#11 制御特訓!


「げほっ……ごほっ……」

「大丈夫ですか、明彦さん……?」


 翌日――いつもよりも遥かに血色を悪くして、明彦はパソコンを操作していた。定期的に咳き込んでしまうので、白いマスクで口元を覆っている。

 思わず心配した凛乃が駆け寄るが、明彦は問題ないとばかりにそれを手で制した。


「何か体温が高いと思ったら、やっぱ熱出てんじゃねぇか。今日も休め、お前は」


 昨日の、明彦の過剰とも言える耀太郎への行動は、つまり体調不良によるものだ――

 先程、そういう言い訳を耀太郎は凛乃にしてみたが、しばき倒したくなるようなにんまりとした笑みで「うふ、そうですね」と返されてしまった。

 その後しばいたのは言うまでもない。


「大丈夫だよ……このくらい、慣れてるし……げほ」

「慣れてるって……病気は慣れとかの問題ではないですよ!」

「いや、そいつ昔っから身体弱いんだよ。定期的にこうやって体調を崩す時がある。慣れてんのは俺の方だな」


 普段は健康そのものだし、別段、命に関わるような持病を持っているわけではない。

 しかし明彦は、幼少期の頃より免疫能力が平均よりも劣っているらしく、何もしていなくても――或いはひょんなことから――体調を崩してしまうのだ。

 こればかりは持って生まれたものとして、仕方がないと本人も耀太郎も割り切ってはいるが、凛乃からすれば心配事であった。


「耀太郎は一回も風邪とか引いたことないのにね……羨ましいや」

「もしかして、バカはうあ!」


 すぱぁぁん! と、何枚か用紙が挟まれたクリアファイルで、耀太郎は凛乃の後頭部をはたいた。

 因みに、耀太郎は人よりも免疫能力がアホみたいに強く、本当に今まで風邪を引いたことがない。

 凛乃が言いたいことも一理あるといえばあるのだった。


 耀太郎は凛乃の背後にあるキャビネットを開けて、その奥に押し込まれている膝掛け用の毛布を取り出した。そのままそれを広げつつ、明彦の肩に掛ける。

 手慣れた動作だった。耀太郎の、案外世話好きな性分が滲み出ている。


「休めっつってんだよ。それが嫌なら、薬飲んで昼には上がれ。今日は俺も新人の特訓だけしておくからよ」

「……うん……ごめんね」

「気にすんなよ。それこそ慣れてんだっての」

「うふふ……美しきはうあ!」


 ずぱぁぁん! と、今度は手近にあった生命保険のカタログで、耀太郎が凛乃の頭頂部をハエのように叩いた。

 「パワハラ」みたいなことを凛乃が口に出そうとしたので、言い終わる前にもう一発叩く。


「調子こいてんじゃねえぞ、ド新人が。お前、いい加減アレ出来るようになってんだろうな?」

「う……は、はい」

「よし。なら見せてみろ。今日外回りはナシだ。見れば分かると思うが、ウチは明彦が居ないと成り立たねえからな」


 あらゆる情報を、明彦がいずこかから引っ張って来ているので、その明彦が体調不良などで動けなくなると、それだけで業務に支障が出る。

 予め《依頼》などがあれば別だが、今現在は何も入っていないし、《探索》は明彦抜きではまず出来ない。

 無論、外回りをする耀太郎が欠けても同様のことが言える。二人が揃って初めて、《四ツ葉綜合解決事務所》は金を稼ぐことが可能なのだった。


 なので、今日は凛乃の『能力』をトレーニングすることになった。

 最近、凛乃は耀太郎や明彦から、自身の『能力』についての手解きを受けている。凛乃の「売り」であるとはいえ、現状のままだと全く使い物にならないからだ。


「まずおさらいだ。お前がしなくちゃなんねえことは何だ?」


 オフィスビルの近くにあるガレージ――社用車を停めている場所だ――で、耀太郎が凛乃に知識を問う。

 十一月の風はもう本格的に冷たく、少しだけ身を縮こませながら凛乃は答える。


「えっと、能力の『弱体化』と『コントロール』です」

「そうだ。勘違いしないように再三言っておくが、俺達はバトル漫画のキャラクターじゃねえ。誰かをブッ殺す予定なんざさらさら無いし、そもそもそこまでする必要も無い。あくまで『必要最低限の攻撃で、《傷持ち》を確保する』という部分こそが最も重要だ」

「卵を割るのにハンマーは要らない、でしたっけ……?」

「ああ。かめはめ波と太陽拳なら、俺らは太陽拳だけが必要なんだよ。相手をなぎ倒すかめはめ波なんざ要らねえ。だから、お前の『能力』のパワーアップなんざ、全くもって無意味だ」


 凛乃の能力――耀太郎命名の《切るやつ》――は、何も考えずとも、人間など容易く殺害可能だ。

 胴体から真横に、野菜でも切るかのように相手を両断すればいいだけなのだから。実に簡単で、そして単純である。


 ――しかし、それでは何の意味も持たない。

 即ち、金にならないどころか罪になるだけなのは、少しでも社会的常識を知っていれば分かるだろう。


 故に、凛乃に求められているのは、相手に大怪我を負わせない能力そのものの『弱体化』と、効果的な部位に自在に能力をぶつけられる『コントロール性能』なのである。


「お前の『能力』は、有視界上のあらゆる人、モノに切断を発生させる。だから見えているモノほぼ全てが能力の対象になり、また発動した瞬間に効果を生む。ここに停まっているウチの車も、向こうの電柱も、遠くのビルも、距離に関係なく『能力』が出せる」


 そしてそれは、凛乃にはまだ良く分からないものの、比類無いぐらいに強力な『能力』なのだと耀太郎は言う。

 つまり、凛乃の能力は

 発動した時点で、瞬間的に相手を切れるのだ。云わば、見えない上に光速の刃を、必中というオマケ付きで飛ばしているようなものである。


 しかも、射程距離は目で見えている範囲全てとかなり広く、切断する対象の大きさは恐らく関係がない。

 余りにも遠くのものだと、ほとんどかすり傷程度の威力でしか切れないのだが、それは単に凛乃が遠くのモノをよく見えていないからだと、耀太郎と明彦は推測している。


「前に望遠鏡を使ったら、肉眼では見えなかった遠くの空き缶を切断出来たろ? それでお前の『能力』は、ことが分かった。ハッキリと見えさえすれば、それこそブラジルの人間すらこっから切れるだろうよ」

「地球の裏側じゃないですか……」


 流石にそれは見えないだろう。

 あくまで例え話なのだが、要はそれすら可能な『能力』なのだと耀太郎は言いたいらしい。

 視認さえしてしまえば、後はどうとでもなる能力。確かに強いものだと凛乃も(二人に言われてから初めて)思ったのだが――これを初見でほぼ見破り、完全に手玉に取った耀太郎の方が凄いのではないかとも思った。


「ま、天井とか壁とか床とか、お前が全体を曖昧にしか捉えられないモノや、気体みたいな見えないモノ、液体みたいな不定形なモノは切れないし、万能ってわけじゃねえな。それに、お前は未熟だから、一回の発動で一つの対象物しか切れない」


 試しに空き缶を三つ並べてみたところ、凛乃は能力を三回発動しないと全ての空き缶を切断出来なかった。

 それは、一発一発弾丸を撃つ拳銃のようなものだと耀太郎は言う。


「だが、それなら拳銃を使った方が早い。『弱体化』と『コントロール』を鍛えたら、次は『効果範囲』を広げる練習だな。一度に弱い威力で複数のモノを切れたら、ようやく実戦で使いモンになるだろうよ」

「はい、頑張ります!」

「口が達者なのは良いことだがな、ホントに出来るようになったのか?」

「うぐ……。れ、練習では、十回に一回ぐらいは……」


 それはマグレって言うんだよ、と耀太郎はぼやく。

 そして、大きなビニール袋にこんもりと詰め込まれた空き缶を一つ取り出し、駐車場のタイヤ止めの上に一つ置いた。


「やってみろ。空き缶に『切れ込み』だけ入れる練習だ」

「分かりました! えいっ!」


 心の照準を空き缶に定め、凛乃は力を込める。

 しかし空き缶を切り飛ばすのではなく、あくまで優しく、その表面を撫でるように――


「……。真っ二つじゃねぇか」


  ――出来なかった。

 見事、空き缶は真横にスライスされ、上半分がずり落ちてカランと転がっていく。

 あわわわわと、凛乃が慌てているのを尻目に、耀太郎が使えなくなった空き缶を別の袋に回収しつつぼやく。


「これが人間なら即死だ。てめぇは殺人鬼になりてえのか?」

「な、なりたくないですよう……」

「ったく。じゃあ次はコイツならどうだ。自分に向けて飛んで来る空き缶を、そのまま空中で切り落とす練習だ」

「わ、分かりました! 投げてください!」


 静止した物体に『能力』を当てることなど、慣れれば誰でも出来る。

 が、実戦において、その場でぼーっと立ち止まっているようなヤツは、よっぽどの実力者か単なるバカだけだ。

 以前、そのことを耀太郎は凛乃に強く言い含めていた。


 基本的に戦闘というものは、敵も自分も殆ど常に動き回りながら展開される。

 故に、動いているものに対して正確に『能力』を発動出来なければならない。

 耀太郎は、空き缶を凛乃に向けて軽く投擲した。山なりのゆるやかな軌道を描いて、空き缶が飛んで来る。

 凛乃はそれに心の照準を――


「はう!」

「……。脳天に直撃かよ」


 ――合わせることが出来なかった。

 空き缶は凛乃の頭頂部にコツンとぶつかり、そのまま地面に落下して、音を立て遠くに転がっていく。


「それが敵の攻撃なら即死だ。てめぇはまだ自殺してえのか?」

「し、したくないですよう……」

「ったく……。やっぱこういう指導は、明彦の方が明らかに向いてるって痛感するぜ。お前を怒鳴り散らさずに優しく教えられるんだからな」


 ただ、そうは言うものの、耀太郎は別に凛乃に対して怒るような真似はしなかった。

 これが電話の応対や報告書のミスならばすぐに怒るのだが、『能力』の鍛錬に関しては、どうやらかなり気が長いようだ。

 凛乃を焦らせても意味が無いし、これに関してはゆっくりと伸ばしていくしかないと割り切っているらしい。

 耀太郎はふうと溜め息を吐いて、ポケットから何かを取り出した。


「おい。これ持て」

「……? それ、カッターナイフ……ですか?」


 よくある業務用の大型カッターナイフを、耀太郎は凛乃に握らせた。

 本来はダンボールの開封などに使うもので、今これを持ち出した意図が凛乃にはまるで読めない。


「今からてめぇに『暗示』を掛ける。『能力』ってのは、言っちまえば。外的・内的要因で、簡単にその出力を調節出来ることもある。その一つが『道具』による『暗示』だな」

「……?」


 疑問符が十個ぐらい、凛乃の頭上に浮かんでいる気がした。

 こういう時に明彦ならば、すぐに分かりやすい説明を凛乃にするのだろうが、耀太郎にはそれが出来ない。

 ガシガシと頭を掻いて、何とか言葉を探している。


「あー、例えばだな。火を操る能力者が居たとする。そいつはマッチを一本擦った後に能力を使うと、その出力が二倍になる――ように、《傷持ち》ってのは自分自身に『暗示』を掛けられるんだよ。この場合『マッチ』が『暗示』の切っ掛けとなる『道具』だ」

「使う『道具』は何でもいいんですか?」

「究極的に言えば、これは『自己暗示』なんだから何だっていい。それこそ、道具に頼らなくても可能だ。まあ、最初は分かりやすく自分の『能力』に関係したモノの方が、掛かりはいいとは思うがな。だからお前は刃物系がいいはずだ」


 ただし、この方法は本来、出力を高める為に使われているものだ。《傷持ち》の持っている能力の強さを高めることに対し、良いことなど一つもない。

 それ故に、お上にバレればそれだけでお咎めを喰らう危険な方法でもある。

 これを耀太郎が凛乃に採択したのは、凛乃を完全に自分の支配下に置いているからであり、もし凛乃が自分と無関係だったならば、絶対にこの方法を教えなかっただろう。

 

「そのカッターの刃を全部出してみろ」

「えと、こうですか?」


 カチカチカチとスライダーを動かし、凛乃は刃を全部露出させる。

 新品のカッターなので、刃は一本も折れていない。降り注ぐ日光を受けて、キラリと刃が輝いた。

 それを見て、凛乃の頭の中でカチリと何かが嵌ったような音がする。あくまで気がしただけ、だが――そんな気持ちでカッターを握るのは初めてだった。


「そうだ。その状態をお前の《切るやつ》の『最大出力』と仮定しろ。数値で言うなら、まあ出力100ってところだ。いいか、意識しろよ。その状態がお前の最大なんだ。全力でぶっ放せる状態、言い換えりゃ全力でぶっ殺せる状態だ」

「……っ!」


 耀太郎が空き缶を一つ設置しながら言う。

 凛乃は両手でカッターを握り締め、空き缶と刃を交互に見やっている。そして「やってみろ」という耀太郎の声を合図に、照準を空き缶に定め――


「うおわっ!」

「ひゃあ!」


 ――バキン、という金属質な破裂音が周囲に響く。思わず凛乃はひっくり返って尻餅をついた。

 そしておずおずと結果を確認してみると――


「空き缶はバラバラ。ついでに車止めブロックも縦に真っ二つ。それがお前の『最大出力』だ。人間なら四肢が吹っ飛んで、しかも内臓が輪切りになったってトコか。残虐殺人事件だな」

「あ、あわわわ……」


 あくまで凛乃は『最大出力』を意識しつつも、平常通りに『能力』を放った。

 しかしその意に反して、威力は絶大に上がっている。ただカッターの刃を出して『能力』を使っただけなのに、ここまで劇的に結果が変わってしまうものなのか。

 不安げな顔で耀太郎の方をちらりと見ると、最初からこの結果を見通していたのか、耀太郎は落ち着いていた。


「だから危険な方法なんだよ、これはな。理屈は単純で、説明も明快。故に効果がある。お前みてえな単純なバカなら尚更だ。で、言っとくが絶対にこの方法を他言すんじゃねえぞ。何教えてんだって、俺が偉いヤツからぶっ飛ばされる」

「し、しませんっ!」

「おう。で、次が本番だ。次はカッターの刃を全部戻せ。んでスライダーが動かないようにロックを掛けろ。ああ、それだ。その状態がお前にとっての『最低出力』とする。数値で言うなら0だ。いいな? 次はそれを意識してやれ」


 また空き缶を一つ置く耀太郎。

 今度は使わない状態に戻したカッターを握り締めて、凛乃は照準を合わせる。

 そして、ぐっと心の中で力を込めた。


「…………!」


 ぴし、という短く張り裂けたような音が響く。

 すぐに凛乃は空き缶の状態を目視で確認したが、空き缶は先程と何ら変わりなく、悠然と置かれたままだ。


「失敗……?」

「いや、よく見ろ。薄く切れ込みが走ってる。人間なら――絆創膏を貼るぐらいだな」

「す、すごい! 今までこんな小さな傷、付けたことないです!」

「はしゃぐなバカ! 言っておくが、これは『暗示』を踏まえた結果だ。実戦でいきなりカッター構えたら、相手に戦闘の意思があるってモロバレすんだろ。カッター無しで自在に出力が調整出来なきゃ、結局意味ねえんだよ」


 う、と凛乃は言葉に詰まる。

 あくまでこれは練習であり、実戦においてカッターを構え、その都度『暗示』に頼ることは出来ない。

 単純に、凛乃へ成功の感覚を掴ませる為だけに、耀太郎はこの方法を使ったのだった。


「それに、コントロールについてはこんな裏ワザは存在してない。地道にやってくしかねーぞ。出力の調整に関しては、お前が慣れるまで『暗示』に頼っていいけどよ。ほら、ぼさっとすんな! 次は刃を半分出してみろ! 数値で言うなら50! いいな!?」

「はいっ!!」


 こうして、少し自分の能力について理解が深まった気がした凛乃は、放り投げられた空き缶をまたも額で受け止めるのであった――

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