#24 身喰らう蛇と、その使いと、わたし


 煽るように言って、ファイティングポーズを耀太郎は取る。

 一歩、また一歩と黒澤は後ずさり、遂には屋上の端まで追い詰められていく。


「どうした。テメェはこの群れのボスだろうが。仲間がほぼ全員倒れた今、テメェだけが頼りだ。根性見せて俺をブッ倒してみろよ」

「む、無理……言うなよぉ……! ボクは、喧嘩なんて……したことないんだ……!」

「知らねーよ。じゃあこれが初喧嘩ってことでいいだろ。オラ、来い」


 目の前の男は、どうしようもなくチンピラだ。口も悪いし態度も悪いし顔も怖い。

 ――だが一方で、どうしようもなく強い。かつて、《ウロボロス》と呼ばれていたことは紛れもない事実なのだと、黒澤は全身で理解した。


 この男は次元が違う。この男に比べると、自分達が児戯に過ぎないレベルにしか満たないのは、島田が追い詰められた時点でよく分かった。

 分かったから、許して欲しかった。


 五感を奪っても問題無い。

 鋼鉄を凌ぐ硬さの拳で殴られても問題無い。

 トラックを潰した空き缶にするような重みを与えられても問題無い。

 バターのように人間を斬り裂く不可視の風の刃が飛んで来ても問題無い。

 無能力者じゃないから操ろうとしても問題無い。


 これが、《ウロボロス》――史上最強の、能力者の、『手駒』。


「俺だってなぁ、テメェみたいなクソガキを殴りたくねえんだよ」

「じゃ、じゃあ許してよ!! お願いだ、ボクはまだ十三歳――」


 黒澤の頬を、何かが掠めた。それが耀太郎の拳なのだと気付いた時には既に、頬が果実の如くぱっくりと割れて血を流していた。


「だが殴らなきゃなんねえ。テメェらが《ウロボロス》を目指したのは、他ならぬ俺のせいだ。俺があの頃バカな真似しなきゃ、テメェらもこうはならなかったろうよ。《ウロボロスフォロワー》とか、《蛇戦争》ってのは全部、俺自身の罪みてェなモンだ。だから原因である俺が、責任を取ってお前らをぶっ潰す。そしてキッチリ金を頂く」


 にんまりと耀太郎は笑った。罪滅ぼしだとか贖罪だとか、そう言ったモノよりも明らかに金稼ぎが優先している。本当に反省しているのかどうか疑わしい。

 遂に黒澤の背に、鉄柵の無慈悲な冷たさが伝わった。これ以上逃げ場は無い。

 と言うよりも、メンバー最速である九子をやすやすと捕えた時点で、耀太郎はこの中の誰よりも速いのだから、最初から逃げ場など無い。


「どうした。掛かって来いよ、クソガキ。さっきまでの威勢はどこ行った? バカで愚鈍なハンターを狩り返すんだろ? テメェがビビっちゃ話になんねえだろうが。なあ、オイ――聞いてんのか、クソガキがッッ!!」

「ひいぃぃぃいあああぁぁ」


 鉄柵にもたれかかるようにして、黒澤はへたり込んだ。

 耀太郎は大声で怒鳴りつけると同時に、近くの鉄柵を蹴っ飛ばす。それだけで、鉄柵は曲がるどころか根っこから引っこ抜け、くの字に折れて風に乗り吹っ飛んでいった。


「丁度良い感じに柵がぶっ飛んだな。よし、テメェこっから飛び降りろ」

「い、う、あ……」

「それが嫌なら俺と喧嘩しろ。二つに一つだ。選べねぇなら、テメェをボコボコにした上でこっから突き落とす。後十秒で選べ。十、九――」


 黒澤は、消え失せた鉄柵の先を見下ろす。眼下に映る廃病院の敷地は薄暗い。

 ここから落ちれば、どこまででも落ちていきそうな、そんな奈落に自ら飛び込むか。

 手加減など母親の胎内に置いてきたと云わんばかりの、この最強の『手駒』と真正面から殴り合うか。


 最悪の二択だった。故に、黒澤は自分の『能力』である、《支配者マリオ意図ネット》を信じた。

 足の腱を切断され、動くことの出来ない《鷹の目》達を全力で操作しようとした。

 そうすれば、この男を押さえ付けて逃げるぐらいの時間は稼げるだろうと思った。


「力使ってんじゃねえよ」


 だが棒状の菓子でも折るかのように容易く、耀太郎は黒澤の右手薬指を一瞬で曲げた。

 見抜かれている。黒澤の魂胆など、全て。


「いたいいたいいたいいたいよぉぉぉぉぉおおぉおっ!!」

「――っ。クソ、タイミング悪ィな……。クソガキ! テメェの喋り方、俺の知り合いのガキん頃に似ててムカつくんだよ! けどそのガキは、俺の家族みてえなヤツだから、特別にコイツで許してやらぁ!!」


 耀太郎は黒澤の小さな身体を掴み上げ、一発腹を殴り、鉄柵の向こう側に全力で放り投げた。

 コイツで許すも何も、この高さから落ちればひとたまりもない。

 声にならない声を上げて、黒澤は闇に吸い込まれていった。フン、と耀太郎は鼻を鳴らしてそれを見届ける。


「ふぎぎ……うぅぅう……痛い……」


 治療された凛乃は、全身の痛みと痒みにのたうち回っていた。

 しかしそれでも、ちらちらと横目で耀太郎が黒澤をいじめているのを確認していたが、遂に鉄柵の向こう側に放り投げたのを見て度肝を抜かれた。

 耀太郎は殺しだけはしないと思っていたのだが、見通しが甘かったらしい。

 今は林田の治療をしている奈那も、口をぽかんと開けて叫ぶことすら忘れてしまった。


「おう。元気か」

「げ、げ、元気ですよっ!? でもあのそのえっと、これは流石にストレートな殺人と言いますか……、肉塊になっちゃうのではないかと言いますか……」


 ゴミのポイ捨てレベルの軽さで人間を投げ捨てた耀太郎に、凛乃はしどろもどろする。

 耀太郎は、そんな凛乃の姿を見て少しだけ笑った――気がした。


「気にすんな。それよりもお前、ブッサイクな髪型になってんぞ」

「!?」


 ケケケと耀太郎は、今度こそ笑った。

 そういう笑いはいらないんですけど、と凛乃は思った。手鏡が無いから、今の自分がどんな髪型をしているのかどうか分からない。

 ざっくばらんに切られた以上、見られたような姿ではないのは間違いないが。


「ダメだよー、耀太郎。女の子に向かってそんなコト言っちゃ」

「うっせぇ。来るの早いんだよてめえは。お陰でそいつをいたぶり損ねただろうが」

「あ、え……明彦、さん?」

「うん。お疲れ様、凛乃ちゃん。よく頑張ったみたいだね」


 薄い桃色の寝間着姿の明彦が、ふわりと屋上へ唐突に現れた。その背中には、泡を吹いて倒れている黒澤が居る。


「俺がコイツの『能力』を使っている以上、当然コイツも俺と同じ『能力』を使える状態なんだよ。だから事務所から、文字通りってワケだ。『低速再生』のせいで、身体の調子も誤魔化されてるしよ……ったく、ふざけんな」

「ぼくとしては、屋上からいきなり人間を放り投げる方が、よほどふざけてる気がするんだけど……」


 耀太郎は適当に黒澤を放り投げたのではなく、明彦の気配がしたからそっちの方向に投げたのだ。

 今の明彦は、身体能力だけで言えば耀太郎と同レベルどころか、『能力』が劣化していない以上耀太郎を凌ぐ。

 黒澤をキャッチすることぐらい造作もなかっただろう。


「で、でも何で明彦さんが……?」

「それはね。こういうことだよ」


 明彦は黒澤をその場に下ろし、しゃがみ込んで額に人差し指をくっ付ける。

 そしてそのまま一度瞳を閉じて、すぐに開けた。ただそれだけの動作をしただけなのに、立ち上がった明彦は病人に戻ったのか、夜風に煽られるがままふらりとする。


 それを耀太郎が片手で支え、黙って明彦に背を向けたまま膝立ちの状態になる。明彦も何も言わずに、その背にもたれるようにして乗った。

 流れるような動作の『おんぶ』だった。


「はぁ……はぁ……。いやぁ、疲れるなぁ、これ……」

「? あの、何を?」

「ウチの事務所の、第四の業務だ。明彦がそのクソガキの『能力』を

「さく、じょ……って、消したってことですか!? でも、それって――」

「てめえの言いたいことは分かる。《傷持ち》の『能力』を消すには、長期間のカウンセリングや、投薬によるそれしかない。こんな一瞬で『能力』を消すなんざ有り得ねえって思ってんだろ。……だが、有り得る。そもそも明彦は、『能力』っつー概念を『コピー』『ペースト』『切り取り』『デリート』で扱えるんだよ。それこそ一昔前は、対能力者戦でコイツはマジモンの無敵だった」

「今と違って、あの頃は手を翳せば『能力』を消せたからね~……」


 『能力』を一瞬で消す方法は、ほとんど存在していない。

 その唯一の例外が、明彦が直接、《傷持ち》に触れて『能力』を消す、というものである。

 痛みも無く時間も掛からない、まさに最短最良の方法だ。


「ただ、その分コイツが疲弊する。だから俺らは滅多にこれをやらねえ。やるとすれば二つ、政府から危険な能力者の能力削除依頼を、高額謝礼で受けた時。或いは今回のように、俺らが危険だと定めた能力者が居た時ぐらいだ」

「洗脳とか、記憶の操作とか、そういう『能力』はさ……ぼくらは一番危険だと思ってるんだ。この手の力は……悲劇しか、産まないからね……」

「悲劇……」


 ぽつりと凛乃がその単語を反芻する。

 しかし耀太郎はその前に、座り込んでいる凛乃の背後に回り込んで背中を蹴っ飛ばした。


「ふぎゃん!」

「今のはてめえが、勝手に危ないコトへ首突っ込んだ罰だ。てめえがバカな真似したせいで、俺も明彦も消耗するハメになった。分かってんのか? むざむざ人質に取られ……うへぇあ!」


 説教を開始しようとした耀太郎だったが、耳に柔らかい衝撃が走ったので思わず変な声を出してしまった。

 背中にいる明彦が、耀太郎の耳たぶを唇で食んだのだ。

 ここが弱いということを明彦は知っているので、耀太郎は顔を真っ赤にしながら怒る。


「てめえ、この野郎!! 人が説教してんのに邪魔すんじゃねーよ!」

「……もういいでしょ。凛乃ちゃんだって反省してるよ。それに、消耗したのはぼく達だけじゃない。精神的な意味で一番傷を負ったのが誰なのか、分かるよね……?」

「チッ……」


 不服そうだったが、耀太郎はそれ以上何も言わなかった。

 凛乃は俯き加減に、今の状況をもう一度確認する。


 親の仇である彼ら《ヨルムンガルド》は、《ウロボロス》が食い尽くした。

 傷が治ろうとも、誰も立ち上がり歯向かおうとしない。むしろ息を殺し、矛先が再び向かないように、必死に潜んでいる。

 その姿は、歳相応の無力な子供に等しかった。


 ……だが、彼らが犯した罪は消えない。今だって少し気を許せば、凛乃は復讐の炎に身を焦がされ、力の赴くままに彼らを両断してしまうかもしれない。

 ぐっと堪えて、凛乃は何も考えないようにした。

 考えてしまえば、力が暴走してしまう気がした。でも、この二人の前でそんな真似をするのは、許されないだろう。


「明彦。もう《鷹の目》に連絡はしてるんだよな?」

「うん。すぐに来ると思うけど……」

「ならもう行くぞ。おい新人! とっととついて来い! んで、ここに残ってるクソガキ共はじっとしてろ。下手に逃げたら今度こそ本気で潰すぞ、分かったな!」


 そう言って、耀太郎はさっさと屋上から出て行ってしまった。何か慰めの言葉を凛乃に投げるのかと思われたが、結局何も言わなかった。

 凛乃は黙って付いて行く。三人が車に乗り込んでも尚、誰一人として喋ろうとはしない。


 《鷹の目》の増援と思しき車とすれ違いながら、社用車は夜を走る。

 もし、さっき彼らを一息に両断したら、果たして耀太郎と明彦はどんな対応をしたのだろうか。

 そんなおぞましいことを凛乃は考えながら、窓の外を流れる風景をぼんやり見つめていた。


 きっと――その時は。自分も機関に送られるだけだ。


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