第6話 ちかっぱ、好き!
週末、勝利は海音の部屋に来ていた。海音の勤め先である大学は県の西に位置した海からそう遠くない場所だ。
1LDKのシンプルな間取りに、リビングにはクマのなんとかさんがデンと座っている。二人がけのローソファーとローテーブル、花柄のラグマット、クリーム色のカーテンと女性らしい柔らかな雰囲気に勝利の心は和んだ。
勝利が海音の部屋に来たのは初めてではないが、あまり長く居座ったことはなかった。いつも時間に余裕のある海音が電車をつかって訪れているため、勝利は月に一度この部屋に来られたらいい方だ。
海音が暮らす場所から勝利の住まいまで軽く一時間はかかってしまう。実は海音が住んでいる街と勝利が住む街は、同じ県でも市が異なっていた。
「ベッド、大きいのに変えるか」
「どうして? 私には十分だけど、あ!」
「ん?」
「もう、勝利さんったら。えっち!」
「おい、なんだその言い方は。語弊があると思うぞ」
「ないよ。じゃあどうしてベッドを大きいのにするかって言ったと?」
「たまに泊めてもらうときにだな、その……せっかくふたりで居るのに一人寝は寂しいだろう。下心は無しにしてだ」
「プッ、ふふふっ」
「おい」
海音は至極真面目な顔で言い訳をする勝利を見て笑ってしまう。確かに一緒に寝るイコールがセックスでは無い事は分かる。分かるけれど、顔を赤くして言われると下心がないという言葉の説得力が欠けてしまう。
「分かってるけどっ、ふはっ。そんな真っ赤な顔で言われても」
「赤いか?」
勝利の大きな手が自身の顔を撫でて確かめている。そんな勝利を眩しそうに見る海音。二人でいると春のような暖かさに包まれて、日常から乖離された気分になる。
勝利も海音もそういった柔らかな空気が漂う瞬間が好きだった。
「あ、ねえ。お友達に会う件なんやけど」
「ああ。休みが合うならいつでもいいぞ」
「本当?」
「おう。けど、こんなおっさん連れて行って反対されないか」
「勝利さん。こんなおっさんとか言わんで。私が選んだ人なんよ?」
「そうだな……悪かった。ありがとう」
海音が会ってくれと言うのだから、その友人もきっと理解のある子なのだろうと勝利は思った。同時に、本当にこの男で大丈夫なのかと、見定められるということにもなる。
勝利は自分に言い聞かせる。
(真剣な付き合いをしている事を伝えなければならない。そう、結婚についてもだ)
「海音」
「ん?」
「俺の仕事のこと、どう思う」
「勝利さんの仕事? あまり詳しくは知らないけれど、国民のために身を呈して働く立派な職業だと思ってるよ。海の警察みたいな存在でしょう? 私も海洋調査の届け出をする時にお世話になった事があるの」
「例えば、その海の警察官は国家公務員だ。万が一の事が起きたら、国民のために家族はそっちのけになるわけだ。それでもいいのか」
突然、硬い話になって海音は戸惑う。勝利から笑顔が消えてその戸惑いは不安に変わる。
「うん?」
海上保安庁の組織は特別の必要を認めるときは組織の全部、または一部を防衛大臣の統制・指揮下に組み込むことが可能である。そう法で定められている。
万が一、国に非常事態が起きた場合は準軍事的な任務をこなさなければならないのだ。それは海上保安官に大切な家族があっても、愛する恋人が居ても、それを優先しなければならないという事だ。
「いや、いい。それで、いつにする」
不安そうな海音の顔を見ていたら、万が一の話をするのが酷に思われた。勝利はそれ以上の話をするのを躊躇った。
「えっと聞いてみるね。で、またお知らせするね」
「宜しく」
海音は勝利の様子が気になる。言いかけてやめた感じがしてならない。やっぱりその話はまた今度とごまかせれた気になった。
「ねぇ、勝利さん。なにか心配事?」
「あ?」
「急にお仕事のこと言うけん。私、素晴らしい仕事だと思っとるよ。それに、公務員て皆そうでしょう? 有事の際は自分の家族は後回しになるの。だって、国民が納めたお金で食べているんだもん。それってそういう意味でしょう? それで家族を優先したらそれこそ給料泥棒になるよね。私、ちゃんと送り出せるよ。その時が来たら、私達のために頑張ってって。でもね……」
「ん?」
「絶対に元気な姿で帰ってきて欲しい」
「海音っ!」
「え、あっ」
勝利は海音の言葉を聞いて抑えていた気持ちがこみ上げた。壊してしまうくらい強く抱きしめてしまう。
海音は公務員が背負うものを理解しているようだ。しかし、その時が来ても同じ事が言えるだろうか。そんな意地の悪い考えが勝利の頭を不意によぎった。
(いや、海音は違う!)
勝利は海音のことを信じようとしていた。
「ふっ、んんっ。苦しい、勝利さん苦しいってば。ギブアップぅーー!」
「すまない! 大丈夫か、海音」
「びっくりした。勝利さん、どうしたの? なんか今日はいつもと違う」
「仕事がな。ちょっと部署が変わるかもしれないんだ。なんだ、その、家を空ける事が増えそうな予感がな、してな」
「ナーバスになっとるん? 勝利さんでもそんな風になるんやね」
海音はそう言うと、申し訳なさそうに眉を下げる勝利の顔を両手で包み込んだ。
日に焼けた自分より分厚い肌を、優しくそっと手のひらで撫でる。人生経験が自分より豊富な数々の荒波を乗り越えてきた海の男が、そんなことでナーバスになるとは思っていなかった。
(ごめん勝利さん。ちょっとだけ可愛いって思った。私にそういう姿を見せてくれるの、嬉しい)
海音はそのまま勝利の唇にキスをした。薄い上唇が海音の唇に食まれるとヒクと下唇も反応した。攻めることがあっても受け身になる事がほとんどなかった男は、自分でも驚くほどに肩が揺れた。
目を瞑って艶めかしいキスをしてくる海音に勝利の心の奥に火が灯る。これまで遠慮していた、ずっと抑えていた気持ちがメラメラと燃え始める。
「んっ、ふっ」
勝利はもう一度、海音を抱きしめた。今度は潰さないように、でもこれまで以上の愛を込めて。
(絶対に、離さない。死んでも誰にもやりたくない。海音だけは)
「好き。強い勝利さんも、さっきみたいに不安がる勝利さんも好き、です」
「っーー!」
海音はとろんとした黒眼で勝利を見つめる。まるで催眠術にでもかかったように勝利から目を離そうとしない。ただ、何度も「好き」を繰り返す。
勝利は目を大きく開いてただ見つめ返すだけだった。海音が繰り返す好きに、心を奪われて一ミリも動けない。
「勝利さん。どんな勝利さんも好きやけん。おじいちゃんになっても、愛してあげる」
海音はそう言いおわると、頬を少し上げて優しく笑った。
海音が言う、おじいちゃんになってもという言葉に彼女の心が見えた気がした。12歳も離れた勝利に、いつか先にやって来るこの世との別離。それも海音は受け止めようとしているのだ。
「生意気な小娘め、覚悟しろ」
「小娘?」
「ああ。こんな小娘に乱される俺の気持ちが分かるか。海音」
「どんな、気持ち」
海音は少し不安そうに聞き返す。勝利は鋭い眼差しを海音に向けたまま、片方の口の端を上げると、海音の顔を引き寄せて額をコツンと合わせた。
「喰ってしまいたい」
「えっ」
「海音を俺の腹の中に入れたら、外に出さない。それぐらい」
「それ、ぐらい?」
「可愛くてしかたねぇんだよ」
目に入れても痛くないとは聞くが、勝利の場合は喰って腹に入れたいほど海音が可愛くてたまらないのだ。
「でも、やっぱり食べんでね」
「こらっ、海音っ」
「あんっ」
勝利は海音の細い首筋に吸い付いた。チューと吸って舌でペロリと舐めて、本当に食べる前のような仕草をする。その刺激に海音がヒク、ヒクと反応するものだから、勝利のムスコは大きくなり始めてしまう。
「海音」
「勝利、さん」
二人が呼び合う声は色気たっぷりで、愛の交わりを誘い合うものだった。
「なんて顔をしているんだ」
「顔?」
「ああ。そんな顔は俺以外に見せるんじゃないぞ」
勝利は頭を下げ、海音の胸元に顔を寄せ甘えるように頬を擦り付けた。海音は自分より年上で誰よりも強い勝利に甘えられて、胸がキュンと激しく鳴いた。
「勝利さん、好き」
海音の言葉が勝利に力を与える。勝利は沸々と湧きあがる情熱にまかせ、そっと海音の腰から下に手を移動させた。
「あっ、だ、ダメぇぇ!」
「!!」
海音が勝利の動きを封じようとした。まだ勝利は何もしていない。
「すまん。何か気に障ることをしたか」
「あっ、違うの。その、ごめんなさい! あの、いまアレの日で」
「アレ、の日……あ、あぁ。なるほどな」
なんと月に一度の女の子の日だったのだ。そして、それを海音は今思い出したのだと焦った。
「ごめんなさい! 私、すっかり忘れとって。その気にさせちゃってごめんなさい!」
「い、いや。仕方がないだろ。気にするな」
「でもっ」
気にするなと口では言ったものの、元気にやる気満々の勝利のソレは別物だ。落ち着くまで暫く時間がかかるはずだ。
「大丈夫だ。これぐらいの事で我慢が利かないなほど俺のコレは暴君じゃないぞ」
「でも……」
そんなに大したことじゃない、気にするなと勝利は言う。それでも海音は申し訳ないとしょんぼりしてしまう。
「ほら見ろ。コイツも治まってきた。とは言っても、解禁になったらどうなるかは分からんが」
「もうっ! 勝利さん! ちっかぱ好きぃぃ」
「おっ」
海音は勝利に大事にされている事、愛されている事の喜びが爆発して、あろうことか勝利を押し倒してしまう。
「海保の女は大胆だな」
「ふふ。勝利さん限定でね」
その晩、
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