第6話 運命の水曜日
岡本くんの約束を果たすため、私はみこっちゃんに連絡を取り水曜日の放課後に遊ぶ約束を取り付けた。
そして時は過ぎ――今日がその運命の日。
「本当に助かった」
メガネではなくコンタクトを装着した岡本くんが頭を下げる。SHRが終わり、放課後になってすぐの昇降口には人がたくさんいる。その場所で、岡本くんは周りの目など気にした様子なく大きな声を上げるため、必然的に周囲の注目を集めてしまう。
「もういいから。もうちょっと静かにしてよ」
男女学年問わず向けられる視線に少し頬を赤らめる私。それにも気づかない岡本くん。
この調子だとみこっちゃんとうまくいくのかな?
そんな不安が脳裏によぎる。
「お待たせって、何で
みこっちゃんはわかりやすく怪訝な表情を浮かべ、私と岡本くんを交互に見る。
「もう一人いるって言ってたでしょ?」
「言ってたけど、普通このばかって思わないでしょ?」
「黙っていれば失礼この上ないぞ」
「ばかは馬鹿らしく黙ってて」
みこっちゃんに好きな人にそう一蹴されれば、何かを言い返すこともできず岡本くんは黙る。
「ま、まぁいいじゃん。とりあえず行こ?」
みこっちゃんのあからさまにいやな顔をよそに強引に話をまとめ、下駄箱から靴を取り出す。それを見たみこっちゃんはため息をつきながらも下駄箱から靴を取り出した。
「で、どこ行くの?」
危ない、そういっても聞きそうにない態度で歩きスマホをするみこっちゃんが訊く。それに対し、ここぞとばかりに得意げな顔をした岡本くんが口を開く。
「こ、こ、さ!!」
岡本くんは学校からそう遠くない駅前にあるショッピングモールの公式サイトをスマホで調べ、開いて見せた。
前もって調べていたのだろう。一瞬見えた検索履歴はそのショッピングモールの名前で埋め尽くされていた。
「イーオンね。ちょうどノートきれかかってたし」
岡本くんがいるのはついで、という体で話を進めていくみこっちゃん。
「澪はいいの?」
「うん、いいよ」
そう答えると、みこっちゃんはスマホをかばんの中にいれた。
「がんばるのよ?」
その様子を見ながら、岡本くんの耳元でみこっちゃんに聞こえない程度の声量で言う。
「わーてる」
岡本くんにしては珍しい小声でそう答えた。
イーオンの中は程よく効いた空調機のおかげで薄らと掻いていた汗が引いた。平日の午後四時過ぎだというのに、来店客は多く驚きを隠せない。
「とりあえず、何しょうか」
ここからはノープランらしい。ぐるりと周囲を一瞥し、岡本くんは焦ったような声音で零す。店内の客層はさまざま。主婦同士、同性の学生同士にカップル、それにお一人様まで。
「ばかに期待したのが間違いだったわ」
呆れた顔にそれに似合う声色でそう告げ、みこっちゃんは歩きはじめる。
「どこ行くの?」
「とりあえずノート」
私の問いに短く答え、みこっちゃんはエレベーターのある方へとまっすぐに進んだ。
4階建てのイーオンの3階。そこの文房具屋さんはあった。
店外から見受けられるでも、見たことない量のボールペンが売られている。
「こんなにあるの? すごいね」
思わず口をついて出る。
「でしょ? 特にこの会社のペンなんだけどさ」
そう言いながらみこっちゃんは、大量にあるボールペンの中から迷うことなく一本のボールペンをとる。黒ボールペンにも関わらず、青いグリップで異色の存在であるそれのノックし、芯を出し試し書きように置かれている、すでに様々な文字が書かれた紙の上にそれを走らせる。
「すっごい書きやすいんだよ」
楽しそうにそう言い、今度はそれを私に渡す。
「PENGIN社? 知らないな」
グリップの少し上に張られたシールに目をやるも、表示された社名に見覚えはない。
「私もそのペンしか知らない」
嘲笑気味にそう答えるみこっちゃんを横目に、芯を出しペンを走らせる。
滑らかに走るそれは、まるで氷の上であるかのように思わせる。その上、書いた後に滲みもなくなんだか少し字がうまくなった気すらする。
「何これ? やばいペンじゃん」
そうはしゃぐ私に、岡本くんは「うそだろ」と零しながら並べられた商品の中から私たちが使ったのと同じ青いグリップのついた黒ボールペンをとり、紙の上に走らせる。
「マジかよ。俺、これ買うわ」
結局私も岡本くんもそのボールペンを買い、みこっちゃんは当初の目的物であったノートを買い店を出た。
思ったよりも文房具屋さんで時間を費やした。そろそろ帰る? なんて声がみこっちゃんからあがるも、岡本くんが本題に入れていないためにとめる。
「私さ、スタボに行ってみたいんだよね」
女子高生なら一度くらいは行ったことありそうな、定番のお店を口にするとみこっちゃんが驚きの表情を浮かべる。
「行ってみたいって、今まで行ったことないの?」
「あるかないかで言えば、ないかな」
別にコーヒーなら家でも飲めるし、行こうと思ったことないんだよね。
胸中でそう零しながら、眼前で口をパクパクしているみこっちゃんに「どうしたの?」と訊く。
「どうしたとか、そういったレベルじゃないよ。澪、時代遅れ過ぎる」
「俺でも一人で寄るくらいだぞ?」
「あんたが一人で寄ってる姿は想像したくないけど、そういうことだよ。今から行っておこう」
2人の顔があまりにも真剣で、重大なミスを犯したような雰囲気になりながらスタボの前にある長い列に並ばされる。
「いつもこんなに並んでるよね?」
キャッキャ楽しそうな声を上げながら話す制服に身を包む女性たち。おそらく私と変わらない年齢だろう。
「これ見てもわかるでしょ? 高校生のお供なのよ」
どこか誇らしげに話すみこっちゃんが何かおかしくて吹き出してしまう。そのことでむっとしたのか、ただでさえ鋭い目さらに細めるみこっちゃん。
「笑ってないよ。でも、これが普通なんだなって思って」
普通でない私には、新鮮で同時に胸がきゅっと締め付けられるのがわかる。この普通も私にとってはあと少しの間だけ。もっともっとこんな風に過ごしていたいよ。
「えっ? 急にどうしたの?」
「スタボがそんなにうれしいのか?」
心配を口にするみこっちゃんと的外れな発言をする岡本くん。それを受け、初めて私が涙をこぼしていたことに気づく。
「あっ、えっとこれは……」
慌てて手の甲で涙をぬぐい、作っていると丸わかりの下手くそな笑顔を浮かべて嘘を並べる。
「目にゴミが入ったの」
本当の気持ちはただひたすらに隠す。それがみんなにとってで、私にとって大事なことだから。
「ほんとか?」
心配そうに訊いてくれる岡本くん。言葉を発せば涙声になってバレると思い、私は黙って頷く。
「それならいいんだけど」
心配を体現した様子でみこっちゃんは言い、前にできた空間を埋めるように少し前に進む。それに微笑みで返すと、みこっちゃんはレジの付近に立ててあるメニューに目を向けた。
「ねぇ、まだギリギリ春のやつやってるよ」
あと1週間で終了を迎える春限定商品を視界に捉えたみこっちゃんが声を上げる。ピンク色の液体がカップの中に入っているらしい。あと1週間で終わり、といこともあり他のお客さんもそのシリーズを買っている人が多いように見受けられる。
「みこっちゃんはどれにするの?」
涙が止まったのを確認してから訊く。
「んー、やっぱり期間限定ってのは魅力的なんだよね」
「わかる。今しか食べれないってのがいいよな」
「あんたにいいって言われると嫌なんだけど」
「なんでだよ!」
平常運転の2人を見ていると微笑ましくなるな。私なんてここにいらないんじゃ──。
「で、澪は何にするの?」
一歩下がり、2人の様子を眺めていた私にみこっちゃんは詰め寄った。
「私はなんでもいいよ」
「何でもはよくないぞ! 折角人生初のスタボなんだ、好きなの頼めばいいさ」
「う、うん……」
2人の優しい声掛けに、胸が熱くなるのを感じながらメニューに目を通す。
「じゃあ私は期間限定のさくらストロベリーピンクミルクラテにする」
「おっけー、私と一緒だね」
親指を立てたみこっちゃんがそう言うと、視線を岡本くんに向ける。
「あんたは?」
「さくらストロベリーピンクティーだ」
軽くウインクをしながらそう言った岡本くんに、分かりやすくため息をつきながら、ちょうど注文の順番が来た私たちを代表してみこっちゃんが注文という名の呪文を唱えていた。
その間に私と岡本くんで席をとる。スタボの店内の奥の方、深い緑色の大きな葉をつけた観葉植物の右隣に席。高校生の私にとっては少し大人な感じがする店内で声を潜めるようにして訊く。
「で、いつ
「そ、そろそろ?」
レジで会計を済ませている様子のみこっちゃんを一瞥しながら零す。
「疑問文じゃだめでしょ。何のために私が手伝って上げたと思っているの?」
「それ言われるとツラいから」
口をへの字にする岡本くんは、短いため息をつく。それはまだ告白出来てない自分に対してなのか、これから告白する勇気の問題なのか、私には分からない。
「頑張ってよね。タイミングは作ってあげるから」
体は大きいのに情けないな、なんてことを思っているうちにみこっちゃんがスタボのマークが入ったカップを持ち、私たちの取っている席にやってくる。
「お待たせ。702円ね」
カップを手渡しながら、みこっちゃんに立て替えて貰った額を伝えられる。
「うん」
財布の中からきっちりと702円を取り出し返すと、岡本くんが声を上げた。
「600円しかねぇ」
「ふざけてないでしょうね?」
「いや、まじで」
焦った顔の岡本くんをみこっちゃんは死んだ魚のような目で見る。
「わ、悪いって」
そう言って岡本くんは千円札を取り出し、
「お釣りはいいわ」
と、キザなセリフを付けてみこっちゃんに渡した。
「ほんとに貰うよ?」
300円も多く貰うことに少し気の引けた様子を見せるみこっちゃんに、岡本くんは格好をつけて「あぁ」と言った。
程よい甘さとストロベリーの酸味がマッチし、直ぐに飲んでしまい空になったスタボのカップを見つめながら立ち上がる。
「どうしたの?」
その様子を変だと思ったのか、みこっちゃんは素早く訊く。
「ちょっと」
私は顔の前に手を持ってきて、短くそう言ってのけた。すると同じ女子のみこっちゃんには要件が伝わったのだろう。察した表情で「わかった」とだけ告げた。
だが理解の出来ていない岡本くんは、「なになに?」と興味津々で疑問を口にする。
「ほんと、あんたって馬鹿だよね」
みこっちゃんからの蔑むような視線を受けても、眉間に皺を寄せ納得のいっていない表情を浮かべていた。
それを無視して、私は席を離れ入口から少し離れたところで足を止める。
「みこっちゃんを騙すようにして出てきたのは気が引けるけど……、頑張りなさいよ」
誰にも聞こえない程度の小声でそうこぼし、物陰に隠れて2人を見る。
「結局やることは同じか」
そんな時、不意に背後から見知った声がした。
「どうして?」
いたずらっぽい笑みを浮かべた美羽ちゃんと、その後ろに隠れるようにして中筋くんがいた。
「岡本の話聞いたし? 見学だよー、ね?」
「ぼ、僕はたまたまだよ」
話を振られた中筋くんは分かりやすく目を泳がせながらそう答える。
「嘘だよね」
「そ、そんなことないよ」
私の追求に、中筋くんは手をはためかせながら否定する。
「まぁまぁそれはいいじゃない。いまはあの二人だよ?」
知った顔で楽しげな美羽ちゃんはそう言いながら、岡本くんとみこっちゃんを指す。
「まぁーそうなんだど」
何だか怪しい中筋くんを横目で見ながらも、2人の方に意識を向ける。
正直に言うと声なんて聞こえない。イーオンの中にいるたくさんのお客さんと、店内に流れる放送でそのほとんどがかき消される。いくら岡本くんの声が大きいとはいえ、やはり告白という大部隊では声が小さくなっているように思える。
「何言ってるのかな?」
目的の2人は遠くに離れているというのに声を潜める美羽ちゃん。
「聞こえないね」
そう返したところで、岡本くんの表情が固くなったのが分かった。
「覚悟決めたっぽいね」
美羽ちゃんのその言葉に返事をすることなく、2人の様子を見守った。
固くなった岡本くんを茶化すかのようにみこっちゃんは笑顔をうかべる。しかしそれも束の間。いつものみこっちゃんらしくない、しおらしい態度になり、岡本くんから目を逸らすように俯く。
「言ったのかな?」
篭った小さな声で中筋くんが呟く。
みるみるうちに頬を赤く染めていく2人。恐らく岡本くんが覚悟を決めて、思いの丈をぶつけたのだろう。
らしくない2人の様子に見ているこちらまでが恥ずかしくなり、何だかイケナイことをしている気分になってしまう。
「僕たち見てていいのかな?」
同じことを感じ取ったのだろう、
「いいのいいの。こういうのも勉強だよー?」
しかし、それを楽しむような声音で返す美羽ちゃん。
「わ、私そろそろ戻るね」
「分かった」
タイミングを見計らうつもりだったが、今となってはいつがそのタイミングなのか分からないのでそろそろ戻ることにしてみる。
「はぁー、ほんとなんでこんな役回り請け負ったんだろ」
美羽ちゃん達の居たところから2人の元へと戻る僅かな間に、そう零し「お待たせ」という言葉と共に椅子を引く。
「お、遅かったね」
何も知らなければ、どうした、とツッコミたくなるほどの動揺っぷりを気にする様子を見せずに「そう?」と返す。
「あれ? そうでもないの?」
何が何だか分かっていないのだろう。みこっちゃんは慌てた様子で、中身の残っていないスタボのロゴが入ったカップを持ち上げ、飲もうとする。
「もうないぞ」
それに岡本くんは的確にツッコミを入れる。
「そ、そろそろ帰ろっか」
分かってるわよ、そう言わんばかりにカップを机の上に置き、そう言う。
「うん、そうしよっか」
私も居心地悪いし、という言葉は飲み込み席を立った。
その帰り道。みこっちゃんと岡本くんの2人の間に会話はない。というか、私も言葉を発さないので3人の間は静寂が支配していた。
「ね、ねぇ」
それを打ち破るように、私は告白する並の勇気を持って口を開く。
「なんだ?」
全ての事情を把握しているであろう岡本くんが返事をする。
「2人、何かあったの?」
ここで聞かなきゃ変だよね、そう胸中で吐露しながら訊く。
「べ、べつ──」
「俺が告白した」
岡本くんの告白を隠そうとするみこっちゃんの言葉を遮るように、岡本くんがそう宣言した。どうして、と言わんばかりの視線を向けるみこっちゃんに対し、岡本くんはバツが悪そうに頭を掻きながら口を開く。
「俺らの様子がおかしくて心配してくれたんだろ? それなのに隠すって変じゃん。別に悪いことやってるわけじゃないし」
知ってることではあるんだけどね。そう胸中で思いながらも、岡本くんは懇切丁寧にみこっちゃんを説得した。
「そ、そうなんだ」
その先が知りたいんだけどけね。でも、それ以上を訊くのは野暮で、これからの関係にヒビを入れそうな気がした。だから私は、それ以上を口にすることなく、口を
その時間も過ぎ、電車通学のみこっちゃんとは駅前で別れた。イーオンから駅までは徒歩5分ほど。だが、あの妙な空間に居たせいかその何倍にも感じられた。
「こんなことに付き合わせて悪かったな」
どこを見ているのか、焦点の合わない視線を前に向けたまま岡本くんは呟いた。
「うんん、いいよ」
「そう言ってもらえると助かる」
苦笑を浮かべた老け顔を私に向けた。私はそれを一瞥し、甲高いブレーキ音と共に動きを止める電車に目をやる。
「で、どうだったの? って訊いていいの?」
強い西陽で出来た2つの長い影が、ピタリと並ぶ。
「成功したよ」
足を止めた岡本くんが目尻に涙を浮かべ、ハッキリと言い切った。
「よかったじゃん」
「あぁ、本当によかった」
少し鼻声になった岡本くんを見て思う。誰かと付き合うってそんなに嬉しいことなのかなって。
契約書があるわけでも、それが永遠という保証はどこにない。それに下手すれば裏切られて傷つくこともある。そんな可能性すらも孕んでいるそれが、泣くほどのものなのか。
好きも、嫌いも、心の奥底に封印したつもりの私の心をざわつかせる。
でも、私の先はそんなに長くないから……。そんなのと無縁だな。ちゃんと、恋とかしてたらよかったな。
2人の
「これから色々と頑張んなさいよ」
誰目線で話してるのよ、と言われ兼ねない上から目線のセリフを残して私は駆けた。
これ以上一緒に居れば私も恋がしたくなるような気がしたから。今までのような私を振る舞えないような気がしたから。思わず病気のことを口走ってしまいそうな、そんな気がしたから。
背後から岡本くんが私を呼ぶ声がする。それを振り切るように、私は頭を振った。髪を振り乱し、一心不乱に走って、家へと帰った。
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