第5話 見えては隠れる、結婚という名の母港

 女が30歳にもなれば結婚という文字が脳内をチラつき始める。海音の周りも男女問わず身を固め始め、久しぶりの友人からのコンタクトの殆どが結婚の知らせになった。20代後半はお祝儀のために働いているのかと思ったほどだ。


「ねえ、海音たちはまだそう言う話せんと?」

「うーん、まだかな。付き合い始めてまだそんなに経っとらんもん」

「でも相手は40過ぎとるとよね。時間とかあんまり言ってられんちゃないと?」

「一度経験しとるし、焦ってないっちゃないかな」

「でも海音は30歳なんやし、そこらへんは考えてもらわんと」

「まだ恋人同士を味わいたいとって」

「それならいいけど」


 高校からの同級生である朋子とは定期的に会っている。海音に初めて彼氏ができた時も、派手に振られた時も、側にいてくれた大切な何でも話せる友人だ。


「ねえ、付き合ってそろそろ3ヶ月やったっけ? 早く会わせてよ」

「そうやった。今度話してみるね」

「年上の男の人かぁ。楽しみにしとるけん」

「うん」


 そんな朋子も1年前に結婚し、お腹には新しい命が宿っている。海音は朋子の結婚披露宴の時にブーケを受け取っている。拾ったのではなく、朋子から直接手渡されたのだ。いわゆるサプライズと言うもので、彼氏と別れて落ち込んでいた海音に「新しい恋をしなさい! そして幸せになりなさい!」と言う励ましのプレゼントだった。


「次に会うときは、彼氏と同伴やね」

「うん。約束する」

「じゃあまたね!」

「また」


 

 海音は朋子と話している間、ずっと勝利との結婚の事を考えていた。彼は決して遊びで自分と付き合っているわけではない。でなければ30歳と言う微妙な年齢の自分を選ぶはずがない。海音はそう信じている。


(出産かぁ……リミットもあるしね)


 赤ちゃんを望むなら、あまりのんびり恋人気分を味わっている余裕はない。そう思えばのんびり屋の海音とは言え、自然と導火線に火がつくもの。


(結婚、妊娠、出産……勝利さんと!)


「急がないと!」


 海音はスマホを取り出し気づけば勝利にメッセージを打っていた。


『今度、私のお友達に会ってくれませんか。無理にとは言いませんが』




◇ ◇ ◇




 その頃、勝利は会議室にて打合せ中だった。巡視船乗組員の選定を業務管理官の長たちと行っていた。

 航海長、機関長、通信長、主計長と一癖も二癖もありそうな面子と顔を合わせているところだ。


「五十嵐船長は、42歳ですか。若いですな」


 航海計画書の隙間から眼鏡を光らせてそう言ったのは主計長の荒木だ。庶務、経理、物品の管理などの業務を行う人間だ。


「もうそろそろ、2回目に突入してもいいころですな」


 荒木と顔を合わせてニヤリと笑うのは通信長の井上。それを更に煽るように機関長の上田が言う。


「エンジンも温まり過ぎるとよくないですしな。そろそろ出航してもいい頃合いです」


 更にとどめを刺すように航海長の江本が口を開いた。


「船長、玄界灘を越えるんです。さあ! 碇を上げて母港を目指しましょう」


 勝利はこの4人が言いたいことを理解できないわけではない。しかし、今ここで話すべき内容ではないのだと目で訴えてみる。

 勝利の鋭い視線をなんとも思わない保安官のおじ様方は、彼を弟のようにでも思っているのか、単に年下の彼女が羨ましくて冷かしているだけなのか。にやにやと顔面を緩めながら口を閉ざすことを止めない。


「そろそろ、総務的な仕事をしたいものです。配偶者手続きなどの」

「荒木主計長。今は来月からの乗務員選定をしているんですよ。なんですか、配偶者手続きって」

「面舵をいっぱいにきりましょう!」

「江本航海長まで……はぁ」


 勝利は思わず頭を抱えた。勝利にそろそろ再婚をしろと、勇気を持って家庭という名の大船に乗れと言う。船長たる者がバツイチ独身だなんて格好がつかないだろうと言われているようなものだ。

 こんなことを勝利に言えるのもまた、彼らしかいない。


(余計なお世話だって……)


 とは、言えなかった。

 みな、勝利より年上でこの道の大先輩。いくら勝利が特殊救難隊に所属していたとは言え、彼らは犯罪を防ぐチームで救難とは真逆の仕事をしてきたシャークの様な軍団だ。後から入った勝利が、いくら階級が高かろうが、船長をしていようが海猿にはまだ敵わぬ存在だった。


「女で30歳ともなれば意識し始める時ですよ。男にその気がないと気づけば、波が穏やかなうちに陸に上がってしまいますな」


 通信長の井上の言葉にはさすがの勝利もドキリとした。そうだ、海音は年下とは言え世間では結婚適齢期をとっくに迎えた大人の女なのだと。普段そんなそぶりは見せないけれど、それは自分を気遣っての事なのか、それとも見極めのタイミングを計っているのか。考えれば考える程、焦ってしまう。


 これは決して、避けては通れない案件だ。


「「逃した魚は大きい」」

「あー! 分かっていますよ!」


 勝利は両手で頭をガシガシと掻きながら会議テーブルに突っ伏した。皆のクスクスと笑う声を聞きながら、海音の事を想ってみる。


ブブー、ブブー……


 すると、スマホが振動しメールの通知を知らせてきた。勝利は周りに見られないよう胸ポケットからスマホを取り出し、テーブルの下で画面をタップする。


 海音からだった。


『今度、私のお友達に会ってくれませんか。無理にとは言いませんが』


「マジか……」


 とてんでもないタイミングだ。この短文にどんな意味が込められているのか、分からないほど勝利は鈍感ではない。友人に紹介するという事は、少なくともこれから先の未来を共有したいと言う事だ。そしてその友人が客観的に見て、勝利が海音に相応しいのかをジャッジするということ。


「はい、では会議は終わりまーす。船長、お早い決断を。リストはおおかたこれで良いでしょう。では、我々はこれで」

「ちょっ!」


バタン!


「なんなんだよ……まるで巻き網漁だな。気づいたら囲まれて捕獲されるってか! 別に逃げてるわけじゃないんだよ。逃げられたくないから、進めねえんだよ」


 勝利には勝利なりの考えと理由がある。過去の痛い思い出が一歩踏み出すのにちょっとした枷となっていた。それをまだ彼女に話していない。


 勝利は海音に『週末にでも計画をしよう』そう、返信をした。


トントン


「はい!」

「五十嵐さん。本部長がお呼びです」

「すぐに参ります」


 勝利は突然の本部長からの呼び出しに首をひねる。最近の警備や救難状況をひと通り頭の中でめぐらした。しかし、考えても本部長から呼び出されるほどの事は起きていない。どちらかと言えば平和だった。


 そう思いながら、勝利は襟元を正し会議室を後にした。






「私が、ですか!?」

「五十嵐くんの経歴を見誤っていた。まさか我が第七管区に君のようなマルチで優秀な保安官がいたとは。まったく、なぜもっと強調しない。第七管区の花形じゃないか。今度ホームページに付け加えるか」

「本部長それは遠慮願いたいのですが」

「とにかく、早いうちに返事が欲しい。前向きに頼むよ。うちから出せたら我々も、生きやすくなるというものだ。未来を担う若い保安官の為にも」

「はあ……」


 本部長からの話は勝利に海賊対策に参加して欲しいという内容だった。


 近年、海域を護る任務に徹していた海上保安庁も国際社会に貢献するため、海上自衛隊と協力し、ともに任務に当たる機会が増えた。また、ときに要人の護衛任務を受けることもある。

 過去、天皇皇后陛下が、ある島の国を訪れた際に移動や安全面から海上保安庁の巡視船が宿泊施設となった事があった。日本の法律では護衛や逮捕に至る取締り、邦人の保護は海の警察的役割を担う海上保安庁の仕事となっている。自衛隊はあくまでも自国を護る目的でしか動けないからだ。

 国際社会とのバランスを取るために海上自衛隊が海賊対策に向かうそれに、警察のように逮捕の権限を持つ海上保安庁から保安官が出されるのだ。


「ここ、第七管区は平和だと思われているんだよ。第十一管区沖縄地域からは出せないってことで、白羽の矢が立った」

「それで私、ですか」

「君はてっきり特殊救難隊だけかと思ったら、特別警備隊の訓練も受けているって聞くじゃないか。年齢も部下を率いるにもちょうどいいし、体力的にも君なら問題ないだろうと思ってね。君の船も船長代理がやれる面子ばかりが揃ったベテラン船だしな」

「引き受ける事が前提の様ですが……」

「ははっ! 察しがいいな。無事に任務が終われば昇級ものだよ。頼むよ五十嵐くん。ご家族にもよく話してほしい。悪い話ではないよ」

「はい」


(家族って言われてもなぁ)


 勝利の両親はもう70歳を迎え、いちいち息子の仕事に口を出しては来ない。言っても分からない世界だから好きにしなさいと言われるだけだ。


(海音に話すべきことなのか……)


 海賊対策に参加するとなれば海上自衛隊の護衛艦に乗り、何ヶ月も外国の海の上で過ごすことになる。いつ帰るとも分からない仕事を海音はどう思うだろうか。それに自分の不在中、好きな男が出来るかもしれない。でもそれを責める事はできない。

 恋人という間柄なら尚更だ。


(結婚していたって、ダメになるんだ。国のためだと言い訳をして、家族を犠牲にする男って言われてな)


 自分はこの仕事に誇りを持っている。理解できないヤツは必要ない。若い頃はそう強がって逆らって切り捨ててしまった家庭。しかし、勝利もそれなりに年を重ねた今では、単なる高慢だったのだと思っている。


「はぁ」


 勝利がいつか就いてみたかった特殊警備の仕事。まさか今ごろ回ってくるとは思ってもみなかったはずだ。そして、新たな不安が生まれてくる。


 勝利が愛する女はこういった特殊な仕事をする男との未来を、どれくらい真剣に考えてくれるのか。仕事と家庭を天秤にかけられない自分を、将来永きに渡って愛してくれるだろうか。


 勝利が犯した過去の過ちが、今になってチクチクと痛み始める。

 

『私はあなたの家政婦でも娼婦でもないわ! 都合のいい時ばかり愛しているなんて言わないで! 家庭を大事にできない人に、海なんて護れるわけがないのよ! バカみたい。同じように苦しんでいる家族がいても、あかの他人の命の方が大事なんて......バカみたい!』


 国のために、国民のためにと熱くなった勝利にバカみたいと冷や水を浴びせた元嫁の気持ちも、今になれば分からなくもないと。

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