第9話 久しぶりのデート
海音から日曜日の夕方の新幹線で博多に帰るから、土日は二人で過ごしたいと言われた。勝利にとっても訓練のない週末は男臭い寮から出たかったし、海音に会えることは嬉しい以外なかった。海音は土曜日の朝、大阪を出て三ノ宮に朝8時過ぎにはつくと言う。一緒に行ってみたい場所がたくさんあるようだ。
ーー そして、土曜日。
早朝に海音からメッセージアプリで無事、電車に乗ったと知らせが入る。そのメッセージを見て勝利はほっとした。
まさかもう駅前に居るとはさすがの海音も思っていないだろう。
何を隠そう勝利は、ずいぶん前から三ノ宮駅に到着していた。おっとりした部分がある海音は人の波にふらふらと流されかねない。改札を出てきた所で捕まえなくてはと勝利は考えていた。
時計は8時半になろうとしている。大きな、いい歳をしたおっさんが、そわそわしながら三ノ宮西口で今か今かと待っていた。
道行く人が横目で勝利を見ては通りすぎていく。他人から見たら強面な勝利は、立っているだけでも目立つようだ。そんは勝利は絶対に見逃してなるかとぎゅっと拳に力を入れて、人の流れに目を向けた。
しばらくして、勝利に気付いた海音が手を振りながら駆けてきた。
季節はもう夏真っ盛り。爽やかなブルーのワンピースに、羽織った薄手のカーディガンが勝利の男心を擽った。
「勝利さんっ」
「走るなよ、転ぶぞ」
「転けないよ。ほら、ぺたんこサンダルやし」
「そういう問題じゃない。荷物、どうする。駅のコインロッカーに預けておくか。ホテルでは……少し遠いな」
「またここに戻るでしょ? だったら預けてくる」
「待て! 俺が持つ」
「ありがとう」
今日は海音も浮かれている。キラキラ笑顔を振りまいて、勝利を置いて走り出してしまいそうだった。勝利は俺から離れるなよと海音のキャリーケースを持ち、反対の手で彼女の手を握った。
夏だというのにひんやりした指先に勝利はドキリとする。
(女って、男と体温が全然違うんだなぁ)
「朝めしは食ったか」
「うん。ホテルで食べてきたよ」
「そうか。じゃ、先ずは行きたい場所リストを見せてくれ。今日も暑くなるから効率よく回らないと倒れるぞ」
勝利は海音が行きたいという場所のメモ書きに目を通す。そこには異人館、生田神社、南京町、メリケン波止場、ポートタワー、そしてざっくりと港と書かれてあった。
(夜はディナークルーズを予約してあるから、最終的に港につくように回ればいい。途中で荷物をピックアップして、ホテルにチェックインすれば無駄はないだろう)
「わりと纏まってるな。何とか回れそうだ」
「本当はね有馬温泉とか六甲山とか、淡路島も行きたいと。あと、勝利さんが訓練してる所も見たい。でも時間が足りんとよね」
「訓練してる所が見たい!?」
勝利は思わず声を上げてしまう。なんでそんなものが見たいのかと驚いた。
「知りたいんやもん。勝利さんがどんなお仕事してるのか。それに、絶対にその姿、かっこいいし!」
海音がポッと顔を赤くして勝利を見上げた。
「かっこよくなんてないぞ? ゼェハァ言いながら地面を這いつくばってるんだ。見せられたもんじゃない。よし、決めた。先ずは生田神社、それから異人館、昼過ぎに南京町で食べ歩く。その後、荷物を取ったらホテルにチェックインして港界隈を散策だ。どうだ、この案は」
「異議なしです、船長!」
海音が張りのある澄んだ声で「船長!」と言いながら戯けて敬礼をする。
「バカやろう、何か船長だよっ」
思わずそう言い返したのは、照れて仕方がないから。しかし、堪えきれない勝利の顔はやっぱりだらしなく破顔していた。
◇
ーー 生田神社
駅から徒歩10分という立地にありながら、生田の森と呼ばれるだけあり、そこは緑豊かな環境にあった。その歴史は古く西暦201年、稚日女尊(わかひるめのみこと)がここに
海音も勝利も境内に入ると自然と口数が減った。息を吸うだけで穢れが洗われていく気さえする。
手水舎で手と口を清めると、勝利は海音にこの神社の森の話をして聞かせた。
「この生田の森はな、蘇りの
「蘇りのもり......」
「諦めない投げ出さないと言う、人間の心の強さを感じるよな」
「うん」
至る所に使われる、神社ならではの朱色の鳥居に目を向けると、どこかへ
海音が勝利の手をぎゅっと握った。それに応えるように勝利も握り返す。
厳かな空気に包まれて、二人は本殿へと進んだ。
途端、海音が勝利の横顔をチラリと見て、にぃっと頬を上げて微笑んだ。
(なんだよ、そのなにか企んだ笑みは)
勝利は静かに手を合わせる海音を横目で見ながら自分も手を合わせる。
「よし!」
「何がよし! だ。にやにやして、気持ち悪いぞ」
「神頼みしといた!」
「あ?」
「ここはね、恋愛成就の神様でもあるんだよっ。ねぇ、境内ぐるっと回ってから外に出よう?」
「おう。ん? 海音、なんだって?」
満足した顔で海音は勝利の前を歩いている。
(恋愛成就、ねぇ。女ってやつは、なんでも願掛けしてしまうんだから。参るよな)
二人は境内を抜けて、次の目的地である異人館に足を向けた。その名の通り昔の外国の建物である。異人館は南は長崎、北は函館と日本全国にちらほら残っている。中でも神戸の異人館は大空襲も震災にも耐え抜いた貴重な存在となっている。
「歩けるか」
「え? うん。歩けるよ」
まだ昼前だと言うのに太陽は天高く登って、刺すような日差しを浴びせてくる。日傘も帽子も持たない海音を勝利はとても気にしていた。
「日傘でも買うか」
「あ、暑い? ごめんね引き回して」
「俺はいいんだ、海音だよ。日に焼けるだろう。後で肌が痛いって泣くはめになるぞ」
「日焼け止めクリーム塗ってるけど、そうやねぇ。買おうかな」
勝利がすすめると海音は素直に途中の露店で折りたたみの日傘を買った。坂道の続く石の階段は、普段なんのトレーニングもしていない海音にとって、暑さも重なり過酷なものだ。
「大丈夫か? 少し休むか」
「ううん。今止まったら、もうっ、歩けなくなるかもしれない。このまま進むっ」
「まるで訓練をしているみたいだな」
「海上保安官の女は、泣き言はいわない!」
勝利は弱音を吐かない海音に苦笑しながら、その頑張る姿から目が離せなかった。こめかみを伝って流れる汗がいっそう海音の美しさを引き立てる。汗はやはりいいものだなと、体育会系脳の勝利は思った。
「着いたー!!」
うろこの家と呼ばれる館はこの辺りの異人館の中でも有名で、外壁が魚の鱗のように見える事からこの名がついた。見晴らしいのいい高台に建つそれは見る者を圧巻させた。ここは美術館も兼ねているため、訪れる観光客も多い。
「俺にはさっぱり分からんが、立派なものなんだろうとは思う」
「私も詳しくはないけど、ほら有名なお皿やカップがたくさん。マイセンとかロイヤルコペンハーゲンって聞いたことない? ヨーロッパで伝統ある陶磁器なんよ」
「へぇ」
「高くて気安く買えないからね!」
「ほぅ」
「ダメだこりゃ。野性味溢れるトッキューさんには興味なかったか」
「ひどい言われようだな」
そんなやり取りをしながら、二人は館内をゆっくり歩いた。
上の階にあがるとき、海音が振り返りながら、勝利にまるでお姫様になった気分だと言う。階段に敷かれた赤いカーペットがそう思わせたのだろう。
「わぁ、素敵。神戸の街を洋館から眺めるなんて、贅沢ぅ」
「夜はもっと綺麗だろうな」
「ねぇ。ビルだけじゃない、山も木もいい具合に景色に混じっているし。あ! こっちはほら、ガントリークレーンが見える。今と昔がごちゃ混ぜやん」
「くくっ。お嬢さん、ガントリークレーンなんて言葉は普通なかなか出ないぞ」
笑いながら勝利は海音を後ろからそっと抱き締めた。顎を海音の肩の上にちょんと乗せ、同じ目線から景色を眺める。
(海音の目からはこんなふうに見えるのか……)
訓練がハードすぎて人肌恋しかった勝利は、なかなか海音から離れられない。男にはない柔らかさが心を和ませてくれていた。海音はどうだろうか。なんとなくそわそわ落ち着きがない。勝利がなにげにその横顔を見ると、なぜか真っ赤だった。
(おいおい。照れてるのか)
「そろそろ、下りよう? お昼過ぎちゃうよ。お腹、空かない?」
「あぁ、そうだな。確かに腹が減った」
「じゃぁ、行こうか」
海音は勝利の腕をそっと外して振り向いた。ちょっと照れくさそうに勝利から視線を外して階段を探している。勝利はそのよそよそしさが可愛らしくて、海音の行動を思わず遮った。
「ーーん、ふっ!!」
ほんの一瞬の事だった。勝利の影が海音を覆って、グロスで潤った唇を奪った。
「しょ、勝利さんっ」
海音が驚いて一瞬時を止め、慌てて抗議をする。それを見た勝利は大満足だ。
「小腹を埋めただけだろ。怒るなよ」
「もうっ、ドキッとするやん」
「ごめん、ごめん。悪かったよ」
全く悪びれていない勝利と、その背中を真っ赤な顔で睨む海音。そこには、誰にも踏み込めない甘い空気がまとわりついていた。
◇
異人館からまた徒歩で移動して、南京町に向かった。この時点で暑さはピークとなる。
勝利の隣を歩く海音はときどき「ふうっ」と息を吐く。勝利自身も額から流れる汗は止まらない。
(そろそろ、限界かもしれないな)
勝利にとって、これくらいなんてことない。けれど海音はこのままでは倒れてしまうと勝利は案じた。
すると突然、海音が勝利の顔を見る。
「ん?」
「ハンカチ、使って? 勝利さん、汗が」
「こんな可愛いハンカチで拭くのは気が引けるな。やめておけ。すげぇ、臭くなるぞ」
「別にいいのに。気にしないよ」
ニッコリ笑う海音の顔は勝利が思っていたよりも赤い。勝利は咄嗟に海音の頬を手の甲で押さえた。そして、通りに顔を向けると徐ろに手を上げ、タクシーを止めた。
「え?」
「いったん退避」
勝利は海音を抱きかかえるようにしてタクシーに乗った。
二人は元町までタクシーでくだると、迷わず目に留まったカフェに入った。
ー カラン、カラン♪
ドアを開けるとなんだか懐かしい音がした。店内は決して古いわけではいのに、その音がノスタルジックな気分にさせる。クーラーでよく冷えた店内が躰の汗を引かせてくれる。
「先ずは水分補給して、クールダウンだ。ランチもここで軽く済ませよう。体力が回復しなければ外には出さないからな」
「えっ、でも」
「海音。自分で体調管理しないと大変なことになるぞ。ほら、こんなに熱を持っているじゃないか」
勝利は海音の頬に手を押し付けた。頬は赤みを帯びて熱くなっている。分かっていないような顔をして、パチパチと瞬きする海音に今度は冷えたお絞りを押し当てた。
「あっ、気持ちいい」
「気持ちいいじゃない。困ったもんだ」
「へへ。勝利さんの優しさに甘えます」
勝利は叱るように真面目な顔をしてそう言ってみたものの、海音が自分に見せる無防備な姿には目尻を下げるしかなかった。
「ここを出たら、ホテルにチェックインして港の方に行こう。風も通るし、暑さもいくらかはマシだろう。それと、夜はクルージングを予約してあるんだ」
「え! クルージング!? うそ! やったぁ。街の夜景を湾から見られるんだね」
「はは、元気になったな」
ナイトクルーズと聞いて、海音の顔色は急に良くなる。
海音の心を揺さぶる神戸港の夜はどんなだろうと、勝利も胸を踊らせた。
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