#9 ウロボロス① -禍つ蛇-
ウロボロス――と言えば、尾を噛んで環状になった蛇をまず思い浮かべるだろう。或いは、互いに尾を噛み合った二頭の蛇を浮かべる者も居るかもしれない。
象徴の意味としては、閉じた環となった形状から『完全性』『永続性』『無限』『生と死』『創造と破壊』などが連想される。
世界に無数に存在する宗教や神話において、ウロボロスのような尾を噛んで環となった存在は、不思議と数多く見られる。それらは蛇であったり竜であったり、或いは蛇と他の動物を混ぜた怪物であったりと様々だ。
――ただし、現代において《ウロボロス》は、それとはまた別の意味を持つ。
「十三年前に突然現れた、黒衣と蛇の仮面に身を包んだ、たった一人のテロリスト……」
現代史の教科書を、改めて凛乃は読み耽っていた。
以前、耀太郎達との会話の中で、《ウロボロス》という単語が出て来たことを思い出し、もう一度勉強し直そうと思ったのだ。
本来、彼女の高校において現代史は選択科目であり、凛乃は選択していなかったのだが、友人からわざわざ教科書を借りたという勉強熱心っぷりである。
今日は『やる気無い日』だそうで、要は休日扱いである。土日だろうと祝日だろうと関係なく業務があるこの事務所において、休日は主に耀太郎と明彦の気分でいきなり決められるらしい。
それが偶然日曜日と被ったということで、凛乃も羽根を休めていたのだが、この年頃の娘は体力が有り余っているらしい。
そのぶつけ先が勉学という辺りに、育ちというか性根が出ているような気がしないでもないが――
「あらゆる不可能を可能にする、まさに規格外の《傷持ち》であった、と……ふむふむ。怖い人なんだろうなあ」
ウロボロスは最強の能力者にして、最悪のテロリストと成り得る存在であった。
今まで世間的に存在こそ認知されながらも、まだそこまで危険視されていなかった《若年性延長能力覚醒症候群》罹患者が、犯罪者に等しい程の危険な存在として扱われるようになったのは、《ウロボロス》が直接的な原因である。
「そうかな? 彼らはテロリストだけど、自らの手を汚しはしなかったよ。つまりは、殺人だけは犯さなかった。あくまで傷害レベルに抑えてたんだけど――でも、そんな《ウロボロス》が、何故ここまで歴史に名を刻んでいるのか? 不思議だよねぇ」
明彦が凛乃の淹れた紅茶を啜りつつ言った。
オフィスにはいかがわしい雑誌を眺めている耀太郎も居るし、業務を行わないだけで、一応ここに全員揃っていた。
「えっと、要はその行為に問題があったんですよね」
過去に起こった有名な、《ウロボロス》が起こした事件を凛乃は確認する。
教科書に載っている範囲だと、『国会中継に現れ、眠っている国会議員をスリッパで叩いて周り、かつらをしている議員のそれを全てひっぺがし、逃走』、『メガバンクの金庫をこじ開けた上で何も盗らず、逃走』、『凶悪犯を全員脱獄させ、数分後に全員まとめて元の獄中に送り返し、逃走』、『世界サミットに現れ、各国首脳人に中指を立てて回った後、逃走』……などなど。
「正直、何というか――子供のイタズラの延長線、みたいですよね。最後は絶対に逃げちゃってますし……」
思わず笑ってしまいそうな事件もちらほらと見える。
『公園に大量の野良犬を集めお座りさせ、飼い主を募った後、逃走』などは、むしろ慈善行為じゃないのかと凛乃は思う。
が、明彦は苦笑しながら「そんなことないよ」と言う。
「問題は『行為』そのものじゃない。それを行うことが出来る『能力』の強力さと、やろうと思えば最悪の事件に発展させることが出来たという『やらない怖さ』だよ」
「やらない怖さ?」
「そう。例えば国会中継に現れるだなんて、国会議事堂の厳重な警備を掻い潜らないと不可能でしょ? それを《ウロボロス》は掻い潜り、現れた。当然、国会なんだから、この国の政治家が数多く集まっている。もし、《ウロボロス》がスリッパじゃなくて、刃物を持っていたと想像してごらん? 一体何人の為政者が犠牲になったんだろうね?」
あ、と凛乃は息を呑む。選択科目である現代史について、凛乃は充分な知識を備えていない。故に、《ウロボロス》についての知識も中途半端だった。
しかし、明彦の今の解説を聞いて、《ウロボロス》がいかに危険な存在であったかを思い知る。
いつでも、《ウロボロス》はやれたのだ。単に、やらなかっただけである。
イタズラという表現をするから矮小化されるのであり、行為そのものは立派なテロリズム――それも防ぎようがない、人智を超えた力による所業だった。
「神か悪魔か……謎の存在、《ウロボロス》。これを元にした小説や映画、アニメも漫画もあるからね。今はもう《ウロボロス》が居なくなったからこそ、自由に彼らを題材に出来るんだろうね」
ウロボロスは、ある日を境に忽然と姿を消した。
まるで最初から、そんなものは居なかったかのように。吹けば飛んでゆく砂塵のように――歴史の表舞台から、唐突に立ち去ったのだ。
それが今から約九年前、凛乃がまだ七歳の時である。
結果として、《ウロボロス》は伝説となった。
今もまだ裏で力を溜め込んでいる説、単純に死亡した説、世界的な共通幻覚だった説、どこかの機関が捕縛して、兵器として転用しようとしている説、結婚引退説、飽きた説、ウロボロスは俺です説など、その後の《ウロボロス》については、ネットなどで現在も様々な憶測が飛び交っている。
「どうして《ウロボロス》は消えちゃったんでしょう……?」
《ウロボロス》は常に要求をした。
紛争を、貧困を、差別を、理不尽を、孤独を、疾病を、痛みを、飢えを、渇きを、その全てを癒すように、権力者達を脅した。
そこを切り取って、《ウロボロス》は世界的な英雄であると支持する層もある。一方で、その無茶苦茶な手口や謎に包まれた存在を批判し、歴史上類を見ない最悪のテロリストと称する意見も当然ある。
凛乃は想像する。果たして、《ウロボロス》に何が起こったのか。
この世界を変えられるかもしれない力を持っていたのに、何故中途半端にやめてしまったのか。
そこには夢やロマン、想像と妄想の余地がふんだんに詰まって――
「自分達の金になんねーからやめたんだよ。それ以外にも色々理由はあるけどな」
「……はい?」
雑誌をパタンと閉じて、耀太郎はそれを明彦に放り投げる。
にこやかに明彦は叩き落とした。風俗店情報誌など、女の明彦には無用の長物である。
凛乃は目をまん丸くして耀太郎を見た。今まで黙して語らずだったのに、突然知った風な口を利くので驚いたのだ。
「明彦。お前もわざとらしい演技すんのやめろよ。彼らっつってたぞ。これが推理小説なら、そっからお前が犯人だって一気に突き止められるレベルのミスだ」
「えへへ、わざとだもん。凛乃ちゃんを試したんだ~」
「え? え?」
二人の言っている意味が分からない。
彼ら――とは、一体何を指すのか。凛乃はもう一度思い出し、そしてハッと気付き、明彦の笑んでいる顔を見た。
「その教科書には、《ウロボロス》はたった一人のテロリストと書かれているよね? でもぼくは、《ウロボロス》のことを『彼ら』と呼んだ。それは何故か? 分かるかな、凛乃ちゃん?」
「分かるもクソもねえだろ。新人、俺らがウロボロスだ。別に隠すつもりもねえし、今更どうでもいいことだし、ぶっちゃけ俺の黒歴史だし、頭の片隅にでも留めとけ。それよりも、お前はいい加減電話応対のミスを――」
「ちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってくださぁぁぁぁぁぁああい!!」
思わず凛乃は大声で叫ぶ。流石にこの展開は予測出来ない、というか意味が分からない。きっと二人して凛乃を担ごうとしているに違いない。
――が、曲がりなりにも一ヶ月近くこの事務所に居る凛乃は、二人が嘘を言っているかどうかぐらいの見分けならば付けられる。
二人は「今晩何食べる?」みたいなノリで、今も会話をしている。
そこに嘘を交える必要などないから――これも、多分、嘘ではない。
「で、ででで、でも、あの、証拠! 証拠がないです! うぼぼぼすである証拠が!」
「カミカミだなぁ」
「嘘と思うならそれでいいっつーの。どうせ十年近く前に消えた存在なんだ。今更そいつの正体が俺と明彦だったからって、世の中の何かが変わるわけでもなし。ジャッキー・チュンの正体が亀仙人だったレベルの衝撃でしかねーだろ」
が、最早凛乃は有り得ないレベルで動揺していた。
かつて、日本――否、この地球全土にその名を轟かせたテロリストである《ウロボロス》が、目の前に居るのだ。
しかも教科書とは違い、実際は二人組だったというオチ付きである。
嘘であって貰わねば困るのだが――
「まず、ぼくは裏方役で、作戦立案及びナビゲーション担当。一方で計画の実行は耀太郎の担当。だからウロボロスは一人だと思われてたんだよ。当時のぼくらは今みたいにインカムじゃなくて、
「あん時は時間停止、空間転移、分身、身体能力超強化、超高速再生、透明化――今考えるとアホだろってレベルの能力をバシバシ使ってたなー。色々やりすぎて、もう他に何使ってたかあんま覚えてねえぐらいだわ」
「ぼくは全部覚えてるけどなぁ」
「な、なんなんですか!? も、もう意味もわけも分からないですっ!!」
二人が懐かしむように顔を見合わせている。この二人の縁がどこから始まっているのか凛乃はまるで知らないが、浅からぬ関係なのは確かだろう。
故に、事前に打ち合わせ無く凛乃を騙すことも出来るはずだ……が、やはり彼らが嘘を言っているようには見えない。
「よくある若気の至りってヤツだな。俺にとっての《ウロボロス》活動はよ。つっても、教科書に書いてるコトは大体事実だが。ま、一生懸命俺らの勉強に励めや、このクソ真面目女子高生」
「《ウロボロス》に関して、もし分からないことがあったら、何でも教えてあげるからね」
嘘でしたー、という言葉は結局出て来ない。どころか、二人はしみじみと、凛乃に対して思い出話のごとく語り掛けてきている。
「う……う……うわあああああああああああああああああああああん!!」
最終的にそんな声を上げながら、凛乃はオフィスから出て行ってしまった。
どうやら一介の女子高生が処理出来る情報のキャパシティを、とうとう超えてしまったらしい。
《四ツ葉綜合解決事務所》には、二頭の蛇が居る――
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