#22 ウロボロス④ -亜能力者-
出血多量のせいだろうか、立ち上がっただけで意識が天に昇るような気分だった。まあ、寝起きのようなものだ――と、耀太郎は一人鼻で笑い、わざとらしく地面の砂利を踏み鳴らした。
「……! 起きた……!?」
いち早く気付いた黒澤が、目を見開いて耀太郎を注視する。
夜の空気で肺を洗いながら、耀太郎は倒れている《鷹の目》達と、同じく倒れている
凛乃は腕が変な方向に曲がっていて、しかも関節が外されているのか、左右の腕の長さがちぐはぐだった。
ところどころから血を流し、よく見えないが思春期の男を惑わせるあの可愛らしい顔も、しっかりと傷を入れられているのだろう。
ゆっくりと、耀太郎は頑張ってくれた凛乃の方へ向かって歩く。酩酊しているかのように、おぼつかない足取りだった。
それを見て、黒澤は胸を撫で下ろす。どう見ても死に体――恐るるにあらず、だ。
「んだよオッサン、んな身体で何か用か? アンタもこうなりたいワケ?」
九子の手には、凛乃が持っていたカッター――元々は耀太郎が彼女へ渡したものだ――が握られていた。そしてその足元には、まとまった黒髪が落ちている。
この女は金髪で、つまり黒髪が誰のものなのかは明らかだった。
……いつの日か、耀太郎は冗談混じりで、明彦の栗色の髪の毛を引っ張ったことがある。
その時に真顔で「髪の毛は女の子の命だから、下手に触ると祟られるよ」と怒られたことを思い出した。
あの時は「お前は男だろ」と適当に返したが、成る程確かに――今はこの眼の前の女を、素直に祟ってやりたいと思う。
しかし、耀太郎は感情を抑えた。九子を無視して、凛乃の側にしゃがみ込む。
それが挑発行為と思えたのか、九子がカッターを剥き出しにして一歩踏み出して凄む。
「シカトか、オイ? 調子こいてんじゃねぇぞ、オッサ――」
最後の一言を飲み込んでしまった。無言で耀太郎が九子の眼を見た、ただそれだけで。
それだけで――殺される、と彼女は思ってしまった。
これは人間が持っていい眼力ではない。無機質で、冷徹で、酷薄で、まるで蛇のような、そんな眼をしていた。肌が裂けそうなぐらいに、九子の全身に鳥肌が立った。
反射的に、九子は『能力』の発動と共に背後へと一気に下がる。
ぜえぜえと息を切らしながら、黒澤の隣に並んだ。これで、耀太郎の近くには凛乃以外誰も居なくなった。
「おい……凛乃。生きてるか?」
「……ば、……さん」
口の中がズタズタで、どうやら上手く喋れないらしい。
耀太郎は凛乃を、すっと腕で制した。
「いい。喋んな。よく頑張ったな。お前のお陰で助かった……ありがとよ」
「……ぅ、……ううう」
ぽろぽろと、凛乃は両目から大粒の涙をこぼす。
全身が痛くて、熱くて、苦しくて、でもこれ以上声を絶対に上げてやるものかと、必死に耐え忍んでいた。
その苦行からの解放と、何よりも耀太郎が優しく頭を撫でてくれた優しさが、凛乃に泣けと命令しているようだった。
「今度三人で寿司でも食いに行こうぜ。次は回ってないヤツをな」
「……は、いっ……」
「ゆっくりそこで休んでろ。お前は優秀な部下だ」
さて、と。呟き、こきっと肩を鳴らしながら、耀太郎は立ち上がる。
そして口元を少し吊り上げて、笑みを作りながら黒澤達の方に振り向いた。
「暁留ちゃん! やってんだよね!?」
「やってるよ!! でも、何でなんだ!?」
そんなことが有り得るのか、と黒澤は狼狽する。
一歩、耀太郎が近付いた。
「何でボクの《
効果が出るまでには個人差がある。それは把握していた。
故に黒澤は、耀太郎が見た目と言動通り、非常に愚鈍で愚昧な男だと判断した。効き目が遅いのはその為だ、と考えた。
しかし、それでは説明が付かない。起き上がってから以降、黒澤は耀太郎を支配下に置こうと、『能力』を全力で行使している。
並の無能力者であれば、精神に異常を来すレベルの威力で操作をしようとしているのに、一向に耀太郎を操れたという実感が湧かないのだ。
瞬時に黒澤は切り替える。相手が死にかけの状態から立ち上がったから、《
放っておいても失血死は免れないだろうし、その眼付きこそ尋常じゃないものの、相手を倒すことなど容易い。焦る必要はないのだ。
そう己を納得させる少年に対し、耀太郎は静かに言葉を投げる。
「お前さ……言ってたよな? 力を付けるってよ。それ、何の為にするんだ?」
「愚問だね。ボクはお前みたいな無能力者とは違う、選ばれた存在だ。お前達の上に立つ資格がある。だけどそれでも、うるさいお前達無能を黙らせる為に力がいるんだよ。かつての《ウロボロス》もそうだったんだろう? アレも人を導こうとした。ま、結果は見ての通りだけど。だから何の為かって言われると、返答に困るね。ま、一つの自分磨き、かもねぇ」
くくく、と黒澤は笑う。耀太郎はぽりぽりと、興味無さそうに頭を掻いた。
「そうだな。《ウロボロス》は失敗した。本当に大切なモノを見落としてたからな」
「彼の失敗の原因は明らかだよ。個人で活動することに固執し過ぎたんだ。普通は誰かしら、志を共にする仲間を作るべきなのにね。ま、頭が悪かったんだろう。でも、ボクは違う。《ウロボロス》なんか簡単に超えてみせるよ。数は力、だからね」
故に手駒を増やし、能力者界隈での台頭を図っていく。
それが黒澤という少年が進むべき道であり、《ウロボロス》という愚かなテロリストとは違う最大のポイントだ。
黒澤は、《ウロボロス》を真似しつつも憧れてはいない。むしろ超えるべき、一つの通過点として捉えていた。
「――個人でやってたのはな、この世界で信じられるのが、自分とアイツだけだったからだよ。他には何も要らなかった。ただ……やるべきことをやった後も、俺達が止まれなかったのは、お前の言うように頭が悪かったからだな。取り返しの付かない所まで来てようやく、俺は自分のバカさ加減に気付くことが出来た」
「……? 意識が朦朧としているようだね。まるで自分が《ウロボロス》みたいな言い方だ。いい年して、負け犬のテロリストに憧憬を抱くのはやめた方がいいよ?」
「ああ。お前の言う通りだ。俺はウロボロスじゃない」
当たり前だよ、と黒澤は侮蔑を込めて言う。
《ウロボロス》は自殺したのだと黒澤は考えていた。二十歳を超えれば、どれだけ強力な『能力』でも消え去ってしまう。
きっと、《ウロボロス》はそのタイムリミットに勝てなくなって、そして自ら命を断った。
故に黒澤は、自分の力が消える前までに、完全な形で支配者として君臨するつもりなのだ。
語り、気勢を取り戻しつつある黒澤に対し、耀太郎は一歩詰め寄る。
「ところで……お前、俺を手駒にするとか言ってたな? どうだ? 出来そうか?」
「……無理だね。どれだけキミはバカなの? 脳味噌があるのかどうか疑わしいよ」
もう一歩、耀太郎は踏み出した。
それだけで、黒澤を含む七人全員の背筋に、言い様がない悪寒が突風のように走る。
「お前が俺を操れないのには、理由が二つある」
「は……?」
ゆっくりと耀太郎は、腕を突き出して指を二本立てた。
「一つ。俺はもう既に手駒だからだ」
「誰の? 会社の上司とかそんなのかな?」
「決まってんだろ。《ウロボロス》だ」
場が凍り付く。が、すぐにそれは爆笑で溶かされた。
黒澤もその仲間達も、二重の意味で痛々しい耀太郎を見て、腹を抱え笑った。
真顔で愚かなことを言えば、面白いに決まっている。
「あっはははははは! 知らないようなら教えてあげるよ! 《ウロボロス》は一人だ! そりゃ裏で協力者がいたかもしれないよ? でもそれが、キミみたいな愚かな男なわけがない!」
「二つ。俺はお前の『能力』の対象に該当しない」
ぴたり――と、笑いが止まる。その発言は聞き捨てならなかった。
黒澤の《
操作出来ないとすれば、それは異能力者――即ち、黒澤と同じ《傷持ち》だけである。
「まさかとは思うけれど――キミは《傷持ち》なのかい? その年で?」
とうに二十歳を超えている耀太郎が、《傷持ち》である可能性は限りなくゼロだ。
今まで、その手のレアケースは確認すらされていないことを黒澤は知っている。耀太郎も、彼の推論を鼻で笑い飛ばした。
「ちげーよ。俺はてめえらみてえな異能力者じゃねえ」
「血が足りてないみたいだね。やっぱり、死にかけのヤツは操れないようだ。貴重なデータだよ」
「――だからと言って無能力者でもない」
「はぁ?」
いい加減に――黒澤がそう言おうとした瞬間だった。
ぺき、という小枝を折るような音が、隣から聞こえて来たのだ。
ふと見ると、九子の手首が雑巾のように捻れている。人間の手首は、普通ここまで回らない。回せば、骨が粉々になるのは明らかだ。
だが、現実として、回された。
……何を、された? 何が、起こった? まるで理解が出来ない。
一方で耀太郎は、ぽーんと空中にそれを放り投げた。
凛乃に渡し、九子に奪われ、たった今取り返したそのカッターナイフをキャッチして、何でもないように言う。
「言うなれば、だ。俺はその中間的存在――差し詰め、亜能力者ってヤツだな」
――人間離れしたその速度を、彼ら七人は誰一人として捉えることが出来なかった。
「な、ん、だよッ!? 九子さん!! す、すぐ治療を!」
「あ、が……腕、手、が……」
「イイコト教えてやるよ。史上最強の《傷持ち》である《ウロボロス》はな、二人組だ。勘違いされがちだが、普段表に立って行動していたアレは、単なるアイツの『手駒』でしかない。当然『能力』なんざ持ってねえ。《ウロボロス》の本体は、その裏で指示を出しているヤツだ」
そしてその『手駒』こそ、この《伊庭 耀太郎》であり、最強の《傷持ち》であったのは《四ツ葉 明彦》なのである。
朦朧としつつある意識の中で、凛乃は自分の勘違いを正した。
実行者である耀太郎に『能力』があったのではなく、その逆だったのだ。
だが、それならばおかしな点が発生する。
『能力』の無い耀太郎が、何故それを使えていたのか? という部分だ。
「《ウロボロス》はな、小さい頃から身体が弱い。持久走はいつもビリだし、体育の成績は態度だけ良かったから、五段階評価で二か三しか取れねえようなヤツだ。ただ頭はメチャクチャ良いし、とんでもねえ『能力』を持ってた。一方で『手駒』は、保険体育だけ五でそれ以外はほとんど一っつーバカだった。そんなヤツらが組むんだ。役割分担は最初から決まってる」
「待てよ! いつまで妄言を吐いてるんだ!?」
だが、耀太郎に仕掛ける気配は無い。黒澤はこちらから攻めることも考えたが、何故か足がまるで動かない。
耀太郎の威圧感に、完全に中てられてしまっていた。
「そいつは『能力を自在に創る能力』を持っていた。分かるか? 品物じゃなくて、原材料そのものを創るみてえな感じだ。《ウロボロス》達が取った方式はシンプルで、『手駒』に作成した『能力』を容れて使わせてたんだよ。だからパッと見、『手駒』一人が《ウロボロス》のように見えてたってワケだ」
「能力を……創る、能力だって……!? なんだよ、それ……!?」
今も尚、比類なき最強の能力者として謳われている《ウロボロス》は、当時から分身や空間転移などの強力な『能力』を使っていた。
が、それらは全て明彦が自身の『能力』で創り出したものを、耀太郎が代行で使用していたに過ぎない。
明彦が唯一、心から信頼出来る相手である耀太郎にのみ、明彦は自身の作成した『能力』を『容れる』ことが出来る。
感覚的に言えば、パソコンのデータ移動ようなものだと、明彦は昔耀太郎に説明をしたことがある。
即ち、『親機』である明彦が持っている『能力』を、そのまま『子機』である耀太郎にコピー&ペーストするのだ。
これにより、無能力者である耀太郎は、一時的にだがその『能力』を使用することが可能になる。
ただし、その為には二人が精神的に同調せねばならず――これを二人は《
もっとも、完全に異能をコピー出来るわけではなく、耀太郎が使う場合は元の『能力』よりもある程度劣化してしまうのだが。
また、『子機』たる耀太郎側から、『親機』たる明彦へ逆にアクセスすることも不可能である。あくまで、耀太郎はただ受け取る側でしかない。
「そういう意味で、俺は無能と異能の中間――亜能ってことだ。てめえの『能力』が効かねえ理由が、これでようやく分かったろ?」
「い、いや、おかしい……! その《ウロボロス》が居たとして、今幾つなんだ!?」
黒澤の疑問は当然だった。《ウロボロス》が現役で活動していたのは十年以上前だ。
それが今もまだ健在だとして、当時十歳以下でも無い限り、現在も『能力』を使えるのはおかしい。
《傷持ち》の『能力』は、二十歳を超えれば消えてしまうのだから。
「二十七だよ。四捨五入で三十路だ」
「お前、意味不明だ! そんなヤツ有り得ない!!」
「何言ってやがる。アイツはその気になりゃ、全人類を一瞬で洗脳する『能力』すら創れた最強の能力者だぜ? 世界でただ一つの例外に決まってんだろ」
この事情を知る一部の政府高官や《鷹の目》の鬼瓦は、明彦の別名を知っている。
――傷は、いつか治る。かつてそこに傷があったことすら思い出せないぐらいに、まっさらな状態に戻ってしまう。
だがしかし、全ての傷がそうなるわけではない。深く、深く……治るのかどうかすら怪しい傷を持っていたからこそ、そこには
転じて、《
「そしてその例外が在り続ける以上、『手駒』もまた然りだ」
明彦の《痣》が残り続けている限り、《
たった二人だけにも関わらず、政府が彼らに《傷持ち》を狩ることを許可しているのは、単純に《ウロボロス》としての経験が二人にあるからではない。
その《ウロボロス》時代の力の残滓を、今も尚使うことが出来るからこそ、許可されているのである――
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