#6 お仕事準備!

「お茶が入りましたよ~」

「ん。ありがとう。そこに置いといてくれる?」

「はい!」


 ――凛乃が働き始めてから、約二週間が経過した。

 相変わらずミスは多いものの、基本的な事務作業の補助程度は何とかこなせつつある。今はお盆に紅茶を二杯載せて、明彦と耀太郎の席に分配している最中だ。

 耀太郎はずず、とその紅茶を啜った後に言う。


「お前はドン臭ぇし注意力不足だしドジだし間抜けだしミスばっかで良いトコなんざ一つもねえお嬢様だと思ってたが……お茶汲みだけは別だな」

「もうっ! そんなに褒めないでくださいよう!」

「いや割合的に八割ぐらい貶してんだけど何だよそのポジティブ加減は」


 十回叱ったとしても、その後一回褒めるだけで、上下関係は劇的に変化する。

 耀太郎は別に何か意識しているわけではないものの、凛乃の持っている良い部分に関しては、歯に衣着せずストレートに褒めた。

 その中の最も大きな一つが、凛乃の入れる紅茶やお茶は美味しい――というものである。

 明彦もニコニコしながら紅茶を一口飲む。


「でも、不思議だよねぇ。ぼくや耀太郎が淹れるのと、凛乃ちゃんが淹れるのと、一体何が違うんだろう? 使っているカップや茶葉とかは同じなんだけどなぁ」

「えっと、それはですね……」

「お茶への愛とか言うなよ。寒いから」

「皆さんとの経験の差です!」

「でっかく出たなオイ! マウント取って来やがったぞ!!」

「ふふふ……。実際は母と一緒によくお茶を淹れていたので、その名残です」


 凛乃と耀太郎の、この妙に噛み合わない漫才のようなやり取りも見慣れたものだと、明彦は目を細める。

 業務能力的に、凛乃はまだまだ一般レベルに遠く及ばないかもしれないが、そんなものはこれから時間を掛ければ幾らでも伸ばすことが出来る。

 一方で、性格的や人間的な部分は生まれ育つ上で染み付くものだ。

 故に簡単には変えられないし、それが耀太郎や明彦と合わなければ、後に待っているのは人間関係から来る亀裂と破滅である。


 しかし凛乃は、生来の育ちの良さと、マイペースでやや天然なところがあり、それが耀太郎の刺々しい発言のダメージを軽減している。更に、性格上おっとりしている明彦とも問題なく馬が合う。

 つまりは人間関係という部分で、凛乃に心配事はなさそうなのだ。明彦はともかく、耀太郎はかなり人を選ぶタイプだからである。

 なのでそれだけでも充分、凛乃を雇う価値はあると明彦は思う。


 ――ただし、問題はここからである。

 今日から凛乃は次のステップへ進むのだ。そこでつまづいてしまえば、結局のところ元も子もない。


「さて、凛乃ちゃん。今まではぼくの仕事を手伝って貰っていたけど、以前の宣告通り、そろそろ耀太郎のお仕事の方を手伝って貰うよ。まずは全体的な復習からいこうか」

「はい!」

「相変わらず返事だけは一丁前だな。んじゃ、俺達の業務の基本的な流れを説明してみろ」


 耀太郎が飲み干した紅茶をソーサーにかちゃりと置く。

 凛乃は言われた通り、耀太郎と明彦がどのようなことをしているのかを、頭の中で一から思い出していた。

 レクチャー自体はこの二週間でほぼ毎日受けている。忘れている、ということは無さそうだった。


「ええと、まず、《傷持ち》を捕まえて、それを然るべきところへ預けることによって、報酬を得るんですよね」

「ああ。で、その中でも大別して三つの業務がある。それは何だ?」

「一つ目は、《依頼》です。これはかつてのわたしがそうだったように、依頼者の方が個人的に、《傷持ち》の捕獲をお願いすることです。基本的には、《鷹の目》という政府機関さんが、明彦さんに依頼を横流しして下さるのでそれを受諾します。二つ目は、《協力》です。これは依頼者が《鷹の目》さんそのもので、伊庭さんが《鷹の目》さんの方と一緒に《傷持ち》を捕まえたりします。でも、《鷹の目》さんのプライドとか色々あるので、頻度としては滅多にありません。最後は《探索》です。これは《事務所》の方で勝手に《傷持ち》を探して捕まえ、《鷹の目》に渡すという形式です。最も業務量として多いのが、この《探索》になります。以上です!」

「よし。その通りだ。教えたことだけをそのまんま記憶してやがる」

「暗唱は完璧だね」

「えへへ」

「あんま褒めてねえぞ」


 あくまで知識として覚えるだけなら、凛乃は相当な力を持っている。

 勉強が出来るが故のものなのだろうが、問題はそれを活かすことが出来るかどうかの方である。耀太郎はそちらの能力を重視していた。


「それじゃあ凛乃ちゃん、《鷹の目》ってどういった組織なんだっけ?」

「警察や自衛隊とはまた別の公的機関で、対能力者捕縛に特化したスペシャリスト集団です。一般的な認知度はそこまでありませんけど、能力者が悪さをした場合は《鷹の目》が出動して、被害を抑えるんですよね?」

「そうだ。一般的にゃ《傷持ち》が悪さしたら、出て来るのは全部警察だと思われてる。だが実際は警察と《鷹の目》が一緒に出て来てるんだ。警察は直接能力者とは相対せずに交通整理や人民の安全を確保し、《鷹の目》が能力者を取り押さえるようになっている。ま、役割分担ってやつだな。ちょっとネットで調べりゃすぐ分かることだがよ」


 だがそうなればこの《事務所》は、《鷹の目》と業務内容が丸かぶりになってしまう。

 それなのに、こうして《事務所》が今も存続出来ている理由は何故か――数日前、凛乃はこの疑問に答えを貰っていた。今それを復習がてら暗唱する。


「わたし達……つまりこの《事務所》のは、出動までの迅速さとその柔軟性、なんですよね」

「そうだね。《鷹の目》が出動するのには時間がかかる。能力者が関わる関わらないを問わず、全ての110番通報はまず警察に行って、その警察が状況に応じて《鷹の目》に連絡して、その後、《鷹の目》は警察からの情報をまとめた後に出動するから。色々と法律上の制約もあるし、急を要する場合でもすぐさま動くことが出来ないのは、彼らの大きなデメリットだね」


 そこで出て来るのがこの《事務所》である。

 基本的に、《中藤第二創造都市》内であれば、耀太郎はどこであれすぐに出向くことが出来る。

 《鷹の目》がわざわざ出る必要のない軽度の案件や、彼らの出動が間に合わず、しかし先んじて誰かを送り込みたい場合など、あらゆるケースを問わず《事務所》は身軽に動くことが可能であった。

 個人事業であるからこそのフットワークの軽さは、業務内容が被っていても彼らに独自性を与えているのである。


「ま、遊撃部隊って感じだな俺らは。それに《鷹の目》は《鷹の目》で俺らを利用するし、俺らは俺らで《鷹の目》から金をふんだくるから、謂わばギブ&テイクの関係よ」

「あの、一つ気になることがあるんですけど……他にもこういう《事務所》ってあるんですか?」


 このような職業があること自体、凛乃は知らなかった。

 世間的には警察の陰に隠れている《鷹の目》の、更に裏に隠れているようなものである。

 なので一般人が知らないのは当然だが、だからこそ他にも似たようなもの――いわゆる同業者が居るのではないかと凛乃は思ったのだ。


「この街にはない。他の街には……ほとんどないんじゃね。知らん」

「? どうしてですか? 《傷持ち》って、今爆発的に増えつつありますよね? 、ってやつじゃないんですか?」


 小癪なこと言いやがって、と耀太郎は毒を吐く。

 凛乃の言う通り、2000年代初頭より危惧されていた少子高齢化問題をクリアしたこの現代日本において、子供の数は現在充分に多い。

 それは即ち、《思春期ブルー傷痕スカー》になる分母がそのまま増えるということでもある。


 実際に、年々増加傾向にある《傷持ち》は、国の抱える大きな問題の一つだ。

 警察組織の拡充――実際には別機関である《鷹の目》の誕生などがあるが――で対策は講じているものの、その被害は増える一方である。

 その社会問題とも呼べる《傷持ち》に対応出来る組織、或いは会社などがもっと存在しても良いと凛乃は考えたのだ。

 明彦は苦笑しながら、その答えを簡潔に述べた。


「簡単な話だよ、凛乃ちゃん。この仕事はんだ。かなり危険なのにも関わらずね」

「それは、そうですけど……」


 凛乃も自分の能力が簡単に他人を傷付け、ともすれば殺めることだって容易に出来ることを知っている。

 しかし、それでも割に合わない、というのは理由としては弱い気がした。


「あのな、新人。お前はまだちゃんと知らねえだろうが、《傷持ち》ってのはかなり危険な存在なんだよ。お前だって相当やべえ能力持ってんだろ。世の中にゃ、お前より攻撃的な気質と能力を持ったバカがわんさか居る。それをわざわざ狩るような真似、普通ならしねえし出来ねえ。誰だって死にたくねえからな」

「死……ですか?」

「うん。能力者による傷害、或いは殺人事件は、報道されていないだけで結構多いよ。よっぽどな事件……かつての《ウロボロス》みたいなのなら話は別だけど、能力者が一人二人殺したところでわざわざマスコミは取り上げない。色々な理由でね」

「うろぼろす……」


 その名前には凛乃も当然聞き覚えがある。

 今や現代史の授業で必ず習う、《思春期ブルー傷痕スカー》の歴史における一つののようなものだからだ。


 にして――歴史上類を見ない、

 自ら名乗りしは、円環の蛇である《ウロボロス》。

 十数年前に突如として現れたその存在について、未だに知らない者はいない。時代から消えた今も尚、様々なメディアにおいて『伝説』として語り継がれているからだ。

 だが話はそんな《ウロボロス》伝説には向かず、耀太郎は苦虫を噛み潰したような顔になる。


「《傷持ち》周りにゃ、法的なしがらみがかなりあるんだ。追々話してやるけどよ」

「今話してください! 勉強したいです!」

「うげっ……信じらんねえセリフを吐きやがった」


 これが優等生か――と、耀太郎は小さくこぼした。

 勉強したいです、という言葉を吐く人間が、この世に明彦以外で実在していることが驚きだった。

 まあ、その意欲は凛乃の数少ない利点の一つである。そう考えている耀太郎は――


「明彦、頼んだ」


 難しい話になるので全て明彦に丸投げした。

 法律と聞くだけで無条件にじんましんが出るのが耀太郎である。


「はいはい。まず、《思春期ブルー傷痕スカー》は早くて12歳前後から、遅くても18歳までの間に発症する。で、長くても成人する頃にはほとんど自然に能力が消えちゃうんだ。ここまでは分かるよね?」

「はい!」


 それが《思春期ブルー傷痕スカー》の最大の特徴である。

 俗に言う『思春期』が終わるにつれて、その能力も鳴りを潜めていき、やがては消滅してしまう。

 その思春期にのみだけ現れる傷――徐々に治り、やがて痕すら残さない――のような性質を、誰かが《思春期ブルー傷痕スカー》と呼んだのが、そもそもの始まりである。


「つまり、能力を使えるのは主に十代の少年少女のみ。で、法的な話をすると、凛乃ちゃんみたいな少女も『少年』になるんだ」

「え? 『少女』ではなくて、ですか?」

「うん。法律用語だからね。法律の上では、十代の少年少女を『少年』と呼ぶんだ。で、きみ達『少年』が罪を犯した場合、適用される法律は基本的に『少年法』と呼ばれる法律の範囲内になる。これは通常の刑法とかと違って、何というか、まあ――激甘なんだよね」

「げきあま……」

「人を一人二人殺したところで、そこまで問題ねえってこった」

「いや、問題がないわけじゃないんだけど……考え方としては耀太郎の言う通りかな」


 簡単に言ってしまえばそういうことである。

 少年法の厳罰化は、予てより法曹界で叫ばれている事項だった。しかし人道的な観点や人権的な側面から、現状も余程のケースでもない限り厳罰化や特例は認められていない。

 耀太郎が言うように『少年』が人間を一人二人殺そうとも、死罪はおろか無期懲役になることすらほぼないのが実情だった。


 ここまで話を聞いて、凛乃はすぐに理解出来た。

 何故、誰も《傷持ち》を狩らないのか。その最大の理由を、他ならぬ『少年』である凛乃は述べる。


「もしかして、それを知っている《傷持ち》が多いんですか? えと、つまり、どれだけ無茶しても厳罰を受けないから……だから遠慮がない、というか」

「その通り。賢いね、凛乃ちゃんは。どういうわけか、そういう情報だけは出回りやすいんだよね。で、これも不思議なことに、大体の過激な能力者は、自分たちはどれだけやっても許されると考えるんだよ。だから下手に刺激すると、手酷い反撃を喰らう。でも、それが裁かれることはない。裁かれたとしても、人生にそう影響するものでもない」

「少なくとも今の法律じゃ、大量殺人でもない限り死刑は絶対にねえな。ま、良くてそいつのガキん頃の武勇伝の一つになるだけだ。それに――」


 もう一つ耀太郎は付け加える。

 実務的な面で知っておかなければならない以上、上手く説明が出来ないだけで、耀太郎も当然ここら辺の知識は備えている。


「――向こうの攻撃に制約がなくとも、。あいつらも法で守られた存在である以上、下手に殺しでもすりゃ俺らは一発でブタ箱行きだ。ちょっと怪我させただけでも問題になることがある。《鷹の目》の出動に時間がかかるのは、そういう理由がでかい。単に銃持って出て行きゃいい、ってわけじゃねえからな」

「もっと都合の悪いことに、人権団体サマが彼ら《傷持ち》を全面的に護ろうとするんだよねぇ……。マスコミがあまり取り上げないのはそういうこと。うるさいんだよ、色々と。それなのに企業として大々的に《傷持ち》を狩るってやってごらん? どうなることやら」


 考えるまでもなく、大バッシングをそういった方面から喰らうだろう。

 そうなればまともに業務が出来るどころか、情報操作次第では悪人扱いだ。

 社会的にそんな扱いを受けた上で、実際の業務において《傷持ち》は遠慮なく――それこそ場合によっては殺すつもりで――攻撃してくるし、更にこちらは絶妙な手加減を念頭に置かねばならない。


 トドメとして、向こうには無条件で歴戦の人権派弁護士が付くらしいので、仮に裁判になったとしても、かなり強気な立場で居られる。

 ようやく凛乃にも理解出来た。

 《傷持ち》を狩ること自体のメリットとデメリットが、まるで釣り合っていないということに。


「だから、どこもやらないんですね……」


 にやりと耀太郎が笑う。

 今現在、《傷持ち》が起こす事件に関して、そのまま少年法を適用するのは間違っていると叫ばれているものの、特例法による措置や新法の成立にはまだまだ時間が掛かっている。

 社会問題となっている現状ですら、この国の対応は亀よりもノロマだった。 


 なればこそ、少人数で目立たないが故に、人権団体の目を誤魔化すことが出来、また《鷹の目》という政府機関とも裏で繋がりがあり、更に――


「耀太郎はぼくが言うのもアレだけど……対能力者戦においてはほぼ無敵だからね」


 ――調子付いている《傷持ち》を、単騎で黙らせることが可能な戦闘技術を持った者がいる、この《四ツ葉綜合解決事務所》が存在するのだった。


「こんな事務所が他にほとんどないってのはそういうこった。俺と同じようなことが出来るヤツなんざ、早々居るもんじゃねえ。だからこそ、お前の言うビジネスチャンスとやらを独り占めってわけだな」

「ぼくらは二人一組だけどね~」

「なるほど!」


 法的なしがらみを強引に切り抜け、身に降り掛かる命の危機すら跳ね除けることが可能な、少人数精鋭の組織。それらが簡単に現れるとは凛乃には思えなかった。

 少なくとも、一度耀太郎と対峙したことがある身からすれば、耀太郎は口だけの男ではないのは確かだ。本当に『能力』を持った者に対して戦い慣れている。


「で、そんな危ねえ仕事にてめえは付き添うことになる。嫌なら嫌って今言え。外すから」

「いえ! 頑張ります! だって儲かるんですよね!?」


 きらきらとした目で凛乃は言い放つ。守銭奴になりつつあるのだろうか。


「まあ、うん……っていう意味では希少価値があるからね、ウチは。そこら辺を含めて金銭交渉をするし」

「こりゃしばらくは危なげなヤマ張れねえな……。なるべくヌルいのをやってくか」


 《中藤第二創造都市》だけでも、相当数の《傷持ち》がいる。

 事件を起こす起こさないに関わらず、ひとまず能力者を確保すれば報酬を得ることが出来るので、凛乃が充分に育つまでは比較的安全なものをやっていこうと耀太郎は決めた。


「次行くぞ、新人。基礎的な部分はこれで終わりだ。次は俺が実際に《傷持ち》と相対した場合の行動の原則を復習する。言ってみろ」

「はい! えっと、まず前提として必ず『説得』から入ること、ですね」

「そうだ。現実はバトル漫画じゃねえんだし、こっちからいきなり吹っ掛けるような真似は基本的にゃしねえ」


 まず、耀太郎が能力者に接触して最初に行うことは『説得』である。

 対象が悪事を働いているのならばそれを諭して止めさせ、機関の元に本人同意の上で同行させる。また、特に悪事を働いていない場合でも、機関の元で然るべき措置を受けさせる。

 上手く事を運んだ場合、最も安全で最もコストが掛からない最良のパターンである。


「それじゃ、もし耀太郎の『説得』が失敗したら?」

「能力者の『無力化』を行います。具体的には伊庭さんが『無効化系能力』を使うんですよね!」

「……? ねえ、耀太郎」

「あーあー、その通りだ。相手をなるべく傷付けずに戦闘能力を奪う。その後はそのまま『説得』の流れだな。まあ無理矢理連行することもあるがよ」


 訝しげな目で明彦が耀太郎を見ている。

 『無効化系能力』と、あの時耀太郎は凛乃へ言ってしまったが、これは真っ赤なウソである。そのことに明彦はすぐに気付いたのだ。


(あン時は説明する手間を省いたからな……まあ今度改めて言えばいいか)


 実際、耀太郎は異能力者ではない。『無効化系能力』などという都合の良い『能力』は当然だが使えない。

 そもそも、二十六歳である耀太郎が、ほぼ十代にしか使えない『能力』を使えるわけがないことに、凛乃はまだ考えが及んでいない。頭が良くてもどこか抜けている証左であった。

 凛乃が妙な勘違いをしてしまっているのを承知の上で、耀太郎はそのまま話を進める。


「じゃあ最後だ。相手がまるでこちらの『説得』に耳を貸さず、『無力化』も状況的に厳しい場合、俺達が取るべき第三の手段は?」

「……『制圧』ですよね。真正面から戦う、っていう」

「そうだ。最もコストが掛かり最も危険で、正直取りたくない最後の手段だな」


 しかし、最初からこちらの言葉に素直に耳を傾けるような者であれば、そもそも《傷持ち》にならないだろう。

 『説得』だけで終わることの方がレアケースであり、大体は『無力化』してからの『説得』が多いパターンだ。凛乃はまさにそのパターンで陥落した。

 一方で『制圧』は問答無用、最初から相手の意識を奪うことを念頭に仕掛け、そして強制的に連行する。耀太郎が持ち得る戦闘能力を全て駆使して行う、まさに最終手段である。


「戦うことのメリットとデメリットは比べるまでもないからね。出来れば穏便に済ますのが、ウチ的には一番の儲けだよ。凛乃ちゃんも『能力』を使うのは最後の最後にしてね」

「はい……!」


 凛乃が不用意に『能力』を使えば、それだけで闘争の口火を切ることになる。

 そうなれば、結果的に戦い慣れていない凛乃の身が危ない。耀太郎が指示を出すまで、凛乃は絶対に『能力』を使ってはならないし、そもそも今後しばらくは凛乃には何もさせず、耀太郎の業務へ同行させるだけに留めるのみだ。

 それが彼らの取り決めた、凛乃の外回りに関するルールだった。


「それじゃ、これを渡しておくね」


 明彦は立ち上がり、かつて凛乃に渡した下着を収納していたキャビネットを開く。

 果たしてそこには、ビニールで包装された下ろしたてのシャツとスーツとスカート、そして耀太郎も使っていたインカムが入っていた。


「これは……?」

「外回り用の制服だよ~。ワイシャツとジャケットと、それと凛乃ちゃんに似合うと思って、下はスラックスじゃなくてタイトスカートにしてみました! あ、こっちの革靴も忘れずにね」

「わざわざ足出さなくてもいいだろうがよ。擦り剥く危険性が上がるだけだぞ」

「ダメだよ耀太郎! 可愛い子にはそれなりの格好をさせなきゃ!」

「へいへい。まあ着飾るブスよかマシか……」

「わ、わたしの制服……!」


 妙にキラキラとした目で、凛乃はパリっとしたそれらを受け取った。

 現在、学校の制服と最低限の私服しか持っていない凛乃にとっては、久々の新しい衣類である。

 それも本来高校生時分では滅多に着ないであろうスーツだ。嬉しいのも無理はない。


「とっとと着替えて来いよ。そのスーツの説明をしたら、今回の案件についてミーティングだ」

「はいっ!」


 元気良く返事をして、凛乃はオフィスをたたたっと出て行った。


「……不安だ……。マジで……」

「まあまあ。久々にフレッシュな感じがしていいじゃないか」


 ニコニコとしながら明彦がそう締め括る。

 青臭くて食えたもんじゃねえよ、と耀太郎は皮肉を吐いて、飲み干したティーカップを指でこつんとつついた。



* * *



「――いいか。まず、そのスーツはそこらに売ってるような、単なるビジネススーツじゃねえ。シャツにもジャケットにもスカートにも鋼鉄製の繊維が編み込まれてるから、並の衝撃なら防げる優れモンだ。ただその分高いからな! 汚すのはまだしも、絶対に破いたり雑に扱うんじゃねぇぞ」

「鋼鉄製なのに破れるのですか?」

「何度も衝撃を与えたら繊維が脆くなっちゃうからね。耀太郎が言いたいのは、『攻撃を喰らうなよ』ってこと」

「なるほどです!」


 まあ、今の所『制圧』の現場に凛乃を連れて行くつもりはないので、その心配も杞憂で終わるのだが。

 見かけは単なる黒いスーツの類であるのにも関わらず、実際は荒事に備えた作りになっている。

 凛乃はそんなものが存在していること自体に驚嘆を隠し切れない。父のスーツは、タバコと香水の匂いが染み付いた『働く男の服』であったが、ここのスーツはいわゆる『戦う者の服』になるのだろう。


 くいくい、とジャケットの裾を凛乃は引っ張ってみる。

 父のスーツとの違いは――まるで分からなかった。匂いが違うだけで、見た目はどちらもほとんど同じに見える。


「あはは、良く似合ってるよ。ぼくの採寸に間違いはなかったね」

「どこで採寸したんだよ」

「え? 銭湯だけど」


 このビルには入浴設備がない。よって近場の銭湯に行かねばならないのだが、明彦と凛乃が二人で仲良くそこに行っていたことを耀太郎は思い出す。

 どこで採寸しているのやら、耀太郎はチッと舌打ちをした。


 そこまで気に揉むことだろうかと凛乃は思ったが、もしかしたら耀太郎は、明彦と仲良くしている自分が気に入らないのでは――と、乙女色な想像を働かせる。

 凛乃の中では、この二人は素直になれない恋人同士ということになっていた。

 勿論、事実がどうなのかは知らないが。


「……次はそのインカムだ。付けてみろ」

「えーっと……こう、ですか?」


 インカムは無線式で、片耳に引っ掛けるようにして装着する。三日月のような形状をしたそれは、片方の先端がマイクになっていて、何とか凛乃は装着することが出来た。

 耳と顔が小さいのか、随分とインカムが大きく見えてしまう。


「これは事務所へ連絡する時に使用する。ま、主に帰還時に報告することが多いな。携帯電話の代わりだ」

「そこのスイッチを押したら、ぼくのパソコンに接続されて、そのままぼくと会話することが可能になるんだ。一応、《中藤第二創造都市》内だと、どこに居てもすぐに繋がるよ」


 スーツと同じく、このインカムも特注品である。耀太郎は口を酸っぱくして「壊すなよ」と何度も言った。

 落としたぐらいでは壊れないものの、凛乃のどん臭さならば、落とした後に更に踏み付けてトドメを刺しそうであるからこその忠告だった。


「一応報告用っつったが、時折明彦のリアルタイムオペレーションを踏まえて行動することもある。それに、明彦のパソコンに繋ぐだけじゃなくて、俺やコイツのインカムに飛ばすことも可能だ。そこら辺の使い方は後で教えてやるから、とりあえず今は壊すなよ。マジで。それ高いからな。マジで」

「因みに、おいくらぐらいなのでしょう……?」

「あはは、聞かない方がいいと思うなあ。これを金庫にしまうハメになるから」


 凛乃は生唾をごくりと飲む。そんな高価なものを、自分などがおいそれと使っていいのだろうか?

 もし壊してしまったら、どうやって弁償を――


「社内備品だから、壊しても弁償なんてさせないよ。ちょっと耀太郎のお給料が減るだけ」

「待てやコラ」

「部下の失敗は上司の責任だからね~」

「じゃあ上司の失敗は部下の責任にしろよ!!」


 明彦が他人事のように笑い、「それはダメ~」と却下した。

 その後も「壊したらガチで泣かすぞ」と、最後の最後まで耀太郎は念押しをして来たので、凛乃はただ頷くことしか出来なかった。


 とはいえ、凛乃の初仕事が、もう間もなく始まろうとしている――

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