第16話 家族が待っているんだろ!

『目標まで、三分!』


 護衛艦から切り離されるように複合艇は出動した。波しぶきを上げながら、まるで高速道路を走るように急接近した。


「停船!! コンタクト開始」


「ディスイズ、ジャパン マリン セルフ ディフェンスフォース」


 隊員に緊張が走った。これまで幾度なく不審船に近づき、目的確認、航路変更の依頼、また変な気を起こさないようにと啓蒙活動をしてきた。それは殆どが普通の漁船であったり、ときには遭難船であったり、亡命中であったりした。今回違うのは武器を所持していたと言うことだ。


 自衛官が無線ではっきりと自分たちの所属を告げる。我々は日本の海上自衛隊であること。そして、あなた方に敵意はないということを伝える。彼らは両手を上げたまま『ソーリー悪かったヘルプ助けてくれ』と、訛りのある英語で応答した。


「Do you have any weapons?」

ーー 武器は持っていないか?

「Nothing 」

ーー ない


 そんなやり取りを慎重に重ねた。何隻かでチームを組んでいたらしいが、他の船は他国が監視する海域に入ってしまったのか見当たらない。


「武器はすべて海に投棄したと言っています! 仲間の船とは逸れたようです」

「曳船するが、それに対してはどうか聞いてくれ」


 相手が本当のことを言っているのかを見極めるのは大変困難であった。ましてや、外国人でしかも普段の生活では接点のない者たち。


「我々に従うそうです」

「では、船内捜査に入る! 保安官の二名を間に挟め!」

「了解!」


 操縦士と監視員を残して、隊員の指示に従い勝利たちは乗船した。


 まず、船のエンジンを停止させ乗組員全員を一箇所に集めた。勝利と金本は自分たちの身分を知らせるため、胸に書かれた『Japan Coast Guard』という文字を見せた。銃を持った隊員が見張る中、勝利と金本は船内の捜査をする。


「船内に武器なし!」

「薬物らしきものもなし!」


 勝利と金本は護衛艦で待つ佐伯に無線で報告。乗組員が武器をすべて投棄したこと、抵抗する様子もないことを告げる。


「五十嵐保安官、どうしますか?」

「威嚇射撃はしましたが、直接的な抵抗をされていません。このまま大人しく曳船されるのであれば、保護扱いで沿岸警備隊に引き渡して判断を任せてはどうかと」

「了解した」


 両手を上げたまま降参の意志を表した数名の乗組員に、沿岸警備隊に引き渡すことを説明。護衛艦までは複合艇で曳船することになった。


「金本ちょっと」


 勝利は金本をそばに呼び耳打ちで確認した。


「あいつら、どう思う。無抵抗でついてくると思うか」

「少なくとも、武力でどうこうってのはなさそうですが……」

「そうか」


 勝利は自衛官と彼らのやり取りを疑ったたわけではない。彼らが話す訛りのひどい英語から、真意を読み取ることができなかっただけだ。だから勝利は警備隊である金本に聞いた。


(確かに、武器は何一つ残っていなかった。身体検査も何も隠し持ってなかったしな……)


 でも、なんとなく目を離すことができない。


『曳船開始します』

『了解。十分に気をつけて』

『ラジャ』


 護衛艦に連絡を取り、静かに不審船を引きはじめた。勝利は未だ彼らをじっと見ていた。なぜか一人の男から目が離せない。捜査中は怯えたような目で『ソーリー、ソーリー』と繰り返していた男だ。

 その様子に気づいた金本が口を開く。


「五十嵐隊長」

「ん?」

「なにか気になりますか」

「んー。よく分からんが、目を離すわけにはいかない何かを感じている」

「護衛艦まで数分です。俺もしっかり見ておきます」

「おう。気を緩めるなよ」



 間もなく護衛艦と合流だ。ほんの一瞬だけホッとして彼らから目を離してしまう。そう、ここにきて誰もがそんなことが起きるとは思っていなかったからだ。


ーーシャバン!


 勝利の耳に嫌な音が入った。派手ではなく静かに気づかれないように行われた行為。それにいち早く反応した勝利は叫んだ。


「おいっ!」


 その声に全員がハッとする。


「誰かが飛び込んだ!」

「海に落ちた!」

「逃げたぞ!」


 そんな言葉が一斉に飛び交う。

 船上に残っている乗組員も分かっていないのか、勝利たちのざわつきに視線を泳がせていた。


「エンジンを切れ! 船の上にいる全員を保護しろ! 落ちたのは何人だ!」


 焦るのも仕方がない。こんな場所で海に飛び込んだら、スクリューに巻き込まれて命はおろか、体は悲惨なことになる。


『曳船中、おそらく一名が落水。救出要請』


 誰も潜水装備をしていないため、救難隊の出動を待つしかなかった。そんな中、勝利は暴れながら海面を彷徨う男の姿を見つけた。


(見つけた! 溺れているのかっ)

「三時の方向に人影あり!」


 それを確認した勝利は命令も待てずすぐに動いた。


「金本! これを頼む」

「隊長! なにしてるんですか! まさか、そのまま入る気ですか!」

「時間がない! あいつ沈むぞ」


 勝利は身につけていたヘルメットも防弾ベストも取り払い、腰に差していた拳銃などすべてを金本に渡した。最後にブーツも脱ぎ捨てる。


「すみません! 救難隊を待っている時間はありません。先に入ります! 責任は!

俺がなんとかしますから」

「待て! 五十嵐保安官!」


ーーザブン!


 乗船部隊の隊長の制止も間に合わず、勝利の姿はもうそこにはなかった。





 勝利には見えていた。男がなにかおもりになるようなものを持ったままである事を。素人が服を着用したまま物を持って落ちればどうなるか、勝利には一目瞭然だった。

 幸い波は穏やかで、男が酸素を求めて足掻いている姿は見失わずに済んだ。


「おい! 大丈夫か! 暴れるなよっ……っ、大人しくするんだ!」


 勝利はすぐに溺れる男の背後に回って救出の態勢をとった。しかし、いきなり外国の軍人と思われても仕方のない男から背後を取られたのだ。男は逃げようと藻掻きはじめた。


「おいっ! 死にたいのかっ」

「ノー! ノー!」


 このままでは勝利も一緒に沈んでしまう。どんなに言い聞かせても男は暴れる一方だった。それもそのはず、勝利は日本語で呼びかけていたからだ。


「くっそ。そうか、通じてないのか。なんて言えばいいんだ。……Don't worry!(大丈夫だ!)」


 英語が苦手だなど言っている場合ではなかった。通じるまで勝利は叫ぶつもりでいた。


「I am not an enemy!(俺は敵ではない!)trust me!(信じてくれ!)」


 すると、男はゴボゴボと海水を飲みながらも勝利の言葉に何とか答えた。


「help……me」

「オーケー、オーケー。絶対に助けてやるから力を抜けっ」


 その時、男が突然腕を上げた。なんとその手には拳銃が握られている。その拳銃をおもむろに自分の頭に当てた。


「待て! お前、どこに隠し持っていた! Don't move!!(動くな!)」


 勝利は咄嗟に男の手首を掴んで空に向けた。どんな性能の拳銃なのか分からないが、一度水に浸かったものを発泡したら、銃そのものが爆発しかねない。勝利は海の中で立ち泳ぎしながら、男の興奮を鎮めなければならなかった。なんとか男の指をトリガーから外したい。


(くっそ……なんで持ってた! どうする。こなのままトリガー引かれて暴発したら、指ごと爆ぜてしまうぞ……。潜るか、一か八か潜水して……)


「ノー! ノー!」

「ああっ、くそが! おい、落ち着けよ! てめえにも待っている家族がいるんだろ!?」


 勝利は背面になって男ごと海に潜った。潜る覚悟の無かった男はゴホゴホと口から酸素を吐いてしまう。あまり、深くは潜れない!


「プハーッ! おい、離したか!」


 ぐるんと水中で回転した勝利はすぐに海面に顔を出した。男の腕をもう一度上げると、そこに拳銃は無かった。


「よし! おい! しっかりしろ!」


 男は声を発しなくなってしまった。上空で救難隊のヘリコプターがホバリングを始めている。


(あと、ちょっとじゃねえか! 絶対に死なせない!)


「家に、帰るんだ! ユア ファミリー イズ……ウェイティング!」

ーーお前の家族が待っている!


 勝利はありったけの声を出して男に叫んだ。しかし、ヘリコプターの音が邪魔をして、声が届いているか分からない。ヘリコプターの振動で波が大きく打つ。何度も海水が頭を覆って、太陽の光がチカチカ嘲笑う。


「負けてたまるかー! お前は家に帰るんだ!」


 勝利はそう叫んで男の顔の水を手で拭った。すると、男も叫んだ。


「Mom!!」

「そうだ! 絶対に帰るぞ!」


 上を見ると救難士がシュルシュルとワイヤーを伝って降りてきた。勝利は無意識に、そのワイヤーを片手で手繰たぐって降下をサポートした。


「大丈夫ですか!」

「すみません。かなり水を飲ませてしまった。あがったら吐かせてやってください!」

「了解です。五十嵐さん、あなたは大丈夫ですか」

「問題ないです! これでも元トッキューなんでね。何があっても死にはしません。さあ、早く上がってください!」

「分かりました! すぐにあなたも」

「俺は泳いでボートまで戻ります! あとは宜しく」

「はい!」


 勝利は男を固定して登っていく救難士を再び下からサポートした。もう少しで到達するのを確認し、なんとか助けられたことに安堵した。

 その矢先!


ーーブオンッ!


 突然の強い横風にヘリコプターが大きく流れた。吊られたままの隊員と救助者も横に大きく振られる。


「っ! くそ、離すな俺!」


 当然、下でワイヤーを握った勝利も大きく動いた。思わず離しそうになったそのワイヤーを肩に巻きつけて揺れないように押さえた。

 ミシミシと軋む音がして、肉にめり込むようにワイヤーは勝利の腕を締め上げる。


「耐えろ! 俺が離したら、二人とも死ぬんだぞ!」


 もしも弾みで跳ね上がったワイヤーが、ヘリコプターの羽に触れでもしたら……。二人どころか機体ごと海に墜落してしまう。


「腕の一本くらい、くれてやる!」


ーー ドドドドドド……


 ヘリコプターの音を聞きながらワイヤーをしっかりと握り直す。



 こんなに空は青いのに、こんなに海は穏やかなのに。見えない敵は、彼らのすぐそばにあったのだ。

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