第13話 いかなるときも紳士であれ

 勝利たちが乗った護衛艦はタグボートからも離れ、いよいよ目的地へ向けて航行を開始した。船首がゆっくりと太平洋に向くともう見送りの人々の姿は見えなくなった。


『全乗員、配置につけ』


 艦内放送があり、勝利たちも艦内へ移動した。暫くは日本領海を航行するので、危険に脅かされることはないだろう。今回の任務で統括を任された佐伯は胸ポケットから手帳を取り出す。


「さて、我々はまず海上自衛官との交流だな。アデン湾につくまで、けっこうな訓練が予定されているぞ。親睦を深めつつの、情報共有だ。五十嵐隊長、分かっているよな」


 佐伯が統括で勝利は隊長だ。佐伯は主に事務方の仕事を任されているため、実務においての責任は勝利が担うことになる。現地で事案が発生すれば、海上自衛隊の要請に応じて対処しなければならない。


「分かっていますよ、統括殿。警戒訓練、威嚇射撃訓練、乗船部隊突入、逮捕訓練、それから......ああ、国際親善訓練だっけな。全然のんびりできないじゃないか」

「おい、英会話も怠るなよ」

「うわぁ、俺、苦手なんだよな。舌、うまく咬めねぇよ」


 英語が苦手だと唸る勝利を見て、金本が笑う。


「咬んじゃだめですよ、せめて挟むくらいにしてください」

「なんだよ金本、生意気だな。お前得意なら、これにカタカナ振っておけ」

「勘弁してくださいよ。カタカナじゃ表せないですから」

「ああっ!? ますます生意気だな。おっさんをバカにしやがって」

「してませんてー」


 佐伯は二人のやり取りを見たらため息をつくしかなかった。


「やれやれ。困ったもんだなお前たちは。頼むから問題児認定だけはされないでくれよ」


 とにかく英語は外すことができない。この海賊対処は国際活動の一環でもある。日本船舶だけでなく、その区域を航行する他国の民間船舶も護衛しなければならない。むしろ、英語しか話さない可能性だってあるのだ。そうは言っても、まったく英語が分からない、話せないというわけではない。でなければ、今回の任務に選ばれるわけがないのだから。


「まじで英語、苦手なんだよな......」


 海賊対処法ができてから、国際社会と連携するために海上自衛隊が中心となり問題の海域で活動をすることになって久しい。本来であれば海賊の取り締まりは海上保安庁の仕事である。しかし、日本の領海から遠く離れた外国で、相手は武装していることから自衛隊が対処に当たるのが望ましいとなったのだ。それでも、拘束した海賊や不審船の引き渡しは警察の役割を持つ海上保安官がしなければならない。だから、この任務に参加しているというわけだ。


「とりあえず、ご挨拶からだな。金本、お前も来い。海上自衛隊あちらさんの特別警備隊とも顔見知りになっておけ。乗船作戦ではお世話になるだろう」

「そうですね。行きましょう」


 金本は第五管区が誇る優秀な若き特別警備隊員だ。将来は恐らく佐伯のように上に立つ人間になるはずだ。


「ご挨拶っても忙しいぞ。俺たちが乗っている船より遥かに大きい。しかもあちらこちらに隠し扉が仕込まれてある。おっと、こけるなよ」

「確かに、我々の船に比べたら突起物が多いように思えますね。って、隠し扉なんて言わないでくださいよ。恥ずかしいですから」

「恥ずかしがる前に、目的地につくかの心配をしろ」

「え……うそですよね」


 勝利が所属する管区で一番大きな巡視船でも全長130メートル。しかし、自衛隊の護衛艦は小さくても150メートルで、大型になると200メートルにもなる。この中に任務と生活をするための全ての設備があるのだ。しかも、勝利が乗っている船は中型のものだ。最新のいずも型護衛艦でないにしろ、普段乗る巡視船とは比べ物にならなかった。


「よそ様の艦の中なんて知るかよ……艦内見取り図見ても分からねえーよ」

「えー、マジっすか! じゃあ俺たち今、どこに向かってるか分からないんですか! うわぁ、最悪だ」

「煩いやつだな。安心しろ。一度通ったところは覚えている」


 果たして、迷わずに各部隊にご挨拶ができるのか……。






「おや? そちらは海上保安庁からの?」


 お前が先に行けだの、そこはさっき通っただのと二人がなすり合っているところに声をかけられた。


「はい。ちょっと、迷ってしまいまして。申し遅れました。海上保安庁から参りました、五十嵐勝利と申します。そしてこれは部下の金本賢太です」

「金本と申します!」

「そんなに改まらなくても大丈夫ですよ。偉い人間ではありませんから。私は鹿島海戸かしまかいとと言います。よろしくお願いします」


 人当たりの良い笑顔で返す鹿島は、海上自衛隊第一護衛艦隊軍に所属する三等海佐だ。五十嵐よりは年下で、金本よりは年上といったところだろう。


「あっ」


 勝利は鹿島の顔と声で気づいてしまう。


「なにか?」

「いえ、なんでもありません。あの、申し訳ないのですが司令室へ案内いただけませんか。許可は頂いております」


 港で別れの熱い抱擁とキスをしていたあの、自衛官だと。


「かまいませんよ。こちらです」


(温厚そうな坊っちゃんに、ちょうどいい感じの女性だったな……)


 そんなことを思っていると、金本が小声で勝利に声をかけてきた。


「五十嵐さん」

「なんだ」

「あの方、さっき港ですっげー……んぐぐ」


 金本も見ていたのだ。いくら小声でも艦内は音がよく響く。余計なことは言うなと勝利は金本の口をとっさに塞いだ。


「ばかかっ、おまえ。今言うかよ、考えろ」

「ふみまへん(すみません)」


 独身彼女なしの男盛りの金本には、羨ましい限りの別れのシーンだったのだろう。勝利は金本に、日本に帰ったら誰かいい子を紹介してやらなければと、そんなことも考える。


「やっぱり巡視船とは違いますか?」

「ええ。さすがに、ここまでは大きくありませんし。それに、わりと簡単な造りです」

「そうですか。あ、着きましたよ。こちらです」

「お手間をおかけしました。ありがとうございます」

「いえいえ。恐らくそのうち、我々の隊員とも訓練をすると思いますから。そのときは何卒」

「こちらこそ」


 鹿島の柔らかな物腰と紳士的な態度に勝利は面食らった。旧日本帝国海軍からの伝統を引き継いだという海上自衛隊は、もっと厳つく、もっと高圧的だと思っていたからだ。


(まあ考えても見れば、彼女に押されっぱなしだったしな。いや、そう見せているのかもしれない。ああ見えても海の男だ。手のひらで転がされているフリをしているだけだろう)


「なるほどな」

「隊長、なにがなるほどなんですか。入らないんですか!」

「おお、そうだった。いくぞ」





 出港後の慌ただしさが落ち着いたころ、同じく今回の任務にあたる別の護衛艦と合流した。ニ隻で対となり船舶の航行の安全を見守るのだ。


「やっぱりこっちの方が落ち着くな」

「そうですね。式典以外ではあまり着たくないですね」

「おい、それは俺に対する当てつけか」


 勝利や金本たち保安官は紺色の作業服に着替えたが、佐伯だけは白の制服のままだ。今夜のセレモニーまでは着替えることができないようだ。


「仕方がないよな。壇上で挨拶する仕事が残ってるんだ。管理職の定めってやつだ。諦めろ」

「だいたい五十嵐も隊長という立派な管理職だろ。挨拶くらい受けろよ」

「すまんな。現場の人間なんで、行儀がなってないんだ」

「巡視船の船長がそんなことでどうする」


 勝利と佐伯は同期ということもあり、お互い遠慮がない。下っ端の保安官たちはいらぬ愛想笑い、苦笑いをしてその場をやり過ごした。


「今は少なくとも船長ではない」

「お前よくもそんな口がきけるな。よーし分かった。訓練が始まったらフルで参加させてやるからな! 覚悟しろ」

「望むところだ」


 ギリギリ、バチバチと妙な空気が漂う中、ドアがノックされる音でそれは幕を下ろした。


ーー トントン


「失礼します! 間もなく歓迎セレモニーを行いますので、多目的区画までご移動願います」

「承知いたしました。ご連絡ありがとうございます」


 これから一致団結して任務を遂行するために、親睦を兼ねたレセプションが行われる。明日からは防衛省、国土交通省といった枠を越えて、海賊対処のため共に命をかけるのだ。同じ海の平和を願うもの同士、心を一つにする必要がある。


「いいかお前たち。プライドは捨てるな。でも、反発はするな。そこのところ分かっているだろうな。海の男はいかなる時も紳士であれ!」


 佐伯からの激が飛び、8人の保安官たちは「はい!」と背筋を伸ばした。

 他国からの脅威を抑止するために任務につく自衛隊と、目の前の犯罪を防ぐために拳を振り上げる海上保安庁。同じ守るためでも法律によって与えられた役割は大きく異なる。


「今回は俺たちに学ぶべきことが多いだろう。しっかりものにして、帰るんだ」

「はい!」


 そして、始まる共同訓練。

 勝利たちの腕が試される。


(やべぇな。久しぶりに腕がなるぞ。自衛隊さんの実力拝見だ)


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