#1 御子柴 凛乃①

 《中藤なかとう第二創造都市》を一望出来る高層マンションの屋上に吹く風は冷たい。

 季節はもう十月を迎えつつある。残暑はこの前の台風と一緒に吹き飛ばされ、秋の到来はもう間もなくといった風に、気温はどんどん下がっていっている。


 それでも《御子柴ミコシバ 凛乃リンノ》の冷え切った心は、びゅうと吹いた冷風をむしろ温かいと感じさせるぐらいに、その身体を狂わせていた。

 冷えた心が映す景色はどれもモノクロのようで、何もかもが自分とは無縁の存在だと思えてくる。

 風よりも冷たいこの心は、果たしてもう生きていると言えるのだろうか。

 あてもなく飛ぶカラスも、地を這うように歩く人々も、揺れる緑の木々も、全てが虚しい。


 だから凛乃は、その虚しさを壊してやろうと思った。

 そこに意味なんてない。理由なんてない。

 ただ、そうしてこの世界に少しでも傷痕ひがいを残して、そして自分もここから身を投げて果てようと考えていた。

 意味があるというよりかは、誰かに意味を付けて欲しかったのだ。「どうして御子柴 凛乃はそのような行動に至ったのか?」を、自分より先に死ななかった人達に、後で考えて欲しいだけなのだ、たぶん。


 そうすれば、何となく救われる気がした。もう一片の希望もないこの世界を、たった独りで生きる自信など、凛乃にはない。だから死ぬ。

 だけど、ただで死ぬのは嫌だ。だから壊す。虚しさを壊す。意味なんてない。それすらも分からない。


 ……けど、もう、やるしかない。

 凛乃は手を翳し、遠方に見えるオフィスビルに心の照準を合わせた。

 あんなに大きな建造物を『切断』するのは初めてだ。出来ないかもしれない、が、命を賭してやればきっと何とかなる。

 どのくらいの人間が犠牲になるのだろうかとふと考えたが、顔も名前も知らない人間に思いを馳せるだけの余裕など、今の凛乃には存在していなかった。

 ぐっ……と、力を翳した手に込める。

 三、二、一――


「うー寒っ……よォ、そこのお嬢ちゃん。こんなトコで何してんだ? 寒くね? ココ」


 突然背後から男の声がしたので、凛乃は集中力を乱してしまった。『能力』は発動されない――それは、出かかったくしゃみが引っ込んだ時のような不快感に似ていた。

 しかし、不発に終わった『能力』は、そのままいきなり現れた男に対しての怒りに変貌する。


「……なんなんですか、あなた……。ここ、立ち入り禁止ですけど……?」

「マジで? いや、だって入り口のドアノブ壊れてたし」

「……壊れてたんじゃないです。壊したんですよ、わたしが……!」

「知ってる」


 現れた男は、片手でピースサインしてそう言った。随分と軽薄なノリの男だった。

 身長は大体百七十五センチを超えるぐらいで、年齢は分からないが、恐らく二十代半ば程度だろう。ワックスで良い感じにセッティングした黒髪は、屋上風を受けてやや乱れ、黒のスーツジャケットの裾もバタバタと扇がれている。

 よれた感じのスラックスのシワは、この風で悪化することだろう。アクセントとなる赤いネクタイも翻って、さながら吹き流しのようになっている。


 だらしのないサラリーマンのような格好をしているこの男は、屋上の入り口付近にどさりと座り込んだ。そして、ふわあとあくびを一つかましてくる。


「……じゃあ、消えて下さい。わたしは能力者です……知ってますよね? 《傷持ち》のことぐらいは……?」


 《若年性延長能力覚醒症候群》に罹患した者を通称、《思春期ブルー傷痕スカー》と呼ぶが、その《思春期ブルー傷痕スカー》は更に、《傷持ち》と略されることが多い。

 通常、《傷持ち》と聞くと一般人は警戒する。或いはそれだけで、通報事由とする者だっているだろう。

 能力者とは、そのくらい危険な存在として認知されているのだ。


 故に凛乃は、この一言で目の前の男が尻込みすると思った。自分は能力者であり、どんな危害を加えてくるか分からないぞ、と脅したつもりだった。


「おう、知ってる知ってる」


 が、男は座り込んだまま鷹揚に手を振っただけだった。

 脅しに屈するどころか、やたらとリラックスしている節さえある。


「……っ! 邪魔です! 消えて下さい!」

「何が邪魔なんだ? お前のマンションでもないだろうに」


 そもそも高層マンションにおいて、屋上は立入禁止区画である。入り口は厳重にロックされていたのだが、それを破壊して侵入したのは凛乃が先だ。

 凛乃は混乱する。何故、いきなりここに男が現れたのか?

 どうしてそんなに落ち着いているのか?

 更には――


「なあ、俺に教えてくれや《御子柴 凛乃》ちゃんよ。お坊ちゃんお嬢ちゃん御用達の《聖風大学付属高等学校》に通う二年生で十六歳。誕生日は二月二日。高校では華道部と書道部の掛け持ち、成績優秀で運動神経も並以上。容姿はサラッサラの真っ黒セミロングを風に靡かせ、若者特有のハリツヤ溢れる真っ白お肌に、お人形さんみてーな目鼻立ちをした美少女。ただし貧乳。そして百%処女。実家は裕福そのもので、父親が貿易会社の重役で母親は元ピアニスト。ただし母親も貧乳。そして非処女。まあ、こんなもんか? で、何しようとしてんだ、オメーはよ?」

「――――っ」


 凛乃は絶句した。いきなり個人情報をぺらぺらと――貧乳とか処女とか失礼なことも含めて――明朗と語り出した男に、生理的な恐怖すら覚えた。

 これが世に言うストーカーだとするならば、破壊活動をする前にこの男を何とかした方がいいのかもしれないと思った。

 敵意を滲ませる凛乃に対し、座ったままの男は平然としている。


「……答える気がないなら続けるぜ。そんな恵まれまくった凛乃ちゃんだが、つい一ヶ月程前に、不慮の事故で両親を同時に亡くした。自動車事故だったそうだな。ご愁傷サマです。んで、それが原因で《発症》し今に至るんだろ? 違うか?」

「…………気持ち悪い…………!!」


 最早その一言で充分だった。突然現れ、脅しに屈しないどころか教えてもいない自分の個人情報を言い聞かしてくるこの男に対し、凛乃は容赦を捨てた。

 他人に放つのはこれで二度目だったが、凛乃はその『能力』の照準を男に向ける。


「…………!?」


 が、男がその場から煙のように消えてしまい、凛乃は面食らった。

 ……どこからか、男の声だけが響いてくる。


「おいそれと人に向けていい力じゃねえだろ、それは。どんな力か詳しくは知らねえが、切断されたドアノブを見る限り、刃物っぽい能力なんだろうがよ」

「どこ……!? どこにいるの!? 出て来なさい! 切り刻んでやる!」


 声を張り上げて凛乃は叫ぶが、男が出て来る気配はない。

 どころか、凛乃は自分の内側――教えてすらいない『能力』について、この男がじっくりと舐って来ている気がした。

 そしてそれは、事実だったらしい。


「切り刻むってことはビンゴか。自分で言うなよ凛乃ちゃんさんよぉ。んで、刃物が見当たらないってことは、お前は実際に刃物を現出させて攻撃するタイプじゃないってこった。俺がいた床に斬られた痕もついてない。そんでもって、さっきビルに向けてお前は手を翳してたよな? 結構距離があるが、それでもビルを切れる自信があるってわけだろ? つまり、お前の能力は『人やモノに切断を発生させる』ってことだ。違うか? ん?」


「…………っっ!!」


 大当たりだった。凛乃の《傷痕ちから》は男が言った通りである。

 元から知っていたのだろうか、それを知らない風を装って言っただけだろうか。そうとしか考えられないぐらいに的中させられた。


 凛乃は身震いする。この男は、――!


「更に言うと、俺の姿が認識出来なくなった途端に俺への攻撃を止めたよな? それは『敵が見えていないと攻撃出来ましぇーん』って自白するようなモンだぞ。こういう時は嘘でもいいから、適当にモノでも何でも切り刻めばいいんだよ。それがハッタリってヤツだ」

「く、う、ああああああああああああっ!!」


 マンションの屋上には、受信アンテナが備え付けられている。不安定な心を刺激された凛乃は、力が赴くままにアンテナの支柱を切断した。

 それと同時に、男が転がるようにして現れる。どうやら、屋上の入り口前の踊り場に隠れていたらしい。

 しかし、まるで今の凛乃の行動を読んでいたかのように現れたので、凛乃はまたも面食らう。


「ついでにこれも教えておいてやる」


 男の手に握られていたモノを、凛乃は実際に見たことがなかった。いや、話の上や紙面、及び映像媒体では見たことがある。

 ずっしりと重そうで黒光りする、人を傷付ける為に作られた、現代におけるスタンダードな武器。

 その先端に穿たれた大きな口が、炸裂音と共に火を吹いた。



「――大体の『能力』より、銃の方が強い」


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