閑話その一
お姫様をさらいたい
☆救難ヘリコプターの愛称は実在のものとは異なります。
それから、少し動くと汗をかく季節がやってきた。勝利はあれから変わらず空港基地で機動救難士として職務にあたっていた。待機でない日は、本格的な夏に向けて海難事故を防ぐために各地で講習をしたりと忙しい。
そんな忙しいさなか、勝利は海音に航空自衛隊芦屋基地で行われる
「大丈夫だよな。今度の日曜日、朝早いんだけどさ」
「うん。大丈夫。ショウさんが活躍するのを見れるんやもん。楽しみぃ」
海音は一つ返事で答える。でも、勝利が口にした出動の意味を理解してはいない。
「他人事だな。ちゃんと動きやすい服にするんだぞ。許可証は海保から申請上げてるから問題ないな。あとは……」
海上保安庁は時に自衛隊とも協力して海難救助を行う。一般の人に理解を得るためにこうした救難展示をするのだ。
「カメラ持っていこうかなぁ」
「そんな暇はないと思うぞ。あ、風圧が凄いからな、待っている間に飛ばされるなよ」
「うん。うん?」
いまいち微妙に話が噛み合わないのは、勝利が重要なことを隠したままだからだ。海音は首を傾げながらも、あまりに気してはいないようだ。
「お仕事の話をしてるショウさん。やっぱりカッコイイ。すごく楽しみにしてる」
当日、自分の身に何が起きるのかなんて分かっていない海音は勝利にいつもの笑顔を向ける。
「俺も楽しみにしている。よろしく頼むな」
「はーい」
◇
そして当日。
午前四時。勝利は海音を起こした。まだ覚醒しきれていない海音は、大人しく言われるがままに行動する。
その反面、勝利の機嫌はよかった。海音を起こし、朝食を作り、必要なものを鞄に詰める。その笑顔の眩しいことといったら、仕事に行く男の顔とは思えないほどだ。
「いつもこんな感じなん? 勝利さんたちって凄いね。私まだ体も頭も動かんの」
「俺たちは夜勤もあるし慣れだよ。それより今日はありがとうな。引き受けてくれて嬉しいよ」
「私なんて、ただついて行くだけやし。なんの役にも立たないのに、こちらこそ呼んでくれてありがとう。自衛隊の基地も初めてよ」
「そうか。けっこう楽しめると思うぞ? 海音なら」
海音は言われた通り動きやすい服をチョイスする。ジーンズとシャツにパーカーを羽織り、スニーカーを履いた。ハイキングにでも行くような服装だ。勝利は仕事なの第四種と呼ばれる紺色の制服を着ている。勝利の運転で海上保安庁の航空基地までやって来た。初めて訪れる勝利の仕事場だ。
「私が入ってもいいと?」
「おう。許可は取ってある。基地までは
「えっ!? すごい!」
救難展示に使う救難ヘリコプターに、本日参加する隊員たちを乗せて航空自衛隊芦屋基地まで移動する。どんな手を使ったのか、まさかの一般市民も乗せて運ぶなんてあり得ない。
(お転婆娘め! にこにこご機嫌じゃないか)
嬉しそうに控えめに拳を握りしめた海音を見て、勝利は微笑む。
「海音さん! お久しぶりです」
そこへ救難ヘリコプターのパイロットである斎藤
「愛海さん! 今日はよろしくお願いします」
「よく引き受けてくれましたよね! でも、降下するのは隊長なんで安心してくださいね」
「ええ、彼が指揮する所を近くで見れるんですから光栄です」
「ふふ。私も極力揺れないようにホバリングしますね」
「はい、頑張ってください」
愛海にも引き受けてくれてと言われた海音は、大袈裟だわと肩をすくめる。
「よし、揃ったか。行くぞ」
「はい!」
飛行前の打ち合わせを済ませた勝利が戻ってきた。海音は現れた勝利の姿に釘付けだ。右上腕に救難士のワッペンがついたオレンジ色の制服に着替えていたからだ。海音が見たかったオレンジの繋ぎに、腰には何やら装備品が下がっている。
(ショウさん……かっこいい、ちかっぱかっこいいっちゃけどぉぉぉ!)
「海音も乗ったらヘッドホン着用な。海音、聞いているか」
「あっ、はい。分かりました」
「ぼうっとするなよ。自分の身は自分で守るのは基本だぞ。いいな」
「はいっ」
「ははっ。冗談。海音の事は俺が守るから安心しろ。ただ、気持ちは引き締めてくれな」
「了解です」
にっこり笑ってみせる勝利の顔は、二人でいる時とは違う。引き締まった笑顔は救難士、五十嵐勝利だ。いつものデレ顔はもうそこにはない。海音が見たかったオレンジヒーローがまさにそこにあった。
「こちら、シロチドリ1号。離陸準備が整った。指示を待つ」
「了解。現在、管制圏内に航空機はありません。離陸許可します」
「了解。シロチドリ1号離陸します」
パイロット2名、整備士、救難士3名、救急救命士。そして、海音を含む計8名の乗員が芦屋基地に向かって離陸した。
「10分で到着です」
「了解」
速い! と驚いた海音の表情を見て勝利はマイクで海音に告げる。
「いつもよりは、遅いんだぞ」
「そうなの!?」
これでも普段よりスピードを落としている。救難ヘリコプターは最高速度200キロを余裕で超える。本気を出したら2、3分で現場につくことができる。目をまんまると開けて驚く海音の顔に機内の全員が笑った。
◇
海音はまさか自衛隊の基地に空からお邪魔する事になるとは思わなかったはずだ。彼女にとっても貴重な一日のはじまりだ。
「海上保安庁シロチドリ1号、間もなく到着する。着陸位置の指示をお願いします」
「こちら芦屋エアーベース。シロチドリさんおはようございます。西45度の位置、黄色の円目指して着陸願います」
「了解です」
窓から下を見ると迷彩服を着た自衛官が手を振って誘導している。ゆっくりと着陸した。パイロットと整備士を残して、勝利らは控室に向かった。本日の展示の最終打ち合わせをする。
海音は初めて見る基地に興味津々だった。地上には見たことの無い航空機が展示されているし、空を見ると他の基地から応援で来たヘリコプターや航空機が降りてきた。音の凄まじさに思わず硬直する。
「8時過ぎだらどんどん上がりますよ。あ、その前にお客様がどっと入ってきますので揉まれないようにお気をつけください」
「あ、はい」
海上保安庁の救難展示はお昼直前に行われる。それまでは救難ヘリコプターの地上展示と救命胴衣の着用指導など行う。
「海音は時間まで基地内を見てきていいぞ。今日は米軍の戦闘機もゲストで飛ぶらしい」
「へぇ……」
「くくっ。よく分からないって顔をしてるな」
「だって、戦闘機は見たことないから」
「30分前には戻ってこいよ。あと迷子になるなよ」
「うん」
「あ、帽子。暑いから被っていけ。知らない男から話しかけられても無視しろ。自衛官でもだ。いいな」
勝利は海音に紺色のキャップ帽を被せた。見なくてもわかる、海上保安庁のものだ。
(海音、お前は
まさかの牽制のつもりだ。
「ショウさん。この帽子被ってるのに無視は出来ないでしょう?」
「制服を着ているわけではない。ここにはそんな人間はたくさんいる。だから問題ない。無視だぞ? いいな、無視しろ」
「ワカリマシタ」
自分は仕事で離れられない、けれど初めての海音にはいろいろ見せてやりたい。ひとりで回る海音に変な男がついては困る。複雑な心中である事を海音は察してくれるのか。
実際、勝利が心配するようなことはなかった。基地開放はまるでお祭りだった。早朝にも関わらず門には行列ができ、待ちきれない人たちの熱気があった。
すれ違う人の、見たことのない大きなレンズをはめたカメラに海音はギョッとする。一瞬、武器かと思ってしまった。なぜなら、そのレンズを大砲と呼んでいたのを耳に挟んでしまったからだ。
基地内には多くの屋台が並び、地域のB級グルメから様々な自衛隊グッズが売られてあった。その手のマニアさんや家族連れ、若い女性の集団や、一人で行動する人もいた。そこに共通してあるのは、空を見上げた時の笑顔だった。
「みんな、楽しそう」
それが初めて基地を訪れた海音の印象だ。自衛隊も勝利が所属する海上保安庁も危険と隣り合わせの仕事。彼らのお陰でこうして笑っていられるのだと改めて感じる。
時計を見るとそろそろ約束の時間になる。海音は人の波を掻き分けながらもとの場所に戻った。
「戻りました」
「どうだった基地は。意外と賑やかだろ」
「みんな楽しそうやった。小さい子もいてお祭りみたいね」
「じゃあ次は海音さんが見せる役ですね! 頑張ってください」
愛海がにっこり笑ってそう言った。
「私が、見せる……え?」
思わず海音は勝利の顔見た。
「その服の上からでいいから、そのツナギを着て待機な。海音。また後でな。よし! 行くぞ!」
勝利が隊員たちに号令をかけると、数名の隊員がヘリコプターに乗り込んだ。海音は残った救難士の一人に連れられて場所を移動した。それを見届けて勝利は扉を閉めた。
「俺のわがままにすまんな! よろしく頼む」
「りょうかいっ」
管制から指示をもらい、勝利が乗ったヘリコプターは誘導に従って上昇し海上で待機した。まだ、他の航空機の訓練展示が行われているからだ。
勝利たちはその様子を窓から見た。F−2戦闘機が基地上空を低空飛行し、爆弾投下の態勢をとった。そして、すぐに離脱。
「何回見てもあいつは暴れやがるな」
「それが彼らの仕事ですよ。にしても、下にいる人たちは毎回驚くらしいですよ。小さな子どもなんて、煩いって耳をふさいでます」
(まさか海音は大丈夫だよな。かなり近い場所で待機だったはずだが)
「隊長、間もなくです。
「いいもなにも、待ちくたびれてるよ」
「それは、ごちそうさまです」
会場では次のプログラムの案内に入った。さあ、ここからは待ったなし。
『続きまして、海上保安庁による救難展示です。中央に要救護者が助けを求めて手を振っています』
(おっ、ちゃんと手を振らされているぞ)
隊員から言われるがままに大きく手を振る海音が見えた。
『上空から要救護者の吊り上げ救護をいたします。パイロット、斎藤愛海二等海上
案内放送で、自分が降りていくと海音は分かっただろうか。考えただけで勝利の口元は緩んだ。
「隊長、ドア開けますよ!」
「おう!」
ーー ドドドド
ドアを開けると大型ヘリコプターのホバリング音、海から流れる風が勝利を勇気づける。
(海音、待っていろよ)
「安全フックよーし!」
「安全フックよーし!」
「降下!」
「降下!」
ーー シューーッ!
静かに真っ直ぐに、そして軽やかに。勝利は海音の隣に着地した。フックをワイヤーから素早く外して振り向いた勝利は、海音の顔を見て優しく笑った。海音は不安と驚きが混じっているような表情で固まっている。
勝利はすぐに海音の側に行き腰を下ろした。手早く吊り上げ用の安全装備を海音の体につけていく。そして未だ硬直したままの海音の耳元で囁く。
「お姫様を頂戴に上がりました」
「もうっ」
海音が勝利の胸を軽く叩いた。いま、やっと分かったと海音が口を尖らせる。勝利は海音を自分の腰を引き寄せて、今から上がることを告げた。
「上がるぞ。大丈夫だ、俺に委ねろ」
この太い腕は人の命を救うために鍛えられたもの。そして、愛する女を守るためのものだ。勝利の手に力が入る。
「はい。お願いします」
海音の言葉を聞いて勝利は腕をグルグル回した。その合図の後、フワッと地面から足が離れた。
ーー シュルシュルシュル、シューッ!
「ひあぁっ!」
ほんの十数秒。景色も流れるほど早く、周りの景色など見る余裕はない。ただ、この腕の中にある命は絶対に守る。いつもそう思いながら出動しているのだ。
(俺の仕事は危険なだけじゃないって、分かってくれ……)
勝利は海音を無事、救難ヘリコプターへ収容した。そして、残る隊員も収容完了した。
「ドア閉めます!」
「救護完了」
勝利は安全フックを外し、任務が終わったことを海音に告げるが反応が鈍い。見ればまだ海音は体を縮めたままだった。そして、勝利の制服の裾を握りしめたまま、一点を見つめている。
(無理、させたか……)
「海音。大丈夫か?」
勝利に言われて海音が我に返る。知らず知らず力いっぱい握りしめていた勝利の制服を、離そうとするがうまく外れない。何か言おうと開いた口もたどたどしい。
「あっ、りがと。あれっ……指、離れなっ」
「海音っ」
勝利は海音を強く抱きしめた。緊張と恐怖で強張った体に温もりを与えるように。そうしていると、やっと海音が力を抜いた。勝利は海音の背中を何度かさすった。
「本当によく頑張ったな。無理させて悪かった。ごめんな」
「ショウさん」
愛する女の鼻先が付くほど近くにある。名前を呼ばれじっと見つられていると、此処がどこだったか忘れてしまいそうだった。
「はいはい、はーい。隊長とお姫様に申し上げます。我々は帰還しまーすっ」
機長である愛海の機内アナウンスに二人してビクリと肩を揺らす。勝利は慌てて海音から手を離して保安官の顔に戻る。
「了解」
夢の救出劇はこうして幕を閉じたのだった。と言うのも勝利の念願が叶えられただけのとんでもない計画だったのだが。
職権乱用を海音に使ってしまった。けれど、海音には助けられる側の気持ちも知ってもらいたかった。救護がどんなに危険でも、助けを待っている人はもっと危険にさらさるているのだと。だから俺たちが行くんだと。
自分に万が一があっても、悔いはない。みんなの笑顔を守りたい。救難に関わるものはきっと、みんなそう思っているはずだ。
「さーて、俺は午後から休みだぞー!」
「隊長っ」
「ショウさんってば……ふふっ」
未来の夫はそういう仕事をしている。それだけでも分かってもらいたかったのだ。
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