#5 伊庭 耀太郎と四ツ葉 明彦②
「も、もしもし! 《四ツ葉綜合解決事務所》です!」
「社外の電話で『もしもし』って言うんじゃねえっつってんだろ! あと『です』じゃなくて『ございます』だ! サザエさんのオープニングを意識しろや!」
「あ、明彦さんですね! えっと……今はお手洗いに……」
「電話において社内の人間に敬称はいらねえし、明彦さんじゃなくて《四ツ葉》で呼べ! つーかわざわざ便所行ってるとか言わずに『席を外しております』でいいっつーの! 誰もアイツがクソしてようが興味ねーんだよ!」
「クソしてないんだけど……」
「あ、明彦さぁん! 電話です!」
「電話を取り次ぐ時は保留ボタンを押せって何ベン言ったら分かるんだよてめえはぁぁ!!」
凛乃が《四ツ葉綜合解決事務所》で働くことになって、一週間が経過した。
どうやら明彦が相当根回ししてくれたらしく、伯父から特に連絡も無ければ、他の機関が何か言ってくる様子もない。
凛乃は毎日学校に通いつつ、こうして日々基本的な業務を覚えようとしていた。が、今までアルバイトすらしたことのない凛乃にとって、オフィスワークは慣れないものらしく、電話対応一つにしろこの有り様である。
「シミュレーションでどれだけ俺を怒らせりゃ気が済むんだこの野郎……! これがマジの電話なら相手方が笑い転げてんぞ!」
「わ、笑うのは良いことだと思うのですが……」
「屁理屈コネてんじゃねえ!」
べし、と耀太郎はクリアファイルで凛乃の頭をはたいた。
今の電話は、明彦が携帯で社内に電話を掛けて、凛乃がそれに応対するという練習である。
「まあまあ。耀太郎も落ち着きなよ。凛乃ちゃんはまだ入って一週間だしさ」
明彦が苦笑しながらフォローをする。
この一週間で、凛乃がミスをすれば耀太郎が怒鳴り、そして傷心した凛乃を明彦が慰める、というパターンが定例化しつつあった。
「俺は一週間で覚えさせられたっつーの。それにミスったらシバかれてたぞ」
「あのね、耀太郎。それはきみがそういう環境に居ただけであって、『自分がこういう教育を受けたから、新人にも同じことをする』っていうのは、日本特有の悪しき慣例だよ。それが良い教育なら問題ないんだけど、耀太郎が今凛乃ちゃんにしているのは、一歩間違えればパワハラだし、それに怒鳴ればいいってものじゃないからね?」
「あぁ!? 俺だって三回まではミスっても笑って許すっつーの! それでもこのバカが何億回でも同じミスを繰り返すから、俺が仕方なく怒るんだろうが!」
「何億回もミスしてないですよう……」
「言葉のアヤってヤツだっつーの黙ってろてめぇは!」
凛乃が見る限り、耀太郎と明彦は結構な頻度で喧嘩をする。
その原因となるのは凛乃本人であることが多いのだが、それ以外でも口喧嘩になることがある。
ただしお互いに怒鳴り合うのではなく、直情的な耀太郎が一方的にまくし立て、それを落ち着いている明彦が冷静に対処していくパターンばかりだった。
「何回も同じミスを繰り返すってことは、そこに何か原因があると考えるべきなんだよ。ミスをしたから叱りつける、は耀太郎本人の自己満足な教育であって、凛乃ちゃんからすれば教育と言うよりも『怒られた』という一点だけが残ってしまう。幸いにも、まだ耀太郎に対して苦手意識は持ってくれていないみたいだけど、このままじゃ耀太郎に怒られるのが怖くてビクビクし始めて、結果的にストレスになっちゃうよ。そうなった場合、それが原因で鬱病になったり《傷痕》が悪化したり、最悪耀太郎は訴えられてもおかしくないからね?」
「ぐっ…………。確かにコイツなら訴えそうだが……」
そして大体の場合、口喧嘩は明彦が勝つ。
耀太郎が理詰めに弱いのは明白であった。
「指導者として耀太郎が行うべきは、凛乃ちゃんがミスをする原因を優しく取り除くこと。怒鳴ったり叱ったりするのは、声さえ出せればどんな無能でも出来るじゃないか。それを無能の証左としないのがこの国の社会の汚点だけど、ぼくはそれをしっかりと無能の証とするからね。じゃあ無能くん、引き続きちゃんとした教育をお願いします」
「うがあああああああああああああああああああああ!!」
一概に、叱ることそのものは悪ではない。
問題は叱る者が『叱ること』そのものを教育だと考えてしまう点にある。本来の意義は叱った結果、叱られた側がその『原因』に気付き、自ら改善を行うようになることである。
叱る者はそこまで理解して叱るべきであり、結果として改善が出来ていないからもっと怒る、というのは無駄以外の何者でもない。
そしてその場合、悪いのは叱る側だと考えるのが明彦であり、出来ないヤツが悪いと考えるのが耀太郎である。
「明彦さん……」
キラキラとした目で、凛乃は明彦を見た。怒られる側の凛乃からすれば、明彦の理屈はとてつもなく優しく響く。
が、明彦は単に甘いだけの者ではなかった。
「凛乃ちゃんは凛乃ちゃんで、『怒られたから単純に反省する』じゃなくて、『怒られた原因を探って、それを改善するためにどうすればいいのか?』を自分できちんと考えること。耀太郎の言い方がキツかったらぼくが彼を注意するけど、それでも怒る耀太郎だけが悪いわけじゃないからね? ぼくは雇用者として、きみ達二人のことを平等に見てるから」
「はい! 頑張りますっ!」
「ケッ……じゃあ俺は雇われた側として、お前のことを監視してやらぁ」
「それでいいよ。むしろそれがいい。ぼくに悪い部分があれば、凛乃ちゃんも遠慮無く言ってくれていいからね?」
「じゃあ先に言わせてもらうが、お前またネットで漫画の全巻セット買ったろ? もう本を置くキャパもねえし、無駄に事務所の金使う前に俺に一言言えっつってんだろうが。なあ、おい? 経理も担当してるからって、己の趣味の拡充に走りまくってんじゃねえぞコラ」
事務処理はほぼ全て明彦が担当している。なので、この事務所の財政管理も当然明彦の管轄だ。
しかし明彦は漫画本などを収集する癖があり、定期的に事務所の経費で漫画を購入している。
それを耀太郎は以前から咎め続けているのだが、一向に止む気配がない。
明彦はうふふと笑って目を逸らした。そして立ち上がり、トイレへ行こうとする。
「逃げんな」
「漏れちゃうよぉ~」
「カワイコぶってんじゃねぇよ気色悪ィな!」
この事務所におけるパワーバランスは完全に明彦に分があるわけではなく、状況によって簡単に一変することがある。
少なくとも耀太郎は何でもズバズバ言うタイプなので、それが明彦にとっての泣き所であることも多い。一転して、この話題は耀太郎に分があった。
ふと、凛乃はこのビルの構造を思い出していた。
このビルにおいて、テナントを募集しているのは一階と二階部分だけであり、それより上は全て、《四ツ葉綜合解決事務所》の所有となっているのだ。
三階が事務所の本体だとすると、それより上はどうなっているのか?
凛乃は事務所に雇われてすぐに、その秘密を教えて貰った。
しばらくの間、この二人はじゃれ合っているだろうし、多少気を逸らしても問題ないだろう。
その時の記憶を、凛乃は呼び起こした。
「――お前、住む場所とかどうすんだよ」
「えっと……今はお友達の家を転々としていますけど……。それももう限界かな、と……」
「行くアテはあるのかな?」
「…………いえ」
ふるふると凛乃は首を横に振る。
今までは両親が亡くなったショックで、一人で居るとパニックを起こしてしまい危険だ、という理由などで友人の家に泊まることが出来た。
が、それも長くは続けられない言い訳だ。そもそも、これ以上転々とすると、友人達に更なる迷惑が掛かってしまう。
かと言って自宅に戻れば待っているのはあの伯父であり、それをしたくないからこそ、凛乃は金を求めこの事務所で働くことにしたのだが――
「だとよ。どうすんだ、明彦」
「ん? じゃあここに住めばいいだけじゃない?」
「……はひ?」
ここに住む――と言っても、このオフィスはどう見ても人が住めるように出来ていない。ソファの一つでもあれば話は別だが、キャスター付きの椅子しか置いていない状態だ。
だが、あははと笑いながら明彦は訂正する。
「四階から上は全部ぼくらが所有しているんだ。で、四階が共用のリラクゼーション部屋、五階が耀太郎、六階がぼくの部屋ってことにしてる。凛乃ちゃんが良かったら、四階の一角を提供するけど、どうする?」
「是非お願いしますっ!!」
――こうして、凛乃は事務所の四階に居座ることになったのであった。
話がかなり逸れたが、凛乃が住むことになった四階のリラクゼーション部屋には、結構な数の本棚に漫画本が詰まっている。
が、耀太郎の話を聞く限り、恐らく六階の明彦の部屋にも大量の漫画本が置いてあるのだろう。
今度読ませて貰いに行ってみよう……と、呑気に凛乃はそんなことを考えつつ、さながら熟年夫婦のように未だ言い合う二人の姿を、微笑みながら見つめていた。
「おいコラ新人! 我関せずって顔してっけど、俺はコイツに言われたからってスタンス変えねぇからな!! 次ミスったら覚悟しとけよ!!」
「ひ、ひぃぃ……」
……凛乃の前途は多難である。
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