第8話

 追撃を、そう思った時には既に鬼童は僕の剣から逃れていた。片腕を、しかも利き腕を潰した訳でもない。しかし老体にあの傷は決して軽傷と言うわけではないだろうが、それでも鬼童の動きにまだ衰えは無い。対して僕はどうだ。即死を免れただけで切り裂かれたのは首の動脈付近、出血が酷く、意識が飛ぶのも時間の問題だ。そうでなくとも肉体は限界を迎えていて、僕の言うことを聞いてくれるのも、これも時間の問題だろう。


 そうであったとしても、鬼童という人物が予測を上回る強敵であったとしても、壊れる覚悟はできているんだ。室内を所狭しと僕は鬼童に付いて回り、彼の放つ剣に受けて立った。もう時間こそ残されていないが、漸く彼と同等の速度を手に入れたお陰で、彼と切り結ぶことが出来る。僕も鬼童も、その体に無数の刀傷を刻んで行く。暫くは拮抗が続いたが、先に音を上げたのは僕の体だった。まるで足が縫い付けられた様に持ち上がらなくなる。そうでは無い、膝が動かない。出遅れたと思った時にはもう鬼童は壁を駆け上がり高度を取り、最後には天井を蹴って僕へと飛び込んでくる。片腕が使えない為に足らない威力をその勢いで補おうというのか。


 動けない僕は立ち向かうしかない。だが今度は腕の反応が鈍る。鬼童はもう目の前、その剣を振り下ろそうとしている。間に合えと願いながら、遅れ馳せながら右腕が漸く上がった。左手でも柄を握り込み、両手で以て迎撃に打って出る。そして間一髪、甲高い音と共に僕と鬼童の剣のその刃がぶつかり合う。直後、僕の剣はぶつかり合った箇所の刃が破壊され砕けて散った。これまでの無理も祟っているだろうが、一番は業物であろう鬼童の剣と違い僕のこれが所詮は有象無象の剣であるという違い。先生ならば例え木刀でも真剣の、例え名刀と称される物とでも打ち合えるだろうが、僕にそこまでの技量は無い。それが今はとても悔しかった。だが、悪いことばかりでも無い様だった。殺戮を行った者であっても、同質の存在と二人きりともなればどちらかには幸運が舞い込むようだ。もしかしたらこれはあやめが……。


 激突し、砕け散った僕の剣。そしてその刃は大小の破片となって飛び散った。その一部は僕の頬や額、頭皮を切り裂いて行ったが、これは鬼童にも降りかかった。僕は外した肉体の制限から極限まで高められた反射神経と動体視力で以て飛び散った破片が舞う光景をゆっくりと目の当たりにしていたが、鬼童側へと飛散したその破片は彼の右目へと突き刺さり、直後に彼の目は切り裂かれた血管から溢れ出した血液で真っ赤に染まりすぐに瞼が降りる。


 鬼童の舌打ちが耳に届くと同時に、彼は僕の胸を蹴って後退していた。よろめきながらも踏み止まった僕は、改めて彼を見た。そこには閉ざされた右目から血涙を流しながらも、しかし確かな笑みを浮かべた鬼童の顔があった。戦いに、殺しに愉しみを見い出した者の笑顔。それは僕自身がよく知っている。

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