#8 仕事終わり!(激おこ)




「――と、いうわけでですね、わたし感動しましたっ!」


 その日の晩、凛乃は今日の業務の顛末を口頭で明彦に伝えていた。

 本来はデータとして残す必要がある為、パソコン上の書式に転記した上で明彦へ送信するのだが、それが終わっても尚、凛乃の興奮は冷めやらぬのである。

 現在、事務所内は明彦と凛乃しかおらず、耀太郎は業務が終わると同時にさっさとどこかへ行ってしまった。

 恐らくは趣味であるパチンコかパチスロに興じに行ったのであろうとは、明彦の弁である。


「うん、それは良かったよ。耀太郎に怒られなかった?」

「はい!」


 実際は帰りの車内で様式美やロマンについて、長時間くどくどと語られたのだが、正直眠かったのであまり覚えていない。

 故に怒られてはいないのである。無敵の理屈だった。


「むしろわたし、伊庭さんを改めて尊敬しました! 普段はちょっと乱暴で口が悪くてすぐイライラして怒る人ですけど……でも、相手の事情をきちんと慮って話が出来る、心の優しい人なんですね!」

「んー……どうだろ。確かに耀太郎は心も優しいけどさ。でもこれ、言っていいのかなあ~……?」

「? どうしました?」


 明彦は視線を彷徨わせている。今回、明彦は凛乃に対し、耀太郎と同等の情報を与えていない。

 それは与えたところで、凛乃にとっては重荷になるだけだし、まだ情報をフルに使いこなせないと判断したが故の処置だった。

 だが今後のことを思うと、今のうちに教えた方がいいだろうと明彦は考え、そして今回の『説得』についてのタネをバラした。


「実はね、凛乃ちゃん――」


 明彦が申し訳なさそうに、凛乃へ真実を伝える。呆けたように、凛乃は思わず聞き返してしまっていた。


「…………へ? 全部、明彦さんが考えた……?」

「勿論、細かい部分は耀太郎のアドリブとか、その場の対応力に任せてるけどね。でもゴシップを漁って飯間くんの情報をまとめたのはぼくだし、ボクシングに関しての情報を耀太郎に教えたのもぼく。母親に電話させた方がいいと提案したのも……ぼくなんだ」

「え? え? じゃあ、えと、その、耀太郎さんって……」

「飯間くんのことなんか、今回の《探索》業務を行うまで全く知らないし、そもそもボクシングにもまるで興味ないよ、耀太郎は」

「―――――――」


 ごーん、と凛乃の脳内で鐘が鳴り響いた。当然、ある程度自分より細かい情報を耀太郎が知っていることは分かっていた。

 しかし、それ以上に相手の経歴や趣味を耀太郎自身が理解していて、尚且つ親の愛を思い知らせた判断も素晴らしいと、凛乃は思ったのである。思ってしまったのである。

 だがそれが耀太郎のその場の勘案ではなく、そもそも明彦自らの筋書き通りとなると――


「ま、待ってください! でも耀太郎さんは、ボクシングに関して凄く詳しそうだったんですけど!? 少なくともわたし以上には!」

「本当にそうだった? どんな会話をしていたかぼくは分からないけどね、耀太郎は飯間くんがインファイターのボクサーであることぐらいしか知らないんだよ。だから、これはあくまでぼくの憶測なんだけど――「パンチが重いのが俺好みだー」とか、「KOこそボクシングだー」とか、そんな素人以前の適当な会話を、その時の耀太郎はしてたんじゃない?」

「えっ」


 何となく、そんなことを言っていた気がする。否、言っていた……。


「それに、最終的には耀太郎が聞く側に回ってたでしょ? 「尊敬してるボクサーは?」とか、「好きなパンチの種類は?」とかさ。後はそれを聞いて、適当に同意しておけば、素人並にはそれっぽい会話が可能だしね」


 尊敬しているボクサー云々は言っていた気がする。

 思えば、耀太郎自らボクシングに対する深い知識や愛を語っていた覚えがない。それは明彦が言うように、耀太郎はまるでボクシングに対して興味も知識もないという証拠だった。

 それを、その場の対応力でバレないように上手く取り繕っていた。

 他ならぬ飯間の信用を勝ち取る為に、だ。


「うう……そんな裏事情、知りたくなかったです……」

「でも、それも話術のテクニックだよ。耀太郎はあれでかなりの聞き出し上手で、尚且つ聞き上手だからね。それに終始貫き通してバレなかった嘘は、嘘をつかれた側にとっては真実と何ら変わりないし。むしろ、凛乃ちゃんにもそう言う口先の技術を――」


 明彦が言い終わる前に、オフィスの扉がガチャリと開いた。

 勝ったのか負けたのかよく分からない微妙な表情をしながら、耀太郎が戻って来たのだ。


「うーっす……ったく、捲りはしたが結局千円勝ちとか、勝った内に入んねーっつーの。つうか何で捲った瞬間に連チャンって終わんだよクソが。見てんのか店長が」

「伊庭さんっ!!」

「あ? んだよ新人……随分怖い顔してんな。いや全く怖くねえけどさ」


 牙を剥く子犬のように、凛乃は耀太郎の方を睨むようにして見ている。

 恐らく、何か余計なことを明彦に吹き込まれたのだろう。明彦のどこかニヤニヤした表情を見た瞬間、耀太郎はその考えに至った。

 昔から明彦は耀太郎に対してイタズラを繰り返すのだが、これもその一環だろう。ふう、と溜め息混じりに耀太郎は机の上に鞄を放り投げつつ、どっかと椅子へ腰掛けた。


「騙しましたねっ!!」

「はぁ? 騙すって、お前をか? って――――ああ、なるほど」


 どうせ、明彦が今回の案件についての真相を教えたのだろう。

 凛乃は今回の『説得』にいたく感動していたようだが、裏を返せばそんなもの、単純に飯間がやりやすいバカのマザコンで、凛乃もそれと同レベルのバカだった、という話だ。

 全てこちらの思惑通りに事が運んだだけで、そして今はそのことを知らされていなかった凛乃が一人憤慨している、というところか。

 耀太郎は一瞬でここまでの仮説を立てた。勿論全部大当たりである。


「あのな、新人。何度も言うが、俺らはボランティアでやってんじゃねえんだよ。勿論、熱血教師ドラマみてえな真似をするわけでもない。感情のまま動くんじゃなくて、ある程度案件に対して流れや予測を立てるのは必須だ。その結果、今回は特に労力も使わず飯間を説得出来た。騙すとかそんな意図はねェよ。まあ、俺の口車で完全に騙されてたお前は究極のバカだけどな」

「むううううーっ!」


 ぷう、と頬を膨らませるようにして凛乃が忿怒する。

 その頬をぐにゅりと指で挟んで潰してやりたい衝動に駆られつつ、努めて冷静に耀太郎は続ける。


「あくまで俺らが考えるのは、如何に去り際をカッコよく見せるかってコトぐらいだ。肝心な『説得』の中身は、明彦が大体考えてくれるからな」

「名前を尋ねられているのにも関わらず、そのまま名乗らずに去ることのどこがカッコいいんですか! 失礼なだけですっ!!」

「あぁ!? だからそこら辺のロマンや様式美については車内であれだけ教えてやったろうが! 何一つ理解してねーのか、てめぇ!」

「だって眠かったから正直聞いてませんでしたもんっ!」

「ハァァァア!? おいテメー今なんつった!? 明彦! 臨時査定だ! コイツの給料を半分にしてやれ! 事由は上司のありがてぇお話を適当に聞き流してた、以上!!」

「不当な査定です! 訴訟です!」

「まあまあ、落ち着きなよ二人共。耀太郎、ちょっとカバンの中身見せてくれる?」


 二人を宥めすかしつつ、明彦は立ち上がって耀太郎が机に投げたカバンを半ば強引に奪い取る。おいやめろ、と立ち上がって耀太郎が言ったが、無視。


「普段、耀太郎が遊技場に行く時は、わざわざカバンなんて持って行かないんだ。でも、今日は持って行ってた。その理由はこういうことだよ、凛乃ちゃん」


 明彦がそこから取り出したのは、一冊の雑誌だった。既にどこかで読んでいたのか、少しだけ折り目がついている。

 その表紙に書かれた雑誌名を、凛乃は読み上げた。


「『月刊ボクシングラブ』……って、これボクシング雑誌、ですよね?」

「目敏いんだよ、クソッ……」


 ぽりぽりと頬を掻きながら、明彦に悪態をつく耀太郎。

 だがそんな耀太郎の片腕を取って、明彦は自分の腕を絡ませてぎゅっと抱き着く。


「どうして普段読まないこんな雑誌を買ったのかなぁ?」

「は、離れろ! パチンコで千円ぽっちしか勝てなかったし、これがコンビニで売ってたから、モノのついでで買っただけだ!」

「いつもジャンプといかがわしい雑誌しか買わないのに?」

「俺の心ン中の少年はな、たまにゃ違う本だって読むんだよ!」

「もしかして、耀太郎さん……」


 ニヤニヤしながら、明彦がまとわり付いてくる。相変わらず柔らかくて良い匂いがしたが、それ以上に鬱陶しい。

 凛乃もきらきらと目を輝かせながら、耀太郎の方を見ている。どうやらさっきまでの怒りは、一瞬の内に吹き飛んだらしい。

 はあ、と大きく溜め息を吐いて耀太郎は降参する。これ以上続けたところで、こちらの旗色は変わらないだろう。

 やがて、耀太郎が乱暴に言い放つ。


「あーあーあー、そうだよ! ちったぁボクシングの知識仕入れて、たまにはあのクソガキに飯でも奢ってやろうと思っただけだっつーの! だがこれは単純に、アイツが将来プロボクサーとかオリンピック選手になれるかもしれねぇから、そのコネ作りだ! 先行投資だ! そんだけだ!! 分かったらとっとと離れろや明彦! 新人もさっき俺の話眠くて聞いてなかったってことは不問にしてやるから、さっさと部屋に戻れ! 今日はもう解散だ解散! じゃあな! いい夢見ろよボケナス共!」


 強引に明彦を引き離して、耀太郎は雑誌をカバンに乱暴に詰めて、オフィスからずんずんと肩を怒らせ出て行く。

 妙に顔が赤らんでいたのは、果たして何が原因なのだろうか。

 残された明彦と凛乃が顔を見合わせる。そして、にこりと二人共自然に微笑んだ。


 ――確かに耀太郎は、優しい男らしい。

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