第2話 サラダうどんと夏野菜と郵便ポストと梅酒

 声をかけられたので咲子が振り返って見ると、泥だらけの地下足袋のような長靴を履いた若い男の人が、道の所から顔を覗かせていた。

その人は野球帽をかぶっていて、腕にはブルブル震えている茶色の子犬を抱いている。

どうやら朝から田植えをしていた農家の人らしいが、子犬はどうしたのだろう?



「この犬がさっき用水路を流れてきたんですよ。今日は紐を持って来ていなくて…。ビニール紐でもいいので、少しいただけませんか?」


「まぁ、可愛そうに。待ってください、タオルを持ってきます。」


咲子は急いで家に入って、古いタオルやビニール紐、それに牛乳を入れたお皿を持って外に出た。

さっきの男の人は犬を抱いたまま、呆れたような顔をして咲子が置いたままにしていた野菜の苗やスコップを見ていた。


「お待たせしました。」


「あ、タオルまで。どうもすみません。」


咲子が差し出したタオルを受け取って犬を拭いた男の人は、ちょっと聞いてもいいですかと言って、野菜の苗に目を向けた。


「プランター栽培をされるんですか?」


「いいえ。庭で野菜を育ててみようと思ったんです。」


「あの、スコップで?」


…どういうことなんだろう?


「何かまずいですか?」


「うーん。夏野菜を植えるにはちょっと時期も遅いし、早くしっかりした根を張らせるためには深く耕さないとダメですよ。本来ならトマトやナスには溝施肥みぞせひもしたほうがいいんだけど…。そうですね…この犬の面倒を少しみていただけませんか? 鍬は持って来ているので耕してあげますよ。田植えがもう少し残っているので、その後になりますけど。」


「え? いいんですか?」


「ええ、三つほどの苗を植えるうねならすぐできます。」



結局、咲子は男の人の言葉に甘えて畝を作ってもらうことにした。

子犬は震えが収まってくると最初は遠慮がちに、勢いが出てくるとあっという間に牛乳を飲みほした。


咲子は子犬が食事をしている間にビニール紐を指で編んでいって、チェーン編みの首輪を作ってやった。

その後、犬を玄関に入れて手すりに紐を結び付けると、咲子は昼ご飯を作ることにした。


できあがったサラダうどんは目に涼し気で食欲をそそる。

食べてみると、温泉卵がトロリと絡んだ麺はまろやかで美味しい。


これは野菜もたっぷり食べられるし、ヘルシーでいいわねー。



咲子が満足して昼ご飯を食べ終えた頃に、男の人が戻って来て縁側から声をかけてきた。


「すみませーん、遅くなりました。どの辺りに植えられますか?」


「ハーイ、今行きます。」


咲子は洗い物をシンクに置いたまま、犬を抱っこしてサンダルを履くと玄関から庭へ歩いて行った。


「お疲れのところすみません。ここら辺りに植えようと思ってたんですけど…。」


咲子が庭の南東の角を指さすと、男の人もそこに行って庭を眺める。


「そうですね、南東のこの位置はいいんですが、あの桜の木の根が張っているだろうから、掘るとしたらこの辺りになりますよ。」


男の人が指さしたところは、咲子が花を植えようと思っているところだった。

応接間からよく見えるところなので、そこに野菜を植えるというのはちょっと考えてしまう。


「えーと、もうちょっと北の台所に近い所はダメですか?」


「いいですが…車庫からの通路になりますけど大丈夫ですか?」


「…表の道を回ることにします。」


咲子の家は玄関を南に向けて建っているが、東に道路があるので、出入りをしているのは東側だ。

車庫の裏口も台所の近くについている。野菜が大きく育ったら、道に面した表の出口から出入りすればいい。

野菜畑は、北に車庫の壁を背負うようにして畝を作ってもらった。



「キュウリはすぐにうどんこ病がきますから、こっちの風通しのいい所にして、トマトは日当たりと乾燥を好みますから実がついたら雨に当てないようにね。弾けちゃいますから。ナスは三本仕立てにした方がいいですよ。…いやもう遅いから二本仕立てがいいかな?」


「は、はい。」


一応返事をしたが何のことかよくわからない。また図書館で本を借りてこなければならないようだ。


田植えで疲れているところに畑仕事をしてもらったので、咲子は昨夜作ったブルーベリーマフィンを二つほど袋に入れて、男の人に差し上げることにした。


「いい匂いがしますね。甘いものですか?」


「ブルーベリーが手に入ったので、マフィンを焼いたんです。お口に合うかどうかわかりませんが…。」


「いえ、疲れている時には甘いものが食べたくなるんですよ。ありがとうございます。遠慮なく頂きます。」


本当に嬉しそうな顔をしているので、マフィンをあげて良かったなと咲子は思った。


男の人は左手に鍬とお菓子の袋を持って、右手に子犬を抱いて帰って行った。




◇◇◇




 さてと、郵便ポストを作りましょうか!


咲子は縁側に新聞紙を敷くと、まずは木に色を塗っていった。

つんとペンキの匂いがして、久しぶりの工作をしていることに気分が浮き立ってくる。


受け口の板をペパーミントグリーン色にして、他の場所は木肌を生かすようにオイルステインを塗っていった。


ペンキを乾かす間に梅酒を作ることにする。


台所に行くと、梅の入った袋をボールにあけて、ゴミなどを取りながらきれいに洗っていく。ザルにあげて水を切った後で、爪楊枝つまようじを使って梅のヘタを一つ一つ取っていった。


このヘタ取りが、ちょっと楽しい。


瓶もきれいに洗って、最後に熱湯でざっと流す。瓶が乾いたら、梅と氷砂糖を入れ、その上にリカーを既定の分量注ぎ、蓋を閉めると出来上がりだ。


簡単だー。

飲み頃になる秋口が今から待ち遠しいな。

これを冷暗所に置いとけばいいのね。


咲子は食器棚の一番下に梅酒の瓶を置いて戸を閉めると、縁側にペンキの具合を見に行った。


ペンキが乾いていたので、ポストを組み立てることにした。


最初に取っ手を、取り出し口になる板に取り付けていく。キリで穴をあけて取り付け場所を決めると、ドライバーでネジ止めをした。


ふふふん、なかなかいい感じじゃない?

後でここに名前を書くのね。


取っ手には、名前と住所を書くためのプレートが枠に囲まれて一緒についていた。


次にこの取り出し口を蝶番で底板とくっつける。

ペパーミントグリーン色に塗った受け口は、天板の方に蝶番でくっつけた。


その後で側板を二枚、底板に釘で打ち付けたのだが、これが難しかった。ボンドを買ってくれば良かったと思ったが、すぐに間に合わない。結局、本や自分の足を使って板を固定して、なんとか側板を取り付けることが出来た。

一度、金槌を打ちそこなって板が少し凹んだが、それくらいはご愛敬だ。


背板を取り付けて、天板で蓋をすると、郵便ポストの完成だ!


うわぁ~。

どうよ、これ。

なかなかいいじゃない!


表のプレートに住所と名前を書く。

中備ちゅうび市 中溝なかみぞ 八百六十二番地  穂村咲子ほむらさきこ


玄関にはまだ表札をかけていないので、これがしばらくは咲子の家の表札代わりだ。


咲子は郵便ポストの完成を祝って、香り高い珈琲コーヒーをいれた。

のんびり珈琲を飲みながらニマニマしてポストを眺める。


傾きかけた初夏の陽射しが、満足げな咲子と真新しいポストを見守っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る