第17話 俺たちも、帰ろう!
「いっ……くぅー! せ、せんせ、それ効き過ぎます」
無事に救出を成功させ、自力で泳いで帰還した勝利は今、衛生隊の世話になっていた。
「もう少し我慢してください。押しますよー。これは?」
「いってー!」
「なるほど。ではここは?」
「あーだだだっ」
「骨イっちゃってるのかな。うーん、たぶん大丈夫だと思うけど。レントゲンの準備をしていますのでお待ちくださいね。ご自分の感覚ではどうですか? 骨」
勝利は痛めた肩と腕をさんざん押されて捻られて、冷や汗ダラダラで診察を受けていた。
「ひぃ……え? 骨ですか。いや、折れてないと思います。問題は筋肉だろうなって……肉離れ起こしたときのと似ています」
「じゃあ、肉離れで」
「……先生。一応、レントゲンの結果を待ちましょうよ」
「そう?」
勝利を診察しているのも医師免許を持った自衛官だ。彼らのことを医官と呼ぶ。護衛艦には衛生隊といって医師、看護士の資格を持った隊員が乗っており、簡単な手術もできるように設備も整っている。彼らもいざというときは銃を持って戦えるよう訓練をしているらしい。
「なんか、扱いが雑じゃありませんか?」
「そんなことはないよ。これでもお客さんを診ている自覚はあるんだがね」
「えっ(こりゃ逞しくもなるぞ……自衛隊さんは)」
レントゲンの結果、勝利の腕や肩の骨に異常はなかった。しかし、筋肉に損傷があると見てMRI検査をすすめられた。任務も終わりに近づいており、勝利を乗せた護衛艦はジブチ共和国の港に寄港した。そこで精密検査をおこなった。
「五十嵐さん。我々の任務もそろそろ終わります。ひと月かけて帰国するわけですが、その頃には症状もある程度は落ち着いていると思います。しかし、よかったんですか? 飛行機で先に帰国するという手もありますが」
「いえ。私もみんなと一緒に海路で帰国します」
「分かりました。暇だからって筋トレなんて止めてくださいね。痛みが完全に引くまで動かすことは禁止です」
「はい、分かりました」
検査で筋腱移行部に損傷が見つかった。初めの頃はじっとしていても痛む怪我だ。とにかくアイシングをして患部の止血を促した。そして医官は、部下に包帯で患部を圧迫するよう指示をした。そうすることで筋肉への負担を減らすことができるからだ。
「全治、一、二ヶ月ってとこでしょう。まあ、のんびりいきましょう」
「ありがとうございました」
怪我をした者は場合によっては航空機で帰国することが許される。佐伯もそれをすすめたが、勝利は断った。これくらい怪我のうちに入らないという理由を押し切った。
(飛行機で帰ってみろよ。海音が驚くだろう? これ以上、心配させたくないんだ。それに、俺の勝手な判断でなった怪我だ。自衛隊さんに迷惑はかけられない)
「五十嵐。お前じゃなかったら、もっと大変なことになっていたかもな」
「なんだよ佐伯」
「お前がワイヤーを離していたらって、想像しただけで背中が冷える」
「その前に俺は勝手に飛び込んだ」
「飛び込まなけりゃ、あの男は死んでいたかもしれない。威嚇射撃までして曳船して、死者を出したとなれば問題にならにいわけがない。だから、あれは最善だった。そう信じている」
「佐伯にはいろいろと、苦労かけるな」
「それが俺の仕事だ。これも、俺にしかできないことだからな? 威張ってやるさ」
あの時の判断は正しかったのか。どんなに考えても答えは出ない。全ては結果が物を言う世の中だから、これで良かったのかもしれない。そんなふうにどこかで線を引いて納得しなければ、先に進む事ができないのだ。
当然これは糧にして。
◇
そして、待ちに待った任務完了の日がやってきた。次に任務にあたる護衛艦が無事にジブチ共和国に入港した。約二日間で引継ぎを行い、帰国する護衛艦は補給を済ませる。
「ご苦労さまでした」
「七ヶ月、頑張ってください」
任期を終えて去るもの、これから任務に励むのもは固く握手を交わした。
ラッパが鳴り響き、「出港!」の声で護衛艦は離岸する。日本の各基地からやってくるため、自衛官同士でも国内で接点をもつのは難しい。いつか、日本の何処かで会いましょう! そんな気持ちを込めて残る隊員たちに手を振った。
「五十嵐、ようやくだ。ようやく国に帰れる。国内だとそうは思わないのに、海外となると倍以上に有り難みを感じるな」
「佐伯は久しぶりだったんじゃないのか。家族とこんなに長く離れるのは」
「ああ。実習訓練以来かもしれんな。あれはあれでキツかったけどな」
「だな……懐かしいな」
海上保安学校を卒業すると99日間の世界一周実習訓練がある。将来幹部になる者の最初の現場での訓練となる。
「教官の鬼具合は半端なかったよな」
「今は女性保安官もいるんだろ? よく乗り越えたよな」
おじさん二人が昔を懐かしむ。それを見ていた金本がやって来て、自分の頃の話を始めた。
「女性保安官、ヤバいですよ。教官は何一つ彼女たちを優遇しませんからね。そりゃ、毎回怒鳴られて泣く子もいました。けど、帰る頃にはホント、男性より逞しくなってますね」
「だろうな……」
年々増えていく女性の進出は男性社会を変えつつあった。勝利や佐伯の時代は男しかいなかったし、男にしかできない仕事だと言われていた。男が海を守るのが当たり前だったが、今はもう違う。
「もともと俺たちより強いんだよ。女ってやつは」
「嫁さん持ちの佐伯が言うと重みがあるな。なぁ、金本」
「うわぁ。俺、家では優しい嫁がいい」
流れ行く景色は何も変わらない。キラキラ光る海面と、遠くに浮かぶ貨物船。どこにいたってこの海は大好きな日本に繋がっている。三人の男は目を細めながら、しばらく甲板に佇んだ。
「そうだ。例の海賊もどきの件なんだが」
暫くして、佐伯が思い出したように先日起きた事件のことを語り始めた。五十嵐と金本がこの任務で初めて処置した不審船の乗組員のことだ。
「あの、海に落ちた男は拳銃を船の側面から取り出したそうだ。小さな隠し扉みたいなものを仕込んでいたらしい」
勝利も金本も驚いた。船内は確認したし船体も見たはずだったのに、その扉には全く気づかなかったからだ。
「飛び降りてから拳銃を取り出したってことか! マジかよ」
金本は目を釣り上げて叫ぶように反応をした。
「えっまさか、それで俺たちを!?」
勝利も金本もそれしか思いつかなかった。抵抗しないと見せかけて、隠していた拳銃で隊員の誰かを脅して捕虜にしようとしたのではないかと。
「いや、違う。男は自殺をしようとしたんだそうだ。五十嵐の報告書にもあっただろ? 拳銃を自分の頭にあてたって」
「自殺……」
思っていなかった答えだった。
ソマリアという国は内戦が起きてから、新しくできた政府はなんの活動もしていなかった。そのために国民の多くは貧しく、漁師たちが海賊になったという説と、闇の組織が生まれ武器やボートを流して海賊を仕立て上げたという説もある。どちらにしても、海賊をして生活を支えようとしているのだ。
「作戦が失敗したのは自分のせいだということらしい。警備隊や警察に捕まれば一家全員に罪が課せられる。自分が死んで海に消えれば家族は助かると思ったみたいだ。彼らはもともと漁師だった。しかし、国がめちゃくちゃになってからは陸揚げした魚が売れなくなった。食べるために海賊になることを選んだというわけだ。そのリーダーがあの男で、捕まってパニックになったんだろうって」
佐伯の話を聞いて勝利が言葉をこぼす。
「家で待つ、家族のため……か」
あのとき勝利は、家族がまっているぞと叫んだ。それを聞いて我に返った男は正気を取り戻した。その時の光景を思い起こせば、平和に暮らす日本人が言う家族と、彼らが背負う家族の重みの違いをいやが応でも感じてしまう。
(家で待つ家族の環境が、あまりにも違いすぎる……)
「なんか、俺たちって……まだまだ軽いですね」
金本が言う軽いも、今の勝利ならば理解できる。世界はなんて広いのだろう。
「しかし! 我々は彼らの命を救ったんだ! 生きて帰す! 生きて帰る! が、俺たちの合言葉だろ? 誇ろうじゃないか、我々がしたことを」
ーーそうだ! 俺たちも帰ろう! 家族のもとに!
◇
七ヶ月前に見た港は残暑厳しい秋の頃。季節は移り行き、寒さ残る春を迎えていた。ゆっくりと堂々と、勝利たちが乗った護衛艦は横須賀港へと入港した。穏やかだった湾内がザワザワと波立つ。船首には日章旗が、そして、少し後ろに自衛艦旗がはためいている。
船首はしっかりと帰るべき方向に向いており、心なしか乗務している全隊員の顔は晴れやかだった。
(帰ってきたぞ! 海音!)
二隻のタグボートが護衛艦をサポートするように、ゆっくりと方向を換えて接岸作業へと入った。
『乗務員は着岸準備に入れ』
作業をしない隊員は甲板に出て、出迎えの人々に向かって大きく手を振った。私たちはみな、元気です! と伝わるように。
そして、とうとう上陸の時がきた。海上自衛隊員が整列し、順に艦から降りていく。出迎えの家族が姿を見つけて「おかえりー」という声が港に響き渡った。最後に帰還式が待っているので、家族との対面はもうしばらくお預けだ。
「五十嵐。彼女は見つけられたか」
「まだだ」
「五十嵐隊長なにやってるんですか。早く見つけてあげないと」
「金本おまえは、本当に生意気だなぁ」
八名の海上保安官もあとに続いて艦から降りた。勝利が敬礼をしながら隊列を組んで歩いていると、不安げに視線を彷徨わせる海音がいた。
(海音!)
声をあげそうになるのをぐっと堪えて、俺はここだと熱い視線で海音をロックオンした。
想いが伝わったのか海音はそれに気づき、待ちきれないと係員に静止されるぎりぎりの所まで走ってきた。それを見たら勝利も我慢できない。
「海音!」
「勝利さんっ!」
満面の笑みで迎えてくれる彼女を見ると、勝利はなぜか泣きたくなった。
長い帰還式が終わりやっと解放されると、勝利は海音を探した。あちこちで家族に囲まれる隊員たちの間を縫って、あの愛おしい姿を捉える。
「海音! ただいま」
「お帰り! やっぱり出発前よりも日に焼けたね。でも、他はなにも変わってない」
目元には涙をたくさんためて、喉の奥から何でもないように絞り出す声は、いつもの彼女の声ではない。
「なんだよ海音。泣いているのか?」
「だって、だってぇ……」
張り詰めた緊張が切れたのか、ずっと強がっていた海音の心はその言葉で崩れてしまった。勝利の元気な姿を確認して心から安心したからだ。海音は「だって」から先の言葉が喉の奥に詰まって出て来ない。
勝利は子供のように涙を流す海音を、少し離れた場所に誘導した。そして、自分の帰りをじっと待ってくれていた海音の背中を優しくさする。本当は抱きしめてやりたい、きつく抱いてこの胸の中に閉じ込めたい。しかしまだ痛む腕がそれをさせてくれなかった。
「頑張ったな。海音、ありがとう」
「ううん。頑張ったのは勝利さんでしょう? お疲れ様でした。お帰りなさいっ」
「うん。ただいま、海音」
海音も本当は他の家族のように抱きついて迎えるはずだった。でも、できなかった。こんなに近くで顔が見られて、声が聞けて、触れることができる。それだけで胸がいっぱいだったから。
「ごめん。泣いちゃった」
勝利は海音の頬に流れる涙を指で掬った。でも、流した涙が多すぎで指ではとうてい拭いきれない。
「ずいぶんと泣かせてしまったな」
勝利はそう言いながら、ポケットからハンカチを出して海音の頬を押さえてやる。
「あ、ホテル。前に泊まったところと同じなの。今夜はゆっくり休んでね」
「ありがとう。そうさせてもらう」
二人は手を繋いで、ホテルまでの道のりをゆっくり歩いた。互いに顔を見合っては、言葉はいらないと言うように微笑んでまた前を向いた。
やっと二人きりになれた。やっと存分に愛し合える。心は天に舞い上がりそうなくらい軽やかだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます