第7話 蒔村隼の、健やかな睡眠と起床

隼は絶望したが、あいにくマイは炊飯器でレイは空調機器である。床に伏して二十時間ちかくこんこんと眠り続ける隼の脇で、今後も食べ続けるであろう穀物団子を作っていた。

「ねえ、私たちどうすればいいのかな」

「隼のケア、についてだな」

「うん、隼さん、地球にたどりつけないから」

残る食料は、五ヶ月分。一方。地球までの旅路は、十七ヶ月だ。食事を切り詰めて、三分の一にしても隼は帰還することができなくなる。マイとレイは対話を続けた。

「燃料は十七ヶ月分残っているよね。エンジンの出力を上げることはできないの?」

「燃費は悪くなるだろうが、慣性航行になれば、静止分確保とスイングバイを利用して……」

マイとレイは航路をきちんと四次元的に理解していた。いくつかの星の重力に引かれて、太陽系内では、木製にふらふら、土星にふらふらとジグザグな機動を描く予定だ。だが、これを一直線の航路に直せば、二ヶ月近くの短縮が可能となる。さらに、エンジンの最大船速を恒常的に維持できれば、二割の、ブレーキ分を考えなければ、四割の時間短縮となる。

 しか、ブレーキをかけないということは、ほうおうは地球に正面衝突することになる。秒速300kmの音をはるかに越えた、光の千分の一にもなる速度で。もちろん、激突する前に大気圏で燃え尽きるのが関の山だ。では、どの程度ブレーキをかければ燃え尽きないで済むのか。火星軌道から、後ろ方向へ換算7Gの逆噴射を続けたら無事に着陸可能だ。

「7G、私たちなら無事に帰れますね」

「だが隼は死ぬぞ。200時間7Gではバラバラになってしまう」

「それでは、脱出ポッドを使ってはどうでしょう。地球激突前に、瞬間的に10G近くの勢いで逆方向に打ち出せばいいんです」

「無理だ。真横についているものを、どうやって真後ろに押しやる」

「それは……」

最大速度航行、航路修正、併用すれば、隼は地球にたどり着ける可能性が出てきた。5ヶ月分の食料で11ヶ月を生き延び、燃え尽きる直前10倍の重力を受けても死なない運があれば。

「成功確率は、0.000070194%です」

「どうするか……」

マイとレイは手分けして、毎日食料を整理している。二人で団子を作りながら、隼を生き延びさせる方法を議論し、第三区画整理をしながらボイジャーのメッセージを地球に届ける方法を模索していた。隼の指示で、マイ、レイ、それぞれのメモリーに複製され、自分が息絶えても二人に受け継いでもらうことにしてあった。2週間分のコンテナを移動すると、冷凍されて積み込まれたままの豚肉のかたまりが姿を表した。デブリ直撃で隠れてしまったので忘れていたが、こんなものあったなあとリストと照らし合わせる。せいぜい4ヶ月分に満たないだろうとすぐに判別してしまったマイはやるせない。

「これよ!」

レイが大きな声をあげた。

「これ? 冷凍豚肉?」

「そう。冷凍豚肉。隼も冷凍させてゆっくり運べばいいの」

「人間の冷凍保存は未だに成功していません」

あるいは、不在にした3年の間に地球で、ヒトを冷凍させる冷凍庫のようなものが実用化されていれば別の話かもしれないが、いまここではどうにもならない。

「そうなの。じゃあ、冬眠状態は?」

「それは……、無理とは言い切れませんが」

「マイ、冬眠状態の場合、生命維持に必要な1日あたりのカロリーはいくつ?」

「およそ500キロカロリーで。ただし、条件として非常に整った栄養と、室内環境が必要です。医療監視モニタのようなものも。かんがえかたとしては、心臓の鼓動をゆっくりにしながら脳機能を維持させるわけですからね」

どうして。マイの口からそれらがすらすらと出てきたのか不思議だった。ヒトを駄目にする炊飯器の、ヒトを生きながらえさせる極論。

そして、マイとレイの二人であれば、実現可能な話である。


「冬眠状態?」

「はい。隼さんに地球まで眠ったままたどり着いてもらいます」

「はは、面白い話だね。代謝、排泄、体温、脳波、その他すべての管理を二人でやってくれたら、可能かも」

「やります」

レイが食い気味に意思表示をした。

「第1区画と第3区画を、明後日に切り離します。第2区画はエンジンと、セイルと、脱出用ポッドすべてついていますから、特に第1区画はボイジャー修理後は必要なかったんです。更に、食料流出をしてしまったので、第3区画も間もなく用済み。一度ナノマシン修理をしたとはいえ、エンジンの最大船速には耐えられないでしょうから」

「最大船速、って残りの燃料で、通常航行で行けば君たち二人は地球に戻れる。それでいいだろう」

「駄目なんです!」

「そうです。レイさんの言う通り。あなたが戻ればいい。戻るべきヒトです。私があなたを絶対に生かし続ける。そのための炊飯器ですから。お願い……」

「隼、生きてくれ」

「……わかった」


第1区画と第3区画の切り離し後、隼はベッドにベルト固定された。細胞保護シートでできたガウン一枚になり、最後の調整を待つ。

「隼、それでは冬眠を開始させてもらう」

「ああ。ふたりとも、よろしく頼む」

裸のレイが布団に横たわった。そして、隼の腕の中に身体を滑り込ませる。マイは、複雑な面持ちで、一挙手一投足すべてを見ていた。

「現在、体温は35.4度。冷却を徐々に開始します」

「ひんやりしているな。このまま行けるのか?」

「ええ。マイ、始めましょう」

マイの指先と隼の指先は、点滴のようにチューブでつながっている。麻酔薬を、ゆっくりと投与して、冬眠に導入する。その間に体温を下げて、最低限の整体維持を行うのだ。レイは、自ら隼の抱きまくらになることで、体温をすべて管理する。ヒトの生きる空気を温度を調節する。空調機にできるのはそれだけだ。レイには、それだけができた。マイは、生きるのに必要な栄養を供与することができる。炊飯器だから。だが、本当のご飯を隼に提供できるのは、地球に帰ってからである。

「34.1度」

レイが体温を読み上げる。鼓動の音も、とてもゆっくりになってきた。

「レ……イ、マイ……」

ほとんど声にならない隼の声を二人は聞き漏らさない。

「一緒……、で……、楽しかった……ありがとう」

科学者は彼の娘たちに笑顔を見せ、長い眠りに落ちていった。

マイはその時、涙を知った。アカシャ=ボイジャーとの別れよりも、ずっと辛い。

完全に隼が眠りにつくと、隼に張り付いたままのレイは動けないため、マイがパージ作業に入る。1号区画と3号区画が、ゆっくりとはなれて行った。もう、後戻りができない。

そして、加速を開始した。暴力的な重力を振り切る一直線ルート。秒速、40km、50km、80km、120km……。「ほうおう」は古き身体を捨て、再び蘇る。太陽の光を受けながら、青い故郷への飛翔が始まった。


4ヶ月がたった。レイはずっと隼を抱きしめたままだったが、どこで隼を起こすのか、そのタイミングにすべてを駆けていた。「ほうおう」は大気圏再突入ができない。それはだいぶ前からわかっていたが、どうにも対策のしようがない問題である。脱出用ポッドの使用はほぼ確定したようなものだ。減速開始を火星よりもずっと地球に近づけることによって、瞬間加圧は4Gと常識的なものに抑えられることができるが、それでも冬眠から覚めたばかりの隼にできるかどうか……。

「2人でポッドに乗れば良いんじゃないかしら」

「2人? 私と隼か?」

「当然です」

「マイ、あなたも来るんだ」

脱出用ポッドは1人用。しかも、蒔村用として作られた。3人はもちろん、2人でも中での操作ができなくなってしまうため、着陸失敗の可能性が考えられる。

「3人は到底無理だ。それなら、マイと隼で乗って欲しい」

「なんで!?」

「私がいなくても、リモコン操作のエアコンがある。まだまだ主流だからな。一方で、マイ、あなたは隼に必要だ」

何度この不毛な議論を繰り返したかわからない。そして、結論は、隼だけは救いたいということだった。


火星を過ぎ、減速が始まったその日。ついに、食料が底をついてしまった。地球着陸予定まで3日。マイの中に保存された、隼覚醒後の食料三食分が最後である。

隼の覚醒前、レイは自分の10ヶ月静止していた自分の身体の動きを確認した。両足の放熱フィンにサビが見られたが、これももう必要なくなるので、どうでもよかった。二人は、体温を下げた時よりも注意深く、隼の覚醒に入る。4時間をかけて、体温は35.0度まで戻ってきた。血圧、心拍、全て最低限生きていた。

「…………ここは?」

「おはようございます。よかった、無事で」

目の前にはレイが、その後ろからはマイが覗き込んでいた。

 隼の覚醒はとても早く、脱出ポッドの準備は翌日には完了していた。大気圏再突入の30秒前、宇宙方向にパージする。レイが受け持つことになっていた。マイは、両手両足を切り離し、隼の代わりにポッドの無線操作を行う。説明を終えたときのレイは晴れやかな表情でいたが、マイはしょげくれていた。

「あんなに髪の毛が青いなんて、どうしても嫌に決まっています」


 ついに、地球が目の前に広がる。最後の身体検査を行うが、最低限健康であることがマイによって保証された。レイが丁寧に両手両足をはずしてやり、隼のとなりに並べた。

「隼。いままで楽しい旅ができた。奇跡的にここまで生き延びれたのも、マイがいてくれたからだ」

「そんなこと言わないで」

「ああ、ありがとう、レイ」

秒読みカウントが始まった。60、59、58……

ポッドの蓋はまだ開いたままだ。電波のやり取りが不安定にならないようにである。40、39、38……

このとき、マイとレイは涙を浮かべていたが、全く別の涙である。マイの涙は、レイをおいていく悲しさの涙。自分だけが隼といられることへのうしろめたさ。そして、レイの涙は、自分が隼のためになれたという、喜びの涙。

20、19、18……。

「隼。愛している。さよなら」

脱出ポッドの蓋が閉じるその時、大きく「ほうおう」の姿勢が崩れた。地球の重力を強く受け始め、まともな姿勢制御ができない。タイミングは、ばっちり、今だとマイはレイの四肢をパージできるプログラムを送った。宇宙空間作業中に欠損した場合、パージができたほうが生き残れる可能性が上がるからである。とはいえ、普通は使わない緊急プログラム。それを発することができるのは、隼だけである。

レイは腕が外れ、錐揉み状態になる。そのタイミングで脚も取れるので、胴体だけがポッドの方に飛び出した。

「来いっ!」

隼が腕を差し伸ばし、レイはとっさの判断で首を振った。拒絶ではない。長い髪がふわりと広がり、一房を隼の手に収めるためである。軌道を変えた胴体と頭は、抱きまくらのように、しっかりと隼の腕に入った。レイの胴体がポッドに入るやいなや、ハッチは閉められる。大気圏再突入に耐えられるはずの設計だ。多分、なんとかなるだろう。そう思った矢先、「ほうおう」からポッドは宇宙方向へと飛び出した。なにか(ずっと挟まっていたボイジャーの欠片)が、船外ポッド脱出レバーに引っかかり、射出したのである。

「ぐっ、うわああああ!」

さすがの隼も、頭ががんがんとした。上も下もなにもわからないまま、重力に引かれていく。マイとレイと、ふたりとも両腕でしっかりと抱きしめて、生き残るための道を掴みかけていた。

「あんなはずかしいことを言って」

「やめてくれ……」

マイはレイを小声でからかい、ともに大声で笑いながら、真横に昇る朝日を見たのだった。

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