#16 蛇戦争


「おう! ヒヨッコにアキ! 元気してたか!?」


 事務所内に野太くて豪快な声が響く。力強く開け放たれた入り口には、ガッシリとした身体付きをした強面の中年男性が立っていた。一方で、その頭頂部はかなり寂しいことになっている。


「うげっ……鬼瓦のオッサン……。もう来たのか……」

「こんにちは、鬼さん! 待ってましたよ~。あ、どうぞそこにかけてください!」


 ガハハと笑いながら、《鬼瓦オニガワラ 裕巳ヒロミ》は凛乃の席へと腰掛ける。

 凛乃は本日、体調不良にて欠勤扱い――今は自室であるリラクゼーションルームで寝込んでいる。


「飲み物はどうしましょう?」

「いや、気ぃ使わんでいいぞ、アキ。しかしお前はホントいい女になったな! グハハハ!」

「コイツは男だっつーの」


 ぶすっとした顔で耀太郎が呟く。二人と鬼瓦は、もう十年以上の付き合いとなる。

 普段は横柄な態度が目立つ耀太郎だが、鬼瓦が来てからは妙に姿勢を正している。この眼の前のオッサンは耀太郎にとって、唯一にして絶対に勝てない相手なのだった。


 そして何より――鬼瓦は二人の事情を知っている、数少ない人物の一人である。耀太郎と明彦が《ウロボロス》であったことも、明彦が性転生したことも、全て鬼瓦は承知していた。


「……で、《ハゲタカ》のボスがわざわざ何の用だ? 仕事の話なら使いっ走りをよこせば済むだろうに。随分と暇なんだなぁ、オイ」

「《鷹の目》だろうが、ヒヨッコめ。お前はいくつになっても口の利き方だけは直らんな」


 政府特務機関である《鷹の目》は、その性質上必然的に未成年者を相手にすることがほとんどだ。

 その《鷹の目》を、一部の人権団体は弱者――この場合は未成年者を指す――だけを弾圧する存在として、死肉を漁る下卑な《ハゲタカ》に掛けてそう呼んでいる。当然のことながら蔑称である。

 もっとも、耀太郎が《ハゲタカ》と言ったのは、単純に鬼瓦の頭頂部を指してのことなのだが。


 鬼瓦はその《鷹の目》の現トップであり、こう見えても相当なお偉いさんである。元々は警察畑の人間で――《鷹の目》は警察、自衛隊等から流れて来た者ばかりで構成されている――優秀な刑事だった。

 もっとも、《鷹の目》のトップにまで上り詰めたのはそのキャリアやコネではなく、単純に鬼瓦の手腕によるものである。


「もうっ! 耀太郎、鬼さんにはいつもお世話になってるんだからね!」

「アキはホントもう良い子だなァ! はよう嫁に行け! お前なら引く手あまただろう!」

「昔っからオッサンは明彦に甘いけど、コイツが女になってからは特にそれが酷くなったな」

「まあな! 俺も娘が欲しかったから仕方ない! バカ息子はお前一人だけで充分だ、阿呆が!」

「うっせ」


 数年間だけであるが、鬼瓦は明彦と耀太郎の里親代わりをしたことがあった。それが縁となり、子供のいない鬼瓦夫妻にとってこの二人は実の息子と娘のように映るのである。

 そして父親とは、往々にして娘には甘くなるものだ。明彦を『娘』と見ていいのかどうかはともかくとして。


「でも、ぼくはもう耀太郎が予約済みだしなぁ。お嫁には行けないや」

「してねえだろ!! いきなり何言ってんだ!?」

「コイツだけはやめとけ、アキ。コイツにするぐらいなら俺にしなさい……マジで」

「乗っかるんじゃねーよクソハゲ!!」


 ぜぇぜぇと耀太郎は息を切らす。この事務所がやっていけているのは、鬼瓦とのコネクションがあるからこそ、である。ただ、互いにそんな堅苦しい関係ではないので、鬼瓦は時折こうやって仕事の名目で二人の様子を見に来るのだ。

 言うなれば、使いっ走りをよこさない最大の理由は親心である。


「そう言えば、特例で許可した新人ちゃんはどこに行ったんだ? もう一人でやっとるのか?」

「んなワケねーだろ。最近何かボーっとしてたが、今日遂に体調不良でダウンだ。今は寝てる」

「凛乃ちゃんには、今まで無理をさせすぎちゃったかもしれないね……」


 特例で許可をしたとは、《傷持ち》である凛乃が、その『能力』を他の《傷持ち》を狩ることに使用して良い、というものである。

 この特例により、凛乃は機関の元で『能力』の消失を図らなくても良いことになっている。


「しかしお前達も懲りないな。これで何人目だ?」

「さあな。辞めたヤツらのことなんざ覚えてねーよ。それよりも仕事の話だろ」

「げほっ……。いつものように格安でお伺いしますよ」


 《鷹の目》の頭である鬼瓦がここに来た理由は、当然二人の顔を見たかっただけではない。来る以上は毎回、必ず仕事の依頼を携えてやって来るのだ。

 鬼瓦はごほんと一つ咳払いをし顔付きを変え、仕事用の顔になった。


「お前達。《ウロボロスフォロワー》は当然知っているな?」

「当たり前だろ」


 かつてこの世界を賑わせ、そして伝説となったテロリスト、《ウロボロス》。

 その影響力は今も尚続いており、《傷持ち》の中には《ウロボロス》に憧れる者が一定数以上存在しているという。

 そして近年、その憧憬を持った者同士が集まり、一つの『チーム』となって《ウロボロス》の真似事をする。これをそのまま《ウロボロスフォロワー》と呼び、現在も《鷹の目》を悩ませている大きな要因の一つとなっているのだった。


「もしかして、《蛇戦争》絡みの件ですか?」

「ご明察だ、アキ」


 《ウロボロスフォロワー》は一つではない。さながら往年の暴走族のように、幾つものチームが存在している。そして、そのチーム同士が『どちらがより本家に近いか』を、競技化し争うようになっているのだ。

 この争いを通称、《蛇戦争》と呼び、例えば『どちら多くの物品を窃盗出来たか』や、『街中のガラスをどちらが多く割れたか』など、基本的に迷惑行為を主として争うので厄介極まりない。因みに前者は《スナッチ》、後者は《ブレイク》と呼ばれている。


 《蛇戦争》に幾度も勝利した《ウロボロスフォロワー》は、能力者界隈で大きな影響力を持つらしく、《傷持ち》の中にはそこに憧れる者も多い。

 云わば青少年達の間で共有されている『闇』であり、《鷹の目》にとっては疾く解決すべき課題である。


「でもそのニセモノ集団は、基本的にどいつもこいつも足取りが掴めねーんだろ? ネット全盛のこの時代、政府の目を掻い潜っての悪事の相談なんざ余裕だからな」


 ただでさえ《傷持ち》は外見上一般人と変わりないのに加え、それが徒党を組んだとしても、単なるグループにしか見えない。

 《蛇戦争》はネット上にそのルール等を記載した、幾つもの『まとめサイト』があるものの、実際にいつどこで何を行うのかは当事者同士で決める。それを事前に察知して予防することは、今の警察にも《鷹の目》にも出来ていないのだった。


「彼らには彼らなりの情報網があるみたいだからね。そういう能力者が手を貸しているのかな」

「かもしれんな。だが今回、我々にリークされた情報がある。急な話になるが、明日開発放棄区画にて《蛇戦争》が行われるそうだ」

「マジで急だな、オイ。どっからのリークだよ」

「それは言えんな」


 そこまでは深入りさせてくれないようだった。この事務所は《鷹の目》の下部組織ではなく、あくまで一個の独立した存在だからだ。互いに守秘すべき情報というものを持っている以上、耀太郎も追求はしない。


「《蛇戦争》の中身は何でしょう?」

「《ウォーズ》だ。フォロワー同士で潰し合うヤツだな。直接的な被害は出辛いものの、死傷者が最も出る危険な遊びだ」


 二組の《ウロボロスフォロワー》が、対等な条件の元でお互いの『能力』を駆使し戦い合う。これが《蛇戦争》の競技の一つである《ウォーズ》だ。

 一番シンプルで、そして一番人気があるらしい。しかしほぼ必ず怪我人や、ともすれば死者すら出るので、イタズラの範疇をとっくに超えてしまっている部分がある。

 阻止するにせよ、能力者同士が戦闘している間に介入すると、こちらも被害を受けることは必至である。


「で? 俺らへの《依頼》は、そのバカ共のお遊びを《鷹の目》と一緒にぶっ潰すってトコか?」


 即ち、『制圧』である。

 最初から『説得』も『無力化』も度外視し、その場にいる能力者全員を武力を以ってして全力で捕縛する。鬼瓦はゆっくりと頷いた。


「あくまでリーク情報だから、大っぴらに戦力を割けんのだ。故にお前達に頼るしかない」

「なるほど~。追加でアレをする必要は?」

「おい、明彦!」

「そちらの判断に任せる。無理強いはしない。そもそも――アキ。お前体調を崩しとるな?」


 ぎろりと鬼瓦が明彦を睨み付ける。びくんと身体を強張らせ、明彦は背筋を伸ばした。


「もうお前達はいい大人だ。俺がとやかく言うのは筋違いっちゅーのは分かっとる。だが、自分を顧みない真似だけはするな。俺の言うことは分かるな、アキ?」

「言っても無駄だぜ、オッサン。最近寒くなってきて体調を崩しやすい時期だってのに、このバカはまるで養生しやがらねぇ。昨日も夜遅くまで仕事してやがった」

「うぅ……だって仕方ないじゃないか、幾らでもやるべきことがあるんだもの……」


 未だ明彦は万全な状態ではない。毎日風邪薬や栄養剤を飲んで、騙し騙し業務にあたっている。

 耀太郎の読みでは、そろそろその反動が来るのではないかと踏んでいるが、一向にその忠告を聞き入れるつもりがない。やはり明彦は、元々ワーカーホリック気味なのだろう。


「ともかく、健康にだけは気を付けることだ。そこのバカと違って、アキは繊細だからな」

「うっせーぞクソハゲ」

「しばくぞ! さて、そろそろお暇するかな。のんびりしたいところだが、こっちもそれなりに忙しい。すぐ部下に今回の依頼についてのメールを送らせるから、確認しといてくれい」

「分かりました。では委細は文書にて」


 こうして鬼瓦は去っていった。世間話をもう少ししても良かったと明彦は思ったが、立場的にそれも難しいのだろう。

 一方で、何かから解放されたかのように、耀太郎はふーっと大きく息を吐いた。


「久々の《制圧》かー……新人は流石に置いてくしかないな」

「……。何か妙じゃないかな?」

「あ? どこがだ?」

「リーク先が気になるんだよ。今まで《蛇戦争》って、《鷹の目》は基本的に事後処理ばかりだったのに、どうして今回に限って事前にその情報が手に入ったんだろう? そんなパイプが《鷹の目》に出来たのかなぁ?」

「知らねーよ。気にすんな」


 しかし明彦はうーんと唸っている。この辺りの考え方は完全に真逆である。

 実際に現場に赴くのは耀太郎なので、本来はこの男こそ慎重になるべきなのだが、性格上無理な話だった。


「うん……とりあえず一旦は忘れる。でも、気を付けてね」


 《ウォーズ》となると、複数人の能力者が居ることが予想される。

 こちらも《鷹の目》の連中と組むものの、普段よりもその危険度は跳ね上がる。相手がどんな『能力』を使ってくるのか分からない以上、耀太郎が無事に帰って来れる保証などどこにもない。

 が、耀太郎は頭を掻きながら気だるそうに言う。


「心配すんなって。それよりもお前の方こそ気ぃ付けろよ。そろそろガタが来んぞ」

「平気だよ。凛乃ちゃんが風邪でダウンして、その上ぼくまで倒れたら話にならないからね」


 にこりと明彦は笑ってみせたが、耀太郎はどうにも彼女の体調が不安だった。

 明彦は明彦で、耀太郎が怪我なく無事に戻って来られるか不安だった。


 そしてその二つの不安は、現実のものとなる――――



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