじゃないだろ」
すると中筋くんは目を向き怒る。それがまた面白くて笑う。
そうこうしているうちに全クラスが集まっていた。
「いまから第2回文化祭実行委員会を始める」
その声と同時にこの前と同様に司会進行をする男子生徒の隣に座る女子生徒が立ち上がる。
「今回決めるのは各場所での店を構える場所よ」
凛とした様子からは想像がつかない可愛らしい声で言った女子生徒は、腰に手を当てながら続ける。
「例えば、体育館って場所は決まってても体育館のどこに店を構えるかは決めてないでしょ? それを決めるってわけよ」
「早い者勝ちでいいんじゃないですか?」
こんな人が委員長で良いのか、と思ってしまうほどチャラい男子生徒が気だるげに挙手しながら提言する。
「ほんとにいいと思う?」
間髪入れない返しにチャラい男子生徒は「ええ」と答える。それに対し、これだからと言わんばかりにため息をつき女子生徒は言う。
「まぁあなたは2年だし、そこそこの場所は取れると思うわ。でも、3年生に強く出られればいい場所を取ってたとしてもそこは取られるかもしれない。特に1年生なんかはそうよ。ほとんどが壁際に追いやられてしまう。そうならないために委員会で決めるの。わなった?」
先輩風を吹かしていきがる生徒封じって言うわけだ。
「はいはい、わかりました」
だるそうにそう言い、チャラい男子生徒は引き下がる。
「僕らって教室だよね?」
「うん、そうだよ」
「これ、関係ないよね?」
「そうなるね」
先輩が話しているのを邪魔しないために、小声で話しかけてくる中筋くんと少し会話をしているうちに体育館や正門付近に店を出すクラスの代表が前に集まっていた。
どうやら今からクジを引くらしい。
「体育館は分からないけど、正門付近ってやっぱり正門に1番近いところが売れそうだよね」
「だね。来て1番に目に入るのって大事だもんね」
声を抑えて話せば必然的にお互いの距離は縮まる。その事に不意に気が付き、私は慌てて顔を引き距離をとる。
「あ、ごめん」
私のその行動で察したのだろう。中筋くんはわかりやすく顔を赤く染め、うつむき加減で謝る。
「う、うんん。ぜ、全然……大丈夫」
ついこの間、岡本くんとみこっちゃんが付き合い始めた瞬間を目撃したばかりで恋、というものに敏感になってしまう。なんともない、なんともない。呪文のように何度も心の中で唱えても、教室で出すクラスの代表2人が距離を縮めて話している姿が目に入り、心に荒波がたつ。
な、なんでみんなあんなに距離が近いの?
いつもなら気にならなかったはずの距離感。
なんで? みんな付き合ってるの?
今までなら無視して来れたはずの感情。
仲良かった2人が付き合い始め、そこ影響を受けているのだろうか。私が私で無くなるみたいで──嫌だ。
そんな思いを巡らせているうちに、各場所の自分のクラスの持ち場が決まったのだろう。
「それじゃあ席に戻ってくれ」
と司会進行を務めていた渋い顔の男子生徒の高い声が響いた。
「次に話を進めたいのが有志ステージの件だ」
「募集をかけていたのはみんな知っていると思うけど、今年はその有志参加者が異様に多くてオーディションをすることになったの」
それを受け継ぐように、先程クジを仕切った女子生徒が言う。
「嘘だろ!? あんな黒歴史増幅器なんて使いたがるやついんのか?」
チャラい男子生徒は目を丸くして声を張る。
「言っていいことと悪いことがあるぞ」
短くそう放った司会進行を担っていた渋い顔の男子生徒。
「だってよ、ほんとのことだろ」
「そう思うか否かはお前が決めることではない。それにこれは学生時代のいい思い出になるだろう。決して黒歴史になるなんてことはない」
眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる司会進行の男子生徒。
「まぁ僕も出ようとは思わないけどね」
「それは同感」
隣の中筋くんから洩れた声に同調する。
それからしばらく有志の話し合いが進み、3年生達でオーディションの審査員をやることに決まり、あとは本番直前の打ち合わを残すのみとなった。
「各自クラスの状態を把握し、文化祭に向けて頑張るように。解散」
顔に似合わない高い声と共に、椅子が引かれる音がし次々と生徒が図書室を去っていく。
「お疲れ様です」
そう言い図書室を出ようとした時だ。
「ちょっと待って貰えるかな」
不意に私を呼び止める声がした。不審に思い振り返ると、「ごめんね」と呟く司会進行を行っていた男子生徒の隣で補佐を──と言うより今回は進行のほぼを行っていた女子生徒が私を呼び止めていた。
えっ? 私、何かやったかな?
「どうかしたの?」
ちょうど後ろに来た中筋くんが立ち止まる私を不思議に思ってか、声をかける。
「ちょっと先輩と話があって」
「へぇー、そうなんだ。じゃあ、お疲れ様」
私の返事にそう返し、中筋くんは図書室を後にする。
「よしっ、行こっか」
「はい」
言われるがままについて行くと、不意に女子生徒は口を開く。
「私の名前は塚本って言うの。よろしくね」
近くで見れば分かる透き通るような白い肌、それに相反する漆黒の瞳には私の姿がきっちりと捉えられている。
「は、はい。私の名前は──」
「いいよ。御影澪ちゃんだよね」
同級生でなければ接点もない、そんな人が私の名前を知っているという事実に驚き、言葉を発せないといると塚本さんは小さく笑った。
「え、どうして?」
塚本先輩に自己紹介をした覚えはない。しかし塚本先輩は私の名前を知っている。その事実が不思議で、不気味に感じられた。
そんな思考が態度に出ていたのだろうか。
「そんなに警戒されちゃ傷つくなー」
と、言われる始末だ。
「ご、ごめんなさい」
あわてて謝る私に塚本先輩は、やさしい顔を浮かべて告げる。
「いいよ。それに知らない人にいきなり名前を呼ばれちゃ怖いわよね」
その言葉に返事を困っていることを知ってか、先輩は再度口を開く。
「武中先生から聞いたの」
「えっ?」
「まぁ、驚くわよね。でも、先生なりに考えたらしいよ。私に言うか、
「益田くん?」
「あー、ごめんごめん。益田くんって言うのは、さっき中心に座ってて進行やってた男子よ」
あぁ、渋い顔のわりに声の高い人ね。脳内で顔と名前をリンクさせ頷く。
「一応彼が文化祭実行委員長で、私が副委員長。先生なりに考えて、同性の私に言ったんだと思うよ」
「そうなんですか」
短くそう答えると少しの間をおき、先輩は暗い声音で言う。
「がんばろうね」
その言葉にはいろいろな意味が含まれているようだった。おそらく、武中先生はすべてを語ったのだろう。
――私が心臓病で、後が長くないこと。そして、その上で委員を続けていくと決めたこと。
だからこそ塚本先輩は私を気にかけてくださり、話しかけてくれたんだと思う。
「ありがとうございます」
だからこそ余計なことは言わずに、私は短く謝辞を述べた。
それからの日々はあっという間だった。授業に文化祭の準備。
教室のあちらこちらに装飾が施され、その場で真剣に授業を行っている先生がミスマッチで面白かったことを覚えている。私たち調理班もどうやればより美味しいものを作れるかを毎放課後に試行錯誤して、ついに運命の日は訪れた。あの検査発表の日からちょうど一週間が経つ今日土曜日。
朝から両親の顔は暗い。弟の貴也ですら早起きして、心配そうな表情を浮かべている。
「きっと大丈夫だから」
お母さんは赤く腫らした目でしっかりと私を捉える。まるで目に焼き付けるかのように見つめられ、なんだか気恥ずかしくなる。
「うん」
私には気晴らしにもならない言葉を口にする。それだけでもお父さんとお母さんは本当にうれしそうに笑顔を浮かべる。あまりにも不細工で、私が触れてしまえば崩れてしまいそうな危うい笑顔。それに気づかない振りをして、私は着替えや生活用品等が入った大きめのエナメルバッグを肩にかける。
「いくぞ」
平静を装ったお父さんが車の鍵を手に取り、玄関へと向かう。
「お母さんが持つから」
それを追うようにして玄関へ向かう私に、お母さんがそう声を掛けてくれえなめるバッグを持ってくれる。
「貴也も行くわよ」
「うん」
元気のない、貴也らしくない声。
久しぶりの家族全員でのお出かけ。それが私の入院のため。
家族全員が車に乗り込み、お父さんがエンジンを掛ける。
エンジンがうなりを上げ、車は前進をはじめた。
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