第8話 戦える体になれ!
まさに、毎日が体力勝負だった。勝利がバディだと組まされたのは、くしくも海音と同じ年の生意気な現役隊員の金本だった。射撃訓練、突入訓練が終わると場所を変えて制圧訓練と称する取っ組み合いが行われた。
勝利もいつ何が起きてもいいようにトレーニングはしていたものの、実践訓練は全くやっていなかった。当然、勘を取り戻すまで時間がかかった。
「五十嵐! 脇が開いている、締めろ!」
「力任せに抵抗するんじゃない。相手の弱みを見抜けよ!!」
宣言通り佐伯班長の指導は厳しかった。まるで若い隊員に対する見せしめのように、容赦なく怒号が響いた。
ついに勝利は攻撃する事を禁じられ、受け身を覚えるためにと、何度も床に叩きつけられた。いくら完璧な受け身をとったって、何十回と投げられれば体のあちこちが軋みだす。
「はぁ、はぁ、くっそ」
「次、懸垂50回!」
「(ちっ……)はい!」
どんなに理想的な制圧をして見せても同じだった。あの、金本も隣で引くほどに。
懸垂が終わり、震える腕が止まないうちに今度はロープを腕だけで上がれと指示が出た。勝利は、止まったらもう動かなくなる気がして腕を思い切り叩いた。自ら忘れかけていた極限、と鍛え上げた鋼の肉体を呼び覚ますために。
(俺が諦めたら、誰が助けるんだ。俺が死んだら、そこで作戦は失敗に終わる。死ぬわけには、いかないんだ!)
ふと、ロープを握る指の先に海音が見得た気がした。「勝利さん、待っとるけんね」とガッツポーズをしながら笑っている。
(海音! 海音!)
「あーっ! くそっ!!」
この手に必ず掴みたいものがある。勝利はそれに向かってただひたすらに腕をかいた。交互にロープを自分に引き寄せ、上へ上へと目指した。ブラブラと揺れるロープは蛇が暴れるように蠢く。あと、少し、あと少し! ロープの留め具がガチャと鳴って、勝利は縁に指をかけた。最後の力で上半身を思い切り持ち上げる。
「ふっ、くああー」
勝利は腹ばいで登り上がった。もう、指先に感覚はない。
「合格!!」
佐伯班長の声が勝利の耳に届いた。
「あ゛ぁー!!」
勝利は呻き声を発して仰向けに大の字に寝返る。そのロープを登りきったのは勝利ともう一人、金本だけだった。
「五十嵐さん!」
勝利は眼だけを声のする方に向ける。そこには金本が仏頂面で勝利を見下ろしていた。
(やべぇ、クソガキに伸びてる所を見られちまった)
醜態は晒したくなかったのに、歳を重ねた体はそれを許してはくれなかった。
「大変失礼しましたっ!」
「は?」
金本が発した言葉が予想外で、勝利は間の抜けけた返事をしてしまう。
「今後の任務では、宜しくお願いします!」
金本はそう叫ぶと同時に、ザッと足を正して敬礼をした。勝利は慌てて起き上がる。まだ、息は整っていない。
あれほど苦しい訓練を受け、死ぬ思いで登り切ったと言うのに、金本は息も乱さず凛々しく立っている。若さとはこういうことなんだと勝利は痛感した。
「なんだ、おっさんにダメ出しでもしてくるのかと思ったぞ」
「……っ。俺の口を、へし折って下さい!」
金本は奥歯を食いしばって勝利に真剣な眼差しを向け、なぜか右頬を差し出してきた。
(なるほど、俺に顔を弾けと言うことか)
「それが、お前のケジメか」
「はい!」
「分かった。踏ん張れよ!」
下から見上げる隊員たちが息を呑んだのが分かった。しかし、誰も止める素振りはない。隊員同士のいざこざという事で見て見ぬふりを決めたようだ。
勝利は一歩前に出て、左手で金本の胸元を掴む。そして、大きく右手を振りかぶった。
ー ダンッ! ガタッ……ゴロゴロゴロ
「ーー!!」
金本が被っていた戦闘ヘルメットが下の階に転がり落ちてきた。二人の様子を見守っていた隊員たちはゴクリと生唾を飲む。皆、勝利が金本に制裁を加えたと確信したからだ。
暫くすると、コツコツとブーツの音を響かせて、勝利と金本が降りてきた。ギロッと鋭い視線が二人に集中する。
「五十嵐」
佐伯班長が勝利に歩み寄る。
「気は済んだのか」
勝利はチラッと金本の方を見る。
「足りないな」
それを聞いた全員がギョッとして、一歩下がってしまったのは言うまでもない。
「五十嵐! 本来なら懲罰ものだぞ。もう、勘弁してやってくれ」
「だそうだ。金本」
「佐伯班長! ありがとうございました!」
「なんだ金本っ……ん?」
佐伯は、金本が顔を腫らしているのではないかと案じていたようだ。しかし、腫らすどころか瞳をキラッキラに輝かせて声にも張りがある。なぜか上司にお礼を言う始末。
「金本、お前……頭いっちまったのか!」
佐伯班長の一言にザワつくその他の隊員たち。五十嵐はそれを見て豪快に笑った。
「はははっ! 佐伯。コイツとならソマリアに海賊退治に行ってもいいぞ」
「は!? お前、金本に何したんだよ。はぁ……まあいい。本日はこれにて解散!」
ぽかんとする隊員たちを残して、佐伯と勝利は訓練塔から出ていった。
◇
「で、本当は
「殴るわけ無いだろ。グリグリしただけだ」
「は? グリグリってなんだ」
「グリグリを知らないのか!」
「知るかよ」
佐伯が言うように、勝利は金本を殴りはしなかった。胸元を掴んで引き寄せ、金本の首に右腕を絡ませ脇に挟み込み素早くヘルメットを脱がして放ると、拳で頭をグリグリしてやったのだ。
(このクソガキがっ、二度と舐めた口きくんじゃねえ!)
と、お仕置きをしてやったのだ。そんな勝利の行動になぜか金本は感動したらしい。
「アイツはバカなのか。グリグリで懐くやつがあるかよ」
「佐伯。お前の部下だろ、優秀な特別警備隊の隊員だろうが」
「ちっ」
今日の訓練で勝利の体はすっかりボロボロだ。若い奴には負けたくないという意地がなんとか勝った一日だった。重い体を引きずって、訓練生が宿泊する寮に帰る。
この訓練でやっぱり歳だと思い知らされた。初めから分かっていたはずなのに、かなり傷ついた自分がいた。やはりこれが最後だと、勝利は改めて思う。
「うわぁー。やっと横になれる」
リビングで大の字になったその時、テーブルに置いてあったスマホが鳴った。画面には間宮海音の文字。なんていいタイミングでかけてくるんだと、勝利の頬はだらしなく緩んだ。
「海音か?」
「勝利さん! お疲れ様です。あのねっ」
海音ら少し浮ついた明るい声で勝利の耳を擽る。
見た目は落ち着いた年相応の大人の女が、相手が勝利だと少女のような可愛らしらを覗かせる。頬を膨らませて拗ねてみせたり、今みたいに興奮気味に話しかけてきたりする。
「そうか! じゃあ大阪まで出ていくよ。え? 海音が来るのか。いいけどこの辺は何もないぞ。は? そうか、分かった。出る前に電話をくれるか。ああ、楽しみにしている」
海音は大阪のある大学で海洋生物科学研究発表会があり、教授の助手として来ることになったらしい。発表会が終われば自由にしていいと言われた海音が、勝利に会えないかと電話をしてきたのだ。
勝利に断る理由はない。土日は訓練も休みだし、そろそろ海音不足だと思っていた所にこの話。
「あぁぁ、早く時間が過ぎればいいんだ。目が覚めたら土曜の朝になってねえかな。はぁぁーー! 早送りしてくれよ」
電話を切った勝利は、狭いシングルベッドに倒れ込み、少年のようにくだらない独り言を放った。何をしようか、いつもとは違う場所だしデートらしいことをしたい。勝利はくたびれた脳をフル活動させてみる。
「クルージングだな。海音も海が好きだし、てか海しか思いつかねえんだ。ナイトクルーズがあったよな! 港から夕日を見て、船上から夜景を……決まりだ!」
ガバッと勢い良く起き上がり、早速ナイトクルーズの予約を入れた。
(ん? 泊まれるよな。聞いてなかったなぁ……ま、なんとかなるだろう)
それから勝利は海音に会う日がひとつの目標となり、老いた体に鞭を打ちながら日々を乗り越えた。班長の佐伯は、勝利に合格印を出したにも関わらず、訓練での当たりは変わることはなかった。
「制圧だそ! 制圧。救護じゃねえんだ! テメェの腕で敵を倒すんだよ、死にたくなかったらもっと攻め方を考えろやぁ!」
海上保安庁の特別警備隊、通称SSTは他の保安官とは比べ物にならない。まさに選りすぐりの精鋭部隊だ。昨日今日の訓練で出来上がる集団ではない。そんなところに放り込まれた四十を過ぎたおっさんが、普通は耐えられすはずがない。
「よし! そこまで! 午後はヘリコプターからの降下訓練に入る!」
「はいっ!」
救難に対応するための肉体しか持っていなかった勝利にとって、倒すための技術を得る事はなかなか厳しいものがあった。場合によっては、人を救うために人を殺さなければならないかもしれないからだ。技術というよりも、気持ちを占める部分が影響しているのかもしれない。
(甘ったるい考えは捨てるんだ。俺たちがヤらなければ、無実の弱い人間がヤられてしまう。護る事が、俺達の仕事だ)
特殊部隊に身を置く者たちの葛藤を痛いほど思い知らされた瞬間だった。
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