第4話 猫から獅子へ

「貴方は小さい頃から私を見てくれた。私をプロゴルファーに育ててくれた。私をいつも想ってくれた。こんな私を……」


「美華様……」


「私はそんな貴方の為に何かしたかった。おばあさまが一線を退いてメジャーから遠ざかった貴方を、人々の記憶から幻のように消えつつあった貴方を、もう一度みんなの前で輝かせたかった……」


「……」


「でもこれで終わり。これ以上、変なスコアで貴方の名声に傷をつけたくない。……棄権ギブアップするわ」


 そんな二人のやりとりを声こそ聞こえないが、ティーグラウンドから冷たい眼で眺めている昨年度賞金女王の坂上。


(意外と早く潰れたわね。プロテストで私を押さえてトップで合格したのも、やっとこさステップアップツアーを勝利したのも、まぐれ、いや、”招き猫”が幸運を呼んだのかしらね……)


 武羅が叫ぶ


「ギブアップですと! そんなこと……私がさせません! なぜなら」


「……」


『私も美華様が大好きなのですよ』


「!!」


「擬人ゴルフクラブは能力だけで主を決めません。私は知っております。美華様は引退寸前の私をもう一度檜ひのき舞台に立たせる為、人知れず血のにじむような努力をなさっていたことを!」


「……」


「例え美華様から、”あ~んなこと”や”こ~んなこと”の仕打ちをされようが、私のことを想ってくださり、ともに高き頂をめざすことが、我ら擬人ゴルフクラブの何よりのかて! そして主を勝利の栄冠へ導くことが、何よりの愛!」


「武羅……」


「やはり私は美華様のおっしゃるとおり“ポンコツ”なのですよ。だって、擬人ゴルフクラブにもかかわらず、こんなにも貴方のことをお慕いしておりますから」


「……」


 満面の笑みを美華に向ける武羅。うつむく美華。


 そして美華の肩を震え、体が震え、風が震える。


『フフッ! ウフフッ! ア~ハッハッハッハ!』


 突然コース上で笑いの暴風を吐き出す美華。


「み、美華様! いかが……」


『ちゃ~んちゃらおかしいわね! 擬人ゴルフクラブに恋する”へたれ女子ゴルファー”! そして人間を好きになる”ポンコツ擬人ゴルフクラブ”! 正に割れ鍋にぶた! これ以上の”バカップル”はないわよね!』


 突然の美華の”変貌”に武羅はうろたえる。


(み、美華様のあらゆる能力、気力、精神力が上昇している! ……いや、これが美華様の本性、珠代様がおっしゃっていた、”まこと”の美華様なのか!?)


  ― ※ ―


 数日前の猫又家の座敷。


 正座で向かい合う《化け猫》猫又珠代と武羅。


「そうかい、そんなにも美華のことを……。あの子も果報者ね」


 膝の上に鎮座する三毛猫をなでながら、珠代は独り言のように武羅に向かって呟いた。


「いい武羅。美華はね、ちょっと内気で、ちょっとわがままで、ちょっと意地っ張りで……」


「……」


「……ちょっと、寂しがり屋なのよ」


「……」


 武羅はなにもいわず、ただ、二つの瞳で以前の主を見据えていた。


「でもね武羅。もしあの子のこうした《猫かむり》が解き放たれたら、貴方でも手がつけられない化け猫、いいえ、“狼”や”虎”をも駆逐くちくする《獅子》に化けるでしょうね……そんな”百獣の女王”になったあの子について行くことが出来て?」


 武羅は何も言わず、両手をつき、ゆっくりと額を畳へと近づけた。


  ― ※ ―


 美華は首をコキコキ鳴らしながら、吹っ切った顔を武羅に向ける。


「あ~あ、今までウジウジして《猫かぶっていた》のがど~でもよくなっちゃった。あ、武羅、さっきのギブアップなしね。せっかくのメジャーツアーの予選。もうちょっとあがいてみるわ」


「美……美華様」


「さあ立って。次にやることはわかっているでしょ。何せ私のすべてを知っているんだからね!」


 逆に涙目になる武羅に向かって、美華はウインクをする。


「御意!」


 力強い言葉が武羅の口から放たれた。


 正面打ちで構えた美華は、武羅の右こめかみにボールを近づける。


「いい武羅! 安全策なんてしない! 目指す先は、グリーン!」


「ははっ!」


「……とはいうものの、こんな深いラフでグリーンまで340ヤード以上。正直手の打ちようがないのよね」


「そんなことはありません。美華様、私の眼をご覧ください」


「眼?」


 武羅と眼を合わせる美華。


『さぁ美華様、めくるめくわが《幻影イリュージョン》の世界へようこそ!』


「え!?」


 武羅の詠唱と同時に、武羅の瞳から美華の瞳を通じて、体に流れ込む“何か”。


「それでは美華様、改めてコースをご覧になってください」


 美華は改めてグリーンの方へ目をやると、しゃっくりのように息をのむ。


「え……うそ! 木の向こう側! いえ、グリーンの旗の揺れまで“見える”!?」


「このコース、いえ、西宮寺ゴルフ倶楽部の風、木、芝、バンカーの砂一粒まで、すべてを美華様に“魅せる”事が出来る、これが我が《幻影》の力です。今の言葉で例えるなら《VRヴァーチャルリアリティー》でしょうか」


「で、でも、こんな力……どうやって使えば?」


「美華様はご自身で風を、芝を、砂を読むことができ、それをショットに反映させる力がございます。その証拠に


”私の力を使わず”


ホップステップツアーで優勝なさいましたからね。いやぁ、あのときの他の擬人ゴルフクラブの忸怩じくじたる顔は愉快痛快でしたよ。大なり小なり私のような力を持っているのが擬人ゴルフクラブ。それを“美華様お一人の力だけ”で優勝なさいましたからね」


「ええぇ! そうだったのぉ!?」


「もっとも、私もスイングの時におならして加速したり、インパクトの瞬間に首や体を反らしたりしてなんとかスイートスポットにボールを当てようと努力しましたが、そんなの他の擬人ゴルフクラブの力に比べたら児戯じぎにも等しいあがきですからね」


「……わかったわ! 現実を幻影にして私に写す貴方の力。そして”貴方の幻影”を読み、ボールを”操る”私の力が合わされば、”ぬかに釘”、いえ、”美華に武羅”ってことね!」


(美華様、そのボケにはあえて突っ込まないでおきます……)


「んじゃいくわよ! 目標! グリーン! コースはこのまま直進! 高さは地面から2メートルの無風地帯! 武羅、首がもげても知らないわよ!」


「美華様、私の首は例え”落ちてくる隕石”を打っても何ともございませんよ」   


『んじゃいくわよ~! ねこ~~!』


 そしてゆっくりと武羅を振り上げる、と、同時に、美華の左脚も持ち上がり、曲がった膝は美華の右胸へと近づく!


『パン~~!』


 有戸が(あれは!)

 木藤が(一本足打法!)

 尾関が(無茶だ! ティーグラウンドならまだしも、あそこは深いラフだぞ!)


『チイィーーーーー!』


 地面に叩きつけるように下ろした左足、

 ブン回した武羅、

 正中に戻された重心。


 武羅の右こめかみにボールがインパクトした瞬間、これら三つが合体し! 三倍のパワーとなって風を! 地面を! 


”ドゴーーーン!”


 ボールをぶっ飛ばした!


『エクセレントォーー!!』


 武羅の雄叫びとともにラフ、そしてフェアウェイ上を超低空飛行で駆け抜けるボール。


 ワードナーが「ダフったか!?」

 パーシヴァルが「いや! まだ落ちない!」

 木藤が「うっそぉー! ホップしてるー!?」

 有戸が「あれが武羅の……いいえ、猫又プロの力!?」


 やがて失速したボールはフェアウェイを二回、三回と跳ね、グリーン手前80ヤード地点で止まった。


「いやったぁあーー!」

「やりました美華様! 正にパーフェクト! 気持ちよすぎて少しちびりそうになりました!」


尾関が

「あ、あんな深いラフから、一本足で、2番ウッドで、男子プロ並みの260ヤードォ! お、おい赤木、今のちゃんと撮ったんだろうな!?」


「は、はい! それよりも尾関さん! 猫又プロが打った場所!」


 赤木が指さすところは、ライン状に”削られ”地面が見えているラフを補修している武羅の姿だった。


ディボットじゃねぇ! スイングした所のラフが! ボールの手前から


『芝生の根ごとえぐり取られてやがる!』


 あれをティーグラウンドでぶっ放したら……」


 長年ツアーを見てきた赤城の背中に、冷たい汗が滑っていった。

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