#17 捕食者と芋虫


 ――最近、よく夢をみる。昔の夢だ。何てことのない、平凡な日常の夢だ。


『さあ凛乃! お父さんが今から取るポーズを真似してごらん!』


 夢の中の父は絶えず笑っている。


『これがジョジョ立ちだ! まずは第六部のアナスイがダイバー・ダウンを出してF・Fに祝福しろと言うシーンのポーズを――』

『あなた~。凛乃ちゃんに変なこと教えるのはやめてくださいよお~?』


 夢の中の母は、困惑しながら笑っている。

 家に居る時は少年のように元気な父と、それを優しく包み込む母。そんな二人が大好きで、ずっとずっと一緒に居られるのだと思っていた。

 だから、夢の中の凛乃はひどく無邪気で、無知で、幸福だ。


「…………」


 目が覚めた時、ハッキリと夢の内容を思い出せてしまう。仄かに溶けゆく淡雪の如く、夢の中身など自然と忘れてしまうものなのに、こんな夢はいつまでもこびり付いて離れない。

 きっとそれは単なる夢ではなく、思い出に根付く夢だからだろう。

 ぼーっと天井を見上げながら、凛乃は目をこすった。

 目元が濡れている――泣いていたらしい。幸せな夢を見て泣くなど、矛盾している。それとも、余りにも幸せ過ぎて泣いてしまったのだろうか。

 どちらにせよ、夢は夢でしかないのだが。


 二つ、嘘をついてしまった。

 体調を崩してしまったのは本当だが、実は昨日からとっくに元気になっている。それでも計画の為に、明彦に「もう少しだけ休みたい」と言ってしまった。

 また、気分が落ち込んでいたのを気取られたのか、耀太郎に「何か悩んでんのか」と尋ねられた。当然、返答は「そんなことないです」だ。

 無論、嘘だ。悩んでいる。今も、まだ。


 今晩八時に、凛乃は《第十三開発放棄区画》内の廃病院へと、一人で行かねばならない。それがあのメモに書かれていたことだった。

 どうして両親の事故があった近くなのかと思ったが、あえて関連付けることによって、凛乃の関心を逃さないようにしているのかもしれない。

 悩みとは、このことを二人に告げるか否かという部分だ。告げるなとは言われているが、それでも不安だった。不安だったのだが――結局、何も言わないことにした。


 体調不良ということで、二人は凛乃の様子を時折見に来るが、入り口から覗くくらいで部屋の中には入って来ない。だから凛乃は、こっそりとここを抜け出し、廃病院へと向かうことにした。後ろ髪を引かれる思いだったが、これはやはり凛乃自身の問題なのだ。

 スーツに着替え、念の為カッターナイフをポケットに入れる。耀太郎と違って武装に乏しいなぁと思った。まあ、武装したところで使いこなせる気はしないが。


 果たして、何を告げられるのか。

 不安と焦燥を胸中に抱いて、凛乃は一人事務所を抜け出す。二人に見付かることはなかったが、それを幸いと呼んでいいのかどうかは分からなかった。




* * * 




「だから言っただろうが! ガタが来るってよ!」

「……ご、めんね……」


 翌日――懸念した通り、明彦は高熱を出して倒れてしまった。耀太郎はもっと叱りつけてやりたい衝動に駆られたが、火照った明彦の顔を見てそれを飲み込む。

 今は明彦の自室で――漫画本などが散乱していて汚い――何とか明彦を寝かし付けようとしている。

 こんな状態でもまだ仕事をしようとするので、最早手に負えない。


「じっとしてろ! うご……働くんじゃねえ!」

「で……でも、今晩の……」

「ああもうしつけぇな! てめえのその労働意欲を全国のニート共に分け与えてやりてーわ!」


 今晩九時に、《鷹の目》の連中と《第十三開発放棄区画》内の廃病院へ突入する。当然二人は、この情報を聞いた瞬間に同じことを思った。

 偶然だとは思うが、何故か凛乃の両親が事故死した場所の近くだからだ。

 奇妙な巡り合わせなだけだと耀太郎は判断したが、明彦はそれに一抹の不安を覚え、何かとパソコンを触ろうとする。


 だが実際問題、明彦をこれ以上働かせるのは危険だ。肉体的にも金銭的にも損失しか出ない。

 しかし一方で、今晩の『制圧』を明彦のオペレーション無しで行うのは確かに危険でもある。


(それでも、もうコイツに無理はさせらんねえ)

「よう、たろ……」


 飲ませた薬が効いてきたのか、それとも単純に押し問答に疲労したのか、明彦の表情がとろんとして来た。

 このまますぐに寝てしまうだろう。耀太郎はそう思い、布団の側から立ち上がる。

 ……が、足首をがっしりと掴まれてしまった。


「おい、何の真似だ。とっとと寝ろ。何か飲みモンでも買って来てやる」

「いらない……」

「じゃあ俺が飲みてえから買いに行ってくる」

「そばにいてよ……」

「……。ったく、ガキかてめえは。一人で寝てる新人を見習え」


 そう悪態をつきながらも、耀太郎は明彦の近くに座り込んでその手を握ってやった。汗ばんでしっとりとしていて、柔らかく小さな手。

 手を握られて落ち着いたらしく、明彦はすっと瞳を閉じる。これで二人とも倒れちゃ話にならねえな、と耀太郎は独りごちて、ずれていた布団を整えてやった。




* * *




「――やあ、よく来たね」


 廃病院にはもう電気が通っていないはずなのに、何故か一階の電気が点いていた。入ってすぐの正面受付カウンターに腰掛けている少年が、にこやかに凛乃へ笑い掛ける。

 その周囲には六人の男女が居た。あの時、凛乃の行動を縛った大男含め、どうしてこんな人数が凛乃を待ち構えているのだろうか。


 恐る恐る凛乃は少年へと近付く。

 本来ならば警戒して逃げ出してもいいはずなのに、頭のどこかが麻痺しているようだった。


「まず自己紹介をしておこうか。ボクは《黒澤クロザワ 暁留アケル》って言うんだ。一応この《ウロボロスフォロワー》のリーダーってことになるのかな。ああ、チーム名は《ヨルムンガルド》ね」

「……?」


 聞き慣れない単語だった。《ウロボロス》については分かるが、《ウロボロスフォロワー》とは何だろうか?

 しかし、ここでいつものように疑問符を浮かべても仕方がないので、分かったフリをして凛乃は話を促す。

 少年――黒澤はそんな凛乃の無理を見抜いているのか、くくくと声を殺して笑っている。


「キミが素直で助かったよ。下手に《狩人ハンター》と一緒に来たら厄介だからね」

「ハンター……?」

「キミがよく知るあの男のことさ。まあそれはいい。で、何から教えればいいの?」

「わたしの両親が何故死んだのか……その理由です」


 ぎり、と奥歯を噛み締めるように凛乃は言う。

 忘れようとしていたわけではないが、それでも今まで、両親の死という逃れられない悲しい現実から、何とか立ち直ろうとしていた。

 だが、もし今ここで知りたくないことを知ってしまえば、そんな虚勢は砂上の楼閣よりも容易く崩れ落ちるだろう。

 ……しかし、それでも知りたい。だからここに来たのだ。


「そうそう、理由だったね。。金の為にね」

「―――――は?」


 変な声が出た。耳と脳味噌が機能しなかった。紡がれた言葉を受け入れることが出来なかった。意味が分からなかった。

 黒澤が何を言っているのか、わけが分からなかった。


「と言っても直接殺したわけじゃないよ。こっちの大男……《島田シマダ 幹平ミキヒラ》とそっちのメガネ……《菊池キクチ ダイ》の『能力』を併せて、車のアクセルから足を離せなくしただけ」

「な、にを――」


 両親は事故死だった。不可解な場所で、不可解な状況のまま死んでいた。しかし、それについて凛乃は深く考えはしなかった。

 ……否、出来なかった。両親が居なくなったという事実を前にして、そんな瑣末な謎を解く意欲など、まるで無かったのだ。解いたところで、両親が蘇るわけではないのだから。


 だが実際は、それこそが最大の事実誤認に繋がっていた。

 両親は事故死したのではなく――事故死させられたのだ。他でもない、この

七人の少年少女の手によって。


「スポンサーの要求でね。ま、波風立たせず人間の一人や二人消すことぐらい造作もないさ」

「………………」

「ついでにこれも知っておくといい。そのスポンサーはキミの――――」

「……ああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 そこから先の言葉は聞きたくなかった。聞かずとも分かってしまった。故に猛った。

 体の奥が燃え盛るように熱くなる。ドクドクと脈動する心臓の音が、耳鳴りのように響いている。

 ここにいる全員を細切れにする準備が、一瞬で整えられた。


「取り押さえろ。彼女も一応『能力』持ちだからね」

「――――っ!」


 凛乃の視界が暗転する。同時に、額を床に強く打ち付けた。

 あの大男――島田が手をかざしているのを一瞬だけ視界の端に捉えた。しかし今、凛乃の目に広がるのはひび割れたリノリウムの床だけだ。見ることが出来なければ、切り刻むことが出来ない。

 けれど首をもたげることすら叶わず、見えない何かが上から凛乃を押さえつけている。


「答えはそういうことだよ。ボク達はスポンサーの望みを叶え、その分だけ報酬を得ている。今回わざわざキミをここに呼んだのは、一つはキミをスポンサーに差し出す為だ」

「う、ぐ…………あああああああああっ! あああああああああああああああああああッ!!」

「うるっせぇ女」


 誰かが凛乃の背中を思いっ切り踏み付ける。感触的にヒールのようなものを履いているようで、恐らく二人いた女のどちらかだろう。

 肉を突き破るような痛みが、背中に走った。


「スポンサーはキミにご執着でね。どうやって手に入れようか悩んでいたみたいだよ。で、まずはキミの両親を消して、その財を手に入れることを考えた。事故当日のあの日――スポンサーはキミの両親に電話したらしい。『今、お前の屋敷の前に居る』ってね」

「…………!!」


 嗜虐的な声で、黒澤は凛乃の耳朶を嬲る。

 どうしてこうなってしまったのか、何も知らない凛乃を言葉だけで打ちのめす快楽に、黒澤は疼きを抑えられないでいた。


「その日キミは、一人で両親の帰りを待っていた。だが、もしそこにスポンサーが現れれば、キミに何をするか分からない。その時、キミの父親はこう問うたらしい。『何が望みだ』、ってね。スポンサーはただ一言、『《第十三開発放棄区画》内の廃病院まで来い』とだけ伝えた。後はさっき言った通りだよ。因みに――スポンサーは自宅から一歩も動いていないんだって」

「あ、う……く……っ」

「つまるところ、まんまとキミの両親は騙されたわけだ。ハハハハハハ! 愚かだなぁ!」


 何とか凛乃は手か足を動かそうとした。が、小指一つすら動かない。

 それでも動こうとする意志は伝わったようで、背中を先程踏んで来た女に蹴り飛ばされた。


「ぐ、ごほっ! がはっ!」

「九子さん。そんなイジメなくてもいいよ? スポンサーが怒るかもしれないし」

「でもさー暁留ちゃん。この女何かムカつくっつーか」


 九子と呼ばれた女はピンヒールの踵を突き付けて、ぐりぐりと凛乃の肩を抉るように動かす。

 ごりゅ、と骨を削るような音がして、その痛みに凛乃は声を上げた。


「キミの役目はまだ終わっていない。全部が終わればスポンサーの元に送ってあげるけど、その前に餌として働いてもらうよ。むしろ今からが、ボク達の本番だからね」

「な……んで、こんな……こと…………」

「何で? うーん、何でだろう? それはボク達が選ばれた存在だからでもあるし、キミやキミの両親みたいな弱者が悪いってのもあるし、先立つモノは金だからってのもあるし、一概に『なぜならば』とは言えないよ。まあ、少なくとも――」


 黒澤は受付カウンターからひょいっと飛び降りて、凛乃の近くでしゃがみ込む。

 そして、打ち付けられ動かないその頭を優しく撫で回して囁いた。


「――芋虫のように這いつくばるキミには関係のない世界での話さ」



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