第92話 大成、柔道の試合を始める

 俺と石狩いしかり太美ふとみさんが試合場の中央の立ち位置(開始線)に立つと、観客からは一段と高い歓声があがった。

 鬼鹿おにしか先生は、俺から見て石狩さんの左斜め後方あたりのステップの上で鬼のような形相で見ている事に気付いた。その斜め前あたりの椅子席にらん先生や当麻とうま双葉ふたばさんたち2年1組の連中がまとまって座っている。そのすぐ近くには広内金ひろうちがね先輩、恵比島えびしま先輩、虎杖浜こじょうはま先輩もいる。男子柔道部の部長である目名めな先輩はみなみ先生の後ろあたりの最前列、鬼峠おにとうげ先生はその反対側に位置する場所の最前列に座ってるけど、二人共ハンディカメラを回している。どうやら俺と石狩さんの試合を録画して後で何かに使うつもりなんだろうな。

 南先生が場内をぐるりと見まわした後、気合を込めた顔をして

「えーとー、本日の試合の主審を務める事になった、2年3組担任にして女子柔道部顧問の野花のばなみなみです。今日のルールを簡単に説明します。今日は公式な試合ではなくエキシビジョンマッチの扱いなので時間制限はなく、どちらかが1本を取った時点で終了とします。そのため、優勢勝ちはありません。これは元々駒里こまさと君と石狩君の試合がこのように執り行われる事になっていたので、そのルールをこの試合でも適用します。二人が赤と白の帯を巻いてないのはその為です。ここまではよろしいですね」

 俺も石狩さんも首を縦にふった。お互い、この勝負方法で異論はないという事だ。

「この試合は女子柔道部と生徒会執行部が責任を持って行う取り決めになっていますので、女子柔道部の部長の浜中はまなかさん、生徒会長の串内くしないさんが副審を担当します。優勢勝ちはありませんが『有効』の判定は行います。なお、『技あり』2本で1本勝ちとし、抑え込み開始から25秒で『技あり』、30秒で『1本』とし、『技あり』に続いて抑え込みに入った時には25秒で『1本』です。ここまではよろしいですか?」

 俺も石狩さんも首を再び縦にふった。

「それでは試合を始めます。礼!」

 俺と石狩さんは互いに礼をして試合が始まったけど、正直、石狩さんとは初手合いだからどのようにしたらいいのか分からない。最初は互いに出方を見ている感じで積極的に技を仕掛けるまでにはいってない。


 石狩太美さん・・・黒帯が示すとおり青葉あおばと同じく二段で女子柔道部の所属で、南先生が担任をしている2年3組のスポーツ特待生だ。つまり、兄妹揃って柔道のスポーツ特待生だ。お兄さんの石狩月形つきがた先輩が日英のクオーター(母親が日英のハーフ)だから、当然、妹である石狩さんもクオーターだ。

 青葉からは今日の午後に少しだけ石狩さんの戦い方を聞いたけど、青葉が石狩さんよりも体重が重い(失礼)浜中先輩とは互角の勝負ができるのに、石狩さんに苦戦する理由は体重差ではない。

 それは・・・身長差と身体能力の差だ。

 身長は女子としては破格の181センチ!176センチの俺よりも5センチ高い。それでいて手足はスラリとして、その長さはスーパーモデルかと見間違うくらいにある。日本人離れした外見と美貌の石狩さんを「現役高校生」と答えられる人はいるかもしれないけど、「柔道部所属」と答えられる人は1万人に聞いても絶対にいないと断言できる自信がある。百歩譲って「どこかの劇団に所属」「どこかの芸能事務所に所属」と答えるのが関の山だ。

 もっとも、昼休みの事を見れば分かるけど口は相当悪いので、『脳筋女の集団』女子柔道部所属と相まって、その2点で青葉より低い評価につながっているけど、スタイルと美貌だけを考えれば青葉もかすんで見える。

 クラスは63kg以下級だ。しかも昨年のインターハイ準優勝者でもある。男子はインターハイ予選で宿泊したホテルの食中毒騒ぎで個人戦は全員棄権したけど、女子は男子の後だったから急遽ホテルを変更して問題なく出場し、団体と個人4人が全国大会へ行って、団体はベスト8、石狩さんが個人準優勝、浜中先輩が70kg以下級で三位になっている。高校選手権は兄妹揃ってインフルエンザで予選そのものの出場を取り止めたけど。

 このクラスの女子はパワーで押す選手が多いけど、石狩さんはその長い手足を使って相手をいなす。最大の特徴は信じられないくらいに体が柔らかく、相手の投げ技、抑え込み技をしなやかな体と驚異的な背筋力で交わす。

 下半身がしっかりしているから青葉からの足技を受けながらも腰技、手技で投げ返すし、青葉が『背負せおい投げ』や『体落たいおとし』に持って行こうにも長い手足に邪魔をされて上手く懐に潜り込めないし、うまく懐に潜り込んで強引に投げたとしても驚異的な身体能力で技を完璧に決めさせず『1本』を奪えないし、抑え込もうにも元々青葉は寝技が下手だから逆に体格差で抑え込まれて完敗するパターンがほとんどだ。

 青葉が勝つ時は十八番おはこともいうべき『つばめ返し』の他は『内股うちまたすかし』『払腰はらいごし返し』『跳腰はねごし返し』などの返し技だ。つまり、青葉は自身の攻め技を完封されて力負けする場合が殆どで、勝つとしても相手の攻めのカウンターで勝つようなものだ。

 今だってそうだ。俺は石狩さんの懐に入ろうとしているけど、石狩さんは上手くいなして決して入らせない。だが、俺も石狩さんに隙を与えてない。既に3回『待て』が入ったけど、未だにどちらも技らしき物をかけていないに等しいから、お互いに「積極性に欠ける」として南先生から『注意』を受けているほどだ。

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