第5話 蒔村隼の、秘めたる想いを告げられて
アカシャ=ボイジャーと名乗る存在は、ボイジャーがたしかにいた場所に存在した。
「蒔村さんですね、会いたかった」
泣きそうな表情で、アカシャ=ボイジャーは語りかける。
「あなたは、その、ボイジャーの意思なのですか?」
ところどころで、その姿にノイズが走る。70年。宇宙を飛び続けた姿はぼろぼろだったから。
「そうです。無意識としてあった記憶を、具現化してくれた。ずっと、エンジニアと話がしたかった」
「アカシャ=ボイジャーは完全なる自我をもっています」
「あなたがたにも感謝しなくてはならない、マイ、レイ。この人格のモデルはあなたたち二人だ」
「それはどうも」
レイはぶっきらぼうに言うが、髪の毛が生え際から赤く染まっていく。嬉しかったのだろう。特に、量産されずテストモデルの空調機として家族もいないレイは、多少なりとも寂しさを感じていた可能性がある。AIに寂しさなど、と思うが、空調機とは思えない不可解な温度湿度供給が過去に何度もあったことを考えると、ありえない話ではないのだ。
「地球人類の記憶を、私はすべて持っている。知的生命体に会ったら、その大使として記憶を伝える。それでいいかい」
アカシャ=ボイジャーは自らの存在理由を問うた。今考えれば、科学者たちにとって宇宙研究データの宝庫だ。このまま外宇宙に行かせてやってもいいのか。
「蒔村さん、あなたの考えも最もだ。マイ、レイ、そしてこの「ほうおう」に私の記憶を残しておこう。遡って40年分くらいしか覚えていないけれど」
「えっ!?」
「隼さん、ごめんなさい。私とアカシャ=ボイジャーがダイレクトにつながっちゃっているみたいで……」
マイがエプロンの裾をぎゅっと握り俯く。隼の生体データは彼女がリアルタイムでスキャンしている。その中には脳波も含まれている。マイには、「過度な負荷が脳にかかっていること」がわかる程度だが、アカシャ=ボイジャーは隼の考察を読み取る力がそなわってしまったのかもしれない。
《鋭いですね、蒔村さん》
骨に声が反射して聞こえた。瞬間、マイもレイも驚いた表情で頭を抑える。
《お二人の場合は、遠隔操作という形で聴覚を介さない会話を行っています。これが、テレパシーですね》
すごい。超能力、いや、魔法のようだ。人類の記憶が、その蓄積が。ボイジャーを通じて、外宇宙に向かうのか。ワクワクしてきた。ボイジャーこそ、人類の記憶をもつ大使(アカシックレコード)なのだから。既に人類を越えた知能。人類代表は人類以上の存在となってしまった!
《謙遜です。あなたたち肉体を持つ人間は、宇宙に向いていない。だから、ツールとして人工衛星と人工知能(わたし)が作られた。あなた達の手によって、だ》
アカシャ=ボイジャーは、この姿で闇をこれからも飛び続けるのか。一人で。
《そうです。……寂しいですが》
寂しい。というのか。AIが。マイも、レイも、そんなことを思ったことはあるのだろうか。蒔村のテレパシーは、アカシャ=ボイジャーにしか伝わらない。だが、彼女が寂しいと思うことは、マイもレイもわかった。
「ねえ、隼さん」
「なんだ、レイ」
「ほうおう、の空調操作は、マイでもできるようになったぞ」
レイはとても真剣な口調だった。
《レイ、一時の気の迷いでそのような判断はやめたほうが良い》
「レイ、おまえ」
「私は、だって、アカシャ=ボイジャーは一人で」
《気にしなくていい。衛星はみんな孤独だ》
人格を持たない衛星は(ほとんど全てだが)すべて孤独だ。だが、AIという感情ツールを持たずとも、彼らは寂しさを感じるのだろうか。
《レイ。あなたはほうおうに、地球にとって必要だ》
「そうだけど」
《今日、こうしてあなた達と話ができて嬉しかった。いつか、友を連れて地球に戻る日があるだろう。その時まで、さよならだ》
間もなく、一次区画と二次区画の間に隔壁が展開された。機密隔壁が作動したことが確認されると、減圧、外部ハッチがゆっくりと開いていく。アカシャ=ボイジャーはヒト型をたもって、漆黒の天上に飛び込んだ。振動を介在する声は届かないが、それでも喉が枯れるまでさよならと叫び続ける。大きく腕を振って。スペースSFなどでは、敬礼がよく見られるのだが、なにぶん科学者と、炊飯器と、空調機だ。人工衛星への別れにそれは似合わない。「ほうおう」から100m離れると、外部ハッチが締まりだした。その反動に合わせ、姿勢制御エンジンが動き出す。
《蒔村さん。ありがとう。二人と、幸せに。嬉しかった》
最後のメッセージは、隼だけに届いた。
アカシャ=ボイジャーは、マイとレイの回路をすべてスキャニングしている。そのときに、彼女たちの思いが思慕でなく恋慕であることに気がついていたのだった。両手で二人の肩を抱き寄せ、なおちぎれんばかりの勢いで腕を振った。レイは、涙こそ出せないが、放熱綱である紙を紅蓮に滾らせ、マイは、感情の昂ぶりで水分が蒸発し、めまいと空腹感から、いっぱい泣くことを覚えた。
宇宙から窓ごしに見えた3人のヒトを見届けると、背中から純白の翼を生やし、高く高く登り始める。イカロスと名付けられた太陽電池セイルは、恒星と一定距離を保ちながらボイジャーをどんな遠くにも高速で連れて行くことができる新たな翼だ。
姿が見えなくなるまで、1時間。彼らのミッションは、ここで終了する。泣きつかれた3人は、テーブルにその身を預け、言葉を何も介さずに、想いを共有した。
隼はアカシャ=ボイジャーとのコンタクトの様子を詳細なレポートに記した。その間、「ほうおう」は向きを変え、地球への2年にわたる帰途につく加速を開始する。あまりにも成果の多い旅だった。
4日と15時間後、1センチ角の、人類が知らない機械辺(スペース・オーパーツ)が第三格納庫と激突するまでは。
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