#25 金と夢(終)
てっきり凛乃は、このまま事務所にまっすぐ帰るだけなのだと思っていた。
が、社用車はぐんぐん脇道に逸れていくので、別に目的地があるのだと気付く。運転席の耀太郎も、助手席の明彦も、どこに向かっているのか分かっているようだ。分かっていないのは凛乃だけである。
《第十三開発放棄区画》の、とある荒れ地の前までやって来て、耀太郎は停車させエンジンを切った。
「降りろ」
そう一言だけ凛乃に言って、さっさと車から出て行ってしまう。明彦も同様だった。
……ここで処分でもされるのだろうか?
凛乃はそんなことを考えてしまう。何せ周囲には何もない。更地――なのだが、手入れも何も無いのですっかり雑草が伸び切っている。
荒れ地という表現がやはり一番正しいだろう。こんな場所で行うことと言えば決闘ぐらいだ。
「う~……寒いや……」
「何で寝間着で来たんだよてめえは。俺のジャケット着てろ」
耀太郎が自分のジャケットを脱いで、明彦の肩に掛けた。
相変わらずやり取りだけ見れば、夫婦のそれに近いなぁと凛乃は思う。
「おい」
「は、はひっ!」
呼び掛けられて、凛乃は咄嗟に身構える。耀太郎に襲い掛かられたら三秒でダウンするだろう。
しかし耀太郎はそんな凛乃を見て、「はぁ?」と疑問符を浮かべた。
「何を構えてんだてめえは。もう説教なんざしねーよ」
「え? えーっと……」
「凛乃ちゃん。ここが何だか……分かる?」
そう問われても、凛乃は全く答えることなど出来ない。
素直に「荒れ地ですか?」と言ってしまった。耀太郎も明彦も苦笑する。
「向こうに看板立ってるだろ。正確に言えば、荒れ地じゃなくて売地だ」
「国が所有してる土地、だからね……」
「あの……それがどうかしたのですか……?」
おずおずと凛乃は尋ねる。二人が凛乃を怒る様子はもうまるで無く、むしろその瞳には何か一種の寂しさすら浮かんでいるようだった。
そうして凛乃は遅れて気付く。
ここには何も無いのではなく、かつて何かがあったのだ。
それを掬い上げるように、耀太郎は夜風に靡く雑草を見ながら言った。
「ここは、昔孤児院……あー、今は養護施設って言うんだっけ? まあそういうのがあったんだよ。小さくてオンボロでどうしようもないくらい貧乏な、シケたトコだった」
「でも……何よりも、暖かい場所だったよ」
「あ……」
この二人がここの孤児院出身なのだと、凛乃はすぐに察した。
そしてそれは、どちらも両親が居ないということだ。ここに来てようやく、凛乃は二人が出会った時からずっと自分に対し妙に優しいのか、その理由を知った気がした。
しかし、その二人が育ったという孤児院は影も形も無くなっている。
売地――かつて、ここに孤児院があった痕跡すら残っていない。
言われなければ気付かないし、言われたとしても本当に存在していたのかどうかすら分からない。
「明彦。俺のジャケットにタバコが入ってるはずだ。取ってくれ」
「はい」
ロープで区切られた敷地内に侵入して、耀太郎は荒れ放題の雑草を蹴り分ける。その足元には、適当に積み上げた小さな石のオブジェがあった。
「あれは……?」
「……お墓、だよ。とてもそうは見えないけどね」
「それに、この下に眠ってるわけでもねえ。あくまで俺らが作っただけの墓だ」
耀太郎は新品のタバコの封を切る。車に置いていたものを、さっきポケットに入れておいたのだ。
そして、手作りの墓の前に生えている雑草を抜いて、足で盛り土を作った。
そこに、さながら線香のようにタバコを一本突き立てる。
「死んだジジイはこのタバコが好きでな。ばあさんに吸うなって言われてた癖に、陰でコソコソ吸ってやがったんだ。元々今日来る予定なんざ無かったから、ばあさんの好きだった饅頭はねえが、まあこれで勘弁してくれ」
その二人は、かつて孤児院の院長を務めていた老夫婦だ。
ぼくらの育ての親だよ――と、明彦が凛乃に教える。
耀太郎はもう一本タバコを取り出し、口に咥えて、ガスライターを点けた。闇夜に揺らめくその火は、送り火としては余りにも頼りない。
じじじ、とタバコを燃やして、耀太郎は肺いっぱいに思い出の煙を取り込み――
「ゲェェッホ! オェッ! ゴホッ! ガホッ! オッぶぇ!!」
――思いっ切りむせた。咳き込むと同時に、口の端から紫煙が飛び出していく。
明彦もロープを乗り越え、むせ返る耀太郎の背中をさすってやる。
「もうっ! 吸えないくせにカッコつけ過ぎでしょ!」
「ゲホッ……。う、うっせぇな……クソ、こんなモン吸って何が楽しかったんだ、ジジイめ。馬鹿じゃねえのか」
そう言って、耀太郎は落ちたタバコを盛り土に追加で突き刺した。
線香に比べると雑な匂いだ。それでも、この匂いを嗅ぐ度に思い出す。
かつてここで過ごしたあの日々と、ここに居たあの人達を。
「あの。どうして……ここへ?」
耀太郎は、今日ここに来る予定なんて無かったと言っていた。
ならば何故、わざわざこんな開発放棄区画内でも僻地と言えるこの場所へやって来たのだろうか。
耀太郎と明彦がゆっくりと戻って来る。そして、凛乃の隣に立つ。
「お前、俺らが何で必死に金稼いでるかって理由、知ってるか?」
「……? お金が必要だから、ですよね……?」
「そうだね。でもそれは曖昧だよ。生きて行く上で、お金は絶対に必要だから……」
「俺らはさ、ここにもう一回孤児院を建て直してえんだよ。俺や明彦みてえなヤツでも、平等に育ててくれたジジイとばあさんみたいな、優しい大人になりたいんだ。それが、俺らの『夢』……生きる意味だ」
それは、普段の耀太郎からは考えられないぐらいに優しげな声だった。
かつて、自分達を育ててくれた孤児院の再建。それこそが、耀太郎と明彦が身を削りながらも大金を稼ぐ、たった一つの理由。
「お金を意地汚く稼ぐことを悪く言う人もいる。その一方で、『夢』を追い求めることを美徳と呼ぶ人もいる。不思議だよね……この二つは切っても切れない関係なのに、そこにあるイメージがまるで違うんだ。何かを追うにしたって、絶対にお金が必要になるのにね。だからぼくらは夢を叶える為に、手っ取り早く稼げる方法を選んだ――その結果が、今なんだよ」
「金だけじゃ薄い人生にしかならねえ。夢だけじゃ寒い人生にしかならねえ。夢を追っかけて、んでもって金も稼げってのが、俺らの持論だ。誰が何を言おうと、今のこの仕事は儲かる。リスクを超えるリターンがある。だから、俺はお前ら未成年でも平気で殴るクズになった」
「クズ、なんかじゃ……」
「そうか? 俺と同年代のヤツは、大体どっかの企業であくせく働いてるんだぜ? 目上のヤツに頭を下げることはあっても、目下のヤツを殴って金を稼ぐだなんてことはしてねェさ。俺は、自分のやってるコトが高潔だとはとても思えねえし、自分のやって来たコトはとんでもなく汚いと思ってる。それでも、俺は金が欲しい。夢の為にな」
「この言葉でどこまでお茶を濁せるのかは、分からないけどね……」
それを間違っていると言う人が、果たして何人ぐらいいるのだろう。
少なくとも、凛乃は耀太郎と明彦を批判する気はさらさらなかった。だが、こうやって自虐的なことを言うからには、二人に対して辛辣な言葉を投げ掛けた者が、少なからず居たはずなのだ。
そもそも――《傷持ち》が世間に迷惑を掛けることが多いのは事実だ。
それを少しでも防いでいる耀太郎と明彦は、賞賛されることこそあれ、批判をされるいわれはないと凛乃は思った。
「ま、少なくとも俺が三十路になる時にゃ足を洗いてえな」
「余生は二人でのんびり過ごしたいよねぇ」
「けどよー、曲がりなりにもここは《創造都市》内部だからな。土地が高いんだわ」
だから簡単には買い戻せない、と二人は嘆く。
《創造都市》の土地は値段が高い。こんな僻地であろうと、都内の一等地と同じかそれ以上の値がつくのだ。
二人の原動力を凛乃はようやく知った。
夢の為に、金が欲しい。
しかし、それでも――やはり凛乃には、ここに連れて来られた理由が分からない。
それを察したのか、明彦はぽつぽつと語り始める。
「……ここが潰れた理由はさ、簡単に言えば都市開発の為に土地を譲れ、って国に言われたからなんだ。もし、この孤児院に居た誰か一人でもいいから、強大な権力か莫大な財産がある者が居れば、きっと今もぼくらの孤児院はここに建っていたはずだよ」
「でも、そう上手いこといくわけもないんでな。俺らには金も権力もない。当時はガキだったから尚更だ。ただ流されるまま、一気に全部を失った――家も、家族も、何もかもな」
「当時のぼくらに渦巻いていた感情が何なのか……凛乃ちゃんなら分かるよね?」
「……あ」
何もかもが理不尽に失われた、在りし日の耀太郎と明彦を、凛乃は想像する。
きっと、胸に秘めた思いは自分と何ら変わらなかったはずだ。
強い憎しみと、怒り。そして、直感的に凛乃は理解した。
――それが、《ウロボロス》の始まりだったのだ、と。
「そっから先、何があったのかはてめえの想像に委ねるぜ。知りたきゃ教科書読めばいいしな。ま、兎にも角にも、俺らは大暴れしたわけだ。孤児院を売った裏切り者の職員にも、出来もしねえくせに無茶な開発をしようとした政府にも、それ以外の色々なモンにもよ」
かつて、《ウロボロス》は弱者を救おうとしていた。この世界の在り方を変えようとしていた。
だが、それは出来なかった。どうして突如として歴史の表舞台から消えたのか、その理由は既に凛乃も知っている。
段々と、ここに来た理由が凛乃にも分かって来た。
二人は、復讐なんて――
「勘違いしてる顔だな。言っとくが、別に俺らはてめえの個人的な復讐を諌めるつもりも無けりゃ、咎めるつもりも無いぜ? 俺らにそんな資格が無いことぐらい分かるだろ」
「え? そうなん……ですか?」
「うん。凛乃ちゃんが望むのなら、復讐をしても良いと思うよ。ただ、ぼくらは知っておいて欲しいだけなんだ。過去の傷を癒やすことは、未来の希望にしか出来ないってことを」
明彦の言うその言葉は、不思議と凛乃の耳に残った。更に、耀太郎が付け加える。
「簡単に言えば、だ。夢とか目標とか、そんな青臭いってバカにされるようなモンを持てって話だな。どうしようもない過去の傷は、そうやって治すしかねえんだ。いつまでも悔やんで泣いてたって、絶対に何も始まらないからな」
だから――この二人は、ここに来てわざわざ『夢』を語ったのだろう。
他ならぬ二人の過去の過ちや傷を癒やしているのは、いつか自分達が育った場所を再建し、そして育ててくれた人達のようになりたいという夢と目標だ。
凛乃にもそうあって欲しいと、それだけを伝える為にここに来たのだ。
「だから、いつか復讐をするってことがてめえにとって未来の希望になるんなら、それはそれでいいと思う。かつての俺らもそうだったからな」
「ただ、殺しだけはやめた方がいいよ~」
「………………」
凛乃はぽかんと口を開けていた。
一般論で言うならば、復讐は肯定されるべきではない。終わらない連鎖を生むだけだとか、ただ虚しいだけだとか、そう言った言葉で否定される。
かと言って、復讐を全て肯定することは単に首振り人形なだけだ。
この二人は、そのどちらでもない。復讐をしろとは決して言わない。だが、復讐をするなとも決して言わない。
夢とか目標とか、そんな言葉に置き換えて、復讐すらも未来の希望として扱っている――そんな破天荒っぷりがおかしくて、思わず凛乃は笑ってしまった。
「おい、何笑ってんだ。しばくぞ」
「確かに、ちょっと気恥ずかしいってのはあるけどね……」
「いえ、違うんです……お二人の優しさも、いたわりも、とっても嬉しくてありがたいです」
だから――凛乃は決めた。
教科書に載るようなテロリスト達から教えて貰った、人生の生き方。
ただ金を稼ぐだけじゃない。夢を追うだけじゃない。
復讐すらも、希望の糧に。
胸を張って、はっきりと、凛乃は宣言した。
「わたしは、やっぱり伯父を許せません。全ての元凶であるあの人が、今ものうのうと生きていることが、絶対に許せないです」
「おう。俺もそう思う」
「ぼくもだよ」
「――だから、復讐します。わたしなりの、やり方で」
「直接殴りに行くか? 《切るやつ》で刻んでやるか? どっちだ?」
ニヤニヤしながら耀太郎が尋ねる。
きっと、凛乃が何を言うのか分かった上でからかっているのだ。
首を大きく横に振って、凛乃は宣言した。
「そのどちらでもないです。わたし、弁護士とか検事とか、そう言った法律関係のお仕事に就きたいです。直接的な手段じゃない――法的な手段で、いつかキッチリと、あの人に罪を償わせます。それがわたしの復讐……いつになるか分からないですけど、未来の希望です」
「その為には、どうしなきゃならないのかな?」
「大学進学の為にもお金が要りますし、それ以外にも色々入り用でしょう。だから、精一杯稼がせてください。この、《四ツ葉綜合解決事務所》で!」
目いっぱいの笑顔で、凛乃は二人にそう告げた。
夢も、金も、復讐も、全部を綯い交ぜにした、ともすれば薄汚いと揶揄されるかもしれない凛乃の誓いを、耀太郎も明彦も笑顔で受け止める。
「やっぱてめえはたくましいな。復讐が終わったらとっとと結婚して、てめえだけの家族を作って、幸せに生きろ。てめえの図太いたくましさなら余裕で出来んだろ。頑張れよ、新人」
「…………」
てっきり大きく返事するかと思ったが、とんだ肩透かしを耀太郎は喰らった。
凛乃はじーっと耀太郎の眼を見ている。
何でいきなりガンくれてんだテメェコラァ、と耀太郎は凛乃を睨み返す。
「凛乃ちゃん……どうしたの?」
「名前で呼んでください」
「あぁ!?」
「あの時、名前で呼んでくれたじゃないですかっ! 何でまた新人呼ばわりに戻ってるんです!」
「新人を新人って呼んで何が悪いんだよこのクソガキが! てめえのことを名前で呼んだことなんざ一回もねーよ、バーカ!」
「ありますよう! 少なくともマンションの屋上で初めて会った時とか、さっきの病院の屋上の時とか……はっ! まさか屋上でしか呼んでくれないんですか!?
「どんな設定してんだよ俺は! つーかテメェが微妙に古い少年漫画が好きなのは充分分かったっつーの!」
ギャーギャーと、二人は言い合っている。
歳の差は十歳もあるのに、精神的な部分では似通っているようだ。明彦は二人の喧嘩を眺めながら、デコボココンビだなぁと呟いた。
だが、二人の墓前で喧嘩をするのも流石に忍びない。
明彦は耀太郎の背後にこっそりと忍び寄り、首に手を回して耳たぶを食んだ。
「あふぁぁあぁ!」
「……とまあこのように、耀太郎の弱点は耳たぶなのです」
「ほほう……勉強になります」
律儀にメモを取る凛乃。普段の仕事でそれを活かせよ、と耀太郎は怒鳴ろうとしたが、また明彦に耳たぶをいじられたので声が出なかった。
「いいじゃないか、名前で呼んだって。凛乃ちゃんも伊庭さんだなんて他人行儀な呼び方はやめて、耀太郎さんって言えばいいよ~」
「――――ッ! ああもう! 分かったっつーの! もうここに用事はねえ! 帰るぞ、明彦に……凛乃!」
「はいっ! 耀太郎さん!」
「うん、帰ろう。ぼく達のアジトにさ」
三人は車に乗り込んで、孤児院の跡地から立ち去る。
そして道すがら、耀太郎はぶつぶつと考え事を漏らした。
「つーか帰ったら、向こう一週間は明彦がダウンするだろ。俺もそろそろ全身が悲鳴を上げる頃合いだし……明日から新人一人で何させりゃいいんだ……?」
「あーっ! また新人って言いましたね!? 」
「あぁ!? 新人なのは事実だろうが! 悔しかったら一人で《傷持ち》の一人や二人狩ってこいや! それとな、今日勝手に独断で動いた説教はまだ――」
「あ、そうそう。耀太郎、あの約束なんだけど、今度三人で遊園地にでも行かない?」
「わあ! いいですね! 帰りに回らないお寿司も食べましょう! 耀太郎さんのおごりで!」
「俺の話を聞けやぁぁぁ!!」
何とも賑やかしい雰囲気を、凛乃は噛み締める。
きっと――今日は、両親のことを思い出す。その時絶対に、枕を濡らしてしまうだろう。
今すぐに、傷が癒えるわけではないのだ。
心に受けた傷は、後になって――痕になって、これからもずっと凛乃を苦しめる。
それでも、涙で濡れた夜を越えて、笑い合える朝を迎えるのだ。
改めて、凛乃はこう思う。
伊庭 耀太郎と四ツ葉 明彦。
この二人に出会えたことが幸運であり、自分にとって何よりの救いだったのだ、と。
《了》
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