第8話 始まる入院生活


 まだ朝が早いのか、声音一つ聞こえない。意識はだんだんと覚醒をしていく。起きたほうがいいのかな。

 そう思ったが、起きたところでまともに着替える必要はないということに気づく。それこそ学校に行く必要もない。

「思ったよりさびしいかな」

 この先どうなるかは分からないが、いまの時点ではまだ元気だという点から四人が同じ病室で入院する大部屋にいるにもかかわらず、そう思ってしまう。これから先1人部屋になった時とかどうなるんだろう。

「って今何時なんだろう」

 昨日寝る前に枕元にあるコンセントで充電をしていたスマホを手に取る。

 寝る前に触っていたこともあり、明るさ設定が低になっており少々見にくい。

 明るさ設定を普通に戻し、時間を見るとまだ7時にもなっていない。

「だから誰も起きてないのかな」

 ポツリと呟き、スマホをベッドの上に置く。瞬間、大部屋の引き扉がガラガラと音を立てた。

「皆さんー、起きてくださーい」

 聞き覚えのある若い女性の声がする。既に起きていたこともあり、直ぐに体を起こすことが出来る。

「澪ちゃん、起きてますか?」

 4人を区切るパーテーションを開けながら、朝からバッチリとメイクした川原さんの顔が飛び込んでくる。

「起きてますよ」

「おぉー、ちゃんと起きれて凄いねー」

 子どもをあやすような声音で告げられる。

「で、本津さんは今日も起きないんですか?」

 私の方から視線を外した川原さんは、そのまま私の斜め前にあるベッドに横たわる金髪の青年? おじさん? に声をかける。

 正直言ってどの距離から見ても彼の年齢が分からないのはある意味、彼の長所かもしれない。本津さんの声は聞こえない。やはり寝ているのだろうか。

「もぅ。毎日なんだから」

 そう言いながら本津さんと、その隣で入院している伴という小学生とを区切るパーテーションを開けようとした瞬間。

「きゃっ」

 川原さんの短くもかわいらしい悲鳴のような声が上がった。

 この声は確か……。私が検査結果を聞きに来た日に聞いた声。確かそのとき言ってた名前って――

「いつもいつもお尻触らないで下さいよ! 本津さん!!」

 そう本津さん。うわぁ、私最悪だ。変態さんと同じ病室だなんて。

 そう思っていることが顔に出てたのか、私の隣のベッドで転んだままの女性が声を洩らした。

「本津さん、ああ見えてセクハラするの川原さんだけだから」

「えっ、あ、うん」

 いまそんなこと言われて、はいそうですか、なんて言えるはずがない私はあいまいな返事で誤魔化す。

「まぁ、まだ信じられないでしょうね。でも、彼はそういう人よ。見た目はあれだけどね」

 苦笑交じりの声音で告げ、彼女は体を起こす。少しやせ気味のように見えるのは、入院服がだぼっと大きめだからだろうか。スポーツか何かをやっていたのか少し日焼けした肌は、入院なんて代物とは縁が遠そうだ。

「昨日入ってきたんだっけ?」

「あ、いえ。おととい土曜日からです」

 そう答えると、きれいに茶色に染められた髪の毛先を弄りながら、そっかと答える。

「私は堀麻鈴ほり-ますず。みんなからはまりんって呼ばれてるわ。よろしく」

 まりんさんは屈託のない笑顔を浮かべ、私に手を差し出す。

「はい、よろしくお願いします」

 勢いよく頭を下げ、まりんさんの手をとる。この夏が近い時期だというのに手先がかなり冷えている。その異様さに少し驚く。

「冷たいでしょ?」

 嘲笑を受かべるまりんさんに、どう答えていいのかわからずに黙っていると不意に声が聞こえる。

「川ちゃん、今晩あいてる?」

「何言ってるんですか! いい加減にしないと怒りますよ」

 どうやら川原さんと本津さんのやり取りのようだ。真横には小学生がいるにもかかわらず平気でそういうこと言っちゃうあたり、やはり本津さんのことは信用できない。

「あれ、毎朝だから気にしないほうがいいよ。まぁ、私の場合土日は関係ないんだけどね」

「そういえば、昨日の夜に帰ってこられてたみたいですけど、どうしてですか?」

「一時帰宅ってやつだよ。土日だけは帰ってもいいって言われてるの。まぁ、まだそこまでやばい状態じゃないみたいだからね。これがいつまで続くかなってところ」

「そうなんですか」

 そう言いながら、まりんさんは自分の手足を見つめている。おそらく握手したときの異様な手の冷たさ、あれが入院の理由に大いに関係しているのだろう。

「ほら、伴くんもおきてね」

 川原さんが一人ずつに声をかけ終わると、今度は一人ずつに体温計を渡した。

「計り終わったら教えてください。その後、朝食ですからね」

 全体にそういったが、おそらくは私に向けたものだ。目線がばっちり私を捉えている。


 体温はいたって普通。本津さんも伴くんも異常なしらいいが、まりんさんの表情は優れない。

「計れました」

 まりんさんの元気のない声を受け、川原さんは体温計を受け取り測定結果に目を通す。

「うーん、これならまだ大丈夫かな」

 そうこぼしてから、メモを取り部屋を出て行く。


 川原さんが部屋を出てからは、少しして本津さんが声を上げた。

「新入りさん。えっとー、澪ちゃんだっけ?」

「は、はいそうです」

「もうヤったの?」

「え、なっ、何なんですか!!」

 顔を赤く染め、目を丸くし、声を荒げる。

「何って高校生ならもうふつうっしょ?」

 何食わぬ顔で淡々と話す本津さんに殺意を覚える。

「まぁ、澪ちゃんなら無理か。そういうの、自分から弾いてるもんね」

「はぁ?」

 ほぼ初対面、ほぼ初しゃべりの人に対してこんなに感情的になったことはあっただろうか。そう思えるほどに、私は彼に怒りの感情を覚える。

「だって自分の人生いのちを知って、自分で自分の人生みちを閉ざしてるだろ? そんな顔してる」

「意味わかんないこと言わないでください」

 意味わかんないことない。全く以ってそのとおりだ。私は自分の病気を知ってから、みんなから距離を置こうとした。距離を置けば、みんな悲しまないそう思ったからだ。

「それを言えば隣のまりんちゃんもだけどね」

「急に私を巻き込まないでくれる?」

 冷たい視線を本津さんに浴びせながら、今までどおりスマホを弄るまりんさん。

「自分と似てる、そう思ったからさっき自分から話したんじゃないの?」

 本津さんのその言葉にまりんさんはピクリと反応を示し、動きを止め、ゆっくりと視線を上げる。

「その態度、わかりやすいね」

 にやにやと満足そうな表情の本津さんは、ベッドサイドテーブルの自分の前まで移動させ、その上にノートパソコンを置く。

「今から為替チェックしないと」

 そう一人でぼやき、彼は黙りこくった。その間、伴くんはたいくつそうにタブレットで動画を見ていた。

「朝食、お持ちしましたよ」

 川原さんはそう言いながら、私たちのベッドに取り付けてあるベッドサイドテーブルの上に質素な病院食らしい朝食をおいて部屋を出た。


 時刻はいまでようやく7時半。いままでより少し早めの朝食だ。

「いただきます」

 そうつぶやき、味噌汁の手をつけた。

「薄いでしょ?」

 心中を読み取ったかのようにまりんさんが言う。

「はい」

「もうちょっと濃くてもいいのにね」

 嘆くようにまりんさんが言うと、それに合わすように伴くんが口を開く。

「紙のがおいしいよ」

 紙……? ちょっと何言ってるのか分かんないんだけど。

「伴くん、何色がおいしいの?」

 楽しそうにそう訊くのは本津さんだ。こういう話題になるとすぐに入ってきたがる。

「濃い赤インクが刷ってある紙は食べ応えがある」

 げんなりした顔でほうれん草のおひたしを口に運びながら答える。

「嘘、だよね?」

 あまりにも真顔で答えるので心配になり口を挟むと伴くんは、それこそ嘘でしょ? と言わんばかりの表情で私を見る。

 な、なんでそんな顔してるの? 私が間違ってるの!?

「ここの部屋の人の基準、普通にズレてるからね」

 朝食のメインともいえる鮭の塩焼きの身を取りながらまりんさんは告げた。

「本津さんって何歳に見える?」

 まりんさんは取った身を白米の上に置き、訊ねる。

「え、えっと30歳とか?」

 ホントは35歳くらいに見えてるんだけど、たぶんそこまでもいってないよね?

「そう見えるのが普通よ。でも、実際は──」

「22だ」

 視線をあげたまりんさんに応えるように、本津さんは言う。

「えっ、うそ!?」

「澪ちゃーん、それは結構失礼だと思うよ?」

「ごっ、ごめんなさい。でも、何だか信じられなくて……」

「その気持ちよく分かるよ。顔、老けすぎだね」

 笑顔を浮かべながら、悪びれた様子もなくそう言い放つまりんさん。それに対して怒った様子も見せない本津さん。

 この部屋、変わった人ばっかり。

「あ、ちなみに私は何歳だと思う?」

「まりんさんですか?」

「そうそう。あ、それとまりんでいいよ」

「じゃあ、まりんちゃんって呼ばせてもらいます」

 残り僅かになった味噌汁を口につけ、まりんさん──じゃなくてまりんちゃんを見る。

 切れ長の大きな目、筋の通った鼻。正直いいパーツが揃いすぎてると思う。肌のハリもいいし、愛想もいい。って、これじゃあ年齢なんて全然わかんないよ。

「18歳くらい?」

 そう思いながら、自分と同じ年齢を口にする。

「残念。でもいい線いってた。私は20よ」

「え、そうなんですか?」

「何よー、その言い方」

「いや、もっと若いのかなって」

 少々困惑気味にそう言うと、まりんちゃんは大きく口を開けて笑う。

「いま私に気を遣ったでしょ?」

「そんなことないですよ!」

「なら嬉しいかな。本津さんと違って若く見えたってことだし」

「ひどい言い草だな」

 薄味の病院食を食べ終えた本津さんは、空になった食器を端に寄せ、パソコンを覗き込んでいる。

「いっつもあんなことしてるのよ。ほんと何してるんだか」

「株だって言ってるだろ」

「信じられないのよね」

「人を信じるってことを覚えた方がいい。なぁ、伴くん」

「んー、人は信じないかな」

「なんでだよ! まぁ信じてもいいことないけど」

 そんな会話を続けているうちに朝食の時間は終わり、お昼前には軽い検査みたいなものがあった。

 私にはどこを調べているのかもわからないような検査だが、必要らしい。

「あぁ、暇」

 そんなこんなで昼食を終え、時刻は14時を過ぎたあたり。本津さんは隣で昼寝をする伴くんの寝顔を見ながら、恨めしそうに言う。

「本津さんも寝ればいいじゃないですか」

「寝るのもしんどい」

 雲一つない青空を窓越しに見ながら私の言葉に返事をする。

「その言葉がだるいから」

 携帯を弄りながら、視線を上げることなくまりんちゃんは言い放つ。

「うるせぇ」

 そう短く告げると本津さんはベッドから出る。

「どこか行くんですか?」

「川原さんにセクハラしにいく」

「えっ……と」

「別に無理して返事しなくていいから」

 何も変なことは言ってないと言わんばかりのトーンで言い、部屋を出ていった。

「もうちょっとしたら賑わうんだけどね」

 部屋の出入口であるスライドドアが閉じ、本津さんの姿が見えなくなった瞬間、まりんちゃんは言った。

「どういうことですか?」

「お見舞いタイムよ」

「お見舞いですか」

 そう言えば、この部屋には4人もいるのに誰に対してもお見舞いが来てないわね。

「そうよ。今日って月曜日でしょ? だから、みんな学校とか仕事とかで昼間には来れないのよ」

「あぁ、そういうことですか」

「だからそれが終わる夕方とかはもうすっごいお見舞い来るわよ」

 どこか楽しそうにいたずらっぽい笑みを浮かべたまりんさん。

「そうなんですか」

 私のお見舞いにはどんな人が来てくれるのかな。

 そんな思いが心に巡る。

「まぁ、今日を楽しみにしてな」

 スマホをポチポチ弄りながらそう言うまりんさんを横目に、私はお見舞いに訪れる人に心踊らすのだった。

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