3.生きる意味
たなびく煙が、ある高度から放散して雲にとろけている。人気のない大通りを横切って、わたしはスーパーマーケットの駐車場前に辿りついた。やがて、ばらばらになった自動ドアを見つける。穴の隙間をくぐろうとしたら、亀裂が入ったままのガラスが左右にすべり、やや拍子抜けしてしまった。
周囲の店舗から曖昧にこぼれる光で、吊り看板の下がる吹き抜けの底が、灰色に輝いている。点在する屋台店では、愚にもつかないアクセサリーのようなものを売っている。
突然、鈍い物音がした。
鋼鉄をねじ切るような音だ――また、腹の底に響くほどの、無機質な雄叫び。
海を気ままに漂うオニイトマキエイの腹部が、二階に架橋された空中通路の底部に描かれてある。そのブリッジをかるがると乗り越え、小さなものが飛んできた。七階すれすれまで舞い上がった物体が、墜落するにつれ、チェックシャツを着た人間の姿になる。屋台店の屋根に激突、シャツから黒い破片が爆散した。
周囲に泡立つような音。
カウンターによじ登り、わたしはその死体を確認した。
人間の肉体が、ある部分から黒い砂へと変容している。そのとき――遠くで、黒い巨大なものが一階に落ちてきた。
吹き抜けの奥、障害物に隠れて何かは分からないが、どろどろと重たい足音を駆け巡らせながら、こちらにまっすぐ突進してくる。アクセサリー・ショップを飛び降りたわたしは、手近にあった黒い階段に逃走した。踏みしめた瞬間、真横の金属柱で赤い×マークが点灯、階段がわたしの足元をえぐるように駆動する。
もうふり返る暇はない。エスカレーターを逆走するあいだに、かなりの距離を詰められた。いまにも物音が、うなり声の呼気がかかりそうなほどの勢いで暴走している。二階のブリッジへ曲がったとき、ちらりと敵の姿が見えた。ねばつく黒い鱗で満たされた筒状の体表から、アメーバのような触腕が周囲の陳列物をなぎ倒しながら不規則に伸びて、床を乱打して驀進してくる。肉糸が畝となった、空間の裂け目のような赤い口内が鮮明な残像としてちらつくが、全体像を見ることはかなわない。回廊を走るうち、わたしの眼前に、はるか上階からもう一匹の怪獣が躍りあがった。
ゲームセンターに設置された筐体を粉々にしながら着地、わたしの進路正面に覆いかぶさる。背後からも詰めよる足音が、徐々に弱まり、停止した。通路を挟んで、二匹の獣が睨みあいをしている。主役はどうやらわたしではない、どちらがエサを奪うかだ……一瞬の間をおいて、黒いふたつの塊が一気に突進した。わたしは通路の手すりに乗り上げ、吹き抜けに向かって飛び込んだ。〈生命保険の加入はお早めに!〉とのキャッチコピーが書かれた吊り看板にしがみつき、身体が弧をえがく。
背後で重たい激突音――なめらかに対岸のエレベーターが接近して、わたしは宙で手を離した。アクリル壁の底部にある突出物にしがみつき、必死でよじのぼる。
壁面の割れ目に白衣の袖を突っ込んで、エレベーター外部から最上階のボタンを押した。吹き抜けを上昇しはじめる。二階で睨んでいる獣のうち、最初にわたしを追ってきた一匹が、触腕に力を漲らせ、こちらに飛びかかってきた。だが、広がった赤い口内は空をかすめ、吹き抜けの底へ消える。もう一匹が、通路をまわりはじめた。エスカレーターに巨体を詰まらせながらよじ登り、上階めがけてわたしと並走する。
七階で停止。
わたしは蟹歩きで手すりにしがみつき、回廊に戻った。
ちょうど背後のエスカレーターから、怪獣が飛び出してきたところだ。わたしは屋上めがけて走った。銀色のドアの向こうに、夕暮れの空が広がった。のぼり広告によれば、中古車の即売会をやっているらしい。あらためて考えてみれば……考えるような暇はなかったわけだが……屋上に逃げたのは失敗である。みずから行き止まりに突っ込んでいったようなものだ。カラフルな乗用車の迷路を小走りし、物陰から覗くと、ありえない角度で遠くの車が舞い上がった。障害物をすくい上げながら、敵は着実にこちらに猛進していた。這いずりまわって逃げるうち、いつの間にやらわたしはコンクリートの壁際に追い込まれてしまった。
背中が行き止まりに触れたとき、背後で物音がした。
また、あの、鋼鉄をねじ切るような雄叫びだ……
わたしの周囲一帯は、巨大な影に包まれていた。気づいたときには、すでに遅かった。ふり返ると、スーパーの外壁を昇ってきた黒い獣が、頭上を覆っている金属質の肉塊が、巨大な口をひらいた。
わたしを呑み込もうとする瞬間、鋭い破裂音と同時に、緑色のビームが一閃――獣の身体を貫いた。鱗まみれの体表が爆壊して、黒い結晶片となり、周囲になだれ落ちていく。もう一匹は? ……すでに、ビーム銃の連撃を受けて、崩れゆく体の残像を追いかけるように蠢いていた。だが、間もなく最期の雄叫びをあげると、波打つ表皮が黒い砂粒に変わって、屋上で砕け散っていった。
見慣れない銃器を構えている人たちの方角へ、わたしは歩み寄った。
夕日の逆光を浴びて、四つの人影が車の屋根に直立している。一人はヘッドホンを首にかけ、『ゴーストバスターズ』のテーマがわずかに漏れている。彼女たち全員が、白衣を風になびかせていた。
「やあ」
そして、全員が同じ顔だった。
より正確にいえば、わたしとまったく同じ顔だったのである。
彼女たちに名前はなかった。わたしを含めていえば、わたしたちに名前はなかった。五人それぞれの個体はしだいに識別できるようになったが、あるときから不思議と、そういうことを気にかけなくなった。わたしたちは本棚のまわりを闊歩し、ハンモックに寝そべりながらプルーストを胸元にのせてまどろんだり、より遠い場所まで食糧を探しにいったりする。わたしが目の前を歩いていることに、もはや驚きはない。わたしは、いたるところにいるのだ。現在の住処である町立図書館のほかでは、小さな国家めいたものを作ったりしているらしい。そういう通信があったそうだ。これは機械いじりの好きなわたしに教えてもらったことで、わたしはわたしたちから、技術工学やビーム銃のことについて、かなりのことを学んだ。
たとえば――岸崎博士は、いったい何者なのか。
「〈シビュラクロン1〉を造った人だよ。世界最高の、未来予測マシンだ」
「彼女はこれを用いて、地球全土の未来予測システムを完成させた。あるとき、この装置のおかげで、地球が危機に瀕していることがわかったんだ。あの怪獣がやってきて、人類が絶滅するってね。岸崎博士はスペースコロニーで、さらなる未来予測マシン〈ネオ・シビュラクロン〉を完成させ、怪獣の正体を探ることで、世界の終わりを食い止めようとした。でも、惨劇は避けられなかった……」
「岸崎博士は、博士によく似たわたしたちを、世界中に隠していた」
「クローンってやつかもしれない」
「時期をおいて、目覚めるように設定されていた」
「どうして?」
「わからない」
「みんな地下室にいたわけ?」
「わたしたちはみんな、あの白い部屋で生まれた」
「〈吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た〉」わたしのひとりが、本から顔を上げた。
わたしには目標ができた。いわば、生きる意味を見つけたのだ。わたしの目標は、わたしたちの目標でもあった。図書館の裏庭に、その目標は突き刺さっていた。はじめにその場所を案内されたとき、わたしにはなにかの冗談だとしか思えなかった。その物体は遠近感を失うほどの巨大さをまざまざと呈していた。アクリル壁のくだけた機械円盤には〈NS‐EOTWシャトル〉と記されている。周りにうながされ、わたしは、自然と空を見上げた。昼間にみる青白い月のような色合いで、青空の彼方にスペースコロニーが浮かんでいた。
(きっと博士はまだ、あそこにいる)
(これを直して、わたしたちは博士に会いにいく)
(そして、質問する)
「――どうして、わたしたちを作ったんですか?」
わたしたちは、神さまに会いにいくのだ。
岸崎博士は、自分の姿に似せてわたしたちを作った。それには理由があるはずだ。わたしたちには想像もつかないような理由が、きっと……
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