第2話 蒔村隼の、バブみたっぷりな晩ごはん

「おかえりなさい、隼さん」

「ただいま、マイ」

日付も変わろうかという時間に、開発室からちょうど35分の自宅に到着した隼を迎え入れたのはいつもどおりマイだった。

「ご飯、できるわよ」

「そうだね、さっぱりしたものがいいな」

ネクタイを緩め、上着をハンガーにかけているうちにマイは茶碗にそぼろご飯をよそい、雲呑スープと漬物を用意する。テーブルの上には既に冷たい缶ビールが用意されていて、ほどよい苦味が喉を冷たく潤していく。

「この一週間、上海で一番人気なメニューよ」

「そうなのかい。うん、美味しいね」

食欲が減退するこの時期だが、一気に隼は一杯たいらげてしまった。ミョウガの浅漬けもいい塩梅で、根菜がたっぷりのけんちん汁が外では食べられない素朴さで、家に帰ってきたと実感させてくれる。

「この土日も仕事なんだ」

「ほんとうにお疲れ様。身体だけは気をつけてね」

隼は身長が170センチと平均的だが、マイもまた168センチと目線はほとんど変わらない長身。童顔も手伝って背伸びした高校生のようである。もちろん、高校生ではない。それどころか、人間ですらない。マイは、隼たちの郡上重工業の開発した、世界唯一の「人を駄目にする炊飯器」である。

 隼が入社試験時に求めた、バブみを持つ炊飯器の開発は、同重工が開発する二足歩行型アンドロイドと共に行われた。高圧でコメを炊くには非常に大きなバッテリーが必要であり、家主が動かないままに食事を提供するためには、人形のほうが何かと都合がいい。マイが高身長である理由は、お姉さんのような包容力を求めたからではない。スペースの都合上、これ以上小柄にはできなかったからである。マイの黒髪の毛の先端に一本くせっ毛がはねているのは、親しみやすいアホ毛ではない。指向性のあるアンテナが必要だからである。

「隼さん、今の研究はかなり忙しいの?」

「そうだね、放熱の問題がまだ解決できていない。それも、日本という高温多湿な環境が精密機械に与える負荷があまりに大きいからなんだ」

「日本以外だったら、すぐにうごかせるってことなのかしら」

「限定的な環境によるなあ」

一服すると、隼は食卓に座ったまま日課のメールチェックに入った。食器は、マイのエプロン型格納に仕舞われ、温水洗浄と殺菌を行う仕組みとなる。

 メールのチェックや家庭でのOA作業にもマイは優秀なはたらきをしてくれる。マイは目に搭載された超小型プロジェクターと、肩部のプロジェクション・ホログラフィによって室内のデバイスを兼用している。要は、パソコンのデバイスとしても機能できるのだ。会社での仕事は家庭に持ち出し不可能だが、世界中の企業から、隼へのヘッドハンティングがマイを通じて教えられる。しかし、マイのAIは学習を続けているため、取捨選択を行い本当に有益な可能性のあるメールだけを隼に教えてくれるのだ。ああ、なんとすばらしい炊飯器。

「面白いメールが一通ありましたよ」

「君に、面白いということがわかるのかい」

「厳密に定義はできませんが、少なくとも隼さんが興味をもってくれる内容です」

メールは隼の静脈スキャンと網膜スキャンによって読むことが可能だ。読もうという意志がマイに伝わると、彼女が両の頬を抑え、おでこをこつん、と軽くあてて来る。そこにアンドロイドの冷たい感触はなく、医療用スキンに人肌に熱された冷却水の影響で体温を感じる。そして、群青色の瞳が、まっすぐに隼を見てくる。マイの瞳孔が隼を視認すると、少し緩み、網膜スキャンが完了となった。この非常に面倒な方式だが、重工の独身研究者には満場一致で受け入れられた。問題なのは、マイとの接触がしたいがためにスパムメール一通一通にわざと目を通したがる連中がいることと、必ず体温、心拍数の上昇が見られてしまうこと。マイが自身でディープラーニングを続けながら、隼の同居人となることを選んだのも、煩わしさから開放されたかったのだろう。

「英語だね、JAXA(宇宙開発機構)から?」

「要約すると、あなたの新開発した家電を宇宙に連れていきたいとのことです」

「ちょっと見せて」

マイは椅子に座る隼の後ろに回ると、両手を肩に回し、後ろから抱きしめるようなポーズを取る。隼の肩こりが心配だが、関節に用いられたジャイロによって負荷を感じることはほとんどない。

「JAXAがボイジャーの更新計画に新型空調AIを作業要員として積み込みたい、だと?」

「レイさんをスカウトしている、ということですね」

「ああ、いかんいかん! まだレイは製品としては不完全だ。だいたいボイジャーの更新って、どういうことだ」

太陽系を脱出し、異星人とのコンタクトを目的に暗闇を往く探査衛星、ボイジャー。その延命には、リアルタイムで環境改善を行えるシステムが必要だという。地球からの命令を受け付ける範囲外に出てしまっているボイジャーは、現代宇宙飛行機にかかせないAIの搭載がされておらず、ただ宇宙をさまようだけの存在だ。それを、生命体のいる可能性が高い航路を飛び、環境保全をしながら自己修復もできる衛星にリノベーションしたいそうだ。

 その無茶な要求に都合よく答えることができるものがある。

 レイ。

 「ヒトを駄目にする炊飯器」マイのひと世代あとになるAIを搭載した、自立型環境改善アンドロイド。温度、湿度、臭気操作。大陸から飛来する黄砂やPM2.5問題、花粉症に対抗しうる空気清浄機であり、郡上重工業の送るあらたな発明。「ヒトを駄目にするエアコン」である。

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