#003 それでもぼくはやっていない。

「どういう意味よ?」


 藍の言葉に鶴姫がすぐさま説明を求めた。


「言ったとおりじゃよ。わしらを助けたのはこの子で間違いない。記憶に残る幼い頃、嗅いだ匂いと伸ばされた手をなめたときの味が完全に一致した。おい、娘よ。お主はいまいくつなのじゃ?」


 壁を背にした少女へ問いかける。美波はいまだ怯えたような顔色を浮かべたまま相手の声に応じていった。


「じ、十四歳よ……それが何? あと二年もしたら結婚も出来るし、子供ならいますぐにだって作れるわ」


 訊いてもいないことにまで言及し、正体不明な存在をきつく睨みつける。恋にこがれる年頃の女子には、やはり刺激的すぎるスキンシップのようであった。


「五年前には九歳か。年の頃もピッタリじゃな。どうなんじゃ、東吉郎?」


 納得したようにひとりごちる。続けて発言の機会をうかがっていた青年にすかさず水を向けた。そして、あわてたように東吉郎が自身の見解を述べていく。


「そ、そうなんだよ。ぼくもきみたちを助けたのは美波ちゃんじゃないかなと思っていたんだ。五年前にもこの街にいて、ぼくの名前を知っている人は美波ちゃんくらいだからね……」

「何? いったい、みんなでなんの話をしているの? 五年前のわたしがどうしたって言うのよ?」

「まあ、そうツンケンするでないぞ。わしらも少しばかり先を急ぎすぎたようじゃ。東吉郎、この子の疑問に答えてやれ……」


 あっさりとその場をまとめ、また白いラグの上に腰を落ち着ける。三人とも期待を込めたまなざしでただひとりの男性を見上げていた。完全に丸投げである。

 そもそも東吉郎自身がまだ状況を完全に把握しているわけではないのだ。それでも、うまく疑念をそらすようにしないと、あらぬ罪で非難の的先に立たされるのは彼なのである。諸行無常……。


「美波ちゃん。きみは五年前に湖のほとりで、いくつもの動物を助けたんじゃないのかい?」

「え……。そ、そんなこと急に言われたって」


 東吉郎の質問に女の子は腕を組み、右手で口元を押さえながら在りし日の出来事を思い起こしていく。


「あ……!」


 そして、不意に記憶を探り当てたように顔を上げた。


「そう言えば、冬の寒い日になぜか連続して動物たちが困っていたわ……。見過ごすわけにもいかなくて、片っ端から助けていった記憶がある」

「やっぱりか……。でも、その時にぼくの名前を出さなかった?」

「…………あ。え、えっとそれは……」


 記憶とともに思い出が蘇ったのか、急に顔を伏せて恥ずかしそうな態度を作る。


「ねえ、どうしてぼくの名前を使ったの? いいことをしたのは美波ちゃんなんだから、自分の名前を伝えたら良かったのに」


 東吉郎の追求に少女はますます顔を赤くさせ、スカートの裾を両手で握った。

 それから、覚悟を決めたようにボソボソと真意を口にする。


「も、もし、動物たちがお兄ちゃんのところへ恩返しに来てくれたら、喜んでくれるかと思って……」


 小さく伝えたあと、さらに顔をうつむかせて押し黙る。

 想像の斜め上を行く答えに東吉郎は何も言えなかった。


「あーもー。こそばゆくて、まともに聞いておられんのじゃ」


 あまりにもバカバカしくてやっていられないと感じたのか、藍がだらしなくラグの上で体を横にした。片腕を杖のように使って顎を支え、空いた方の手で行儀悪くボリボリとおしりを掻く。


「……そうか、ぼくのためにわざと自分の正体を隠したんだね」


 相手の確認に、美波が表情を隠したまま小さくうなづいた。

 そして、東吉郎は安心したように大きく息を吐く。


「これできみたちが本当に恩返しする相手が見つかったね。恩返しは美波ちゃんにしてあげてよ」


 みんなの方を向き直って、明るく告げた。その表情はまるで憑き物が落ちたような朗らかさである。だが、役所で申請先の窓口をさんざんたらい回しにされた挙げ句、時間切れとなってしまった主婦のように三人は冷ややかな顔つきを崩さない。


「あたしは運命の人に嫁ぐと誓って、シベリアからはるばる飛んできたのよ。人違いですと言われてもいまさら困るわ。いいから、ちゃんと責任を取ってよ……」

「管理人の娘となるとペットがNGになりそうじゃの。それは困る。もう恩返しはどうでも良いから、最後まで面倒を見てほしいのじゃ」

「ええと、当店……いえ、泉の施設は二十歳未満の方のご利用をお断りしております。なので、今回はご縁がなかったということで……」


 三者三様に好き勝手な理由を並べて、東吉郎から離れようとはしなかった。

 鶴とキツネについては、もはや恩返しでもなんでもない。そして、亀に至っては明らかに営業だろ、これ?


「えーーーーーーー…………」


 ほとんど居直りに近い女の子たちの反応。

 東吉郎が絶望に近い声を出しながら肩の力を落としていく。早い話、こいつら最初からこの男に狙いを定めて押しかけてきているのだ。これはもう立派な”呪い”である。


「みーなーみーちゃああああん!」


 突如として玄関の方から誰か別の女の子の声が聞こえてきた。

 すごく特徴的で耳に残る感じの喋り方をしている。

 美波がいち早く反応して、すぐに顔を上げた。


「ねえ、まだああああ! ここ、暑くて死んじゃいそうだよ……」

「いけない! すっかり忘れていた」


 きっとここには誰かを伴ってやって来たのだろう。なのに、玄関の靴の様子を見かけて思わず先走ってしまったのだ。あわてて廊下に引き返そうとする。


「美波ちゃん。もしかして、誰かと一緒にここへ来たの?」

「そうよ。なんだか、小さい頃にお兄ちゃんから助けてもらったお礼がしたいって言うから連れてきたの」

「……え?」


 不吉な予言を残して、少女は玄関先へと消えていった。

 残された全員が互いに顔を見合わせながら、さらなる登場人物の出現にとまどいを隠せない。それぞれが思い思いの言葉を口に出していった。


「ど、どういうこと? まだ増えるの、恩返しの動物が……」

「じゃがのお。恩返しに来る動物で有名どころなのは、わしら三人くらいじゃろ?」

「鶴、キツネ、亀……。以外は、ちょっとマイナーですものね」

「もしかして、笠地蔵が擬人化したとか?」

「そもそも、地蔵自体が仏様の擬人化じゃ。擬人化の擬人化ではまるで意味がわからん」

「が、外国のお話では……?」


 三人の意見は次第に困惑の色を深めていく。多分、本人たちもこれ以上は増えないという思い込みがあったのだろう。童話や昔話というのは、メインが因果応報であり、やられ役の鬼や悪い魔女が出てこないようなお話だと受けが悪くて淘汰されていくからだ。その点、ちょっといい話で現在までしぶとく生き残ってきたこの三人はある意味、別格なのである。


 そうこうしているうちに玄関口でも話がまとまったのか、ドタドタと廊下を駆けてくる音が辺りに響く。三匹がかたずを飲んで待ち構えていると、扉を開けて元気に室内へと踊りこむ、ひとりの女の子の姿が視界に見えた。


「にゃー! ご主人さま、猫又の『タマ』だにゃー! 子猫の時に木から降りれなくなっていたところを助けてもらった【恩返し】にきたにゃー! 一生懸命、がんばるにゃん!」


 首元でキレイに切りそろえたショートの黒髪。頭には小さな猫耳が生えている。身を包んでいるのは、真っ白いノースリーブのワンピースで腰のリボンの下からは二本の黒いしっぽが飛び出していた。いや、動物の擬人化っていうか妖怪だろ……これ。


「ね、猫? 猫だよね、あれ……」

「頭の上に浮かんでいるのは”鬼火”でしょうか? でしたら、あの方は人外どころかこの世ならざるものですわね」

「まさか、アニメから引っ張ってくるとは思わなかったのじゃ……」


 比較的、いまどきに生まれたキツネが、世事に疎い残りのふたりへ相手の正体を伝えた。

 

「あなたがご主人様かにゃ? 成仏するまで、ずーーーっと一緒にいるにゃ! そのあとはいつまでも冥界をさまよって永遠の亡者になるにゃ!」


 タマと自称した少女は部屋に入った途端、見つけた東吉郎に全力で抱きついた。

 そして、やたらと物騒な未来計画をぶち上げる。これはもはや”生霊”であって、正真正銘の祟り神だ。


 こうして新美東吉郎は突如、現れた女の子たちから、身に覚えのない【恩返し】を受ける羽目となった。それが幸運かどうかはまだ定かではないが、これから苦労するのは間違いないだろう。

 さっそく、タマを追いかけてきた美波が激しく抱き合ったふたりを見て、烈火の形相を浮かべている。そこに鶴姫も参戦していった。

 東吉郎からタマを引き離そうと、両手で女の子の体を引っ張る。亀はもう一度、頭を抱え、キツネは難を避けて男のベットへと潜り込んでいった。そこを自分の寝床とするつもりなのだ。もう滅茶苦茶だった……。



おわり

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ある日、恩返しと称して何人もの女の子が突然、家にやって来たお話。 ゆきまる @yukimaru1789

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