第7話 おっさんをナメんなよ、クソガキが!

 勝利は海賊対策への参加を承諾した。一度は就いてみたいと思っていた特別警備隊の任務だ。この機を逃せばもう二度と訪れないだろう。


 海音が勝利の仕事を理解していたことも、背中を押した理由の一つだ。特殊救難隊も特別警備隊も務めることが出来るのは、若き日の勝利がいかにストイックで貪欲であったかの証拠だ。

 厳しい環境に耐え自分を鍛え抜くストイックさと、国民の命を護るためなら何にだって喰い付く貪欲さは、勝利のあの頃を知る者なら一歩引いてしまう程だ。


「五十嵐くん。君なら引き受けてくれると思っていたよ! では、さっそく訓練の手続きを進めるように伝える。しばらくは五管で頑張ってくれたまえ」

「はい。宜しくお願いします」


※五管:第五管区海上保安部を指し、特別警備隊の基地もある場所。


「最後に訓練を受けたのはいつかね」

「もう5年前になります」

「5年前か、まあ君なら問題ないだろう。潜水もできるしな! 最強戦士だよ」

「いえ、もう42ですよ。今度の任務が現役としてのラストチャレンジだと思います」

「そう言うな。上には上がいるだろう」

「そうですが、身も固めたいので……」

「そうか! 君はまだ独身だったな! ははっ。まあ、ニ回目は外すわけにはいかんからな」

「そうなんです」


 勝利はこの挑戦を最初で最後だと決めていた。なぜなら、同じ失敗は二度と繰り返したくないと思っているからだ。海音の事は本当に大事にしたい。だからこそ救護一筋、海一筋だった人生に区切りをつけたい。


(もう、失敗はできないんだ……)


 あの頃は確かに家庭をなおざりにしていた。他所に男ができ家を飛び出した元嫁を、誰が責められただろうか。それを思うと今でも勝利は心臓が痛む気がする。








 勝利はようやく海音に話すことにした。しかしそれは、どこか恐る恐る探るものだった。


「ひと月ほど神戸の保安部に行くことになったんだ」

「出張? にしては長いよね」

「実は訓練を受ける事になった」

「訓練? 船長も、訓練するんだ」


 海音は首を傾げた。勝利の仕事は海上保安庁の巡視船船長だ。不審船の対応や海の事故防止に忙しいことは知っている。でも、本当のところ事件や事故にどんな対応をしているのかは知らない。どんと構えた船長が受ける訓練がどんなものなのかは分からない。


「実は、警備隊の訓練を受けることになってな。若い頃にもやったんだ。ま、定期的にやって忘れないようにだ。ほら、密漁や不審船からスパイなんかが上陸しようとしたら阻止しなければならないだろ」

「もしかして、戦ったりすると?」

「状況に応じては取り押さえたりもする」

「そうよね。そういう事ってありえるもんね」


 勝利はまだ、海賊対策に出るとは言えなかった。海上自衛隊と連携するため、公式決定がない限りは身内にも伏せるのは常だった。それに、訓練をして適していなければ外されることだってあるのだ。


「海音とひと月も離れるなんて、我慢できねえよなぁ」

「え? ふふっ。がんばってよ。五十嵐船長」

「海音は寂しくないのか」

「どーやろうね」

「おい」

「ちょっと、やだっ。勝利さん、冗談っ」


 勝利はなんて事ない顔をする海音がほんの少し恨めしくなって、彼女の躰を羽交い締めにした。俺は寂しくて仕方がないのにお前は平気なんだな! これでもか! まさに好きな子をイジメる捻くれ男子のように。でも決して酷くはない優しいタッチで海音の躰をまさぐる。


「ひと月だぞ。ひと月分、充電させろ」

「きゃっ、ひと月分って! あっ」

「ほら、その気になってきただろ」

「っ、ズルいよぅ。んっ」


 海音だって寂しくないわけではない。ただ、寂しい離れたくないと言って勝利を困らせたくないだけだ。


(たったひと月やけん! 大丈夫よ)


 まさにそう言いにかせていた所だった。これまでだって離れている事が当たり前の恋愛だった。勝利とは月に一、ニ度会えればいい方だ。それを思えば最初からひと月と決まっていることは、海音にとって安心材料ともいえる。


「こら、寂しいって言え」

「ぁ、んっ。寂しいけどっ、寂しくないとっ。あ、やだ。それっ、やめてぇ」


 海音は固くて厚い勝利の胸に閉じ込められると、全てから護られているようで安心した。大きな手が無遠慮に躰を這い回るけれど、その全てに愛を感じている。


(無事に、怪我なく訓練が終わりますように……それまでわがままは、封印)


 海音にはそう願うことしか出来ないのだから。





◇ ◇ ◇




 ひと月の別れを惜しみながら、勝利は第五管区海上保安部にやって来た。特別警備隊の基地がある場所だ。

 五年ぶりに訪れた基地は何も変わっていなかった。


「五十嵐!」

「佐伯!」


 勝利を見つけて声をかけてきたのは同期の佐伯 あきらだ。彼は勝利とは反対に救難ではなく、制圧を得意とする特別警備隊として活躍してきた男だ。


「まさかお前が来るとは思ってなかったよ。やっぱり警備の道を捨てきれなかったんだな」

「まあ、なんだ。正直に言うと俺もここに来るとは思っていなかったな」

「船長だもんな。そのまま定年まで船に揺られるはすだったんだろ。諦めろ。これがお前の運命だ。救難に警備にすげぇ奴だな」

「別にすごかないさ。それよりいまさら務まるのかが今一番の心配だ」

「こればっかりは、やってみないと分からないからな」

「ああ」

「取り敢えず、贔屓なしでしごいてやるよ」


 佐伯はここで特別警備隊を育てる指導班の班長をしている。この道一筋で生きて来た同年齢の男ですら現役を退いている。それがまた五十嵐の気持ちに不安を煽った。

 勝利自身、体力には自信はあるし、技術だってすぐに取り戻せると思っている。しかし、いざという時の判断力や瞬発力はどうだろうか。


(20代、30代のときと比べたら……、明らかだろうよ)


「心配するな。お前はヤれる!」

「なんで佐伯の方が自信があるんだよ」

「自分の事じゃないからに決まっているだろう」

「お前っ」


 勝利はどうにか気持ちを作ろうとしていた。来たからには恥ずかしい姿だけは晒せない。


 目を閉じれば、ふんわり笑う海音の顔が浮かぶ。あの笑顔が曇らないように、もう一度自分を叩き直そうと心に誓う。


(やるしかない! やると決めて来たんだ。最初で最後なんだ。死にものぐるいでヤれば、若い奴らにだって遅れを取らない! とってまたるか!)




 



 今回の特別訓練を受けることになったメンバーが施設内のフロアに並んだ。全国から選ばれた隊員は10名ほど。最終目的は海上自衛隊と共にソマリア沖の海賊対策に行くことだ。

 見れば中堅クラスの現役隊員たちばかりで、実際現場で活躍している精鋭たちだ。


 当然、勝利はこの中で最年長である。



「ではこれより、訓練を開始する。先ずは身につけるものから確認せよ」


 全員が素早く自身に身に着けたものを確認する。

 紺色の戦闘服に黒の戦闘ブーツ、戦闘ヘルメット、防弾チョッキ、バラクラバという顔面覆。無線を身につけ、腰には警棒、そして小銃。全てを装備すると、全身黒ずくめになった。警察の機動隊やSATを想像すると分かり易いかもしれない。


「では、射撃訓練から始める!」

「「はい!」」


 順に的に向かって弾を撃ち込む。通常の立って撃つ姿勢から、伏せをした状態と何通りかのパターンを連続して行った。五年前が最後だとはいえ、巡視船に乗る限りはそういった訓練もしている。体はしっかりと覚えているものだ。


「おじさん、意外と外さないんですね」

「あ!?」


 生意気な口をきくのは金本賢太かねもとけんた、30歳。この五管ではトップクラスの警備隊員だ。訓練開始から勝利とペアを組まされている。精悍な顔立ちをしており、戦闘服の上からも分かる隆々とした筋肉。まさに屈強な警務隊員といった雰囲気を醸し出している。


特殊救難隊トッキューですよね。その年齢で今から警備隊ですか。無理はやめてくださいよ。足手まといは勘弁です」

 

 訓練の合間に片方の眉を生意気に吊り上げて言うその言葉は、勝利への挑発なのだろうか。


「その口、へし折られたいのか」

「あなたが最後まで残っていたら、へし折ってもらって構いません。まあ、最後まで残っていたら、ですけど」

「ふんっ……(クソガキがっ!)」


 誰しもが選ばれるためにライバルは少ない方がいいと思っている。過酷な現場で任務を全うするには、年寄りという枷は要らない。

 過去、勝利自身が思ってきた事をまさに今、突きつけられていた。


 勝利は腹に力を入れなおした。この訓練に耐えて自分が選ばれれば、枷ではないという証拠になる。


「次っ! 突入訓練!!」

「「はいっ!」」




 息つく間もなく訓練は続いた。

 彼らがつけている重い装備は身を守るためだ。勝利もついこの間まで、重い酸素ボンベを担ぎ潜水をしていた。20キロという重りを、浮遊力の少ないプールの底から何度も引き上げた。


(大丈夫だ、俺はヤれる、負けない!)


 勝利は己の体にムチを打つ。このチャンスをくれた上司と、この仕事を理解しようとしてくれている彼女のために。

 何よりもこの国の、海の平和のために。


「おっさんを、ナメんなよ!」


 肩で押し開けた重い鉄の扉は、引き返す事のできない男の戦いの始まりだ。ここから先は生と死が背中合わせで潜んでいる。


「突入部隊が入ったら、援護開始っ!」


 勝利と金本は先鋒務める突入部隊に志願していた。


 男の意地と誇りの火花が散った。

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