第12話 出発の朝

 勝利は知っていた。海音が海上保安庁の事を書籍やネットから情報を集めて勉強している事を。そして、海上自衛隊や自衛隊の幕僚監部関連にまで手を伸ばしていることも。

 今の時代、知ろうと思えばたくさんの情報がインターネット上にある。知らなくてもいい情報も山ほどある。


 ある日の夜。勝利が風呂から上がると、動画にくぎ付けになる海音の姿があった。


「っ……」

「海音?」


 黒のゴムボートに乗り込んだ真っ黒な集団が浜辺に上がり、銃を構えながら走る。ヘリコプターから次々と降りてきて、他国の不審船に飛び移り、抵抗する人間を素手で押さえ制圧する。そして、何年か前にあった某国の漁船による領海侵犯。警告に従わなかったその漁船に、巡視船が体当たりして彼らの進路を阻んだ。


「これが、勝利さんの仕事......」

「おい。何を見ているんだ」

「きゃっ。勝利、さん。ごめん、気付かんかった。えっと、ビール飲む?」


 海音は引き攣った表情のまま勝利と向き合う。それを見て勝利は反省をした。海賊対処に参加すると言っただけで、海音になんの情報も与えてなかったということを。彼女のために、きちんと話してやらなければいけないと。


「海音。不安を煽るばかりで申し訳ない。ちゃんと、話していなかったな」

「ううん。私が勝手に見ていただけ。全部がこの映像みたいになるって思ってないから大丈夫よ」

「海音が見ていた映像は、殆どが訓練の映像だ。最後の漁船のやつは、まあそのまんまなんだが......。俺の今の仕事は確かにああいった危険がつきまとっている。しかし、確率から行けば低いもんだ。その低い確率のために日々訓練をしている。あの黒い制服の集団は特別警備隊と言って、俺が神戸で学んだやつだ。防弾チョッキ、戦闘ヘルメットでしっかり体を守っている。被弾しても絶対に死なない。俺たちはいつも最悪の事態を頭に入れて行動している。言いたいことは、分かるな?」

「うん。現実の方が安全、なんだよね?」

「そうだ」


 勝利は海音の肩をそっと引き寄せて、大丈夫だと念を押した。海賊対処の主な任務は海上自衛隊の仕事だ。海上保安官は逮捕者が出た場合の事務処理をするだけなんだと言い聞かせた。勝利だって本当はどうなるかなんて、行ってみなければ分からないのだ。でも、そんなことを言えるはずがない。残される方が、待っている方がどれほど辛いかを思えば、なおさらだった。


「きっと暇すぎてしぬぞ。あれだってよ。護衛艦の上から釣りは出来ないんだってよ。甲板が海面から高すぎてさ、糸が届かないんだってさ。つまんねーよな。絶対にあの辺は珍しい魚がうようよいるはずなんだよなー」

「ちょっと勝利さん! 釣りに行くんじゃないんだからねっ。海賊退治でしょ? 自衛官さんに呆れられちゃう」

「筋トレくらいしかやることねーんだぞ? 可哀想だって思えよー」

「わー、もう。熱いぃぃ、離れて―」


 いつだって彼女には笑顔でいて欲しいから。




     ◇ ◇ ◇




 夏が過ぎ秋の匂いが混じる頃。別れの朝はすぐにやって来た。


 二人は、海上自衛隊横須賀基地管轄の港に来ていた。海音は家族にだけ許される隊員たちの見送りに、婚約者という立場でやって来た。まだ、勝利は正式なプロポーズを海音にしていないが、ここに入るためにはそう名乗る方がスムーズだっだのもある。勝利の両親は高齢ということもあり今回は来ていない。


「勝利さん、素敵。やっぱり制服姿は普段よりも格好良く見えちゃう」

「酷いな。普段はセンスなしかよ」

「だから、普段よりって言ったやん。普段も格好いいよ、うそやないもん」


 それぞれの家族が任務へ向かう隊員と別れを告げている。勝利たちの隣では佐伯が妻と子供と、部下の金本は両親と話をしていた。

 そんな中、ひときわ目立つカップルが少し離れたところで別れを惜しんでいた。どちらもモデルのように背が高い。男性の方が参加する海上自衛隊の隊員のようだ。


「はい、御守。八咫烏やたがらすだからね、きっと海戸カイトの船を護ってくれるわ」

「涼子さんありがとう。八咫烏か、強そうだね」

「強いわよ。ねえ、無理はしないでね。全隊員、無事に連れて帰ってきてあげて」

「分かっているよ。優秀な部下たちだから心配はいらない」


 優しそうな男性に少し気の強そうな女性が御守を渡していた。それに海音は気づいたのか、ほんの少し笑顔が曇った。自分もなにか持ってくれば良かったと後悔をしているのかもしれない。そのカップルのもとに家族らしき男女が加わって、ますます賑やかになる。


「お兄ちゃん! 良かった、間に合ったわ」

「海戸さんすみません。遅くなりました」

「おお! 二人ともわざわざありがとう」


 あまりにも賑やかで、ついつい耳がそっちに向いてしまうのは仕方がない。あとから来た男女は出発する隊員の血縁者らしい。圧倒されて気を向けてしまった海音に勝利は苦笑した。


「海音、よそ見をするんじゃない。俺の見送りに来たんだろう?」

「あっ。ごめん」


 間もなく乗船が始まる。勝利はまさか自分が泣くとは思っていない。それよりも海音が泣きじゃくるのではないかと心配していた。しかし、その心配はいらなかった。海音は自分だけが寂しい思いをしているのではないと、分かっているようだった。

 ここに来ている人、そして来ることができずに、家で待っている人。みんな同じ気持ちなのだと身をもって感じたはずだ。


(見送りに来てもらって、よかったかもしれないな。心細さが少しでも、減るといいが)


「船が着く一週間前には本庁から海音に連絡が入るはずだ」

「うん、ありがとう。ご両親を差し置いて私に知らせてもらうなんて申し訳ないけど……でも、絶対に迎えに来るから。絶対に」


 しっかりとした声で海音は言い、勝利の手を強く握った。その手はまるで縋るように感触を確かめるように握りしめるものだった。勝利は寂しいと口には出さない海音が愛おしくてたまらない。

 ほんの少し腫れたまぶたが勝利の胸を締め付ける。勝利は知っている。昨夜、散々に愛し合ってベッドに入ったあと、海音が眠れずに自分に背を向けて声を殺して泣いていたことを。


「その時は海音に抱きしめてもらうぞー。くそー、それまでお預けかよー」

「もう、なんそれ。ふふっ」


 




 昨晩はぎゅっと抱き合って、互いを労い合って夜を越えた。


(絶対に嫁にしてやる! 海音、待っていろよ。離すもんか。誰がなんと言おうと海音は俺のものだ!)


 海の男の独占欲は日を追うごとに増すばかりだ。こんな状態で何ヶ月も離れられるのかと不安になる。


「勝利さん好きやけん。離さんで、ね? 私の事、ずっと側において欲しい」

「海音は寝た子を起こすのが、上手いな」

「ん、寝たくないもん。まだ、寝ない」


 明日から離れ離れになる。いつ帰ると約束のできない出発。今までだってそうだったはずだ。巡視船で遠方に行くときは何も告げずに行ってきた。でも、二人にとって今回はやはり異常事態だった。日本という国を離れ、見知らぬ海で任務につくからだ。

 時間が止まればいいのにと何度心の中で思っただろう。でも無情にも時はいつもと変わらぬ早さで刻まれて、また朝がやって来る。自分に背を向けて眠る海音を抱き寄せなかったのは、コントロールを見失った感情を抑えるためだった。

 笑顔で出発すると決めたのに、愛おしい女の温もりとサヨウナラなのかと、思えば心が暴れだしそうだったからだ。




  


 間もなく乗船開始。勝利は惜しむように海音の頬を指の甲で撫でる。


「海音。飯、ちゃんと食えよ。あと、一人で頑張りすぎるな。島も一人で」

「もう大丈夫だって。一人では行かないし、調査はチームで動くし」

「そのチームに男はいるのか」

「おじいちゃんしかいませんっ」


 勝利はできるだけ笑顔で別れよう。そう思っていたのに、眉間に寄せたシワは伸ばすことができなかった。それを見た海音が勝利の両頬をパシッと手のひらで挟む。


「いっ、て……」

「そんな顔せんで。勝利さんにしかアンテナ立たんけん。ね? 信じて」


 そう言いながら、こんどは指で勝利の顔をつまんで歪めた。


「おいっ。海音っ」

「んふふふ」

「まったく。海音には勝てそうにないな。さて、そろそろか」


 みな最後の別れと言うように家族や恋人と抱き合いながら離れていく。隣で賑やかだった自衛官家族もしゅんとなり、その気の強そうな彼女は優しそうな自衛官に抱きついて熱い口づけを交わした。


(時代がかわってまったのか……。男はすっかり受け身だな)


「海音。行ってくる」

「勝利さん気をつけて、行ってらっしゃい! 待ってるから、絶対に無傷で帰ってきてよ!」

「分かっている。おっさんを舐めるなよ」


 勝利は大きな躰を屈めて顔を海音にそっと近づけた。


「なに?」


 海音が小声で聞いてくる。


「行ってらっしゃいのキスを、くれないか」


 勝利は海音にキスをねだった。一瞬、ひと前だと躊躇ためらいを見せかけた海音も、今日は特別だと思いなおしたのだろう。

 勝利は海音から触れるだけのキスをもらった。


「サンキュ」

「どういたしまし……んっ」


 頑張って笑顔を作る海音に勝利からも励ましのキスをした。


「さーて、さっさと行って、さっさと帰ってくるかー」


 海音と触れ合えるのもこれでしばらくはお預け。勝利は指定された場所に整列をして、出発の式典に参加した。海上自衛隊の幹部や防衛省の職員、自衛隊父母会、そして音楽隊の豪華な見送りを受ける。そして、いよいよ乗船となった。


「パパがんばってぇー!」と手を振る子供に笑顔で手を振り返す父親隊員。順に乗り込んだ男たちが甲板上に並び家族の方を向いて整列をした。約200名の乗船員のうち海上保安官はたったの8名だ。身に纏う制服はまだ夏仕様の白とはいえ、その制服はあまりにも海上自衛隊と似ている。

 これでは海音は見つけられないかもしれない。それでも仕方ないと勝利は見送りの人々を見つめた。


(俺が海音を見失なればいいんだ。みろ、俺のこと、すげぇ探してる。ああ、海音……がんばれよ)


 離岸準備が整い、前方で艦隊と陸を繋いでいた縄が外された。タグボートがゆっくりと岸から沖へと誘導を始める。海上自衛隊のラッパが鳴り響き一同が背筋を伸ばした。すると見送りの全員が手を振り、旗を振り、そして陸に残る隊員たちは右手で帽子を振り始めた。

 勝利たち海上保安官も甲板上の後方で見送りの家族に向けて敬礼をした。その瞬間、ピタリと海音と視線が合う。海音は勝利に向けて敬礼を返した。溢れんばかりの笑顔を作って。


「くそ、おっさんを泣かせるなよ」

「五十嵐の彼女か。いい顔をしている」


 隣に並ぶ佐伯が海音をみつけてそう言った。


「俺たちも、帽振れするぞ。帽振れ~」


 勝利は海音をしっかりと目に捉え、白い海保帽を大きく振った。この目に焼き付けて、帰るその日までその笑顔をお守りにする。


 海音には見えただろうか。目尻にシワをいっぱいに寄せた勝利の顔が。


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